この画像を大きなサイズで見る318万年前を生きた化石人類「ルーシー」は、毛むくじゃらの姿で描かれることが多い。だが遺伝子分析の技術進歩により、実はそのような体毛はすでになかった可能性があるという。
「私たちすべての母」と表現されるアウストラロピテクス・アファレンシス属(アファール猿人)の女性、ルーシーの発掘以降いくつかの進化の謎が解けつつある。
当時の女性は、衣服こそ身に着けなかったものの、裸に対する羞恥心は持っていたようだ。
318万年前の化石人類「ルーシー」は毛深くなかった?
50年前、318万年前に生きた化石人類「アウストラロピテクス・アファレンシス(アファール猿人)」の女性の骨が発掘された。
それはほぼ完全な頭蓋骨と何百もの骨のかけらで、ビートルズの名曲「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」にちなんで「ルーシー」と名付けられた。
化石”人類”とはいっても、これまで一般的に伝えられてきたルーシーの容姿は、顔・胸・手足といった部分以外は、ふさふさとした赤茶色の体毛に覆われている。
どちらかというとゴリラやチンパンジーのイメージにも近いかもしれない。
この画像を大きなサイズで見るだが、アメリカ・ジョージア州ケネソー州立大学の学際研究科長および哲学教授のステイシー・ケルトナー氏によると、こうした毛むくじゃらのルーシーの姿は、じつは間違っているかもしれないという。
人類とシラミの共進化の研究から、私たちの祖先は300万~400万年前に体毛のほとんどを失っていただろうことが明らかになっている。
衣服を身につけるようになったのは、8万3千~17万年前のこと。つまり、250万年以上もの間、裸で過ごしていたのだ。
体毛を失ってから衣服を身に着けるまでの期間
そのころの人類が体毛を失ったのは、体温調節・生理的発達の遅れ・交配相手へのアピール・寄生虫の予防など、さまざまな要因が複雑に絡み合ったためであるようだ。
そして環境的・社会的・文化的要因によって、やがて衣服を着るようになった。
とはいえ、わざわざ体毛を捨てなおかつ服を着るというのは、ずいぶん回りくどいことに思える。祖先がそんなことをしたのも、脳の大きさが関係しているのかもしれない。
私たちの脳は成熟するまでに長い時間がかかり、しかも人体の中でひときわエネルギーを消費する特殊な器官だ。
その結果、人間の赤ん坊が独り立ちするまでには、長期間誰かから世話をしてもらわねばならなくなった。
そこで私たちは”夫婦”という戦略を採用した。男女がパートナーとなって、長年にわたる育児を協力して行うのだ。
が、このような戦略にはリスクもある。人間は社会的な生き物で、大勢の仲間と一緒に暮らしている。こうした環境では、往々にして浮気の誘惑に駆られがちだ。裸のままではなおさらだろう。
それでは2人1組の協力体制が崩壊し、子育てが難しくなる。
そこで夫婦の契りを守るために、何らかのメカニズムが必要だった。ケルトナー氏は、そのメカニズムこそが羞恥心だったのだろうと推測する。
同氏は、ドキュメンタリー映画『ヌードの何が問題なのか』の一節をこう引用する。
裸は根幹となる社会契約に対する脅威ある。それは背徳への誘いだからである……羞恥心は、私たちが配偶者に忠実であるよううながし、子供を育てる責任を共有する
裸と社会規範
そもそも”裸”という概念自体が風変わりなものだ。それは体毛を捨て、さらに衣服を身にまとい、裸を禁止することによってのみ成立する。
人類の文明が発展するにつれて、罰則・法律・秩序といった社会を維持するための手段もまた発達した。このときとりわけ女性に関連するものほど整備されていったに違いないと、ケルトナー氏は推測する。
こうして”裸”と”恥”の関係が生まれた。裸になるということは、社会規範を乱す行為だ。それゆえに恥ずかしさを感じる。
もちろん、時と場合によって、何が裸であるのか往々にして変わるものだ。
例えば、ビクトリア時代のイギリスでは、足首を出すだけでスキャンダルだったが、今日では海に行けば、ほとんど裸に近い格好なのが当たり前だ。
また裸は、羞恥心以上の意味を持つこともある。
例えば、ヨーロッパ芸術における”ヌード”は、女性の裸体を男性にとって快楽的な見世物に変えたもので、衣服を着ていない生まれたままの姿という意味の”裸”とは違うのだという。
このように裸は、羞恥心のほか、エロティシズムや親密さ、あるいは弱さや恐怖といったものまで、さまざまな感情を生じさせる。
だがいずれにせよ、社会的な規範や文化な慣習といったものがあるからこその裸なのだ。
この画像を大きなサイズで見るルーシーは裸であって裸ではなかった
そういった意味で、体毛が濃かろうと薄かろうと、ルーシーは裸ではなかった。羞恥心というベールをまとっていたのだから。
にもかかわらず、たいていのルーシーは現代の社会規範を前提として描かれることが多い。例えば、よくあるルーシーの姿は、夫らしき男性や子どもたちに囲まれ、いかにも優しい母親といった表情を浮かべたものだ。
ケルトナー氏は、こうした母性と核家族に関する歴史的な仮定に基づくルーシーの描き方を、ただの思い込みに過ぎない「エロチックな空想科学」であると非難する。
こうしたやり方は、しばしば確かな証拠がないもので、しかも人類の進化に関する女性差別的・人種差別的な誤解を永続させる恐れもあるという。
例えば、人類の進化を表すお馴染みのイラストは、もっとも進化した段階としてヨーロッパ系白人男性が描かれることが多い。一方、女性ホミニン(ヒト族)の復元図では、黒人女性の特徴が誇張されがちだ。
ケルトナー氏は、こうしたルーシーをまた別の解釈で描いた、彫刻家ガブリエル・ヴィナスの作品「サンタ・ルシア」を紹介している。
この大理石の彫刻作品は、半透明のヴェールをまとった裸体としてルーシーを表している。それは裸体・被覆・性・羞恥心の複雑な関係を物語るもので、性的な“純潔”が崇拝されるヴェールに包まれた乙女でもあるという。
さて、そのヴェールの向こうのルーシーの顔は、どのような表情を浮かべているのだろうか?
References:What the 3.2 million-year-old Lucy fossil reveals about nudity and shame / written by hiroching / edited by / parumo
















ルーシーに関してはどちらかといえば”白人のように”復元されてるほうが遥かに問題だろ
ここにある復元画像も肌が白めのばっかだし
毛がなくなってたのならなおさらアフリカの強い日差しから身を守るために肌は間違いなくガッツリ黒かった
あたし本当にこういう系の顔じゃないのよね
わりと真面目に先祖にはチベスナが混じっている気がする
現代の人類は毛根をレーザー処理してまで無毛化を
目指すほどだから、体毛があった時代によっぽどの
デメリットがあってトラウマになってるのかもな。
なんとなく失楽園をイメージしたわ
かつては貧しくとも、みんな裸でおおらかな時代があったのかもしれないなと
それが暑さ寒さを凌ぐために衣服を身にまとうようになるが、着ている着ていないかで貧富の差を意識する時代になり、さらに着衣の普及が進むと着ていないのが恥ずかしいとされる時代になったのかもしれない
かくして知恵の実を食べた人間は、より高度な社会を形成すると同時に同種内での闘争の歴史に足を踏み入れる事になったとか
体毛が無くなったのが、300万年前。
衣服を使い始めたのが、10万年前。
自然環境で活動するのに、長い期間、皮膚へのプロテクトが無かった、というのが実感として納得できない。
当時の皮膚は、現代人の皮膚と違って丈夫だったのかも知れないが、今の哺乳類の野生動物は、大概体毛を持っているから。
うーん、体毛が減る→保温や保護のために草か何かを装着→大事な所が隠れているのが当たり前の社会になって羞恥心が生まれる→服飾文化の発達、じゃないかなあ
でないと現代でも秘境で一糸纏わず暮らしてる人々がいるのは衛生面や社会的な理由ではないということになってしまう
体毛があるとノミ・ダニ・シラミに苦しめられるから
体毛を捨てて装着型の毛皮に切り替えたのかもね。
近所にルーシーがいるっ!
(´・ω・`)冷静に考えれば
なんで人間は体毛がなくなったんだろうね?
他の動物は体毛はあるのに
耐寒性から考えれば不利だと思うんだけどな
ケガもしやすいだろうし
>>9
またかみの話してる、、AA略
>>9
服を着る知恵を持つが故に体毛が退化していったのかも知れない
頭に残っているのは外気に触れ続けたのと毛並みで健康状態を測る本能により子孫を残していったのかな
人類一律なのは謎だけど、一時期全人類は数千人にまで減ったという説もあるし、たまたまそういう人々の遺伝子が残ったのかも
個人的には脇と股が他の哺乳類とは逆にフサフサなのが分からん
>>9
毛が失くなった時は、暑さのほうが問題だったと思われる。
森の木蔭からサバンナに下りると、日射しへの対処が重要になってくる。さらには、直立二足歩行がメインになり、「走る」という動作(しかも瞬発力勝負より持久力重視)が加わると、体温の放散も必要性が増す。ヒトは他の類人猿よりも汗腺が発達している代わりに、体毛は薄い。気化熱で素早く表皮を冷ますには、毛皮は邪魔だったんじゃないか?
ただし、直射日光対策もあるので、全くの無毛よりは 覆いが欲しい時もある。そこで、直立歩行を活かして、最上部の頭だけから毛を長く背中や胸に垂らして 強すぎる太陽光を遮り、逆に毛が邪魔な時はよけると 肌が直に空気に触れるという、2Way仕様が便利だったんじゃないだろうか?
突き詰めると禿げの進化的意義の話になるからその辺でやめときなさい
業界用語の汁の事かと思った
個人的な説を書くと、ヒト種の肌は無毛(ほぼ産毛くらい)になったときから同じ環境を要求しているだけじゃないかな。 多分、現代の裸族な人たちを含む服を着なかったヒトたちはその肌のそばの気温と湿度はだいたい20℃~25℃くらいで湿度も50%~80%くらい(この辺の数値はテキトーに書いてます)が快適で、気温がそれくらいなら服を着ないで住んでいたでしょう。 そしてヒトはアフリカを出て旅にでて、寒いところで肌の周りをヒト種が発生したところと同じ状態を維持するために衣服をまとうようになったと思ってます。 その衣服は進化し砂漠ではターバンと身体を覆う布になり、極地では毛皮をまとうようになって、果ては真空中な月の表面まで行っても同じ環境を実現して結局今でもヒトは発生したときと同じ温度と湿度環境を肌の表面で実現するようにしていると個人的な説を考えています。 そして、衣服を着ることが当たり前なところで発生した文明が主流になったので、他の地域でもそれを真似していて衣服を着ない状態が恥ずかしくなっているのではないかと。 同じ現象が日本で最近新コロナの後にマスクを外せなくなってマスクが顔パンツ状態になっている人の存在も同じ理由かななんて分析してます。 あくまでも個人的な説ですが・・・
Santa Luciaはナポリ民謡のサンタ・ルチアをもじっているんだろうからルシアではなくルチアと読んだ方がいいのでは?
体毛がなくなることと羞恥心の発達を繋げたり、無毛で裸だと浮気の衝動に駆られやすいというのは暴論だな。
ルーシーが黒人女性っぽく描かれることより、「裸には羞恥心を持つはず」とか「日常的に裸だと浮気し放題!」みたいな考え方のほうが、よっぽど欧州中心観の偏見っぽい気がする。
熱帯の部族だと、局所の防護具以外はほぼ裸体で、肉体美を誇示するのが正装、って所も少なくない。裸体を前提とした刺青や瘢痕文身も発達したり。日本でも100年ちょっと前までは、肉体労働者は褌一丁や腰巻一枚で働いている男女も珍しくなかったし、それを見たからといって性的欲求に直結するものでもなかった。
他のコメントでも言われているが、何もないところからいきなり「(知性がついて)恥かしいと思うようになる ⇒ 衣類で隠す」みたいなアダムとイブ状態になったのではなく、「(移住に伴う気候条件の変化などで)衣類で体を覆うのが常習化 ⇒ 隠してないと恥かしいと思うようになる」という、単なる文化の刷り込みだろう。
ほぼ石器時代の山岳パプア人達の生活を見ればルーシ時代が判るヒントがあるね❗