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古代都市ポンペイで奴隷部屋の遺跡を発見。別荘地の邸宅の中に存在していた

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(著) (編集)

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credit: Pompeii Archaeological Park
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 イタリアの古代都市、ポンペイの城壁の北西およそ700メートルのところにある富裕層の別荘地チビタ・ジュリアーナで、非常に保存状態のいい奴隷部屋が見つかった。

 広く豪奢なこの別荘は、20世紀始めと、最近では2017年以降、一部調査されているが、長年の間にトレジャーハンターによって略奪されてきた。

 2021年始め、儀式用の二輪戦車と、3頭の馬の遺骸とともに馬小屋が発見された。今回見つかった奴隷部屋からは、通常はほとんど知られることのない古代世界の暗黒面の一部を垣間見る見ることができるという。奴隷たちの虐げられた日々の生活のことだ。

略奪された古代ポンペイの富裕層の邸宅

 この奴隷部屋の発掘は、ポンペイ考古学公園によって行われた。

 イタリア、カンパニア州南部にあるポンペイは繁栄した都市だったが、西暦79年にベスヴィオ火山の大噴火によって、町全体が焼き尽くされ、厚い火山灰にすっぽりと覆われてしまった。

 発掘調査によって、この別荘が長年にわたって組織的に略奪されてきたことがわかった。しかし、2017年以降に新たな発見が相次ぎ、それが奴隷部屋の発見につながった。

 だが、考古学的遺産の現場にあるこの小さな部屋は、墓泥棒が掘ったトンネルのせいで、かなりのダメージを受けていた。この別荘全体で、被害総額は230万ドルにのぼると推定されている。

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ポンペイ、チビタ・ジュリアーナの別荘にあった奴隷部屋/ image credit: Pompeii Archaeological Park

倉庫代わりにも使用されていた狭苦しい奴隷部屋

 ポンペイ考古学公園のガブリエル・ツフトリーゲル事務局長は、もっとも衝撃を受けたのは、この部屋が非常に狭苦しく窮屈で、まるで希望がないところだと言う。広さはわずか16平方メートルで、寮か倉庫のようなつくりだ。

 明かりは上のほうにひとつある小さな窓から入ってくるだけで、3つの小さな寝床と木製の収納箱があり、その中には馬具の一部と思われる金属製の部品や布があったという。ベッドの下や端からは、8つの大きなアンフォラとおまるが見つかった。

 寝床は木の板で作られていて、寝る者の背丈に合わせてサイズが調整できるようになっていた。

 寝床の下の部分は、ロープが網の目のように張り巡らされていたらしいことが、ベッド下に積もった灰についた線状の痕跡から判明した。

 ベッドふたつの長さは1.7メートル、ひとつは1.4メートル。小さなベッドがあるため、この部屋を使っていたのは、子供のいる家族だったとも思われるが、複数の奴隷のグループだったのかもしれず、いまだにはっきりしない。

 部屋に残されたわずかなスペースは、倉庫としても使われていたらしいことはわかっている。

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ポンペイ、チビタ・ジュリアーナの別荘にあった奴隷部屋/ image credit: Pompeii Archaeological Park

古代都市ポンペイの暗黒面が明らかに

 博物館の館長マッシモ・オサンナは、トッレ・アンヌンツィアータ検事局と協力して、この奴隷部屋を調査をしたことが実を結び、ポンペイやローマ世界の奴隷の生活環境や人生についての新たな興味深い情報が明らかになるだろうと語っている。

 ポンペイは、羽振りのいい農民、貿易商や商人の中心地で、傲慢な彼らは、地質学的怪物(ベスヴィオ火山)のはずれでいつまでも安全に生活することができると信じていた。

 しかし、西暦79年に大噴火が起こったとき、これまでの階級制度は一瞬にして消滅し、金や社会的地位よりも遥かに強大な自然の力の前に、当たり前だった主従関係が容赦なく崩れ去った。

 今回見つかった奴隷部屋は、富裕層が贅沢な輸入品にばかり価値をおき、彼らの奴隷の惨状とは完全に無縁でいられることができた証拠だろう。

 この最後のポイントは、小さな窓と3つの狭苦しいベッドがあるだけの奴隷部屋に、奴隷所有者のワイン、オイル、フルーツやスパイスなどが入った壺が置かれていたことを考えると明らかだ。

 奴隷たちは、豊かさを象徴するそうした壺のひとつですら、触れることもできなかったのだから。

Pompei – La Stanza degli Schiavi – MIC

References:THE ROOM OF THE SLAVES – THE LATEST DISCOVERY AT CIVITA GIULIANA – Pompeii Sites / written by konohazuku / edited by parumo

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この記事へのコメント 26件

コメントを書く

  1. ベッドと道具があっただけで、奴隷部屋なのかね?もしかしたら物置に予備のベッドを置いてたとかではないのかね?

    • -2
    1. ※1
      おまるの存在もあるし、生活空間だと思う
      他の遺跡の奴隷の部屋と照らし合わせた上で判断したのでは

      • +3
  2. ドラクエのツボとベッドしか置いてない
    部屋ってマジで存在したんだな。

    • +13
  3. 昔の従業員部屋と思うと、言うほど狭くないような気もする。
    置いてあるやつもほんとに主人の物なのかな? 逆に主人の所持品だったとして、盗まれるとか壊されるとかそういうのはなかったのかな。

    なんか西洋の人らの言う奴隷って意味の幅が広い気がしてよくわかんないな。
    繋がれて売り買いされて自由がなくて生死を握られてるのが奴隷って思ってたんだけど、日本の丁稚部屋みたいなのも全部奴隷って認識なのだろうか。

    • +5
    1. ※3
      時代や国、場面によって少なくとも扱いが違うんですよね。
      言葉は一つ(つまり定義としては当てはまって)でも、待遇はずいぶん幅がありますね。

      • +7
    2. ※3
      かのアリストテレスだってアレックス大王の奴隷だったんだからねえ
      (家庭教師という名の奴隷)
      今でいうなら 奴隷=使用人、ぐらいなもんじゃないの、と思ってる

      • -3
      1. ※9
        人権はやはり奴隷としてのものだよ。wikiから抜粋するね

        >犯罪の疑いが掛けられた奴隷に対して、主人が拷問の正当性を証明できた場合は、証言を引き出すための拷問は認められていたし[3]、主人の殺害については近くに居た奴隷全員を処刑することも一般的であった[3]。また、性的虐待も法的に問題はなかった[4]。上流階級である主人の多くはストア哲学の考え方に影響を受けている場合が多く、哲学者セネカのように『奴隷も自由身分の使用人と同じように適正かつ公正に扱うべき』と考える人も現れるようになった。帝政期になると、主人の暴虐を理由として神殿に逃げこむ権利などが認められるようになった[2]。
        老いたり病気になったりして使役に適さなくなった奴隷について、ローマではティベリス川の中洲のティベリーナ島に捨てたとされる慣習があり、クラウディウス帝がこれを禁じようとしたとの記録もある[5]。このように資産価値のなくなった奴隷の扱いは良かったとはいえない。

        • +4
        1. ※15
          それは確かにそうなんだけど、同じ奴隷という言葉でも大航海時代にアフリカから連れ出されて商品として取引された人たちを奴隷と定義するのであればやっぱり大きな違いがあると思うんだよね

          • -2
          1. ※17
            それに関してはコメ5さんの意見が適切かなと思う。
            日本の戦国武将達がポルトガル商人に売った日本人奴隷、炭坑奴隷として悲惨なことになったインディオなど、こういう境遇の人たちが奴隷としてイメージされるのは確かに一般的だと思う。

            • +1
      2. ※9
        いやまてまて、王様がわざわざお願いして息子の家庭教師になってもらってたのに、なんでアリストテレスがアレクサンドロスの奴隷って扱いになるの???
        端的に言えば奴隷とは喋る家畜であって、主人の所有物。家畜だから大事にする飼い主と家畜だから乱暴に扱っても構わないと考える飼い主もいた。他の家畜と違うのは肉体労働だけでなく、教えれば頭脳労働や主人や家族の世話ができる個体もいたということ。

        • +1
  4. 奴隷の部屋が通り沿いにあって、そこで売春させてた家もあったはずから、それに比べたらましな待遇面じゃ無いですかね

    • +4
  5. ポンペイやその周辺の都市って奴隷の扱い悪くないんじゃなかったっけ?
    あくまで制度としての奴隷であって、確か身分買い戻せるとか聞いた気が。ポンペイの近くの街に買い戻した後成り上がった人の家もなかったかな

    • +1
    1. ※7
      だいたいの都市部の奴隷は専用の部屋がある方が珍しく、廊下の片隅で起居していたことを考ええると寝台と部屋があるだけまだマシ。

      でも全体的に奴隷の権利を守る法律が整備されてなかったから、結局は主人の性格で扱いが異なるんだよね。成り上がった解放奴隷なんか、それがごくまれだったからこそ記録に残ったんだし。

      • +8
  6. 「奴隷」でもピラミッド時代のエジプトは割と普通の労働者だったとか。

    • +4
  7. 16平方メートルて10畳なんですけど
    広いだろ

    • +4
  8. トレジャーハンターという名の盗掘マンが闇ルートで価値あるものを売りさばいちゃうのか

    • 評価
  9. まぁ古代ローマの奴隷で街で暮らせるのはそれだけでも恵まれてた方ではある
    奴隷の需要が高かったのは何と言っても大規模農園と鉱山でこっちは本当にどうしようもない

    • +5
  10. つまりここは奴隷階級としては最もマシな使用人に属する下層階級の為の生活空間兼倉庫
    高価な所有物と同等の価値がある生きた所有物のお部屋

    • +1
  11. おまるのある部屋にフルーツやワインも置いてたんか

    • 評価
  12. 現代でもブラック企業の社畜とか言う奴隷がいるが……

    • +2
  13. 奴隷というと何が何でも悪質で非道な誤った価値観だと決めつけたい現代の偏見に満ち満ちているな。
    ワインやフルーツが部屋にあるんだからその奴隷達の物だとなんで思えないんだよ。
    住んでたのが家族だったのかどうかも判らん程度の調査なのに妄想力のたくましいことで。

    • -5
    1. ※23
      何の知識もなければ実際に見たこともない、ましてや奴隷の気持ちを知るわけでもないやつがどうしたって奴隷は言うほどひどくなかったと言い張りたがる、お前みたいのが一番傲慢と偏見と妄想に満ちた人間だよ

      • +1
  14. 奴隷部屋は別にあって主人が覗かない物置を奴隷たちがベッドを拵えて酒を持ち込んだりしてサボり部屋にしていた可能性も無きにしも非ず

    • 評価
  15. 酷くないって言っているけどさぁ、自分達がやられたら絶対憎むよね。まぁ日本人は自分から奴隷になるような多いからしょうがないけど

    • +1

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