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噴火後のポンペイ生存者の記録が発見され、噴火後どうやって生活を立て直したかが明らかに

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(著) (編集)

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 西暦79年8月24日、イタリア、ヴェスヴィオ山が大噴火し、おびただしい火山灰と岩が降り注いだ古代都市ポンペイとヘルクラネウムは壊滅した。ふたつの都市は消滅し、生活していた人たちの時間は永久に止まったとして、ほとんどの記録はここで終わっている。

 しかし、1740年代始めに本格的に始まった発掘とその後の研究によって、これら都市の時間は再び動き出した。この大噴火を生き延びた人の記録が発見されたのだ。

 この大噴火の物語は、絶滅で終止符を打たれたのではなく、この大惨事を生き延び、生活を再建した人々の物語の続きでもある。

ヴェスヴィオ山大噴火の後、生き延びた人たちはいたのか?

 ポンペイとヘルクラネウムは、ナポリのすぐ南の海岸沿いにある裕福な都市だった。ポンペイは人口3万人。産業が発達し、政治的にも財政的にも繁栄していた。ヘルクラネウムは人口およそ5000人。漁業が盛んで、大理石の工房がたくさんあった。

 映画やテレビドラマなどでは、ポンペイもヘルクラネウムも生存者ゼロの死の町になったと描かれる。しかし、逃げのびた人たちがいた証拠は常にあった。

 噴火は18時間以上も続いた。発見された人骨は人口の一部にすぎず、灰の中に埋もれてしまったとされる遺物は見つかっていない。

 馬小屋からは荷馬車や馬が消え、波止場からは船が消え、金庫からは金品や宝石が消えている。つまり、早く逃げていれば、もっと多くの住民が生き延びられた可能性があることを示している。

 生き残った人たちがいたことを心に留めていた考古学者もいるが、その人たちを探すのは後回しになっていた。

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ポンペイ最後の日。カール・ブルロフ作(1830-1833年) / image credit:public domain/wikimedia

12の周辺都市に200人以上の生存者がいた証拠を発見

 そこで、ポンペイやヘルクラネウムに特有なローマ人の名前、例えばヌメリウス・ポピディウスとか、アウルス・ウンブリキウスなどをピックアップして、噴火後に周辺地域に住みついたそうした名前をもつ人を探した。

 そして、難民を受け入れるためにインフラを整備した記録が残る近隣都市を探した。

 壁から墓石までさまざまな場所に刻まれた数万の碑文データベースを8年間にわたって徹底的に調査したところ、12の周辺都市に200人以上の生存者がいた証拠を発見した。

 彼らが新たな生活を始めた都市は、被害がそれほど大きくなかったヴェスヴィオ山の北側が多いことがわかった。生き残った者たちの多くは、ほかの生存者とともになるべくポンペイに近いところに留まったようだ。

「ポンペイ:新たな発掘」という米国のテレビドキュメンタリー番組は、最近の新たな発見に焦点を当てている。ヴェスヴィオ山噴火前後の市井の人たちの生活を歴史家が理解するのに役立ちそうだ。

移住した人たちの中には豊かになった人も

 新たな移住先で裕福になった人たちもいた。ポンペイの北、ローマから30km弱のところにある港湾都市オスティアに移住したカルティリウス家は、エジプトの牛神セラピスを祀る神殿を建てられるほど裕福になった。

 やはり避難してきたムナティウス家と婚姻関係を結び、大家族を築いて繁栄した。

 イタリア第2の港町プテオリ(現在のポッツォーリ)には、ガルムという魚醤の商人だったアウルス・ウンブリキウスの家族が移住し、商売を再開した。

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イタリア第2の港町プテオリ(現在のポッツォーリ) photo by iStock

当時の災害後の復興は今日の教訓になるかもしれない

 噴火のせいで財産を失い、新たな移住先でも不遇だった人たちもいる。

 噴火前も貧しかったアヴィアニイ家、アティリイ家、マスリ家はポンペイの東16キロにある小さな町ヌチェリア(現在のノチェーラ)に移住した。

 現存する墓石によると、マスリ家は噴火で孤児となったアヴィアニイ家の少年を養子にしたようだ。たとえ貧しくても生存者同士が助け合っていた寛大さがうかがえる。

 当時のローマ皇帝も被災地に多額の投資をして、被害を受けた建物の再建、道路、水道、円形劇場、神殿など被災者ための新たなインフラ整備を行ったという。

 災害後の復興モデルは、今日でも教訓になりそうだ。当時、復興資金について異議をとなえる者もなかったようだ。

 生存者たちは難民キャンプに隔離されることも、長いテント生活を強いられることもなく、新たな都市で差別にあったという証拠もない。

 証拠からは、むしろ被災していない都市が生存者を積極的に受け入れていたことがうかがえ、政府も被災者の生活再建を後押ししたようだ。

References:Records of Pompeii’s survivors have been found – and archaeologists are starting to understand how they rebuilt their lives / written by konohazuku / edited by / parumo

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この記事へのコメント 11件

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  1. 言葉はアレだけどとても興味深い
    限られた情報しかない時代は助け合いの精神が何よりだったんだろうな

    • +20
  2. 江戸時代の浅間山の噴火では復興支援した商人らが住民の2/3が行方不明になった某村で家族を失くした村人たちの関係を整理して因習的な家系による差別をなくし新しく家族を作らせたとか

    • +8
  3. 現代イタリア語のcはチャ行だけど、古典ラテン語のcはカ行なので、Nuceriaは「ヌケリア」ではないかと。

    • +7
  4. ポンペイの噴火イコール全滅みたいなイメージでしたので、わずかに生き残った人々の足取りはとても興味深いです。
    彼らが変わり果てた故郷を見、去る時の心境は、現代にも通ずるものがあると思います。
    頑張れ…!未来からだけど頑張れ…!

    • +8
  5. テルマエ・ロマエの続編にこの記事が影響与えたら面白いな

    • +1
    1. >>14
      ”テルマエ・ロマエ”は、ベスビオ火山の噴火より後の話だったような気がするんだが。

      • 評価
  6. 全員が全員というわけではないと思うけどやっぱりこの頃の教育レベルや知識レベルって凄かったんだなと思う

    • +7
  7. 続編が前の時代なんてドラクエでもやってるじゃないか

    • -1
  8. 自然大災害から生き残れたことほどの幸運はないだろう

    • 評価

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