
これまで反乱があったという事実のみが知られ、それが起きた具体的な場所はわかっていなかったが、このほどついに戦場が特定されたそうだ。
それはエジプト北部にあるギリシャ・ローマ風の古代都市「トゥムイス(Thmuis)」だ。
窯の中に逃げ込んで息たえたらしい男など、激しい破壊と混乱のあとを残す戦場の様子は、『Journal of Field Archaeology』(2022年12月27日付)に掲載された研究でくわしく説明されている。
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プトレマイオス5世の勅令が刻まれたロゼッタストーン
古代エジプトの王朝「プトレマイオス朝」(紀元前305〜前30年)は、アレクサンドロス3世(アレキサンダー大王)の後継者となったラゴスの子「プトレマイオス1世」によって建てられた。しかし「プトレマイオス5世」の治世(紀元前204〜前181年)になると、各地でエジプト人による反乱が起こり、やがて衰退を始める。
ロゼッタストーンは、この大反乱の最中にあった紀元前196年ににプトレマイオス5世によってメンフィスで出された勅令が刻まれた石碑の一部である。

ロゼッタストーンに記された大反乱の場所の謎
このような歴史的資料から大反乱が起きたことは知られていたが、具体的にどこで戦いが起きたのかはよくわかっていなかった。その痕跡らしきものが発見されたのは、2009年から発掘が開始されたギリシャ・ローマ風の古代工業都市「トゥムイス」だ。
ところが、ここで激しい戦いが起きたことは明らかでも、それが大反乱の痕跡かどうか結論づける決め手にかけていた。
数々の破壊と混乱の痕跡
その後10年の調査では、焼け落ちた建物、投石器のような武器、硬貨、プトレマイオス朝の女王アルシノエ2世をかたどった首なしの像など、さまざまな遺物が発掘されている。
さらに埋葬されていない人骨まで大量に見つかったという。こうした人たちの身元は不明だ。トゥムイスで暮らしていたギリシャ人かもしれないし、街を守ろうと戦ったエジプト人かもしれない。
だが古代エジプトでは、死者をかなり丁寧に処理して埋葬する習慣があったことはよく知られている。それにも関わらず、埋葬されていない遺体が大量に残されていたということには、大きな意味がある。
英ノッティンガム・トレント大学の考古学者ジェイ・シルバースタイン氏は、「発掘されたものは、ここに何らかの歴史的な出来事があったことを物語っています」と語る。

戦いの痕跡が大反乱によるものと裏付ける決め手となった硬貨や陶器
戦いの痕跡が大反乱によるものであることを裏付ける決め手は、家の床の下で見つかった硬貨などだ。それが鋳造された時期が、大反乱の時期と一致するのだ。またギリシャから輸入されたらしき陶器の破片などの様式から、プトレマイオス朝の陶器であることも確認された。
発掘調査では、破壊されたいくつもの窯も見つかっている。驚いたことに、その窯から足を出したまま息たえたらしい遺骨も見つかっている。この人物は窯に隠れようとしていた可能性があるという。
歴史史料によって、大反乱が失敗に終わった頃に窯場が閉鎖されたことが明らかになっている。今回出土した窯は、すべて同じ高さで切られていた。
これは、この場所が攻撃されたことを示す証拠であるとのことだ。
こうした発掘結果から、「トゥムイス北部にある紛争と破壊の証拠は明白であり、その時期は大反乱のものと一致している」と、研究チームは述べている。
References:Full article: Archaeological Correlates of the Rosetta Stone’s Great Revolt in the Nile Delta: Destruction at Tell Timai / Battle site of 'Great Revolt' recorded on Rosetta Stone unearthed in Egypt | Live Science / written by hiroching / edited by / parumo
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コメント
1. 匿名処理班
ロゼッタストーンは明らかにエジプトの至宝なのに
略奪し持ち帰ったイギリスは収奪博物館でだんまり
人権を考えるなら返す事だ
2. 匿名処理班
すごい発見ですね。しかし埋葬されてなくてそのまま埋めるってのも結構大変なきがするんですが、どういった経緯で建物とか埋めてくのかなーと興味を持ったりします。
ロゼッタストーンの写真をみるといつもパソコンの部品の説明書を思い出します。
英語・フランス語・ドイツ語・スペイン語・ロシア語・中国語などなど同じ内容を複数の言語で記述されていて、時に日本語がなかったり(笑
やっぱり繁体字も簡体字もなんとなくわかるところがちょっとうれしい。
3. 匿名処理班
大反乱でテーベが半独立状態になったうえ、シリアとの戦争でボコボコにされ、そこで重税を課したらさらにまた全国で反乱されてと、まさに内憂外患の時期だったんだな。
4. 匿名処理班
当時の世相からして、反乱の首謀者=皆殺しでしょうし、反乱を起こした街は平定後も当分の間、略奪が黙認されたりと破壊されまくったんじゃないかな。
5. 匿名処理班
平でない所にも文字が刻まれているよね。
最初から平でない石を選んだ。。。?
6. 匿名処理班
本当??
7. 匿名処理班
>>1
ぶっちゃけイギリスから元の国に返したらすぐに行方不明になったり管理が甘くて壊れたりした遺物とか大量にあるしイギリスにあったままの方が管理的には安全やろ
8. 匿名処理班
>>1
現状では返すと破壊される可能性が高い
9. 匿名処理班
※1 ※7にも書かれているが、エジプトなど関係国が独立後しばらくしてから少し返却してみたら、紛失とか盗難とか保存環境が悪くて風化したりしていくつも失われたため、返してくれと言わなくなったんだよね。