
いまだに毎年、数千人もの感染者が出ているこのペスト菌だが、その遺伝的先祖が墓地に埋葬されていた遺骨の歯のDNA分析により明らかとなったという。
『Nature』誌に発表された、新たな研究によると、黒死病の起源は中央アジア、現在のキルギス共和国にあるとする生物学的証拠が示された。
論文の共著者で、スコットランド、スターリング大学の歴史学者フィル・スラヴィンによると、さらに、キルギス共和国のある地域で発生したペストの菌株が、今日の世界で広まっている現代の感染症の菌株の大半を生み出したことがわかったという。
だが、多くの謎と同様、この問題もそう簡単には解決できないようだ。
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史上最悪のパンデミックを引き起こした黒死病
腺ペストの一種である「黒死病」は、いくつかあるペスト菌の系統のひとつだ。その恐ろしい名前の由来は、感染者は全身が壊疽し黒ずんで死ぬことからついた。ペスト菌(Yersinia pestis)によって引き起こされ、発熱、リンパ節の腫れが特徴で、感染したノミを運ぶ齧歯類を媒介して蔓延する。
過去のある時点で、たったひとつのペスト菌が4つの異なる菌株に分かれた。そのうちのひとつで、黒死病の原因となった株が進化した。だが、いつ、どこでこれが起こったかのかは、これまで謎だった。

ヨーロッパで流行する前にキルギスで異様な数の墓地を発見
世界中の研究者たちは、ペスト菌の分裂は、現代のキルギス北部国境にあるチュイ渓谷近くの天山山脈が起源ではないかと、長い間考えていた。その根拠は、ヨーロッパで黒死病が大流行し始めるおよそ8年前の1338年から1339年の日付が刻まれた墓石が、このエリアの2ヶ所の墓地で異様に多いことが1885年にわかり、これが手がかりになったからだ。
これらの墓石には、シリア語で「疫病」を意味する「mawtānā」という文字が死因として刻まれていた。
これはおそらく、この地域で疫病が蔓延していたことを示している証拠ではないかと考え、スラヴィンらがさらに詳しく調査を進める動機となった。
墓石の印字は、大きな手掛かりになったが、これだけでは、本当にここの人々が黒死病で死んだのかどうかを証明するには不十分だった。
そこで、遺伝子的な証拠を見つける必要が出てきた。

photo by iStock
遺骨の歯をDNA検査
研究チームは、古代のDNAの専門家に協力を求めた。「このふたつの墓地と関連のある人間の遺骨からDNAを抽出しました」ドイツ、チュービンゲン大学の遺伝学者で論文著者のマリア・スピロウは説明する。1885年から1892年にかけて行われた発掘の際に、これら墓地から数百体の遺骨が運び出され、ロシア、サンクトペテルスブルグにあるクンストカメラ博物館に所蔵された。
スピロウらは、そのうち7体の遺体から歯のサンプルを入手した。体のほかの部分はもうかなり腐敗してしまっていても、歯には多くの血管があるため、血液を媒介とする感染症であるペストの証拠を見つけるには、最適の部位だとスピロウは言う。
古代DNAのシーケンス技術(塩基配列決定法)を使って、3つのサンプルからペスト菌のDNAの痕跡を回復することに成功した。
つまり、キルギスのチュイ渓谷で亡くなった人たちがペストで死んだことを確認することができたのだ。

Photo by Chelms Varthoumlien on Unsplash
キルギスで発生したペスト菌が枝分かれして大流行
次のステップは、チュイ渓谷のペスト菌が、黒死病やほかのペスト菌とどれくらい近いのかを調べることだそのために、現代のペスト(中央アジアのモルモットやネズミなどから採取)と、黒死病を含む過去のペストのDNAシーケンスを、これまで発表されている研究成果から集めた。
これらシーケンスを使って進化樹を作り、菌株同士の関係を明らかにして、チュイ渓谷の菌株と比較してみた。
進化樹から、チュイ渓谷の菌株は、わずかふたつの変異の違いで、黒死病の菌株とは違うことがわかった。
研究者は、墓石に刻まれた碑文から、チュイ渓谷の菌株の年代については把握していたため、チュイ渓谷の菌株は黒死病の菌株よりも古いことが確認でき、黒死病はチュイ渓谷の菌株から進化したに違いないという結論に達した。
さらに、進化樹からは、チュイ渓谷の株が世界中のほとんどの疫病の祖先であることもわかった。そして、この祖先の系統から、ペスト菌は突然、4つのおもな系統に枝分かれしたのだ。
研究者はこれを「ビッグバン」と呼ぶ。これまで、「ビッグバン」株がいつ、どこで発生したのかはわからなかったが、今回、チュイ渓谷とその周辺地域で発生した可能性を示す証拠を手に入れたのだ。

これで黒死病の起源の謎は解決したのか?
これで、黒死病の起源の謎は解決したのだろうか?「そこまで拡大解釈するのには、非常に慎重になっています」と言うのは、カナダ、オンタリオ州マクマスター大学考古DNAセンター所長、ヘンドリック・ポイナー。
「株出現の日付と場所をピンポイントで特定するのは、まだなんとも漠然としたものなのです」
ペスト菌は、5〜10年に一度程度の割合で突然変異を起こし、非常にゆっくりと進化すると、ポイナーは言う。つまり、チュイ渓谷の株がほかの地域からやってきた可能性もあるというのだ。
当時のチュイ渓谷の人々は、交易を行っていて、中央アジアやヨーロッパを転々としていた。
例えば、西ヨーロッパへの旅の途中で、菌株を持ってきてしまった可能性はあるかもしれない。
この株は変異が遅いため、西ヨーロッパからの株が、遺伝子的にチュイ渓谷のものと似通って見え、いつ、どこで発生したのかを見分けるのが難しくなっている可能性はある。
こうした異論があるにしても、今回の研究は、黒死病研究者が何年もかけて解明しようとしてきた疑問へのひとつの答えとなりえるもので、黒死病発生時の歴史を理解する上で、重要なものだと、ポイナーは述べている。
「西ヨーロッパで黒死病が流行った10年前にも、同じ地域でやはり疫病が発生していたことがわかっています。これは、黒死病の謎の重要な部分だと思います」
References:Ancient DNA offers clues as to where and when Black Death began : Goats and Soda : NPR / written by konohazuku / edited by / parumo
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コメント
1.
2. 匿名処理班
大事な研究だけど気をつけてやってほしい。
感染の可能性や悪いほうへの技術利用。
3. 匿名処理班
中央アジアってことは多分広めたのはモンゴルかな?彼らは軍事侵攻だけじゃなくって普段は交易で生活してたそうだから、その過程で疫病を広めてそう
あと伝染病って元々は家畜の病気だったものが変異したものだと聞いたことあるから、黒死病の場合は元々馬の病気だったりしたんだろうか
人が長距離移動できるようになると避けて通れない問題だね
4. 匿名処理班
爺様の遺品に「ストマイ」と書かれたケースがあって、生きてる間はお触り絶対禁止だったな。
コロナもインフルも(今は猿痘もか)、人間の移動範囲が過去とは比較にならないくらい濃密になってしまった以上、根絶は困難か。
5. 匿名処理班
5枚目の画像、直感的に
ピーテル・ブリューゲル作『死の勝利』 ← リンクは合ってます。
ではないと判ったものの、
誰の作品か特定できずにもやもやっと致した次第です。
6. 匿名処理班
※4
結核の薬「ストレプトマイシン」じゃなくって?
昔は貴重品だったから伝家の宝刀としてとっておけ、ってことだったのかな?
7. 匿名処理班
※5
フランスの画家ミシェル・セールのようです
8. 匿名処理班
>>5
マルセイユの大ペストを描いたミシェル・セールの絵だそうです。
それにしてもよく読まれてますね。まったく気づきませんでした。
9. 匿名処理班
トップ絵がね、
右向きのチョウチンアンコウに見えるの、、、、
10. 匿名処理班
これヨーロッパに来たペストの経路が解っただけで、起源の解明じゃないだろ
11. 匿名処理班
ウイルスは絶えず変化して宿主に適応しようとするけど
この手の細菌は単独で生きていけるからこっちのことなんて全く気にしない。共存不可
恐ろしい
12. 匿名処理班
最近はマイシン系の耐性菌も出てきてる
13. 匿名処理班
※10
記事を読もう。日本語で書いてあるから
14. 匿名処理班
※3
何故かマイナス入ってるが彼の言ってることは「意図的に広めた」じゃなく「人の流動が媒介になった」って事だと思う、要点を纏めるに…
どうも記事内容にしろコメントにしろ文章を全く読まずに勘違いする人最近多い感じする
15. 匿名処理班
>>14
勘違いは前から多いよ。
まあ僕も先日謝ったけど。
まあ指摘してあげること、謝ることが大事。
16. 匿名処理班
天山山脈のチュイ渓谷はカスピ海から1500キロくらい離れてて 記事中にある地図よりもずっと東にある。
17. 匿名処理班
>>6
そうだよ。ついでにカナマイシンが「カナマイ」だった。ガキの頃はなんのこっちゃ?と思ってたな。
18. 匿名処理班
進化樹? 系統樹では?
19. 匿名処理班
※18
英語では「evolutionary tree」という言い方もあって、この原文記事もそうなってる。
まぁ確かに日本語で「進化樹」と違和感あるね。
20. 匿名処理班
今でもモンゴル人とか遊牧民の食べてる野生ネズミ(マーモット?)からペスト感染すると言われてるからね
21. 匿名処理班
モンゴル帝国か元起源だろ
今と余り変わらん