
人身御供は、自然災害を避ける、支配者の後継者を確実なものにするなど、さまざまな理由で世界各国で古代から行われていたのは明らかだ。
おそらくは先史時代にもあったと思われるが、この時代の証拠はなかなか出てこない。
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アステカ族と人身御供の密接な関係
人間の生贄を捧げるという習慣が、現在のメキシコ北部に住んでいたアステカと密接に関係しているのには、それなりの理由がある。世界のほとんどの社会ではあまりない、太古の昔の儀式だが、メソアメリカ文化において重要な役割を果たしていた。
人身御供の儀式は、祝日や戦争など、数多くの場面で行われてきた。テノチティトランの大ピラミッドのような大建築プロジェクトの完成を記念して、8万400人もの人間が犠牲になった例もある。
メキシコを征服したスペインのコンキスタドールは、アステカ文化の人間の生贄儀式の残酷さを詳しく描写している。
それは、コロンブス以前の多くの写本に見られる恐ろしい描写と一致している。そんな写本のひとつ、マリアベッキアーノ絵文書には、ひとりの司祭が犠牲者を拘束して、もうひとりが鋭利な道具でその胸を割いて心臓を取り出す場面が描かれている。
ピラミッドの下まで血がしたたり落ち、そこには、胸を切り裂かれ、苦悶に顔を歪めた前の犠牲者が捨てられていて、今、片付けられようとしている。
犠牲者の胸から取り出されたばかりの心臓が宙に高々と上がるのを見物人たちが見つめている。目撃者の証言は、こうしたおぞましい儀式の記憶を生き生きと伝えている。
しかし、人身御供という概念は、決してアステカ族が発明したものではないし、この習慣をもつ世界中で唯一の文化でもない。

世界各国で記録されている人身御供の歴史
人身御供の歴史は、青銅器時代にさかのぼるものと考えられているが、もっと古い時代からあったとも言われている。旧石器時代のヨーロッパから、中国の古代開拓者まで、さまざまな文化で考古学的な記録にその痕跡が残されている。
各地で人間の生贄儀式が行なわれた理由はそれはたくさんあり、アステカと似たものもあれば、まったく違う独自のものもある。
人身御供の歴史は信仰や迷信の歴史
人身御供の歴史は、信仰や迷信の歴史と密接に結びついている。作家のジョン・スキナーは、先史時代の信仰は、死という現実を否定するための魔術的な儀式として生まれたと言っている。
スキナーは自著の中で、死に対する人間の恐怖や好奇心が、古代儀式においてどのように現われたかを論じている。
彼は、旧石器時代の社会に注目しているが、それは、アステカの儀式を形成したような社会的、政治的、経済的な複雑な社会ではなかった。
宗教目的の生贄は、さまざまな形で行われた。中国、モンゴル、エジプト、メソアメリカでは、重要人物はその召使や妻、愛人と共に埋葬されることもあった。
こうした従者の遺体には、外傷や病気の痕跡がほとんど見られなかったことから、考古学者は彼らは生きたまま主人と一緒に埋葬されたと推測している。
これは、死後も主人は使用人に世話をされることを保証するものだった。かつては一般的だったこうした生贄の形は、紀元前2800年頃に姿を消したという。

少数を犠牲にして大勢を守る
人身御供の儀式を行う目的のひとつは、非常に貴重なものを捧げて神をなだめることだ。コロンビア以前のペルーに住んでいたインカ人が行ったカパコチャの儀式では、天災を防ぐために、処女や子どもを薬漬けにして殺した。
彼らは純粋無垢な存在だと考えられたからだ。アステカ人は、生贄のことを負債の返済だとした。
「生命は神のおかげなのだから、生贄を捧げることによって、神々は私たちに生命を与え、食べ物を作り出して、生命を養ってくれる」聖職者たちは、自分たちの儀式について、こうスペイン人に説明したと考えられている。
結局のところ、人間の生贄は、少数を犠牲にして大勢を守るということだった。
生贄は、地震や病気を追い払うためだけでなく、戦争に勝つため、あるいは戦争を避けるためにも行われた。特定の統治者の治世とその支配のシンボルを祝福するためにも利用された。
イツァコアトルの治世に最初に建設された、テノチティトランの大ピラミッドは、こうした人間の犠牲の上に成り立つひとつの例だ。
似たような生贄の例として、建物を未来の破壊から守るために、建物の地下に生きたまま人を埋める日本の人柱伝説や、バルカン半島の伝承がある。

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人身御供の起源の謎
人間を生贄として捧げる儀式が行われた社会はたくさんあるが、それがいつ、どこで最初に始まったのかは、専門家の間でも意見が分かれている。古代では広く伝えられているため、先史時代からあったと言ってもいいが、残念ながら、文字や言葉の記録がないため、正確なことは断言できない。
人間の生贄の起源についての私たちの理解は、考古学的な証拠に基づいていることが多く、決定的な結論が出ることはほぼない。
長年の間に、鉄器時代や青銅器時代にさかのぼる人間の生贄の証拠を見つけたとする研究者たちも出てきた。
古人類学者のヤン・イェリネックは、チェコにあるこの時代の遺跡を発掘調査したところ、人間の遺体の扱いが非常に多様であることがわかり、これは通常の埋葬ではなく、生贄に関連した複雑な出来事があった痕跡だと指摘している。
洞窟で発見された人骨は、家臣の生贄ではないかと思われ、近くの家屋の基礎から見つかった頭蓋骨は、バルカン半島や日本の生贄のような行為と似ていた。
奴隷制を導入していた社会では、個人の命の価値について特殊な信念があったため、人身御供の儀式が行われていた可能性が高いという説もある。
こうしたことを考えると、先史時代の奴隷制の証拠は、この時代に人間の生贄を捧げていたことを示す根拠になりそうだが、必ずしもそうとはいえない。
おもしろいことに、納得できる証拠がないにもかかわらず、あるいは証拠がないがゆえに、ヨーロッパの鉄器時代における人身御供は、珍しく特別なことだったらしいという結論に達すると、イギリスの考古学者ミランダ・グリーンは言う。

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人身御供の消滅
古代世界でもすでに、多くの文化で人間の生贄は過去のものと考えられていた。ローマがまだ王国だった頃、神々をなだめるために市民が生贄として捧げられることがあった。
歴史家プリニウスによると、人身御供は、共和国の時代には実質的になくなり、紀元前97年の元老院の命令により、完全に廃止されたという。
生きている人間を殺すことは、野蛮な部族に結びつけられ、ローマの論者も見下していた。生贄は人間ではなく、動物を殺したり、肖像を燃やすなどの行為へと変わった。
人身御供の歴史の一部は、宗教書にも出てくる。
例えば、「イサクの燔祭」は、創世記に出てくる話で、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の長老であるアブラハムが、ヘブライの神ヤハウェに命じられて、たったひとりの息子イサクを生贄として捧げようとする。
しかし、アブラハムが生贄の儀式を完了する前に、天使に止められる。アブラハムの献身は十分に証明されたので、息子の代わりに雄羊を捧げることで許されたのだ。

「イサクの燔祭」は物語であるだけでなく、三大宗教の内部体制に具体的な影響を与えた宗教的な教えのひとつの形でもある。
イスラエルのハイファ大学名誉教授ヨセフ・ミルマンによると、この物語は、あるひとつの現象の起源や消滅を説明する"原因神話"として機能していて、人間の生贄から動物の生贄への移行、そして人間の生命の究極の神聖性の理由を示しているという。
現代の観点からすれば、人身御供は非常に残酷で、間違った行為であるように思われる。だが、この原始的な儀式がなかったら、今日の私たちはなかったのかもしれない。
データ分析に基づく歴史研究によると、人身御供は、コミュニティがより複雑な形態に変化していくのに役立ったという。
おそらく、儀式によって、より大きな善のために人々が団結するのを助けたからだろう。結局、犠牲になった人間は無駄に死んだわけではなく、生者の利益のために殺されたのだ。
References:The mysterious origin and evolution of human sacrifice rituals / written by konohazuku / edited by / parumo
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コメント
1. 匿名処理班
「人の代わりに」家畜や人形を捧げる文化の大半は神が人や家畜や人形やそんなもの欲しがってると思って捧げてないよね
「うちはもう捧げたから(災厄は)勘弁してくれるよね、どっちかっていうと忠誠心の劣ってるあちらさんから先に災厄きますよね??」っていうアピール、つまり「自分たち」の外にボーダーラインを引くための手順っていうか儀式っていうか
…アステカは捧げることが目的になっててもうよくわからない。
2. 匿名処理班
神の怒りだから生贄で鎮めるっていう疑似的対処によって、どうにもならない災害やなんかに対する恐怖を紛らわしてたのが起源だと思ってる
現代でも難病の人とかが神の試練だとか言ってるし、人間って理不尽な苦難に直面すると一種の防衛機制で自分を納得させる理由やルールを考えだす
3. 匿名処理班
初めて聞いたときは瞳悟空だと思って意味がわからなかった
という嘘松を今考えた
4. 匿名処理班
※1
>「人の代わりに」家畜や人形を捧げる文化
どっちかっていうと、収穫祭などの豊富な時季に
野菜や家畜の分け前を「供物」として奉げる習慣が先にあって、
「最上級の供物」として家畜の代わりに人間を、と
エスカレートしていったんじゃないかと思ったり。
他のパターンでは、殉死系は、新代の妨げや経費増大になるような
旧勢力の臣下や後宮を物理的に一掃する過程の儀式化、
みたいな要素があったんじゃないかと思う。
あと、自然災害や不作の際の生贄は、間引きの儀式化とか。
5. 匿名処理班
スケープゴートとか弱い立場の誰かを犠牲にすることで自分たちの益とする行為は殺人とは違う形で現代の方がよほど行われていると思うけどねえ。
6. 匿名処理班
原始の時代に野生動物の群れに囲まれた人間は逃げ遅れた子どもや身体的弱者が犠牲となって多数が生き残った経験があるだろう。
そして、その少数の犠牲により多数が生き残るという方法を自然や神に対して行うのが生贄だよね。
地域によって始まりの時代は変わるだろうし、どのように風習として継続されたかも大きく違う。
始まりを調べるにしても地域ごとにケースバイケースで調査するしかないよねえ。
7. 匿名処理班
生贄信仰は災害鎮静よりも豊作保証の方が科学的に正しい。
8. 匿名処理班
あんまり現代も変わんないね
金枝篇なんか読むと、政治なんてのもほとんど生贄みたいなものだと思わされる
税金で責任者を作って石を投げつけてるようなもんだ
9. 匿名処理班
南米は白人に絶滅させられてキリスト教的に大罪である生贄をやっていた事にされた定期
古代の生贄の儀式は子供を産めない年齢の少女でようは口減らしのため
災害があったら生贄の儀式が行われるのもそのため
10. 匿名処理班
「天災を生贄によって鎮めようとする」というのは複数の地域で起きていた。
おそらくは伝搬したのではなく、別個の集団がそれぞれ、その考えに至ったのだと思う。
11. 匿名処理班
ヒトが宗教の概念を生み出したら一度は通る道なんだろうね、記事にもある通りアブラハムの宗教でも通ってる訳なんだし
12. 匿名処理班
日本も補陀落渡海とか人柱とかあったんだよね。
今とは天災による危険度が違うから「どうせ死ぬなら…」みたいな感じなのかな
13. 匿名処理班
おそらく交流のない複数の地域、時代で行われてるのを考えると人間の本能的欲求なのかもしれないね
現代でもスナッフフィルムなんてものがあるくらいだし
14. 匿名処理班
※9
スペイン人の記録にあるのと同じ
頭蓋骨を並べて作った祭壇跡とか、実際に出土してるが。
あと、アステカの生贄は
女子供もあるが、主に他国の戦争捕虜が多い。
15. 匿名処理班
覚悟の意志の重みだね
意志の力が結束となりより大きな集合を満たす
捧げた生命は国家へと変換され生まれかわる
それはヒトの情動のデルタに一致するため
より巨大な国家ほど生贄が加速度を伴い必要になる
超人口を束ねることは犠牲リスクを評価しなければならない!
16. 匿名処理班
神が先にあって人身御供が捧げられたのでは無く、殉死が先にあって、祀られた祖先が神に変わって継続して殉死者を求めるようになったんじゃないかな、と妄想。
17. 匿名処理班
災いに命を奪われるなら逆に差し出せば残りは助かるトカゲの尻尾理論かな
18. 匿名処理班
※1
アステカは生贄は太陽を動かすための燃料的なものと考えていたから、毎日ちゃんと太陽が昇って朝が来るように頻繁にいけにえを捧げていた
生贄そのものが目的に摩り替わってたのではないよ
でもって自分たちも自然や宇宙を動かすためのサイクルの一つであり、中でも一番重要な太陽を動作させるための燃料になることはこの上ない名誉って考えてた
自分が死ぬことで自分の仲間のみならず全世界の生命を救う事になるんだからね
19.
20.
21. 匿名処理班
宗教以前の宗教だな。別に啓典なんてなくても人間は宗教があるし、こういうことをする。
あるいは啓典がなくてはこんなに残虐なんだということにするために創り出されたか。
22. 匿名処理班
古代はどこもやってて、大抵は中央文明に啓蒙されて代替品になっていくけど、
アステカは啓蒙する文明がなかったんだろうね
中世にもなって鉄器もないし色々ユニークだ
23.
24. 匿名処理班
>>4
供物として捧げる習慣自体が「かみさまへの感謝」じゃなくて、「私たちは良き臣民だから次の災害の対象から外してほしい」という対外アピールだし、保身こそが信仰の始まりだと思うんだ。
私たちはとちがみ様に供物をさしあげたからセーフ、不幸が起きるとしたら神様を粗末にしてるに違いない隣村に決まってる、っていうふうに自分たちが聖なるもの善なるものにボーダーラインを引く行為が信仰
おっしゃるとおり、最上級の供物が人間であることは間違いなくて、そこから人形とかの代替行為にうつるとか、人が支払ったものは差し出したんじゃなくて取り上げられたのでも支払いとして良しとする被害者至上主義にいくとかいろいろ信仰のあり方が変わったんだと思う。
けど、アステカはマジでググるのもおすすめしないほど「人を捧げる」行為に特化しててしかもめちゃくちゃ近年までやってる。あいつらはやべぇ
25. 匿名処理班
>>10
要は、もう支払いは済んでますよ感ですよ
この橋を立てるのに人柱を支払ったから、だからもう支払い済みになりますよね?だからセーフですよね、不幸が起きるなら何も捧げないで川を渡る他の橋からに決まってますよね?っていうマインド
ささげてない地域と比べて霊的な優越感があることがこういうエクストリーム供物の発端かと思ったけど、さらに言うと「集落単位での不幸の総数はプラマイゼロになるはず」っていう平均化も信仰に含まれるのかも。
26. 匿名処理班
※13
ポルポトなんてモロにそれだわね
死体が好き臓物が好きゴーモンが楽しい全部合わさると10倍楽しい
の行きついた先があれだ
太古の一般庶民の生活なんて苦しいばかりで楽しいことなんて全く無かったろう
死ぬことへのハードルはすごく低かったと思う
現代でも似た傾向はある
27. 匿名処理班
信仰が発生したら自然と辿り着く行為な気がするなぁ
神様が非常に重要な時代で尚且つ命の価値が高い程、人身御供の発想が生まれるんじゃないだろうか
28. 匿名処理班
生贄は、人間の脳の仕組みに原因があると思う。
人間の脳は全く関係の無い事に、因果関係を生じさせて理解した気になる、もしくは安心する傾向がある。
恐らく、何かを食べて腹が満たされるというような構図を、願掛けと生贄に採用して「何かを願うためには、何かを犠牲にするべき」と因果関係を構築し、人間は人間を最上級だと考えてるので、「願いをかなえるために、最上級の物を捧げる」となったのでは無いだろうか?
そして、不可解な因果関係は現在でも人間社会に見受けられる。
この世界が不可解なのは恐らく人間のせいだろう。
29. 匿名処理班
※4
というか、捧げられる供物が無い時の最終手段が人間だったんだろう
要は飢饉の時の口減らしを権力者が決定できる(が責任は神に丸投げする)ためのシステムって事なんだろう
30. 匿名処理班
いじめが存在する学級にはいじめられている被害者以外のクラスメイトたちの結束力が強くなる傾向にあるという分析も出てるぐらいだから人間というよりはもっと原始的な動物としての本能がそうさせているような気がする
31. 匿名処理班
ドラえもんのぬいぐるみを生け贄に捧げる村とかあるしな
32.
33. 匿名処理班
南米の生贄文化は、気候変動で雨季と乾季の差が大きくなり水不足が長期化するにつれて過激になっていったらしい。
34. アユラ
>>28
等価交換で、片付けて良いんですか……。
35. 匿名処理班
>>30
犯罪組織が裏切り者やはみ出し者を残酷に
処刑し、恐怖で支配することによって
より結束する類の団結だね
36. 匿名処理班
生首を捧げていたのが肉まんに代わり、肉以外の具も使われるようになり、現代日本のカレーまん美味しいねむしゃむしゃ
37. 匿名処理班
蛋白源が無くなると、蛋白源としてヒトを生贄にして食い始めるらしいゾ
38. 匿名処理班
※37
宗像教授の話にあったような…
猪だったか三角のお面だったかきつかったなー
39. 匿名処理班
>>30
結束が揺らぐうえに自分が次の犠牲者かもしれない心理で永遠に無くならない
小さいコミュニティほど起こる心理だから、いじめや排他の原理を知ってそれぞれ自制しないとな
本来の飢餓的な口減らしなら数十〜数百間引かないと意味ない気がするから、排他の心理だろうな
40. 匿名処理班
>>36
饅頭こわい
41.
42. 匿名処理班
農耕関連の神への人身御供の場合は、1。農民をその土地に情によって縛り付け、かつ、2。その恨みを支配層の人間にではなく神に向ける事で暴動を防ぎ、かつ、3。口減らしになる。からじゃないかな?
支配層としては便利な存在(しかしながら厄介)に思えるけど、モレク神の扱い等から察するとうまく扱えなかった土地が多いのかな?
43. 匿名処理班
中国だと殷の時代の殷墟の殉死や焼けた甲骨の割れ具合で人身御供の数が変わった・・・例が知られているね。それ以後の時代は減ったものの続き、万里の長城の人柱の悲劇は有名かと。日本の場合は古墳時代位に殉死はハニワで減ったがそれでも人柱は江戸時代まで続いた伝説があるね。松江城とか。
44. 匿名処理班
キリスト教の聖書に赤子を石の角にぶつけて殺せとか、羊だのと隠語使って生贄の肉食って酔うまで血を飲めって書いてあるじゃん
45. 匿名処理班
>>12
トリビア
補陀落と布達拉は
同じ
46. 匿名処理班
>>36
ピザまんもおいしいょはぐはぐ…
47. 匿名処理班
>>38
にえの木だな。イノシシの頭を被っていけにえとなり村人の食糧になる話。
48.
49. 匿名処理班
>>14
アステカの戦争は花戦争と言って基本的に戦争の第一目的が捕虜の獲得だったんだよな