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 ヴィクトリア女王がイギリスを統治していた1837年から1901年の期間をヴィクトリア朝時代という。イギリスの産業革命もほぼ同時期にあたる。

 鉄道から電話、自転車から電灯まで、この時期はこれまでの生活を一変させるような発明がたくさんあった。当然その陰には何百という失敗があったり、人々からの関心を得られず闇に葬り去れれたものも。

 ここではヴィクトリア朝時代に発明された先駆的発明品の数々を見ていこう。

10. おしゃべり人形 トーマス・エジソン

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 しゃべる人形はいつの時代にもあった。『トーイ・ストーリー』のウッディのようなひもを引っ張るとしゃべる人形もあれば、現代のようにコンピューターでしゃべるものもある。初のおしゃべり人形は、アメリカの偉大な発明家によって作られたが、売上的には大失敗という結果に終わった。

 1877年、エジソンは蓄音機を発明し、1890年にはそれを人形の体にとりつけられるまで小型化した。確かにしゃべる人形は珍しく、売れ行きはよかったので、ニュージャージーにあったエジソンの工場は、20秒間も童謡を歌うことができる人形を生産し始めた。

 歌は人形一体ごとにレコーディングしなくてはならず、工場の女性たちがブースの中に座って、『ジャックとジル』や『ヒッコリー・ディッコリー・ドック』といった童謡のコピーを作った。人形の背中についているネジを巻くと、人形が声を発する仕組みになっていた。

 人形は背丈が55センチ、重さが1.8キロと大きく、値段は当時で10ドル(現在では200ドル以上)と高価だった。そのため、商業的には失敗した。蓄音機は子どもの手荒な扱いに耐えられるほど丈夫ではなく、音質も最悪で、ネジもすぐに外れてしまった。
Oddities- Edison Doll

 1890年4月に販売が開始されたが、苦情と返品が相次ぎ、5月には販売中止となった。エジソンの元には7500体の売れ残り人形と、パーツ部品でいっぱいの倉庫が残された。エジソン自身もこの人形のことを"小さなモンスター"と呼んだが、もし今、あなたの家の屋根裏にこの人形があるのなら、それは相当な財産になるだろう。

9. 大気圧鉄道(真空チューブ列車)

イザムバード・キングダム・ブルネル

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 I・K・ブルネルは、優れた技術者だ。あっと驚くような鉄道、船、橋を建造し、2002年にBBCの行った「100人のもっとも偉大な英国人」の投票で堂々第2位に選ばれた。彼の非凡な才能は、斬新なアイデアを試すことを怖れなかったことだが、こうした発明がいつもうまくいったとは限らない。

 ブルネルは、1840年代、グレート・ウェスタン鉄道の建設に尽力した。これは、ロンドンからイングランドの西の突端までをつなぐ鉄道で、途中、起伏の多いデヴォンを通らなければならなかったため、ブルネルは勾配のある山で列車を走らせるための新たな方法を試そうとした。それが大気圧鉄道だ。

 これは、機関車で牽引するのではなく、備えつけられたスチームエンジンがレールの間に敷かれたパイプの中に真空状態を作り、それが列車を引っ張る仕組みになっていた。

 時速32キロほどで全車両を引っ張ることができたが、致命的な欠陥があった。パイプには柔軟性のある密閉剤が必要だったが、当時手に入る素材は革で、革を柔軟に保つ唯一の方法は、定期的に獣脂でコーティングすることだった。

 脂に浸した革はネズミの大好物だったので、年中ネズミが革の密閉剤をかじってしまい、そのたびに列車が止まってしまった。1年もたたないうちに、ブルネルは失敗を認め、もとの蒸気機関車に戻した。

 現代の素材を使えば、真空チューブ鉄道は実現可能だ。エアロモーベルというシステムが、ブラジルのサルガド・フィーリョ国際空港で稼働していて、もうひとつがカノアスの町で工事中だ。

8. インドアスケートリンク ジョン・ガムギー

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 1876年4月、本物の氷を使った世界初のインドアスケートリンクが営業を開始した。ジョン・ガムギーによって、ロンドン、チェルシーに作られたこのスケートリンクは、グラシアリアムと呼ばれた。

 氷の大きさは11メートル×7メートルで、今日のリンクとほぼ同じ仕組みだった。リンクの外にある冷却機がリンクの床にはりめぐらされたパイプ内を流れる水を冷やす。リンクの表面に薄い水の層を作って、冷されたパイプでその水を凍らせ、固く滑らかな氷のシートを作る。

 21世紀のわたしたちが見たら、このグラシアリアムはどこか矛盾していることに気づくだろう。アイスリンクの建物の隣に、もくもく煙をあげる煙突をもつボイラー室があるのだ。冷却機も循環ポンプもスチームエンジンで動いていたため、アイスリンクの運命は、石炭をくべる火夫にかかっていたというわけだ。

 さらに3つのリンクがガムギーの特許で建設された。テムズ川に浮かぶ水泳プールを利用したものもそのひとつだったが、建設費も運営費も高額になりすぎたため、すべて商業的に失敗した。

 アメリカ初の人工リンクは、1879年に建設されたマディソン・スクエア・ガーデンの前身ギルモアズ・ガーデンで、これも長くは続かなかった。この世紀の終わりにはテクノロジーがやっとリンク建設の概念に追いつき、主要都市に収益をあげられる公共リンクが現われるようになった。

7. 電気掃除機 ヒューバート・ブース

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 1901年、ヒューバート・ブースは、掃除機が塵を突き飛ばすデモンストレーションを見た。そこで塵を吸いとったほうがいいと考えつき、その理論を実証しようとした。ハンカチを列車の座席に置いて、それを自分の口で吸い上げ(真似しないいように!)、ハンカチの反対側に塵がたくさんついているのを見て、これはうまくいくと確信した。

 ブースは、内燃機関で動く馬に引かせたマシンを設計した。掃除サービスを予約したロンドン市民の住む住宅街へ向かい、このマシンを通りに停めて窓から部屋の中へホースを通し、吸引によって部屋をきれいにした。数年間は、このビジネスは成功した。

 1907年、大西洋の向こうのアメリカでは、オハイオ州で用務員をしていたジェームズ・スパングラーが独自に電気掃除機を発明した。電気モーターと扇風機と枕カバーを合体させて、小型で持ち運びのできる掃除機を作り、Electric Suction Sweeperと名づけた。ス

 パングラーは自分ではこの発明を売り込む資金がなかったので、1908年に特許をいとこの夫に売った。その男の名はウィリアム・フーバー。その後、フーバーは電気掃除機の代名詞になったが、家の中に入らないブースの巨大な電気掃除機も、掃除機の歴史の中に含まれている。

6. グレート・イースタン号 イザムバード・キングダム・ブルネル

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 ブルネルはすでに、グレート・ウェスタンとグレート・ブリテンというふたつの蒸気船を建造していたが、石炭を使わずにイングランドからインドを航海できる巨大船のアイデアを思いついた。

 巨大な船のほうが平均的な大きさの船に比べて、乗客ひとり当たりのコストや積み荷1トンあたりのコストがかなり低くなるという、規模の経済の論理に基づいた考えだった。

 1858年に進水したグレート・イースタン号は、全長211メートル、総トン数は当時の平均的な船の8倍もあった。大型船建設まで実に41年間の歳月を要したが、建設、進水に多くの問題を抱え、客船としての利益は見込めなかった。むしろ、あまりに大きすぎたのだ。4000人まで乗船可能なように設計されていたが、そんな人数を乗せたことはなかった。大西洋を横断する航海で儲けようと数社がトライしたが、皆次々とこの船のビジネスから手を引いた。

 1864年、スクラップ価額が10万ポンドだったときに、グレート・イースタン号は、わずか2万5000ポンドで売却された。新たなオーナーは、この船を大西洋の海底ケーブル敷設船として活用した。そのおかげで、北米とヨーロッパの電話が初めて一瞬のうちにつながるようになった。それから14年以上の間、グレート・イースタンは3万マイルもの長さのケーブルを海底に敷設し、ブルネルの巨大船はやっと価値が認められることになった。

5. 制汗剤 ジョン・ガムギー

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 スケートリンクを発明したジョン・ガムギーは、公衆衛生にも関心をもっていた。1870年代、彼は新たな殺菌剤を探していて、クロララム(水和塩化アルミニウム)と名づけた物質にいきあたって、非常に効果的な殺菌剤、制汗剤、脱臭剤だと主張した。

 ガムギーは特許をとって、この物質の特性を生かした会社(The Chloralum Company Ltd)を設立した。しかし、顧客は樽の消毒を必要とする醸造所だけだった。会社は1885年に解散し、ガムギーはクロロラムは失敗だったと諦めた。

 ガムギーがもっと長生きして、一般市民が体臭を気にするようになる時代まで生きていたら、もしかしたら大金持ちになっていたかもしれない。彼のクロロラムは、"制汗剤の配合"や"発汗の減少方法"に関するパテントが、多国籍企業ユニリーバのような企業に引き継がれ、そのひとつの特許が2015年に認められた。

 スーパーの棚にあるエアゾールのデオドラントを手にとって、その内容物をよく見てみると、水和塩化アルミニウムとあるのがわかるだろう。毎日、大勢の人が脇の下に制汗剤を噴射しているおかげで、他人のにおいにあまり悩まされずに生活や仕事ができる。

 めちゃ混みで暑苦しいエレベーターやバスや電車の中で、他人の体臭に気絶しないで済むのだから、密かにジョン・ガムギーに感謝すべきだろう。

4. パナマ運河 フェルディナン・ド・レセップス

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 1859年から1869年、フェルディナン・ド・レセップスは、スエズ運河の建設を監督した。地中海と紅海を結ぶ193キロのこの運河は、ヨーロッパから南アジアへの6437キロの旅を可能にした。

 この運河の成功に味をしめたレセップスは、中米に目を向け、パナマに大西洋と太平洋を結ぶ運河を建設する計画を進めた。1880年までに資金を集め、工事の準備を進めた。

 しかし、このふたつの運河には大きな違いがあった。スエズ運河は海抜とほとんど変わらない土地に囲まれた砂地を掘って作られたが、パナマでは運河を海抜と同じ高さにするために、91メートルの固い岩盤の丘を発破していかなくてはならなかった。

 レセップスは、外交官で発起人だったが、技術者ではなかったため、工事は悲劇的だった。遅々として進まず、多くの作業員が黄熱病やマラリアで死んだ。1888年までに、海抜運河の計画は中止になり、フランスの優れた技術者ギュスターヴ・エッフェルが不可欠な要の設計に参画することになった。

 翌年、資金が尽き、工事が中止された。さらに悪いことに、運河の完成がまるで見えないのに資金を集めようとしたため、レセップスとその息子、エッフェルは皆、詐欺で告発された。

 この"パナマ運河疑獄"スキャンダルで、事実上フランスは運河の建設にたずさわることができなくなった。

 1904年、アメリカがプロジェクトを引き継ぎ、もっと進んだ掘削装備を使って工事を再開させた。ついに1914年、レセップスが着手してから24年後に運河は開通した。

3. 留守電  エジソン/ベル

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 1881年、フィラデルフィア・ローカル・テレグラフ・カンパニーが、通話を録音するために電話とトーマス・エジソンの蓄音機を合体させた。目的は電話の会話を録音するマシンを作ることだった。

 ボイスメールではなく、通話全体を録音するシステムで、ビジネスの電話内容を後から話し合うために使われた。"監視目的で通話内容を録音する"概念は140年近くも昔からあることになる。

マシンは試作品の段階までいったが、エジソンはこれで自分の仕事は完了したと思っていたようだ。新聞の記事の中で彼は「発明は確かにあったが、それを売れるようにするのは機械工だけができる仕事だ」と言ったとされている。

 残念ながら、人々にこのマシンを買いたいと思わせるのは、当時の機械工には荷が重すぎたようだ。これがボイスメールとして現実になる1940年代まで待たなくてはならなかった。

2. 飛行船 ジャック・アンリ・ジファール

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 1850年代までは、空を飛ぶ確実な方法は熱気球や水素気球だった。問題は、飛ぶ方向やスピードをコントロールすることができなかったことだ。どこに行くかはまるで風まかせだったのだ。

 1852年、フランスのジャック・アンリ・ジファールが、軽量の蒸気エンジンを発明した。軽量といってもそれは相対的な話で、実際は彼のエンジンは、重さが113キロあり、燃料と水を加えるとさらに68キロ増えた。それでも、このエンジンのおかげで、水素気球は空中高く上がることができた。

 ジファールは、このエンジンを約44メートルの長さの気球に取りつけた。これが直径3メートルのブレードを3つもつプロペラに動力を送り、さらに大きな方向舵も取りつけられた。1852年9月24日、ジファールはパリを飛び立ち、27キロ飛んだ。飛行中、彼は舵を操作して円を描いて飛んだりしてみせ、動力をもったコントロール可能な飛行船の初フライトを成功させた。

 残念なことに、ジファールのこの小型エンジンは強風に逆らえるほどパワーがなく、出発地点に戻されてしまった。片道旅しかできず、相当穏やかな日以外は、やはり風に左右されることに行き詰まってしまった。実用的な飛行船は、さらに軽量で強力な内燃エンジンが登場するまで待たなくてはならなかった。

1. コンピューター チャールズ・バベッジ

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 19世紀はじめ、仕事で数学の計算が必要な人は皆、プリントした算数表を使っていた。航海士、技術者、銀行家、保険仲介人、建築家などけっこう多くの人たちだ。

 だが、この算数表は手動で計算しなくてはならず、写しをとるのも、プリントする前に植字するのもこれまた手動でやらなくてはならなかった。当然間違いも生じ、それがときに船乗りや技術者にとって致命的な結果を招くこともあった。

 ケンブリッジ大学の天才数学者、チャールズ・バベッジは、数学の計算機を作れば、間違いをなくすことができると考えた。彼は自分のマシンを「階差機関」と呼び、イギリス政府を説得してプロジェクトの財源を確保し、数年間計算機の製作に取り組んだ。

 階差機関は2万5000のパーツに分かれていて、完成したときは重さは約4トンになっていた。1833年、バベッジは機械技師と喧嘩して決裂し、製作は中止になってしまった。おびただしい数のパーツは溶かされて、スクラップとして売られてしまった。

 それでも、バベッジは第二のマシン「階差機関2号」を作り始めた。これはさらに大きく重さが5トンあった。彼はまた「解析機関」も設計した。これはメモリーや、プログラムを実行する機能もついた、まさに現代のコンピューターだった。

 プログラムはパンチカードをベースにしていた。詩人バイロン卿の娘、エイダ・ラブレスは、この「解析機関」の製作をバベッジと共に進め、初のコンピュータープログラマーと言われている。

 設計の機械的な複雑さや、バベッジの偏屈な性格のせいで、解析機関と階差機関2号は当時完成することはなかったが、まだ動く階差機関2号のレプリカが2台現存していて、1台はロンドン、もう1台はカリフォルニアにある。

via:Top 10 Victorian Era Inventions That Were Ahead Of Their Time/ translated konohazuku / edited by parumo
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コメント

1

1. 匿名処理班

  • 2017年05月10日 21:41
  • ID:pVGv1nJT0 #

周囲にお湯を配給したり、公衆浴場併設のごみ焼却場よりは違和感あるだろうけど
現代の冷房でも発電所で燃料を燃やして発電してるんだから
石炭とスケートリンクの関係と同じじゃないか

2

2. ・・・

  • 2017年05月10日 22:28
  • ID:5m3AiZqA0 #

ヴィリエ・ド・リラダンの「未来のイヴ」に出てくる、エジソン作のアンドロイドのハダリーってちゃんと元ネタあったんだw

ここには出てないけど、飛行機の定期便による航路網なんてのも、この頃のアイデアだったなぁ
会社作るための資金集めに失敗してポシャっちゃったけど、ライト兄弟が空飛ぶ10年以上前のことだから仕方ない

3

3. 匿名処理班

  • 2017年05月10日 23:00
  • ID:uypC9AJM0 #

階差機関(Difference Engine)かぁ…w
SFのほうの「ディファレンス・エンジン」とか「二重螺旋の悪魔」思い出す。
にしてもほんと歯車お化けだよなコレ。

4

4. 匿名処理班

  • 2017年05月10日 23:25
  • ID:3L.ChmBC0 #

チャールズ・バベッジのディファレンス・エンジンをアイデアにしたSF小説
「ディファレンス・エンジン」こそ今各所で語られる「スチームパンク」という言葉を生み出した初出なんだよねえ

5

5. 匿名処理班

  • 2017年05月11日 00:17
  • ID:EtfM.yAq0 #

エイダ・ラブレスをたまたま図書館の本で知って興味を持っていたがバイロン郷の娘だったのね・・・しかもそれで気になってwikiみたら彼女を教えた家庭教師の中にド・モルガンが居た・・・なんという繋がりだ英国上流階級

パンチカードは自動織機が由来なのかな?大型オルゴールでも使われたが。

6

6. 匿名処理班

  • 2017年05月11日 00:46
  • ID:kDUmoDMq0 #

ちょうどいい時代に発明するって・・・大事だね!

7

7. 匿名処理班

  • 2017年05月11日 06:50
  • ID:BvwgulJ40 #

パナマ運河といえば青山士さん

8

8. 匿名処理班

  • 2017年05月11日 08:59
  • ID:JTndne320 #

人形を喋らせたい想いから察するに初音ミクの登場は必然だったわけだ

9

9. 匿名処理班

  • 2017年05月11日 09:10
  • ID:JJ95ydl70 #

この時代にヨーロッパと北米を繋ぐケーブルが敷設されたってのは驚き

10

10. 匿名処理班

  • 2017年05月11日 12:53
  • ID:NnVK84NT0 #

大西洋の海底ケーブルって150年も前からあったのか凄ぇ

11

11. 匿名処理班

  • 2017年05月11日 16:58
  • ID:wZy.TopY0 #

調べてみたところバべジン発達障害持ちだった説があるみたいね。その集中線故歯車お化けを作ろうと思えたしその不器用さ故有り得た未来を掴めなかったと思うと切ない。

12

12. 匿名処理班

  • 2017年05月12日 00:31
  • ID:DOUcpYms0 #

ルイスキャロルのアリスもこの当時に書かれたんだっけ?

13

13. 匿名処理班

  • 2017年05月15日 03:52
  • ID:lVUbuWiJ0 #

ビクトリア朝時代には既に電信によるネットワークが構築されて、さながら現代のインターネットのような様相をも呈していた、と物の本にもありますな。。

14

14. 匿名処理班

  • 2017年05月15日 13:57
  • ID:A0aVWNYz0 #

※5
織物の一種のジャカード織は穴の開いたパンチカードで織ってましたね。アイデアの元はオルゴールとも関係あるかも?

15

15. 匿名処理班

  • 2017年05月16日 22:03
  • ID:jVX.1IXF0 #

※4
んーなわけないだろw
あまりに適当な書き込みをすると、スチームパンク警察やSF警察など、各種ジャンル警察に逮捕拉致監禁射 されるぞw

16

16. 匿名処理班

  • 2017年06月03日 22:06
  • ID:1Cc1ohf.0 #

歯車のコンピュータを見て「クロックワーク・プラネット」連想した

17

17. 匿名処理班

  • 2020年12月27日 00:23
  • ID:0uVCPcG70 #

歯車のコンピューターは未来で必須だよね
これで放射線もへっちゃらだし何億年も保つ!
小型化して作ろうよ、原発作業にピッタリ

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