この画像を大きなサイズで見る15世紀から16世紀まで、北米のメキシコ中央部に栄えた国家「アステカ」では、厳しい地形の特徴を生かして、季節ごとに太陽が昇る重要なポイントをマークし、農業暦を作ることで、必要な作物の植えつけをきちんと計画していたことがわかった。
このため、何百万という民が飢えることなく、繁栄することができたのだ。
アステカは太陽を観測し農業に役立てていた
米カリフォルニア大学リバーサイド校の植物生態学者エクキエル・エズクラら研究チームは、トラロック山のギザギザのピークが、それぞれ太陽年を通過するごとに、季節に合わせて農業暦を監視する役割を担っていたという推測を裏づけた。
春、メキシコバレーは暑く乾燥する。夏と初秋にかけては、モンスーンの季節だ。毎年、雨季と乾季が繰り返されるため、作物の作付けは特定の時期にしかできない。その時期を見極めないと、収穫全体が損なわれる恐れがある。
「作付けが早すぎても、最初にポツリと雨が降り出してから、本格的な雨季が始まらないと、悲惨な結果をもたらすだけになります」エズクラらは言う。
「逆に、実際にモンスーンの季節が始まるまで待ってから作付けを行うと、今度はトウモロコシ畑(ミルパ)はかなり短い生育期間しかなくなってしまい、すでに芽が出てしまった雑草との競争にさらされることになります」
この画像を大きなサイズで見る太陽を観測し、時計代わりに利用していた古代文明
世界の多くの文明は、太陽が空をどのように移動するかをとらえるために、地平線上での手がかりを利用してきた。
例えば、世界最古の太陽観測所は、2300年以上前にペルーの未知の文明によって建造された13の石塔の列だ。
太陽が各石塔の間を昇ったり沈んだりするとき、それは特定の時間の経過を示している。この巨大な「時計」は非常に正確で、およそ2、3日の差で正確な時期を予測することができたという。
同じような「時計」の仕組みがメキシコの盆地でも利用されていたと、研究チームは指摘する。
しかし、メキシコの場合は、太陽マーカーデバイスそのものは建造されなかった。その代わり、メキシコ人たちは自然景観の中に見られる地形の特徴から、このやり方を選択した。
自然の地形を利用して太陽の正確な位置を算出したアステカ
「暦を調整するために、太陽年の特定の日における太陽の位置を知る必要がありました。これは、日の出(または日の入り)の方向を地理的なランドマークで目印にする以外、達成できない芸当でしょう」
メキシコシティの聖地テンプロ・マヨールような、渓谷にある特定の建造物の向きは、太陽が地平線を横切るのを定点観測できるように特別に設計されてようだ。
ほかにも、テペヤック山のような山の頂も、べつの見晴らし台になっていた可能性はある。
冬至の日に、テンプロ・マヨールのてっぺんに立つと、テウイココーン山の山頂のすぐ後ろから太陽が昇るのが見える。
夏至のときは、同じ地点から、シエラ・デ・パトラチークと呼ばれる山脈の麓、標高2300メートルに位置する現在のテペトラオストク遺跡の後ろから、太陽が昇るのが見えるのだ。
至点は、太陽が地平線に沿って進むのがいったん止まり、10日間ほど同じ目印の後ろから昇ったり沈んだりする。
分点は、テンプロ・マヨールのてっぺんからも観測されたことだろう。例えば、3月と9月の分点は、トラロック山の頂上の背後から太陽が昇ることでわかる。
エズクラのチームは、太陽がトラロック山の真後ろから昇るのは、春と秋にそれぞれ一日しかないと算出した。
古代メキシコの写本に見られる挿絵や文章と総合して整理すると、トラロック山はその年の重要な時期を示し、暦を調整するための基本的な道具として機能していたことを意味していたことがわかる。
この解釈では、太陽は365日ごとに、トラロック山の真後ろから昇り、4年毎に1日余分に計算に入れて、暦を軌道に乗せる必要があった。
この画像を大きなサイズで見るうるう年の調整ができる非常に正確な暦
研究者たちは、この自然の計時装置は数学的に可能であることを示した。しかし、メキシコ盆地に住んでいた当時の人々が、実際にこの技術に頼っていたかどうかは不明だ。
入植者による歴史的な記録のいくつかは、アステカ暦が2月に始まることを暗示しているが、重要な式典や神聖な儀式は、谷から見える主要なランドマークの後ろから太陽が昇るのとほぼ同じ時期に行われたことを示唆している。
例えば、春分のもっとも乾燥した時期には、水と雨の神にちなんだ名前がつけられたトラロック山の背後から太陽が昇る。
一方、夏至は塩とトウモロコシの祭典だが、テスココ湖の塩分の強い岸辺の背後に太陽が昇るときに儀式が行われた。
冬至は、女性が眠っているように見えるイスタシワトルの地形のはずれに太陽が昇るときに、儀式が行われる。一年のこの時期は、女性らしさや女神とも関係している。
トラロック山から見た太陽の位置がそれほど重要なのだとしたら、どのようにして1年の始まりの目印として利用していたのだろうか?
山の斜面を上る隆起した道の名残りが、その答えかもしれない。この道が興味深いのは、下の画像に見られるように、長方形の壁に囲まれた囲いから浅い角度で作られているということだ。
この画像を大きなサイズで見る/ image credit:Ben Fiscella Meissner
研究者たちは、斜面から上のほうを見たときに、道に接する壁の間に太陽が沈むように見えるよう、意図的に位置をずらしたのではないかと考えている。
太陽がこのように美しい形で枠におさめられる日は、メキシコ太陽年の始まりである2月23日か24日だ。
この画像を大きなサイズで見るこれらの結果から、ヨーロッパ人がやってきたときに使った天体計器がなくても、メキシコ盆地の人々は、東にある山々にかかる日の出の場所を体形的な観察することで、うるう年の調整ができる非常に正確な暦を維持していたことが確認できた、と研究者は結論づけている。
この研究は『PNAS』に発表された。
References:Ancient inhabitants of the Basin of Mexico kept an accurate agricultural calendar using sunrise observatories and mountain alignments | PNAS / The Aztecs Harnessed The Sun And a Mountain to Feed Millions, Scientists Say : ScienceAlert / written by konohazuku / edited by / parumo














この記事を読んで、少し調べたけどアステカって農耕が優れてたのね。
イメージが変わる、良い記事をありがとう。
石仮面自作して、俺は人間をやめるぞごっこしてたんやろ?
大航海時代まで他文明圏との交易が無くて鉄器文明に辿り着いてない反面
湖上に20万人以上が住む大都市築いてたり
全く違う発展の仕方してるのが面白いわな中南米の古代文明は
文字が無くて口頭伝承と遺跡から推し量るしか無いってのが惜しいが
※3
何言ってんの、文字あったよ
色んな遺跡で暦を知ってた証拠が出てるけど考えてみれば農耕と太陽は切り離せないよな
太陽の位置って一番良い基準になるんだから真っ先に研究が進むのも当然なのかもね
こういう話を読むたびに現行の暦の年の区切りが冬至から微妙にズレてることにモヤモヤしてしまいます。
※4 そうですよね。だから古代の正確な太陽軌道観測をもって未知の超文明の存在が論じられることがあるのに違和感があります。農業をバカにしすぎではないかと。