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奈良県にある謎の石造物「益田岩船」

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(著) (編集)

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image credit:public domain/wikimedia CC0 1.0
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 奈良県、橿原市白橿町の岩船山頂上付近には、「益田岩船(ますだのいわふね)」という巨岩が存在する。明らかに加工した跡があるこの岩は奈良県指定史跡に指定されている。

 奈良県飛鳥地方には、花崗岩で作られた様々な石造物が存在するが、益田の岩船はその中でも一番大きい。

 7世紀頃に作られたと推測されているが、その使用目的ははっきりとわかっておらず、後代の日本の文化の主流となった仏教美術とは異質なものが多く、これらは謎の石造物と言われており、海外からも注目を集めている。

謎の石造物「益田岩船」

 益田岩船の大きさは、東西11m、南北8m、高さ4.7m、重量およそ800トンで、てっぺんは完全に平らになっていて、1m四方の四角い穴がふたつくり抜かれている。

 このふたつの穴と平行に稜線のようなラインが引かれている。

 岩の底部には格子状の窪みがつけられているが、これは岩の側面を平らにする加工途中の跡なのではないかと考えられている。

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益田岩船の北側 / image credit:public domain/wikimedia CC0 1.0

誰が、何のために作ったのか?

 奈良県、飛鳥地方は歴史的に興味深い古代からの地だ。起源は250年~552年の古墳時代と言われ、この時代は濠(ほり)に囲まれた鍵穴型の古墳が多く作られたことが特徴だ。

 益田岩船は、花崗岩の加工法や穴の尺などに古墳時代最末期の特徴が見られるため、7世紀頃の建造と推定されている。

 ではこの岩船は誰が、いったい何のために作ったのだろう? まだ明確な答えはないが、さまざまな説がある。

1.仏教の儀式用に作られた説
益田岩船があるこの地域にはたくさんの仏教寺院や神社があることから宗教的、儀式的な目的のために仏教徒が作ったという説。

ただし他の仏教建造物の様式とは似ても似つかないことからこの説を疑問視する声もある。

2.石碑の台石だった説
かつて近くにあった益田湖(現在は干上がっている)の築造を讃えた弘法大師の書が刻まれた石碑を乗せるための台だったという説。

3.天文観測所として占星術に使用されていた説
その根拠は、岩船のてっぺんに引かれたラインが飛鳥山の稜線と平行に走っていて、節気「清明」の13日後に起こる「春の土用の入り」と呼ばれる一年の特定の日の日没の位置とぴたりと合っていることだ。

この日は太陰暦において重要で、日本の初期の農業で農耕シーズンの始まりを告げる日とされる。

4.王の石棺の跡説
後期~終末期の古墳にみられる横口式石槨(よこぐちしきせっかく)と呼ばれる石棺式石室(墓)ではないかとする説だ。

しかし、岩の上部の四角い穴といった珍しいデザインの説明がつかず、遺骨も見つかっていないことから、墓の入り口として作られたが未完成に終わったと考える学者もいる

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益田岩船の南面 / image credit:public domain/wikimedia CC0 1.0

 益田岩船は、兵庫県高砂市にある「石の宝殿」とよく似ている。こちらは6.45m×5.7m、高さ5.45の石の建造物で、側面に同じような隆起線があるが穴は見当たらない。

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高砂市の石の宝殿 / image credit:public domain/wikimedia CC0 1.0
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シーボルトによる石の宝殿のスケッチ / image credit:public domain/wikimedia CC0 1.0

 結局、石の宝殿も益田岩船もその起源や目的はわかっていない。さまざまな説はあるが、決定的な証拠はない。

 この地域にはたくさんの石の建造物が残されていて、古墳時代以前にも人が住んでいたことを示しているが、はっきり裏づけられる証拠は見つかっていない。

 新たな技術によりその謎が明かされる日はくるのだろうか?

References:The Mysterious Monoliths of Asuka Nara and the Rock Ship of Masuda | Ancient Origins / written by konohazuku / edited by / parumo

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この記事へのコメント 36件

コメントを書く

  1. 関西のローカルテレビでやってたけど、近くの牽牛子塚古墳の石棺の失敗作じゃないかと。
    確かに形がよく似ている。

    • +24
    1. >>1
      Wikipediaでぐるっと奈良の石の遺跡の件を読んできました。とっても腑に落ちる説でなるほどーって感じ(小並感
      しかし、成功?作のほうも結局なんだかよくわからない感じw

      石って炭素みたいな加工年代がわからないってのが難しいですね。

      • +1
  2. 大阪城の残念石みたいに建物の一部に使おうとして運びきれなかったんじゃないかと

    • +6
  3. 建物の杭を打ち込んで櫓にしてたような穴だね

    • +4
  4. 大きな木製の柱の様な構造物の土台の様に見える

    • +8
  5. 実際は「作りかけを遺しちゃっただけ」だとしても
    あーだこーだ想像を掻き立てられる造形なのがニクいよなぁ

    • +30
  6. これ知ってるけど本当に謎だ
    奈良ってこういう変なのが多いんだよな

    • +11
  7. たぶんだけれど これにぴったり合うでかいコンセントがどこかに存在するんだと思う

    • +12
  8. 知る人ぞ知る存在なれど、万が一上の穴に落ちたら結構生命の危険がありそうと現物見て思った。

    • +8
    1. >>11
      実際貯まってますよ。
      夏場はボウフラも湧くし藪っ蚊でスゴイことに…
      近所なので時々フラっと行くけど、蚊のシーズンは避けてる。

      • 評価
  9. 単に石工の練習用だったんじゃね、穴開けたい奴上の方でやれ、切り出しや側面平にしたい奴は適当に下の方削っとけみたいな

    • +1
  10. 岩船なら何の目的かは簡単だよ
    神武天皇のひい爺ちゃんの兄が皇室をついだんだけど、首都移転する時に新しい天皇のアスカホノアカリさんが引っ越し移動するのを国民が田植えをほったらかして見に来るもんだから、アマテラスヲヲンカミが心配して、続きは陸路ではなく船で移動しなさいと伝令(神武天皇のひい爺ちゃんとタジカラヲさん)に伝えさせて、陸路で長い日数がかかるはずが海路であっというまに目的地に到着しちゃったもんだから、まるで空を飛んできたようだと揶揄されて、アマノイワフネに乗って飛んできたと言われた事が由来する
    このアスカホノアカリさんの家系の皇室を称える事を目的とした遺物だろうね

    • -25
  11. 残念ながら、アスカホノアカリさんは子供ができずに亡くなってしまった。そこで弟のニニキネさん(さっきの伝令の人で神武天皇のひい爺ちゃん)の孫のクニテルさんを養子にして、後継ぎとするようにをアマテラスヲヲンカミが定めて、送られた名前がアマテラスニギハヤヒキミだよ。ところがこのニギハヤヒさんにも子供が生まれなくて、オオヤマツミさんの子孫の若夫婦をナオコとして貰ってきてうまれたのがウマシマジ(物部氏の祖)
    アスカホノアカリさんの皇后が、オオヤマツミさんの子孫という事はキミではなくトミであると追い出してしまった、こうやって揉めて、ニギハヤヒさんはナガスネヒコの妹をキサキにもらったけど、やはり子供が生まれなかった
    そこでナガスネヒコが子種をうるフミを盗んできて、それでも子供は生まれなかった
    盗むのはよくないとして、ノリクダセ、ホツマジ、ヒロム アマノイワフネという流行り歌が九州で農地開発の続きをしていた神武天皇兄弟の所まで伝わってきて、神武天皇の左大臣のアマノコヤネの子孫から子種をうるフミを盗んだもんだから、けじめをつけに本州まで神武東征する事となりました。アマノコヤネさんは元々アスカホノアカリさんの左大臣だったけど、揉めてやめたのよ、だからホノアカリさんの家系のヒギハヤヒさんにフミは見せなかった。ニニキネさんは田んぼのための池を発明した事でアマテラスヲヲンカミよりミクサタカラをもらって、二つ目の皇室として認可されていた。そしてニギハヤヒさんの家系は養子のウマシマジがついで神武天皇に仕えたので、武官の棟梁として物部氏の祖となって、皇室はそれからニニキネさんの家系で、神武天皇の家系が今の皇室として残っているよ
    古事記と日本書紀の原書である、ヲシテ文献にそのように書いてあるよ

    • -26
    1. >>16
      ホラを吹くなら、例えば奈良三山の付近は超古代文明の宇宙基地があって世界中を網羅する天磐舟が離発着していたとか、ウガヤフキアエズ王朝は10万年以上の昔からムー大陸を支配しつつ超科学を持つアトランティス文明と対立していたが1万2千年前の世界大戦で両大陸とも滅んでしまったとか、その後裔がプレアデス星団に植民していて現在はUFOで地球を監視しているとか程度の大袈裟な感じにしてくれないと全く面白くないよ

      • +7
    2. >>16
      ヲシテ文字もヲシテ文献も「江戸時代中期」から確認されてるのにそれ以前に言及や伝承、また文字が刻まれた遺物等は全く発見されてない上に
      上代特殊仮名遣との矛盾が指摘されている創作物でしかないです。

      • +2
    3. >>16
      なんにせよ「ヲシテ文献」ってどっかで読めないのかな。
      パブリックドメインのはずなのに、まともに見れるサイトが見つからないや。

      • 評価
  12. 実家の近くだw
    小学生の頃よく登ってた、みんなが上り下りするせいで滑り台みたくつるつるになってたな
    2つの穴には雨水と木の葉が貯まるのでクソ濁ってる上にお菓子のゴミの袋がめっちゃ入ってた笑

    • +6
  13. これ知ったの三つ目がとおるなんだよなぁ
    写楽に聞かないとわからんな

    • +4
  14. 穴は縦に開けた方が作業がしやすいんだよね
    特に穴の周りをきれいに仕上げたいならね
    横穴が必要なら完成させてから倒せばいいんだから

    • +3
    1. >>19
      その通り。ついでに作業中に雨が降れば漏水試験もできる
      じっさい この石が放棄された理由は、雨水のたまり方に差があることから
      片方の穴に亀裂があって石室には不適格と判断されたかららしい

      • +2
  15. そもそも数も少ないしな
    わけわからんな

    • 評価
  16. 高砂市の石の宝殿も上面に穴が二つあるよ。もっとも今じゃ砂等で埋もれて草木が生えてるけどね

    • +2
  17. 仮に、途中で放棄された加工が全て順調に仕上がったとして、こんなクソデカい重い岩をどうやってどこに運ぶつもりだったんだろうか。
    それともこの位置が計画通りの目的地だったんだろうか。
    周辺に関連する遺物とか無いのかねえ。
    ちょっと試しにやってみるか、では済まされないレベルの加工が既にされてるわけだし中止はよほどの事情があったんだろうと思うと気になって仕方がない。

    • +2
  18. 奈良に二十年以上いるけど、一回も見たこと無いですw

    飛鳥も頻繁に行くけどなー。

    ハイ、その土地にいる人間あるあるですわよ。

    • -1
  19. 自衛隊が掘る掩体っぽくも見える(石には掘らないが)
    近くに砦があって見張り場所兼射撃台として使われていたとか?

    • -2
  20. >>天文観測所として占星術に使用されていた説

    であるならばその基準具かも
    この岩船で暦の基準としておけば、そのコピーが別の場所にも作れる

    • 評価
  21. 偶然自然にできたものを、ありがたがってるだけの可能背もある。

    • 評価
  22. 大和政権以外の日本の政権があったんだろうねぇ

    • 評価
  23. 兵庫県高砂市の生石(おうしこ)神社
    結構前に見に行こうと友達と計画していたけど、神社の上の方にある公園?で焼身自殺があってやめておこうとなって今だにいけてない

    • -1

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