この画像を大きなサイズで見る有名人となってしまったが為に、死後、その遺体が数奇な運命をたどることがある。死んでしまえば何も感じることはないだろうと言ってしまえばそれまでだが、もし自分なら、死後、自分の遺体やその一部がこんな目にあうのはあまり心地よい思いはしないだろう。
ここでは、本人の知らぬ間に遺体や遺体の一部が思いもよらぬ形で保存されていたり盗まれていたりする9つの例を見ていくことにしよう。
1. 夫の食卓に飾られていたエバ・ペロンの遺体
この画像を大きなサイズで見るエバ・ペロンは、貧しい人たちの生活を改善したり、女性の権利のために戦ったファーストレディとして、祖国アルゼンチンや世界中で有名だ。夫フアン・ペロンの2期目の政権を牽引する副大統領の地位を要請されていたが、健康上の理由から断った。
1952年にペロンの2度目の大統領就任直後、ガンのため33歳の若さで亡くなった。エバの遺体はすぐにエンバーミングされたが、きちんと埋葬されたのは、その後20年もたってからだった。噂では自由の女神よりも大きな霊廟を建てるために遺体が整えられていた間、ペロン政権が軍のクーデターによって崩壊、フアンはスペインに亡命した。
まるで蝋人形のようなエバの遺体は、軍によって保管されていたが、彼女が殉教者として崇められるのを恐れた軍は埋葬には慎重だった。エバの墓が巡礼地になってしまう可能性があったからだ。遺体は木製の棺に納められ、ブエノスアイレスじゅうを転々と移動させられた。
結局、エバの遺体をアルゼンチン国内に置いておくことは危険だという判断が下り、ドイツのボンに運ばれて、そこで埋葬された。さらにイタリアに運ばれ、マリア・マギーという名前で埋葬された。
1971年、アルゼンチンの新しい軍の指導者、アレハンドロ・ラヌッセ将軍が亡命したペロンと協定を結び、ペロンが軍事政権を承認する代わりにエバの遺体を返すことに決着がついた。ペロンと2度目の妻イザベルは、自宅にエバの棺を安置し、しばしば食卓にそなえたという。イザベルは毎日遺体の髪を梳かしてケアし、フアンの要請で、遺体のそばに身を横たえて、エバの政治手腕のパワーを吸収しようとした。
1973年、フアンはアルゼンチンの大統領に返り咲いたが、わずか1年後に亡くなり、イザベルが政権を引き継いだ。その後、エバはブエノスアイレスのレコレッタ墓地にやっと安住の地を見い出した。エンバーミングされた彼女の遺体は、核爆弾にも耐えられる鋼鉄の保管庫に安置されているという。
2. 博物館に展示されているラスプーチンの巨大ないちもつ
かつてロシアのロマノフ家を陰で操り、皇帝の妻の愛人でもあった、グレゴリー・ラスプーチンはかなり大きな男性器をもつ好色漢だったらしい。
1916年のラスプーチンの死後、どのようにして彼の男性器が切り取られたのかについてはふたつの説がある。ラスプーチンが暗殺者たちに殺された後、現場を掃除したメイドが切り取られた男根を見つけ、保管していたという説。もうひとつは、ラスプーチンの女友だちのひとりが解剖の後で記念品として持ち帰ったという説だ。
後にわかったことだが、ラスプーチンの男性器は、本体を離れて以来、波乱万丈の運命をたどった。初めて歴史の舞台に現れたのは1920年代のパリ。女性たちの集団が彼の生殖能力の象徴である男性器を崇めていたと言われている。同じ頃、ラスプーチンの娘マリーが男性器を返すよう求めている。ロシアのエロチカミュージアム(2004年サンクトペテルスブルグでオープン)が、この問題の男性器獲得に声を上げていた。館長のイゴール・クンヤズキンによると、フランス人アンティーク蒐集家から8000ドルで購入したとのことだが、実際にラスプーチン本人のものであるかは確認されていない。
博物館に展示されている男性器は長さ28センチだが、マリーによると父親の男性器は33センチ(!)だったとのこと。専門家は博物館のものは馬かウシのものではないかと考えている。
3. ブランデーで保存されたホレーショ・ネルソン提督の遺体
この画像を大きなサイズで見るイギリスで国民的英雄のひとりとして崇拝されているホレーショ・ネルソン提督の死からは、人体組織の保全について重要な教訓が見えてくる。ネルソン提督は、ナポレオン戦争中のトラファルガーの海戦で、1805年10月21日、銃撃を受けて最期を迎えた。この愛すべき司令官の国葬が行われることが予想されたため、ネルソンの船に乗船していた軍医のウィリアム・ベイティは、ネルソンの遺体を通例のように水葬にせず、イギリス本国に戻るまで保存しておくことに決めた。
ネルソンは戦闘で死ぬ覚悟を決めていたため、彼の旗艦船ヴィクトリー号には、ナイルの戦いでフランス艦船を破ったときのマストで作った棺が用意されていた。そして、イギリスまでの長旅の間、ネルソンの遺体を保存するためにフランスのブランデーに漬けた(ラム酒だったという説もある)。さらに、ジブラルタル海峡で、さらにブランデーを満たしたもっと大きな棺桶に棺ごとつけた。
ネルソンの遺体がロンドンに着いたとき、棺桶を開けるとブランデーは一滴も残っていなかったという。ブランデー漬けの遺体を取り除いて調べると、棺の底に穴が開いていて、船員たちによってブランデーが飲み干されていたことがわかった。この一件が、ブランデーのことをさすのにネルソンの血という言葉の語源になった(ほかの有名人の遺体説、その他さまざまな説あり)。公式な記録では詳しいことはふれていない。盛大な国葬が行われ、ネルソンはセント・ポール大聖堂の中央にあるグレイトドームの真下に埋葬されている。
4. モーツァルトの頭骸骨に関するミステリー
この画像を大きなサイズで見る1902年、オーストリアのザルツブルグにあるモーツァルトテウム財団は、下顎が失われているモーツァルトの頭蓋骨なるものを手に入れた。1791年に35歳で死んだモーツァルトはウィーンの共同墓地に葬られ、墓堀人だったヨゼフ・ロスマイヤーがその頭蓋骨を引き取ったと1801年の記録にはある。
モーツァルトは貧困者用の共同墓地に投げ込まれたと言われているが、当時としては平均的な中級クラスの扱いだった4~5人用の墓に埋葬されていた。言い伝えによれば、墓堀人は頭蓋骨にワイヤをつけて、どの遺体がモーツァルトのものかわかるようにしておいて、10年待って頭蓋骨を回収したと言うが、信憑性は薄い。
その後、頭蓋骨はさまざまな人物の手に渡った。教会の用務係、解剖学者ヒルトルの骨相学コレクション(モーツァルトの頭蓋骨を除いて、のちにムター博物館の頭骸骨コレクションの一部になった)、果ては1902年にモーツァルトテウム財団の所有するところとなった。
2006年、頭蓋骨を入手してから104年後、モーツァルトテウム財団は頭蓋骨を調べ、本当に天才作曲家のものなのかを証明しようと計画した。モーツァルトの血縁者である母方の祖母と姪のものだといわれている大腿骨からDNAをとって比較してみたのだが、結果はモーツァルトの血縁者と頭蓋骨はなんの関係もないことがわかっただけだった。
しかし、祖母と姪と言われていた遺体も互いに関係がないことがわかり、否定も肯定もできずに決着のつかない結論となった。だが、この頭蓋骨は強力な証拠で、これが本当にモーツァルトのものか否かについて活発な議論のきっかけになり、彼の晩年の頭痛や早すぎる死の説明になるかもしれない。今は結局、憶測でしかなく、モーツァルトの頭蓋骨の謎は当分の間は未解決のままだろう。
5. 葬儀のために偽装されたヴォルテールの遺体
この画像を大きなサイズで見る「わたしはあなたの意見には反対だが、あなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」。フランスの新共和党派の輝く知性であるヴォルテールは、とても論争好きだったため、18世紀に教会を非難した人物として、自分が死んだ後、遺骨がゴミのように捨てられてしまう可能性を恐れていた。
ヴォルテールが病に倒れたとき、密かに計画が練られた。死後は、立派な服を着せて体をまっすぐに支え、まるで生きているように見せかけて、スイス国境近くの家族の地所まで誰にも邪魔されずに、星をちりばめた馬車で遺体を運ぶというものだ。しかし、この計画はヴォルテールの甥によって変更された。彼はヴォルテールの遺体を裸にして解剖にかけ、心臓と脳を取り出して、フランスの修道院に送ったのだ。
ヴォルテールの遺体がパリに戻ってきて、パンテオンに安置されたのは何年もたってからのことだった。今日もヴォルテールはまだそこに安置されていると信じられているが、王党派がパンテオンに忍び込んで、彼の骨をゴミとして捨てたという噂もある。こうした噂話に決着をつけるために、1897年に墓があばかれ、遺体はほとんど損なわれていないことが確認された。
6. 互いに向き合った格好でミュージアムに展示されているシャム双生児
この画像を大きなサイズで見る有名な一卵性双生児のチャン&エン・ブンカー兄弟は、胸の部分が小さな軟骨で結合している。今日の技術ならば、簡単に分離することができるが、19世紀の医学ではそのようなことは不可能だった。
見世物として世界中を旅したのち、チャンとエンは普通の生活を求めた。アメリカ国籍を取得し、北カリフォルニアの農園に落ち着ついて奴隷を買い、1840年代初頭にそれぞれ姉妹と結婚した。チャンは10人、エンは11人の父親になった。
1874年1月、チャンが肺炎に苦しんだあげく、睡眠中に急死し、その3時間後にエンも亡くなった。医者は最初、エンは突然のことでショック死したのかと思ったが、よくよく調べたところ、ふたりは動脈と血管を共有していたことがわかった。エンは血流が失われたために死んだのかもしれない。
ふたりの死が確認できると、遺体はフィラデルフィアの医師のところに送られ、解剖にかけられ、念入りに調べられて写真を撮られた。その結果、ふたりは肝臓も共有していたことがわかった。現在、ふたりの体は互いに向き合う格好で、医学標本としてフィラデルフィアのムター博物館に展示されている。伝説的なチャンとエンは、シャム双生児の語源ともなったのだ。
7. 処刑を命じた夫によって保存されていたアン・ブーリンの心臓
この画像を大きなサイズで見るヘンリー八世は、最初の妻を離婚して、聡明で洗練されたアン・ブーリンと結婚するために、イングランドをカトリックから決別させた。しかし、どうしても男の跡継ぎが欲しかったヘンリーは、アンが女児しか産まず、何度も流産を重ねたため、この結婚は呪われていると考えるようになった。挙句の果ては、アンを姦通罪のかどで逮捕したのだ。
1536年、アンはロンドン塔で首をはねられ処刑された。伝説では、処刑の命を下したヘンリーがアンの心臓を取り出し、ハート型の容器におさめてサフォークの教会の小部屋に隠したという。1836年に再び発見され、教会のオルガンの下に埋葬された。
8. 医者のオフィスに保管されていたアインシュタインの脳
この画像を大きなサイズで見る1955年4月17日、偉大な天才科学者であるアルベルト・アインシュタインは、胸の痛みを訴え、プリンストン病院で検査を受けたが、翌朝、腹部大動脈瘤破裂で帰らぬ人となった。享年76歳。しかし、とんでもないことが起こった。世界一の知性の源であるアインシュタインの脳が盗まれたのだ。
4月18日の早朝、プリンストン病院の病理学者トーマス・シュトルツ・ハーベイ医師が、アインシュタインの臨終に付き添っていた。本人は許可を得たと言っているが、勝手に解剖を始め、死因を特定してから、アインシュタインの脳を切除して測定したり、重さを測ったりした。だが、今日に至るまで、解剖を許可した書類や記録は残っていない。
ハーベイは脳をホルマリンのビンに入れ、さらにアインシュタインの目も摘出して、眼科担当医だったヘンリー・アダムズに送った(眼球はニューヨークシティのどこかの貸金庫の中に保管されているという噂がある)。そして残った遺体を返して火葬にしたという。脳と目の摘出は、アインシュタインの遺言に反している。彼は全身を火葬にして、崇拝者が騒がないよう、灰を秘密裏にまいてもらうことを希望していた。故人の意に反した解剖をしただけでなく、ハーベイには法的にも医学的にも脳を保存しておく権利はなかった。
最終的に、アインシュタインの心臓を科学の研究のために慎重に活用することと、発見したことを正統な科学雑誌で発表することを条件に、ハーベイはアインシュタインの息子ハンス・アルベルトから脳の所有の許可を与えられた。4月20日にニューヨークタイムズにアインシュタインの訃報が出たとき、息子から許可を得てドクター・ハーベイが解剖を行ったとあったが、後から許可が出たことにはふれていない。
ハーベイは、プリンストン病院を解雇されるまで、脳をビンに入れて自分のオフィスに保管していた。その後、彼は脳とともにペンシルバニア大学へ移り、脳組織を多数のスライスやブロックに切り刻んで、サンプルとしてあちこちに配った。自分ではホルマリン漬けのビン2つだけをとっておいたという。
ハーベイは2007年に死んだが、亡くなる前にアインシュタインの脳を、50年以上前に事件の発端となったプリンストン病院に寄贈している。再び世間の関心が集まり、脳のスライスを受け取っていた研究者たちは、プリンストン病院やペンシルバニア大学にそれを返した。今日、ハーベイの手書きのメモなどと一緒に、アインシュタインの脳の数片を見ることができるのは、フィラデルフィアにあるムター博物館だけだ。
9. 300年後に再びお目見えしたガリレオの盗まれた指
この画像を大きなサイズで見る2009年、イタリアの天文学者ガリレオの指2本が、最後に確認されてから300年ぶりに発見された。オークションで個人によって落札されたものだが、いったいこれはなんなのか、疑問を抱いた当人がフィレンツェの科学史博物館に持ち込んだことがきっかけだった。
ガリレオの遺体が一時的な墓から、最終的な墓地へと移されたときに、3本の指が切り取られたのが1737年3月。下顎に残っていたラスト1本の歯も取り除かれ、2本の指とともにガラスビンの中に封印されたが、1905年以降、行方がわからなくなっていた。オークションにかけられたビンの特徴は、そのガラスビンと細かいところまで一致していたが、中身を示したラベルはなくなっていたため、売り手も競売人もこれがそれほど重要なものとは気がつかなかった。
3本目の指については、科学史博物館が1927年から所有していたため、初めて3本の指がそろったことになる。切り取られた指はいつもガリレオがペンを持っていた指だったという。
















ラス・・・・・・・・・・・・・・・
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見なかった事にしよう・・・・・・・
ネルソン提督は多くのイギリス海軍小説で登場している有名な人
ジョンブル魂の代表であるこの人が今生きていたら
世界はどうなっていたのかちょっとだけ気になります
いたいたしい。
アインシュタインの脳の一部は、確か日本の大学教授が、ハーベイから貰い受けていたはず。
以前、その一部始終がドキュメンタリーでNHKで放送された。
10年以上前ぐらいかな。
聖徳太子の墓もたびたび侵入されたらしいね
今じゃからっぽ
始皇帝廟は中が水銀まみれ(丹で塗って水銀の海つくってある)なのとすぐ上に地下水流れてるせいで開封できないらしいね
兵馬俑が発見されたのも掘り当てちゃって出したらじゃんじゃん劣化するから仕方なくって感じらしい
予想通りラスプーチンが出てて安心したw
ビッグボスの遺体はどこかね?
100年以上も「標本」として脳と性器を展示されていたホッテントット・ヴィーナスことサラ・バートマンの話が絶対にあると思ってた…。
股 が大きくて検問にかかった人がいるから珍しくはないだろうけど…しかしきれいにとったね…。
ネルソン提督を漬けていたブランデーを船員が飲んでた、って…
そこに提督が入っていた事を知ってて飲んだのか、そうで無いのか…
どっちにしても、ちょっと怖い、というかこれ事実だったのか…
英雄伝説かと思ってたよ
夏目漱石の脳は東大医学部に保存されてたっけ
ジェレミー・ベンサムの遺体は出てこなかったか
ネルソン提督の遺髪が江田島にあるな。
ヴォルテールの記事の冒頭の
(恐らくヴォルテールが言った)名言、なんかジンときたなあ
で・・・でかすぎ・・・
アレは戦闘時の大きさを保つ方法で保存してるんだよな、まさか普通であのサイズじゃないよな・・・?
アインシュタインの脳みそが保管されている事は知っていた。
実物をTVで観た事はあるが……今から思えば、本物ではなく、ダミーだったのかもしれないな。
残りのアインシュタインの脳を探すドキュメンタリーがあったなぁ~
ここには載っていないけど
イヌイットの剥製として博物館に展示されていた人の話
“お父さんのからだを返して”という本も切ないです
※16
たしか日本人は戦闘時と普段の状態でかなり差があると読んだことがあります。裏を返せば、くだんのソレは戦闘時とあまり差がないのではないでしょうか。
上野の国立科学博物館に展示されてる江戸時代のミイラの横にある看板が面白い
プライバシー保護のため撮影禁止ってやつ
ネルソンのブランデーはわざとだよ
故人のパワーや知恵を引き継ぐみたいな発想、まぁ分からなくはないけど不潔だわな
ラスプーチンの金色様、常時そのサイズなのか…
ネルソンを漬けてたのはラムだったって、何かで読んだんだけど、
違うのかな?
>>19
…だったよねぇ?
崇められるなら良いが見せ物は可哀想
僕は両方とも嫌だけど
エバ・ペロン・イザベルの三角関係?がシュール
中心はエバなんだな
ネルソンの血はダークラムだった気がする…
ネルソンの国葬を取り仕切ったのは 後年偉大な提督となる 若き日のホレイショ ホーンブロワーなんだよね たしかラム漬にして持ち帰り ラムは船員たちが遺徳を偲んで飲んでまったと聞いたけど…
日本人なら福沢諭吉
父親のサイズを把握(?)してるラスプーチンの娘もスゴい
最初の人はエヴィータで有名な人だよね
エドゲインじゃあるまいし悪趣味な
一部、閲覧注意やないんかーい!
>>専門家は博物館のものは馬かウシのものではないかと考えている。
多少救われる説ではありますね(白目)
聖人じゃなくても遺体に何らかの執着をされることはあるんだな
しかし、
>>処刑を命じた夫によって保存されていた
これ、主語が分からなくて、妻(えらい)が処刑を命じた夫(えらくない)に、なんらかの大逆転が起こって、妻が負けて処刑されて、生き延びた夫に保存されてたのかと思ったわ、どんな波乱万丈だよ。日本語難しいね
真実はもっとえげつなくて夫がゴミクズ以下の畜生だったってゆうオチ…
キリスト教徒って死体に拘りあるのか無いのかよく分からんな
ヘンリー8世のガチクズぶりがすごい
ラスプーチンのナニと一緒にブロンドを撮ったやつは誰だ!!・・・好きだぜのそのセンス。
チャールズ・バベッジの脳が紹介されてないのはアインシュタインと被るからかな?
生きてる間も死んだ後も
周囲の身勝手さに振り回される
アインシュタインマジで可哀想
生きてる時も死んだ後も
誰も彼の希望を聞いてはくれないんだね・・・・
キリスト教の聖人達の遺体も聖遺物という概念で奪い合いなどがあったから何かしらのパワーを感じる人が多いんだろうな。
仏様は自分の遺体が権威付けに使われるのを嫌ったらしいが、世に出回っている仏舎利を繋ぎ合わせると大巨人が完成するというのは有名な話。
人間の業は深いな。
世界初の原爆症と認定された、女優の仲みどりも、死後勝手に解剖されて、肺と骨髄が東大医学部で保存されてる。