
彼らは長い歴史の中で、試行錯誤を繰り返し、ある時は敵軍の技術をコピーすることで、最強の軍隊を作りあげた。
彼らの軍隊はどのように進化していったのか?また、最強の軍隊に上り詰めながら、なぜ失墜し、消滅していったのか?そこから現代の私たちは多くのことを学ぶことができる。
古代エジプト軍の変遷
古代エジプトは、紀元前3000年頃に始まった第1王朝から、プトレマイオス朝が共和政ローマによって滅ぼされる紀元前30年まで、長い間存在していた。古代エジプトの歴史は通常、3つの王国と、ふたつの中間期にに分けられる。中間期とは、内乱のようなものが起こっていた時代で、王国と王国の間にあった混沌としていた時代だ。
時代が進み、エジプトの王国が切り替わると、軍事力も向上していく傾向があった。エジプト人は、軍隊を改良するために、過去や敵から学ぶことができる達人だった。
彼らが使用していた武器に関してはのちの記事で扱うことにして、ここでは軍隊としてのエジプト軍の変化を追っていく。

古王国の軍隊
古王国は、紀元前2686年から紀元前2181年まで続いた。安定し、統合され、豊かで、驚くほど成功した時代だった。この豊かさのおかげで、以前よりもすばらしい軍隊を作ることができた。しかしそれは、今日私たちが考えているような軍隊ではなかった。エジプトは、ちょうど現在のアメリカの州ように、ノモス(ギリシャ語でノーム)と呼ばれる独立した行政区画で成り立っていた。これらノモスはエジプト帝国に征服され、王であるファラオに従うこととなった。
各ノモスには、日常の運営を決める知事がいて、志願兵を集めるのも知事の仕事だった。ファラオは、戦いに行くときはいつでも、こうした志願兵をひとつの旗の下に団結させた。
古代エジプトには、42のノモスがあり、ファラオはいつでも意のままにできる、かなりの数の軍を動かすことができた。しかし、これらの軍隊には、いくつか大きな欠点があった。
まず、軍隊の質は一流とはいえなかった。当時のエジプトは、基本的に農民軍だったのだ。兵隊の大半は、訓練をほとんど受けていない下層階級の男たちだった。
ローマ軍の兵士とは異なり、軍の兵士になることが名誉だという感覚はほとんどなかったし、給料も安く、パンとビールの生活手当が払われるだけだった。
第二に、武器の質も悪かった。平均的な部隊の銅剣や短剣は、力をかけたらすぐに折れてしまいそうな代物だった。弓の使い手も未熟で、射程距離、命中性、阻止力ともに劣る一重弓を使っていた。
つまり、古王国の軍隊は質より量だった。訓練も装備もお粗末な、大勢の農民部隊が、敵に突っ込んでいった。
彼らは、"大砲の餌食"と呼ばれた。確かに機能はしたが、かんばしい効果は得られなかった。さらに大きな問題は、ノモスは、今は無理やりエジプト帝国の傘下に置かれているが、かつては独立していたということだ。
これは忠誠心やモチべーションに問題が生じる可能性があることを意味していた。ノモス全体がまとまりを保つためには、強力なリーダーシップが必要だった。
これが、第一中期の大きな問題だった。
この時代、ファラオが個々のノモスを支配しようと奮闘した結果、古代エジプトという巨大な塊全体のコントロールは失った。ひとつの勢力として戦ったノモスは、エジプトの中で互いに戦うようになった。

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中王国時代の軍隊
古代代エジプトの軍隊は、「中王国」時代に真の意味でレベルアップした。これは、第一中期を終わらせた、メンチュヘテプ2世の時代から始まった。彼は自分の軍隊を使って、ライバルの王朝を倒し、テーベを拠点とする、ひとりの支配者の下で、エジプトを再統一した。
シナイ地方を元に戻し、すべてのノモスを再びひとつにすることを引き受けたのだ。
中王国の軍隊は、もはや、多くの小規模な志願兵の軍の寄せ集めではなかった。その代わり、この時代のファラオたちは、よく訓練され、装備も整った常駐軍をもつことに注力した。
エジプトが、争いの時代から回復しつつあったとき、こうした軍隊の焦点は、防衛だった。例えば、センウセレト1世は、ブーヘンに国境の要塞を建設し、ヌビア南部を植民地として取り込んだ
この時代には、兵士であることは、ある程度、名誉なことだという意識が出てきた。訓練も受けていない、ただの雑魚ではなく、今や、専門性を備えた兵士となったのだ。
これは、壊れない武器、防具の基本に焦点が置かれるようになったことを意味した。
中王国の軍隊が、これからの時代の舞台を整えた。メンチュヘテプとその後継者たちは、旧王国軍の欠点に気づき、それらを修正するために努めたのだ。

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第2中間期の軍隊
悲しいことに、繁栄したものは、最終的に必ず衰退する。中王国時代の終わり、すべての成功はファラオの手柄とされた結果、彼らはひとりよがりに陥り、弱体化して、再びエジプトの分裂につながった。
第2中間期(紀元前1782年頃 - 紀元前1570年頃)、この不安定と弱体化によって、ヒクソスと呼ばれる人々が、下エジプトに入り込んできて、権力を誇示し始めた。
メルネファルラー・アイが、自ら宮殿を逃げ出したとき、ヒクソスはメンフィスを襲撃して、アヴァリスに要塞化した首都を建設した。
ヒクソスは、北東部出身のアジア人で、軍事的にはエジプト人よりも遥かに進んでいた。
血に飢えた残虐な民族といわれ、エジプト新王国やマネトのヨセフス(歴史家)のプロパガンダによると、彼らがエジプトを一掃し、市民を虐殺、すべてを燃やしたとされているが、実際には考古学的証拠はない。
エジプトは、このヒクソスとクシテヌビアのふたつの敵にはさまれていた。技術的に勝る敵に直面した場合、どうするか?
相手のアイデアを盗み、それを倍返しにする。これはまさに、ファラオのセケンエンラー・タア、その息子のカーメス、その兄弟のイアフメス1世がやったことだ。
エジプト軍は、ヒクソスの武器をコピーし、それを使って、ヒクソスもヌビアも両方とも追い出した。
エジプト人たちが、ヒクソスから学んだことは、測り知れないものだった。ヒクソスのおかげで、エジプト軍は、騎兵、戦車、強力な複合弓、大幅に改善された冶金を配備することができるようになった。
新王国時代に入ると、彼らは技術的に進歩した大規模な軍隊を持つようになる。

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新王国の新しい軍隊
紀元前1550年から1069年まで続いた「新王国」時代は、エジプトがヘビー級のタイトルベルトを獲得した時期で、ライバルと戦わなくてはならなくなった。早い時期から、軍隊は「ヒッタイト」からの脅威、北東からの新たな敵、エジプト全土に侵入した「海の民」に対処しなくてはならなくなった。
ヒッタイトは善戦したが、彼らの戦車中心の軍隊は結局、バランスのとれたエジプト軍に立ち向かうことはできなかった。
一方、「海の民」はエジプト全土を何度か困らせたが、やはり鎮圧され、中央政府の完全崩壊は阻止された。
この「海の民」については、なにも知られおらず、彼らがどこから来て、どこへ消えたのか、わからない。
エジプト人は、ヒクソスから学んだだけでなく、今度は自らその技術を改良するようになった。
エジプト軍の戦車は、ほかの中東の軍のものよりも軽く、速く、遥かに優れた武装をしていた。エジプトの戦車と複合弓は、敵の隊列を簡単に一掃できる、破壊的な組み合わせだったのだ。
歩兵部隊用の新しい武器や武具も考案された。鎌型の剣ケペシュのような武器は、技術的に劣る隣国に対して、エジプト歩兵に明らかに有利に働いた。
これらの装備はすべて高価だったので、使用する部隊の訓練にさらに重きが置かれた。装備、訓練ともに一流だったのだ。
エジプト軍の役割は、この時期に変化した。
軍隊はもはや、単なる防衛部隊ではなくなり、近隣諸国と積極的に戦うようになった。ヌビアのような地域を勝ち取ることは、エジプトが外国に常駐する守備隊に投資しなくてはならなくなったことを意味する。
さらに、のちにアッシリアやバビロニアのような隣国とも敵対したため、祖国から遠く離れた場所で戦うことも余儀なくされた。
ラムセス2世の時代には、エジプト軍は10万人に達していたと推定されている。
これに加えて、リビア人、ヌビア人、ギリシャ人の兵士から成る中隊を持っていた。彼らはよく、傭兵と呼ばれたが、奴隷ではなく、兵士になることを選んだ戦争捕虜だった可能性が高い。

古代エジプト軍の組織
旧王国の志願兵の軍までさかのぼっても、古代エジプト軍は、わりあい合理的に組織されていた。だが、エジプト軍のほかの側面と同様、時間の経過とともに、軍の組織は大幅に改善された。旧王国は、さまざまな軍事部隊(射手と歩兵)を利用したが、特別に差別化された軍ではなかった。
中王国の統一された軍隊は、軍の階級という概念をもたらした。軍隊にはファラオの下で群を率いる最高司令官がいた。司令官の下には、さまざまな大将がいた。
最終的に、軍が歩兵、戦車、海軍の3つの主要な部門から構成される、枝分かれした軍の概念を導入したのは、新王国だった。
歩兵
歩兵は、新王国時代に徴兵された兵士と志願兵で成り立っていた。両者とも、給料のために働いた。ランクが高くなれば、より報酬も得られる。
また、外国の傭兵で構成されることもあり、かれらは奴隷ではなく、兵士として奉仕することを自ら選んだ囚人だったようだ。
使用する武器でわかる、異なるさまざまな連隊になっていて、長距離射手、中距離の槍兵と槍持ち、近距離部隊で構成されていた。

戦車
エジプトの機甲師団だったと思われる。馬がけん引する、機動性の高い兵器プラットフォームで、前に操縦者、後ろに武器担当者が乗った。
戦車は軽量だが、武器を積んでいて、矢筒や投げ槍が、ケペシュや戦斧と共に側面に取りつけられていた。
近距離で防衛し、遠距離で敵を殺すことができた。一台でも十分に脅威だが、エジプト軍は一度に100台の戦車を編成して活用した。まるで、バターを切る熱いナイフのように、敵の側面を切り裂いたのだ。
馬と人間は、最新のうろこ状の鎧を身につけていたので、倒すのは困難で、ほとんど不死身のように見えたという。
こうした武具は、見た目も敵に恐怖を与えるのに十分で、まるでトカゲ男のように見えたという記録もある。

海軍
エジプトは砂漠ばかりだと誤解している人も多いが、古代エジプト人は、すばらしい海軍をもっていた。
エジプト人は、船を使って部隊を輸送していたが、中期後半までには、海軍そのものが、力をつけるようになった。
新王国時代後期には、エジプト軍は巨大になり、兵站が重要になった。部隊を輸送する高度な海軍がなければ、エジプト軍は効率的でも、脅威でもなかっただろう。
DEADLY WEAPONS OF ANCIENT EGYPT | Secrets of Ancient Egypt | History
古代エジプト軍が衰退した理由
古代エジプトの軍隊は、欠点から学ぶことに長けていた。その時代ごとに、技術と戦術が進歩し、エジプト軍を世界最強の戦闘力をもつ軍団にのしあげた。新王国時代、エジプト人に挑んだ者たちは、最後は後悔することになった。
残念なことに、この強さも最終的には元に戻ることになった。
軍にかかる費用が、支持を得られなくなったのだ。結局、軍を配置するためのコストが、軍事的勝利から得られる利益を上回るようになってしまった。
さらに悪いことに、強大な力から、大きな傲慢が生じることがよくある。
ファラオは、だんだんひとりよがりになり、軍隊を非常に優れたものにした、そもそもの教訓を忘れてしまった。リーダーシップは、徐々に弱まり、過去の過ちが繰り返されるようになった。
軍隊は、それを率いる者と同様、偉大だったが、最後には、もっとも偉大な戦闘部隊は、これを率いる者によって、失墜する運命になった。
References:Ancient Egyptian Military: Fiercest Fighting Force of the Ancient World / written by konohazuku / edited by / parumo
追記:(2022/09/26)本文を一部訂正して再送します。
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コメント
1.
2. 匿名処理班
高度な外科手術まで発展させていたエジプト大先輩
3. 匿名処理班
ネコ楯最強伝説
4. 匿名処理班
イスラム世界になって以降の現在まで続くアラブ国家のエジプトと
古代エジプト文明ってもはや別もんだよなあ
今のイタリアやギリシャ人も古代世界からの文化や人種の連続性あるか言ったら疑問符付くけど
5. 匿名処理班
火薬もない時代に"大砲の餌食"とは呼ばれません
ここは、「いわば今日ならば"大砲の餌食"とよばれる、消耗が前提の貧弱な装備の兵」のことを言ってます
6. 匿名処理班
エジプトが崩壊した約2千年前にはすでにピラミッドは観光地だったってのが忘れられない。
なにがどうあれ古代エジプトって偉大な文明だ。
7. 匿名処理班
ジョルジョ・A・ツォカロス「古代エジプト人はどのようにして当時最強の軍隊を作り上げたのでしょうか?私は古代に地球を訪れた宇宙人の知恵を借りていたと考えています」
8. 匿名処理班
ピラミッドを作ることはエジプト人にとって頭と身体を鍛えることだったのだ。岩を切り運ぶことで、戦いに必要な体幹・足腰・背筋を鍛錬するとともに統率力も得ることができた。エジプト人がピラミッドを作らなければ最強の軍隊は生まれなかった…
9. 匿名処理班
盾にネコをくっ付けただけの軍に負けるからなぁ。エジプト軍<<<ネコ
10. 匿名処理班
軍隊というのは、その国の科学や制度、予算が如実に現れる組織だから、記録が残っているのであればかなり国力を正確に測ることができると思う。
11. 匿名処理班
※4
エジプトに限らず多民族の流入や征服が当然の地域が圧倒的に多いです
エジプトなら古代からアッシリアに統治され、その後アレクサンドロス大王のギリシャに征服され、その後もローマ帝国に統治されキリスト教化してます
それでもエジプト文化は古代から継承されてます
人種に関してはそもそも人種の継承を重視する意味がありません
人種を判定する遺伝子的な差はごくごく僅かですし
人種の宗教的側面や言語的側面に関しては、多民族の流入が少なかった日本ですら古代と比較すれば変化してます
12. 匿名処理班
でも猫で負けたよね
13. 匿名処理班
ヒクソス(ヒクソン)人は世界史ではまあ必ず出るよね。
パルモさんヒクソクになってますよ最初のリンク。
14. 匿名処理班
丁度アサクリオリジンズやってるのもあってすらすら頭に入ってくる
15. 匿名処理班
このエジプト猫で負けた説を言い出したやつが誰なのか知りたくなってきたけどググってもわからん
ぶっちゃけ最初は面白かったけど最早つまらないし恥ずかしい
16. 匿名処理班
※15
ググったら元ネタは紀元 2 世紀のギリシャ出身の作家ポリュアエヌスだね
17. 匿名処理班
>>11
エジプトはアラブ人の流入で言語もさな変わりしてる、古代エジプト文化の直系のコプト人は今やエジプトでは少数民族、コプト語に至ってはもはや言語としてタヒんでる