この画像を大きなサイズで見る古代都市ポンペイで、非業の最期を遂げ市民たちの、当時の日常生活が垣間見られる新たな手がかりが見つかった。
ポンペイは紀元79年に起きたベスビオ山の大噴火の火砕流に飲み込まれた。この場所から家庭用品で満たされた 4 つの部屋が発掘されたのだ
部屋の構造や、見つかったさまざまなアイテムから、当時の一般市民の暮らしぶりが解き明かされていく。
集中的な発掘プロジェクト
何世紀にもわたる発掘調査と膨大な数の研究が行われている古代都市ポンペイだが、未だまだその全貌が明らかになっていない。
2018年、発掘地の安定維持を目的にしたプロジェクトにより、多くの人が暮らしていた北部区間「レジオV(Regio V )」で集中的に発掘が行われた。
その時に発見されたのが、中庭に美しく装飾されたララリウム(ローマの一般家庭の守護霊を祀る祭壇)があるドムス家である。
この画像を大きなサイズで見る2021年、ポンペイの考古学公園は、中流階級、使用人、奴隷のものだったと考えられるドムス家周辺の部屋に調査範囲を広げた。
ローマ帝国では、社会的地位のために必死で戦い、日々のパンどころではない人たちがかなりの割合でいました。
彼らは、政治的危機や飢饉のときには、脆弱な社会階級ですが、社会的な出世を目指そうとする野心もそなえていたのです
博物館館長のマッシモ・オザンナ氏は言う。
一般的な市民が使用していたとみられる4つの部屋を発見
発見された遺物は、平均的な市民が使うものばかりだった。
4つの部屋が発見され、さまざまな家具調度品や日用品の鋳型からそれらを再現することができた。
ポンペイでは、シネライト(火山灰からできた岩石)の隙間から鋳型を作ることがよくある。空洞に石膏を流し込んで固め、物の形を再現するのだ。
ララリウムがあるこの家では、持ち主は中庭をララリウムで、池の水盤を見事な絵画で飾ることができましたが、家の5つの部屋を装飾するには、資金不足だったようで、部屋のひとつは倉庫として使われていたと思われます(オザンナ氏)
寝室
部屋のひとつは寝室で、ベッドが置かれていた。フレーム、枕のボリューム、生地の質感までがわかるほどだった。
ベッドの隣には、おそらく持ち主が逃げるときに、そのまま開けっ放しにしたに違いないと思われる木製のチェストがあった。
チェストの中には、ワシに変身するゼウスのレリーフが描かれたランタンが置かれていて、小さなシギラータ(ローマの高級テーブル陶磁器)の皿もあった。
部屋は、現代にあってもおかしくないもので、小さな円形のベッドサイドテーブルがあった。
このテーブルには、小さなガラスの皿、ふたつのガラス製アンプルが入った小さな陶器のカップ、シギラータの皿が置かれていた。
テーブルの下には、小さな水差しやアンフォラなど日用品が置かれていた。
この画像を大きなサイズで見る貯蔵室
装飾がなにもないシンプルな貯蔵室もあった。壁には漆喰は塗られておらず、土がそのままむき出しになっている。
部屋の外、狭い廊下の南の隅には、シネライトのおかげで保存された木製のキャビネットがあった。高さは2メートル、少なくとも4つの扉と、5つの棚があったようだ。
一番上の棚には、小さな水差し、ガラス皿、アンフォラがあった。現在は、もっと低い棚の発掘が行われている。
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上層階の部屋
上の階の部屋では、ワックス・タブレット(ペンで字を書くための蝋を塗った板)を再現することができた。
ここには、7つのトリプティック(3枚続きになった絵画)が置かれていて、縦横両方を紐で結ばれていた。ほかのアイテムと一緒に、棚にしまわれていたと思われる。
ゆりかごのような形をした香炉があったのも、なんとも心躍る発見だった。端には顎鬚、髪の毛、唇がはっきりとわかる男性の姿がかたどられていて、状態も非常に良い。
この画像を大きなサイズで見るララリウムの裏の部屋
このようなわくわくするような発見のほかに、ララリウムの裏に部屋がひとつあることもわかった。
崩壊した天井に、精巧な掛け金細工が施されていたことが明らかになった。北、東、南のすべて壁に、ボワズリー(壁の装飾的な造り)が見てとれた。
この画像を大きなサイズで見るポンペイは、未だ畏怖の念を抱かざるをえないような発見が続々と続いている。
References:THE DISCOVERY OF FURNISHINGS FROM THE HOUSE OF THE ‘LARARIUM’ IN REGIO V A SNAPSHOT OF MIDDLE CLASS POMPEII – Pompeii Sites / New Pompeii Finds Shed Light on Life of Middle-Class Romans | Sci.News / written by konohazuku / edited by / parumo














40年近く前の科学誌面ニュートンで、火山灰や火砕流の隙間に石膏を流し、
その暑さで悶え苦しんだポンペイ市民の像が再現されたものを、写真で掲載
していて、心底ビビった。 しかし最近になって、最初の噴火や地震などで
市民の9割以上が避難していて助かった事実を知った。 つまり、犠牲者は
噴火を甘くみていて、留まった人達。
※1
もちろん甘く見てた人たちも居ただろうが
色々な理由で残ったり、置いて行かれた奴隷や使用人も多かったみたいだぞ。
浴場施設の奴隷とか。
※1
足腰の弱い老夫婦や、乳幼児をたくさん抱えた家庭とか
そうやすやすと遠方に避難できない人もいただろう。
また、ポンペイはこの噴火の17年前に地震にも見舞われていて、
その際に住居に被害を受けて避難していた人達の中には
しばらくして帰宅してみたら家財が泥棒に荒らされていた
という苦い経験を持つ人も結構いたため、
降灰のみの時点では 財産を置いて避難するのを躊躇したのでは
という、世知辛い事情も指摘されている。
そんな有名な事件の発掘で、まだ新発見があるのか。
>>2
まだ全体の数割しか発掘できてないから
シャンプーハットは出土したのだろうか?
(テルマエ・ロマエ ネタ)
※3
ルシウスが活躍したのは噴火から50年以上後のハドリアヌス帝時代後期
噴火で生業を失い盗賊化した住民の子孫も出てくる
テルマエ世界だとポンペイ周辺に日本風温泉街の遺跡があるかもしれない
生活レベル暴かれるの恥ずかしいw
これだけ高度な文化を持ってた古代中世の英知をすべて壊したキリスト教ってヤバいんじゃ
※5
ローマの英知が消滅したのはキリスト教のせいではなく、戦乱と経済崩壊のせいなんだが
キリスト教はむしろ写本を収集制作保管してローマの英知を後世に残そうとした
※16
いまは無くなった用語「暗黒時代」を覚えている人は多そう
ローマという大帝国が東西に分裂し、さらに西は早々になくなったために、欧州が群雄割拠時代になったのが大きい
国が小さくなれば結果的に交易は衰退(国境や税)し、都市の人口は流出するしかないし、近年では気温変化の推移もかなり重要視されいたりもする
>>16
アレクサンドリア図書館のヒュパティア館長を残酷に頃したキリスト教徒達を俺は永遠に許さんよ…
>>19
カエサル「ウェヌスの末裔であるわいがユピテルの名の下戦ってたら燃やしちゃったけどいかんのか」
>>5
こんな学説信じてる人まだいるのか
ポンペイの文明レベルを見ているとある日金持ちの家からシックスパッドっぽいものが発掘されても驚かないね
あと宅配給水器とか
ドムス家って書いているけどドムスって邸宅って意味だよ
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%A0%E3%82%B9
本当にドムスって名の人の家だったんだらいいけど
火山の恩恵で栄え、災いで滅ぶ 禍福は糾える縄の如し
2000年前のローマ市民より遥かに貧しい生活してる
21世紀の人間数十億人くらいいそう
現在にも共通する部分がある当時の人々の暮らしぶりが垣間見えて面白いな
香炉は何となく蚊やり豚を連想しちゃった
※11
市民階級は主食のパンは共和制後期から帝政期にかけてレックス・フルメンターリア(小麦法又は穀物法:パンとサーカス)で無料で配布してた時代もあったくらいだし少なくとも食いっぱぐれはなさそうだなあ
>>17
小麦法で配給されるパンというか、小麦の量は時期によって差があるけど安定していたら帝政前期でも生きていけるカロリーギリギリの量だから食いっぱぐれると思うよ。エジプトやシチリアで不作なら当然のように配給されないし
>>11
古代ローマやギリシャにおける市民っていわば一種の特権階級だからね
すごい
ポンペイ行きたいな~
パンの形がそのまま残ってて
美味しそうだった
ポンペイ関係の新発見ニュースを見るたびに思うのだが
なんで今になってそんなもんが、という新発見がやたら小出しに出てくるよね。
・・・自分らの仕事守るためにわざとチマチマ、というかゆっくり調査してない??
※20
墳墓や、神殿・王宮などの一つの建物とちがい
町全体が埋もれていて、どこに何があるか手探りの状態だし、
65~70万㎡のうち発掘作業済みは3分の2ほどで
現在進行形でまだ発掘は進んでいるそうだが。