
それらは映画やミュージカルなどの題材となりなじみ深いものであるが、ほかにも驚くべき秘めたる逸話がいろいろあるという。
ぜひ映像で見てみたい、過去の人物や場所を題材にした6つのストーリーを見ていくことにしよう。
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1. トランスジェンダーのセレブになった米兵

一方、クリスティーン・ジョーゲンセンは、アメリカ初の性別適合手術を受けて女性になったトランスジェンダーとして広く知られている。1945年に短期間軍に所属していたが、1951年にデンマークでこの特殊な手術を受けることができた。
1950年代始めににアメリカに戻り、"セクシーな美女になった元GI"として世間に知られることになった。自伝を執筆して有名人になり、ラジオやトークショーに出演したり、大学で講演を行ったりして、性を飛び越えた自身の体験を語った。女優やナイトクラブの歌手としての才能も知られている。1989年に亡くなる数ヶ月前に、固定観念にメスを入れて性の革命を起こしたと語った。
ジョーゲンセンについては、すでにインディーズ映画で制作されているが(エド・ウッドの『グレンとグレンダ』は明らかにジョーゲンセンの人生を題材にしようとした作品)、彼女が本当の自分を取り戻すちゃんとしたストーリーをもう一度見たいものだ。
2. 戦争支持者が大統領になり、ノーベル平和賞を受賞

にもかかわらず、彼はポーツマス条約の立役者として、ノーベル平和賞を受賞している。日本とロシアの代表団を招いて、その外交手腕で日露戦争を停戦に導いたというのだ。
ルーズベルトが行ったことはこれだけではない。大統領職を退いた後は、アフリカを旅してスミソニアンのための調査と称し、1万頭以上の動物を殺したり、捕獲したりした。その傍ら執筆もし、アマゾン流域の探検もした。1912年の大統領選挙戦では、暗殺されそうになったが、助かっている。銃撃されたとき演説中だったが、銃弾が胸に入れていた手帳で止まって一命をとりとめた。
3. アメリカの良さを再発見してくれたオーストリア人物理学者

1905年、カリフォルニア大学バークレー校に赴任していた、このオーストリア人物理学者の紀行文は一見とりとめもないが、ちょっとした話がとてもおもしろく映画のネタとしてうってつけだ。歴史というものはあまりに広大すぎて身近に感じられないことも多いが、ボルツマンの描く、出会った人たち、食べたもの、見た美しいイメージの詳しい記述は、壮麗で心奪われるような歴史の一端をわたしたちに見せてくれる。
さらに、彼は科学者のカリスマとして広く知られた物理学者だった。確かにボルツマンの人生は、完璧に幸せなものではなかった(双極性障害だったと言われていて、1906年に自殺した)。彼は複雑な人間だったかもしれないが、わたしたちに過去をよみがえらせてくれるような、知性あふれた観察眼を持った聡明な人物だったのだ。
4. 初のノンネイディブアメリカンとなった人物

子どもたちの歴史教育はおもに、ネイティブアメリカンたちのそれぞれの暮らし、それから唐突にロアノーク島やジェームズタウンのようなさまざまな植民地での苦労話になる。
だがファン・ロドリゲスの話は違う。1613年にオランダ船で現在のドミニカ共和国から現在のマンハッタンに渡ってきた。ほかの仲間はヨーロッパに帰る準備を始めていたのに、ロドリゲスはそこに居残ることに決め、自主的にマンハッタンにずっと住みついた初めてのノンネイティブアメリカンになった。
彼はマンハッタンに住んだ初めてのラティーノでもあり、アフリカの血を受け継いだ最初の人間でもあった。彼の生活はどんなものだったのだろう? なぜ、マンハッタンに定住することをきめたのだろう? この新しい国で彼はなにを考えたのだろう?
5. 独立革命時の名もなき人たち

『ハミルトン』は、建国の父としての主人公に有色人種を抜擢したこと、革命の話を現代風に斬新にアレンジしたことなどがまさに革命だ。しかし、実際に独立革命に関わった有色人種たちについてはどう伝わっているのだろうか? そう、奴隷たち、そして自由な黒人の男女、移民たち、そして革命のとき天井桟敷に追いやられることが多かった女性たちのことだ。ポール・リビアのように夜中に馬を疾駆させたシビル・ルディントンがいた。誰よりも馬を速く走らせた彼女は、当時16歳だった。
奴隷でスパイだったジェームズ・アーミステッド・ラファイエットは、彼を自由にしようと嘆願してくれた友人の侯爵の名を名乗った。植民地総督だったベルナルド・デ・ガルヴェスは、ネイティブアメリカンや自由なアフリカ系アメリカ人の市民軍を組織し、母国のスペインの兵士とともにイギリス軍と戦った。こうした名もなき人たちをフィーチャーし、建国の父はちらりとしか出てこない映画を作ったら、いつもの革命の歴史の描き方よりずっとスリリングな変化に富んだものになるはずだ。
6. 1918年、スペイン風邪のパンデミック

一見、差し迫った脅威とは思われないのに、いったん現実の生活の中で流行り始めると、1918年のこの流感は実に恐ろしいものになったからだ。
あまりの猛威に大勢が死に、この大流行のせいで第一次大戦の終結が早まったと言われたほどだ。世界の人口の40%がこの流感に感染したとされている。だから、研究者たちがアラスカの墓を掘り返して、死者たちのウィルスのRNA(リボ核酸)を配列を分析しても、なにが原因だったのかいまだにわからないのだろう。
パンデミック話であることを無視しても、(特に感染するとどうなるかを聞いたら)これはまさに究極のホラーストーリーだ。そして、悪いことに、これは今後も世界中のあらゆる人たちに現実に起こりうるホラーストーリーなのだ。
via:6 Incredible True Stories from American History That Should Be Made Into Movies/ translated hiroching / edited by parumo
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コメント
1. 匿名処理班
日本だと日本住血吸虫症の発見と根絶に纏わる110年の戦いの記録はもっと広く知られてもいいと思うんだ。
2. 匿名処理班
ティディ・ベアの語源はルーズベルト大統領なんだよね、色々複雑な人だよね。
3. 匿名処理班
3番の物理学者の書いた紀行文が読んでみたい。
4. 匿名処理班
ボルツマンはオースト「ラリア」人じゃなくオースト「リア」人では……
5. 匿名処理班
最近ハーレムヘルファイターのことを知ったけど
あれも十分映画化に値すると思う
6. 匿名処理班
綺麗な作り話し出さずにインディアン虐殺した話しとか実話を映画にするべきじゃないかな?
7.
8. 匿名処理班
ルーズベルトの名前はインディアン関連で目にしたのが最初だったから
あまり良いイメージがない
9.
10. 匿名処理班
※1
確か正式名称が地方病だよね
Wikipediaに詳しく説明がある
11. 匿名処理班
涙の道とかネイティブアメリカンにまつわる話しをもっと映画化してほしい。
12. 匿名処理班
アメリカ軍の計画では日本へ17発の原爆を投下する予定だったとか、幻の東京湾原爆投下計画とか、大統領が広島に原爆が投下された事を知ったのは長崎原爆投下の半日前だった事、スペインB29墜落事故の機体には原子爆弾が搭載されていた事、
「多くのアメリカ軍兵士を救う為には原爆投下は仕方が無かった」という文言は大統領が考えた文言では無かった、とか色々な事が最近分かって来たよね。
13. 匿名処理班
アメリカ人で波乱万丈の人生を送り続けて、衝撃的な最後を遂げた人物と言えば…私は真っ先にSF小説家のジェイムズ=ティプトリー=ジュニアを思い浮かべる。
裕福な家庭に生まれ、探検家でもあった父と共に西洋人女性としては初めて野生のゴリラを目撃した人物であり、学生時代に結婚・妊娠・中絶の結果子供を産めない身体になり離婚を経験し、その後陸軍情報部に勤務し、再婚の機会に恵まれて軍を退役。夫と共に起業する傍ら小説家としての道を歩みだす。
その後CIAに夫と共に招聘されるも、数年後に大学に復学する為に退職。学士号を取得したのち実験心理学で博士号も取得する。
「最も男らしい小説家」に選ばれる程の骨太な作風は読者に絶対的な評価を受けるが、仮面小説家だったので全てのファンは「ティプトリーは男である」と信じており、文壇を巻き込んで正体探しが行われ、母親の死亡記事からの類推で、実は女性だという事が公然の秘密となる。
ジェンダーの問題が現在より遥かに厳しい時代にも関わらず、性別が明らかになってもファンは熱狂的にティプトリーを支持し続け、ティプトリーも期待に応えて正体発覚から10年以上に渡って新作を発表し続けた。
晩年は最愛の亭主が痴呆症に苦しみ、夫婦間での事前の取り決め通り、ショットガンで亭主の胸を打ち抜き、更に自分も頭を撃ち抜いてこの世を去る。二人はベッドの上で手を繋いだままの姿で発見された。
代表作「たった一つの冴えたやり方」などで見られる通り、悲観的な状況であっても性別や種族の違いを超えた友情・信頼は育める、という事を見事に描ききって見せた。
また面白い作品を生み出すのに性別など関係ないというただそれだけの事、明白に世界に知らしめた最初の人物とも言える。
三大SF小説家に数えられる事はないけれど、本当の意味での小説家の地位向上は、ティプトリーの生き様が成し遂げた部分が非常に大きい。
14.
15. 匿名処理班
ホワイトウォッシュという割に歴史上の白人を黒人が演じるのはいいのかな?
同じように批判されるべきだと思うけど
16. 匿名処理班
>こうした名もなき人たちをフューチャーし...
フィーチャー (feature) ね、future じゃなくて
17.
18. 匿名処理班
タバスコを作った人の話がないのが残念
19. 匿名処理班
> 3番の物理学者の書いた紀行文が読んでみたい。
探してるんだけど、見つかりません。知っている方、ヘルプ求む。
ドイツ語でも英語でもいいので読んでみたいです。
20. 匿名処理班
※1
研究者が感染源と疑われた貝を入れた水に自分の足を漬けて、自分が感染することで感染経路を特定し、その後は死ぬまで症状の進行を記録し続けたんだっけ?
21. 匿名処理班
※20
まだ病原体も明らかでない明治の頃に患者の女性自らが自分が死んだら解剖して原因を突き止めて欲しいと、今現在でも禁忌されがちな事に一筆入れて家族も説き伏せて貢献したこととか、もうなんだか凄まじいよ、あの歴史は。
22. 匿名処理班
ちなみに、住血吸虫病が猖獗を極めた土地の一つ、福岡県久留米市には、感染源として絶滅させられた宮入貝の供養碑がある。
例え死病を根絶するためとはいえ、人間の都合で一つの種を滅ぼした事を罪と感じ、碑を建てて供養するというのは、何とも日本的な発想と思う…
23. 匿名処理班
※1 山梨県だっけ?世界初の根絶に成功したの。病原発見と感染経路確定までの流れは真摯な人間の凄みと凄さに感動こえて鳥肌立ったよ。
スペイン風邪は日本にも猛威をふるって、自分の曾祖父が1人これで亡くなったみたい。大正9年没。当時はインフルエンザと風邪を区別してなかったからか、ひどい風邪(症状もろにインフルエンザ)が死因って伝えられてる。
日本でのスペイン風邪は間隔を置きながら2年位流行して、感染予防にマスクをかけるよう、大々的に推奨・宣伝された。その名残で今も日本人は風邪予防にマスクするんじゃないか、って話をどっかで読んだな。
24.
25. 匿名処理班
ボルツマン先生が不遇だったのは知らなかった・・・