この画像を大きなサイズで見る体はある。だがそれは本質ではない。いったい自分とは何であり、どこから自分でなくなるのか?というかこの質問自体に意味はあるのか?科学的、あるいは哲学的に検証できる動画が公開されていた。
自分探しの途中の人なら一見の価値があるだろう。
この画像を大きなサイズで見る物理的には人は細胞である。その細胞の数は天の川の星の数の10倍以上はある。細胞は生き物で5万位以上のタンパク質で構成される。意識も目的もなくただ存在する。でも生きている。
この画像を大きなサイズで見る互いに協力して組織を作りまじめに働いている。細胞は体から取り出してもしばらくは生きている。細胞にあなたは必要ないが、あなたには細胞が必要なのだ。細胞がなくなったらあなたは消える。細胞があなたでなくなるのはいつか?
もし臓器を提供するならその臓器は他人の中で生き続けるがそれはその人の一部になったのか、それともあなたの一部のままなのか?
特殊な実験で人と細胞を交換するとしよう。お互いの細胞を一つずつ交換していったら何時その人はあなたになるのか?いつか意識も交換されるのだろうか?
この画像を大きなサイズで見る人間という概念は実に不安定なものなのだ。ヒトの細胞は死に続けている。この動画が始まってから既に2億5千万個は死んでいる。一秒当たり数百万個死んでいくのだ。7年の間にほとんどの人の細胞は入れ替わる。
あなたは少しずつ変わっているのだ
この画像を大きなサイズで見るということで続きは動画を見てみよう
掲示板2ちゃんのコピペではこんなのがあったな。
私達は考えることができる。考えてるのは脳。
脳はシナプスやらニューロンやらの集まり。
シナプスやらニューロンは細胞。
細胞は核やらミトコンドリアやらの集まり。
その核やらミトコンドリアやらはタンパク質、脂質。
タンパク質、脂質は分子の集まり。
分子は原子の集まり。
原子は陽子と電子と中性子の集まり。
陽子、中性子は素粒子の集まり。
考えるって何が考えてるの?
アナログ時計だって人間に時間という高度な概念を伝える機能を持ってるけど、材料の歯車とか振動子にはそんな機能ないし、もっと分解すれば原子や分子だ。
















人間の少なくとも首から下は間違いなくただの物質
メタルマックスのゼン様が答えてらっしゃったではないか。
自分を自分と認識することが出来るのは、自分だけであると。
※2
君の意識は確かに脳が作り出してるものかもしれないけど
君は脳だけの存在じゃないし
脳も含めた身体全部物質だゾ!?
※2
高校生くらいまではそう考えていたかなぁ。
すると7年前にカネを借りたオレはもういないワケか!
明日あいつにそう言ってやろ♪
心理学的にいえば、”私”を定めているのは主に二つの要素。
①自己に関する記憶の連続性
②周囲の人間関係(家族とか友人とか)による「あなたはあなたよ」っていう承認
この二つが破綻なく続いていれば、肉体を失って亀の中に住むことになってもアイデンティティは失われない。はず。
私は衝動で、欲求で、動機で、結果で、それらの重なりで、もしかしたら壁の染み、逆三角形の穴、ロールシャッハテストに意味を見出す様な事の連続体だが、始まっていないかも?終わっているかも?
※5
ポルナレフ…
※5
同感。
「意思」は概念でしかなく、「意思があるか、ないか」を調べる方法も存在しない。
「自分」とか「考える」なんてものは概念でしかなく、答えなんてない。
※5
グレゴリーザムザの最後
でも相手のことを「自分」と言ったり「僕」と言ったりするよな。
電気が考えて人間を動かしてるんじゃない?
自我も経験や知識の総計なんだから
作り物なんだよね(´・ω・`)
自分を含めてこの世は単なる物質の集まり、自我も脳という器官が作り出す現象に過ぎないのである。
生命の繁殖は自然界から物質を取り入れないと出来ない。それを可能にするのが意識で、子孫にも各々精神が宿る。
個体とは連続的に発生する生命意識体の一部と考えれば、自分と言う者は元々無いように思える。
※10 脳は何によって動いているの?
自分が自分であると認識できるのが脳だから、結局は脳が全てなんじゃないかな?
自分と他者の違い
それは経験の違いではなかろうか
同じ経験をしても違う捉え方をするのは、それまでの経験からの答えだと思うし
経験の積み重ねが個人差と考える
※12
コンピューターがファイルを削除するとき別に痛いとか感じたりはしないように、脳も機能的には痛いとか熱いとかいう状況を認識し、的確な判断が出来ればいいだけなんだよ。
そして、感情の機能を果たすために仕草や口で痛がって見せたり、ストレス反応を起こしたりすればいいだけ。
何が言いたいかっていうと機能上、主観的な感覚は必要ないし、実はそれは客観的なものを扱うのが科学であるがゆえに科学的にその機能を説明することは出来ない。
いわゆるクオリア論だけど、今のところ唯一の我々が直感的に存在を確信できる非科学的な存在だと思う。
※12
経験=個体差では無いと思いますよ。
全く同じ経験をしても、考える事や感じる事は人それぞれでしょう。例えば、同じ映画を観ても、男女では感じる事は違うでしょう。知識の有る無しでは違いますし。また年齢によっても違います。生まれた地域によっても感じる事は違うはず。
その人が、その人であると言う事は、経験も勿論そうですが、人生に於いて価値観を何に置くか?によるところが大きい。ある人間には重要で、ある人間にはとるに足らない事、と言う事は多々あります。
この肉体は単なる物質であり、脳みそのパルスによる信号の結果の思考回路ですが、その肉体に宿る個々の選択の選択方式は、個人個人違うものがあります。
すごい興味深い記事だ
もう本当に誰かが作った世界で飼われてる「何か」に過ぎないんじゃないのか?人間なんて。
それか誰かの体内で、細胞なのかな。
今こうして死んでゆく細胞も人間の一生ぐらいの時間感覚だったり…
脳が記憶と体の感覚器官を頼りに、周囲や自分を知った結果が自我。
小麦粉を触れば、サラサラする。同じように
「脳に情報が流れた際の手触り」みたいなもんが、感情だね。
思考とは常に結果に対して理由をつけてるって本で読んだことある
脳だけで考えてるっていうけど、本当にそうかな?
自分はお腹からも命令が出ているように思うけどね。
※17
その非科学的なモノのを通してしか、世界を認識できない私達
観測されたことのないモノで観測されてきた科学
結局自分とその他全ての本質と境界線を形作るのは人それぞれの認知が全てなんじゃないのかな?
どんなに体を細かく顕微鏡で見ても刻んでも、「物心がつく」以上に自分というモノは細かく分類できないんだと思う
人が人として存在している違いか・・・なんだろうね
あなたとわたしは一体何が違う?
人類、人間としての違いは無いわけだ
目が2つあるし、心臓も一つ、せいぜい大きなのは男と女の違いくらいかな
まるでマトリックスの世界みたいだね
ニーチェ曰く、肉体は精神の玩具である、というのは
案外と人間というものの本質を突いている言葉の様に感じますね。
個性が団体という集合体の下に失われ、黙々と与えられた指示を遂行する為のみに「個」が必要とされる様になったら、
人間もまたAIクライシスと同様、「自我同一性の拡散」に悩む様になるかも。
人体に住み着いている細菌や微生物の数は細胞より多いとか、人格に影響を与えてる説もあるし。で、そいつらも当然入れ替わりまくってるわけで、自我の本体って案外あやふやなのかも。
この手の事を考え始めると何やら無性に不安になるので
なるべく考えないようにしているよ・・・。
意識と身体を持続できる間は”私”だと思う
最近認知症を患った身内を見ていてそう思った
こっちは「ウェットウェア」の話だけど、ハードウェアでも同じような問題があるよね
要するに自作PCの話なんだけど、パーツを交換・増設した場合にOSは「どこまでを同じ機体と見做しての認証するのか
それから、パソコンを破棄する時にリサイクル法で定義されている「パソコン」とは何(どのパーツ、またはそれらの組み合わせ)を指すのか、とか
この問題は、将来的には人間(=ウェットウェア)にも持ち上がってくる
今は脳を丸ごとは移植できないけど、いずれ部分的な移植は可能になってくるだろうし、本人のDNA情報から再生もできるようになってくる
それだけならDNA情報である程度個人識別が可能だけど、一卵性双生児もいるから完璧ではない
ましてDNA治療が進み、あるいはもっと気軽なDNA整形が一般化するかも知れない
そうなってきたらもっとややこしい事になるよねw
一般システム論なんてのをやっていると、
システムは部分に還元することができないっていう指摘があったりします。
また全体は部分の総和以上になるという創発は、生き物や人間、社会を考える上でも大切と言えるかもしれません。
※27
「スタートレック」で頻繁に利用されている「転送」に関して昔から言われている議論に、「転送された人物は、転送される前の人物と同一人物なのかどうか」というのがあったのを、思い出しまたよ。
また、「転送される人物は、一度肉体を完全に分解されるが、それは「殺人」にならないのかどうなのか」とかいう話も、ありましたし。
挙句の果ては、登場人物か転送装置の故障か何かで、若返ったり複数人になったりするエピソードもありましたしね。
まじめな話、転送の結果自分が複数人になった場合、誰が「本当の自分」になるのでしょうね?
少なくとも、DNAや肉体を構成する物質のレベルで、同一でしょうから。
もちろん、転送された肉体に、「意識」が宿るかどうかという問題は、ひとまず横に置くとしても。
※42
例えば、記憶喪失の人がいて、「あなたはパルもさんよ」と周りの人から言われ、かつ、自分が「パルモ」であることを証明する書類などがあっても、自分が「パルモ」であるという「記憶」がなければ、自分が「パルモ」であることを「信じる」ことができない。
こういう場合には、どうすればいいかという問題も、浮上しますね。
ひよこを試験管に入れて完全にすりつぶす。
失われたのは何か?
思うに、この問題は、今自分のいる場所っていうのが今の自分であるっていうのが一番簡単な答えなんだと思う。
自分以外に自分を感じることが出来ないから精神や体に答えを求めるのもありだと思うけど、仮に、自分が死んでその死体に感情は無い、だけど自分はどこにも行っていないと思うから、感情や精神に存在の証明有無を問うのは難しいんじゃないかなと、それに、感情や精神って共有されていくし(あいつは俺の中で生きているって考えも好きだけど)。
体の構成物質についても極論、道端に落ちてるものと同じだし、、、。
ってことで、自分の証明っていうのは、その場所で自分が行ったあるいは行わなかった物事等、その場所の時間と空間に刻まれていくものなんだと思う
もちろん、単純な理解の仕方だから、感情を否定するものでも唯物主義を否定するものでも無いので、批判な認める、長ったらしく読んでくれてありがとな
※29
ホメオスタシス
ホワイトヘッドの『過程と実在』がおもしろいよ
人間は進化の過程をさかのぼると、単細胞生物にまで行きつくわけだけど、その途中で「腔腸動物」が出てくる。
この腔腸動物には体全体を制御するための神経系ができてくるわけだけど、その神経は「腸」を中心にして形成される。
そして、その後軟体動物、節足動物を経て、神経が効率的に配置されるようになり、さらに体の中心に固定化された軸ができ、その末端に肥大化した神経の塊(脳)ができる。
つまり、それが脊椎動物であり、そこから人間へと至っている。
ここから何が言えるのかというと、いわば脳というのはあくまでも後発のものであって、人間の体の中では、意識はされないだけで腸の神経や節足動物の神経である、はしご状神経系も活動しているということ。
たとえば、バロスタットという検査器具があるのだけど、これは直腸内に風船のようなものを入れて、腸内で内圧をかける(ふくらませる)とその圧力が脳に伝わって脳波の変化を計測できるというもの。
ここから、腸の神経から作られる「内臓感覚」がいわゆる「第六感」の正体ではないかという考え方が生み出されたりする。
あと、「意識は脳で作られる」というのは多分、誤りだと思う。
なぜなら、テレビはそれ自体がテレビ番組を作るわけではなく、あくまでもテレビ局が電波を使って放送するコンテンツを受信して再生するための、道具でしかないから。
それと同様に、「意識」というものは、どこかから「送信」されていて、一定の「アドレス」の割り振られた固定端末(脳)に受信されて、その受信された「意識(コンテンツ)」に基づいて、「自我意識」が生まれるのではないだろうか?
ただ、実際には、その上に内臓感覚などが「無意識」として付加されていくのだろうけど。
意味がわからない。
しかし、興味深い。
修復し続けたテセウスの船は同一か否か
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず
色即是空
僕らの認識が言葉が境界を作り、物事を簡潔にそして本質から遠ざける
実感として、色々なものに振り回されながら25年間生きてきた今
肉体的にも精神的にも、自分ってもう自分じゃないなとは思う
ただ、昔自分だった人格の情報を引き継いでるだけだと
僅かに残った昔の自分の名残、この動画の表現に則るなら
パターンの既視感を見出すほどに、その気持ちは際立つ
ア ナ タ ハ ソ コ ニ イ マ ス カ
私はどこ・・・、ここは誰・・・
イワシの群れが、リーダーを持つことなく意思があるかのように外敵に反応するように、人間も細胞の群れ(引いてへ原子の群れ)でしか無いのかもね。
細胞の粒子と神経の波なんて、何かに似てるなぁ。
人間の感覚器官じゃ観測できない所にこそ答えがあるんじゃないかと常々思ってる
例えば全身サイボーグになるとして、
手術中自分は眠っていて覚めたら機械の体になってるわけだけど
それが本当に自分なのかは確認出来ないよね、脳を見れたとしても
それが自分の脳だと確証を得られないんだから自分で信じるしかない。
攻殻機動隊の命題「ゴースト」でこの説明を読んだ時、あ~と思ったは、
たとえ生身だとしてもそれを確認する方法はなくて信じるしかないのと
それには他人の認識が重要だということ。
最近の研究では全身の神経や臓器にも脳と同じ記憶が宿ると聞いたことがあるし、脳だけが自己を表現する存在ではないのかもしれぬ…
「我思う、ゆえに我あり」それでいいではないですか。
『火の鳥・復活編』を思い出した。
昔の人は「七つまでは神のうち」とはよく言ったもので…
時計を分解しても歯車やぜんまいがあるだけ。時計を時計たらしめているものは各々の部品じゃなくて、時間を教えてくれるという機能だと思う。人間の場合にもそれに似たようなことが言えるのかも
野球ファンに似たような質問すると切れて答えてくれなかった。
チームを応援ってのなら選手全とっかえでも問題ないんちゃうんか?って
意識って何?
体を構成してる物質は
入れ替わるのに意識は
残り続ける・・・
ある意味不思議だ
何で自分と言う存在は生まれたのか分からない
※54
道具とは「それを作り出した知性の存在を示すモノ(あくまでもの物体)」です。知的生命体とは「自ら生まれ出(い)でたる独立した存在(モノではない知性を宿した存在=仏教でいう天上天下唯我独尊で言い表される「知的生命体」)」です。両者を同列に語ってしまうと永遠に答えは出ないでしょう。
昔の人々は、人間を作り出した「神(知的生命体)」が存在すると信じ、人間は神の道具(モノ)であるという「畏(おそ)れ」を抱いて暮らしていました。現代風に言い換えるなら、人間は「自意識」を持っているように「感じて」いますが、それは自らが「神の道具」として「使われるため」に与えられた「受動的認識」、まさに「作られた意識(他意識)」であるとする「信仰」なのです。無論、現代科学はそれを否定しますし、事実ではありません。
人間(人類)が、さらなる知性の踏み台としての役割を果たす為に作られた「道具」なのか?それとも「次の知性体」につながる「知性の通過点」なのか、いずれ答えが出るでしょう。しかし、人類がその答えを知る時が、人類終焉のタイミングとなります。かつて人類が、人類以前にそうしてきたように。自然は無慈悲で、この宇宙に救いの神は存在しません。
※54
要素還元主義の限界…あるある!
唯識の洞察は(宗教ではなく深層心理の分析として)確かに面白い。
アフォーダンスみたいな考え方もあるし、
西洋・東洋合わせていろいろ分かりやすくなってきてるね。
クオリアや意識のハードプロブレムは専門知識なくても、疑問点がわかりやすいし考えるの楽しいよね
私たちが、単なる物質の集合だとしても、意識や魂と呼ぶものが存在しなくても、いま考えたり、感じたりしていることは何も変わらないし、その価値が損なわれることもない。
他人の答えなんてどうでもいいのさ。
自分がそう思うならそれでいい。
楽しめることを楽しめる範囲で楽しめばいい。
自分が納得できる答えは案外ぼーっとシャワー浴びてる時にひらめいたりするものだよ。
「我思う、ゆえに我あり」
どこまでいってもこれ以上の正解が無い気がするのだけど
世界から誰も居なくなって誰からも認識されなくても死んだとは思わないし
幽霊みたいに認識されなくても、完全に無視されても考えられるなら自分はそのに居る
逆に他人からどれだけ認識されていても自分が自分であると認識できない又は、考えられない状態ならそれは例え体が生きていても脳が正常に稼動してても私は、死んでる
全うに人として行動ができたのしても私で有る事が認識できないのならそれは私ではない。
きっとそこにあるのは私だった何かか、私に似た何かでしかないと思う
※59
そこら辺を知らずに
なんとなく唯物論的な判断してる人も結構いるかもしれない
まあ俺がそうだったんだけど…
ニューロンなどの神経細胞を一つずつ交換していったら段々意識レベルは低下し、どこかで消える
新しい塊の方は新しいネットワークに準じて新しい意識が徐々に発生していくだろう
その際に以前の脳と同じデザインができるなら徐々に以前の人格が再形成されていく
そこに意識の連続性はないが、新しい方はその事を認識できないだろう
寝て目覚めたようになるか、ぼんやりした意識がはっきりして何もかも思い出していくだろう
ネットワークそのものが意識を生み出すエンジンと仮定すると、複雑系にはそれぞれレベルの違いはあれど意識があることになる
つまりより高度なネットワークを形成していき、ヒトの脳レベルに発展したならば地球などの複雑系にもガイア理論などよりずっと高度な意識のようなものが生まれる可能性はある
もちろん地球上でもっとも早くそのレベルの複雑系が形成されるのはインターネットである
インターネット上に意識と近似的に働く力が発生するのはそう遠くないと思う
※63
誰とも会話せず仕事して飯食って寝るんだと それはもう私ではない機械の歯車ということでしょうか
ワシントンの斧を思い出した
これはワシントンが桜を切った斧で、斧頭は5回、柄は3回交換している という話
※64
還元主義とそれの否定の中間位が丁度良い位
結局の所、どっちも突き詰めると「この手の物を考える思考」として破綻するならば、そのどちらでも無く、どちらの要素も兼ね備えた中間の地点が一番正解に近いような気がする。
意志と存在 あとはただのデータ
意識とは、その人間の電子的な固有の振動パターンが奏でる音楽かもしれないね。その時々の感情や意識状態で音楽は変化するけれども、基本となる低層に流れるメロディーは変化せずに自分を自分と感じられるもとになっているのかもしれない。自己同一性とは固有なパターンに対するなじみ深さの感覚で、意識とは変奏曲を奏でるオーケストラの指揮者なのかもしれない。
考えるとどうしようもない恐怖に襲われる
臓器移植で、元の持ち主の記憶が移植された人間にも与えられたという話が、もしも本当だとしたら、記憶細胞は脳だけでなく全身にあるような気もする。
かりにそうだとしても、それじゃ、臓器移植で記憶が移ったとしても元の持ち主からその記憶がなくなるかというと、そうでもないのが不思議。
そして考えるのをやめた
脳細胞が何度も変異すると聞いて嬉しい
自己同一性は自己同一性を作り出すための細胞があり、そのための処理をしている
いちいちシステム構築するPCと全く同じ
人間の精神に神秘性を求めてはいけない
この世に神秘などない
わたし以外わたしじゃないの~
あたりまえだけどね♪
周りに考えをアッピル事ができる脳が自我があると考えているだけで
肝臓や細胞だって私は何?って悩んでいるかもしれない
個人的に我々の祖先が、この身体の状態を選択した時、瞬間的に複数の個体が同時に発生したとは考えにくい。
人間一人一人の寿命は儚いが、「自分」という複数で情報を同時に集積させながら意識を存続させる事が出来る。
ある意味トータルで不老不死に近い。
私達は時計を思考力のある物だとは思っていないけれど、本当にそうなんだろうか
私達は私達の認識でしか時計を理解していないし、時計が例え思考力を持っていても理解し合うことは今の時点では不可能だ
私は生まれてそして死ぬまで私の認識の中でしか生きる事は出来ず、世界に存在する私という存在はお互いに思考の存在を理解し合える他者の認識で形成されている
時計で言えば時刻を伝えるのは針と文字盤。
歯車やら金属やらはその材料なわけだ。
ってことは意識も同じようにもっと表層的な部分で発生しているのかもしれないね?
そもそも自分というものが、一般に考えるような自発的に制動可能な存在なのだとしたら、何故あなたは思い通りに自分をデザインできないのか?怒りたくなければやめればいい。考えたくなければやめればいい。理性的でありたければそうすればいい。成人になればそのようなことが経験や学習から可能になると、一般的には考えられている。
しかし、現にほとんどの人々は自分を自由になどできていない。そうした普遍的な現象から、一般に認識されている「自分」とは、前述の前提などまるで通用しないし、自分であるはずなのに自由自在ではなく、枷として機能していると考えざるを得ないそれは、本当に自分なのか?
然るに、人の自由とは、究極のところ”自分からの解放”という、一見矛盾したテーマを生み出した。それを探求し、実践したのが釈迦であり、後にその経験は仏教として成立した。瞑想も、自分を観察し、自分から離れる1つの手段だ。主体だと思っている自分から離れるという発想自体、奇怪な前提を含んでいることは注目に値する。
最近ツイッターで見つけた話題を紹介。
ある人が、「死んだおじいちゃんって、仏壇とお墓のどっちにいるの」と質問したところその人のお母さんがこう答えた「仏壇はタブレットお墓はデスクトップPC、死んだおじいさんはクラウドに保存されていて、今からデスクトップのアップデートに行く(お墓参りに行く)」と。
また、これを受けて「魂がクラウドにアップロードされる期間が49日、寺はサーバー、坊さんはSEお経はプロトコル」という投稿もされている。
今のネット社会を考えるとこの例えは、ものすごくわかりやすいと思う。
この場合、あの世とか涅槃とか言われるものを、「クラウド」に置き換えている。
ただ、一つだけ難をあげるとすると、「死んでクラウドに保存される」と考えるよりも、「元々人の意識は「クラウド」にあって、胎児が発生し脳が形成された以降の段階で、そのクラウドからダウンロード(受信)されて、そこから個人の意識が形成される」。こう考えたほうがいいと思う。
理屈としていうと、youtubeの動画の再生と同じ。
youtubeの動画はあくまでもクラウド上にあり、スマホやパソコンではその動画がダウンロードされてその場で再生されるだけ。
そして、受信が終わればその動画はまた「クラウド」の状態に戻る。
けれども、その動画は自分以外の誰かが視聴したいと思えば、その人の持っているデバイスにダウンロードされて、再生されていく。これが、「輪廻転生」。
「仏教」特に、「唯識」では「自分は存在せず自分という言葉があるだけ」。「すべてのものには実体はなく、ただ識だけがある」こう主張するけど、これも「クラウド」のことを言っていると思えば、釈迦は「インターネットの仕組み」を2500年前から理解していたことにならないか。と思う。
コメント欄が超面白いです。
世の中変わらない物なんてないんだ
面白い動画ですが、1.「細胞は意識も目的もなくただ存在する。」と、2.「細胞にあなたは必要ないが、あなたには細胞が必要なのだ。」というくだりは、はたしてそうと言えるのか?1は、確かめようがない。そう断言できるのはおかしい。2は、人が自らの意思で自分の細胞を殺すこともできるわけで、細胞が生きるために、私は必要だろう。と思いました。
様はつまり自分は幻想的存在って訳だよね?
※87
ぜひともお母さんに、
「じゃあ、私はタブレットなの?」
とかも質問して欲しかったなw
そしたらきっと、※87のような解説をお母さんはしただろうし、
お母さんも、そう期待していたかもしれない。
俺たちもやがて寿命が尽きてくたばる。
クラウド的な天国世界が待っているのなら、それもまた楽しみにしておけばいい。
もし何もなく無になるだけなら、そもそも無を知覚できない状態なのだから一切合切心配無用。