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本物のサンタクロース、聖ニコラオスの正確な墓の場所をついにトルコで発見

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(著) (編集)

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 サンタクロースは、いまや世界中の老若男女に知られている伝説のキャラクターだ。だが、架空なはずのこの「陽気なニコラオスおじいさん」は、北極の極寒の氷床ではなく、遥か彼方のトルコ南部に住んでいた実在する「聖ニコラウス(ミラのニコラオス)」がモデルだと言われている。

 ニコラオスは西暦4世紀に亡くなり、彼の遺体は、現在のトルコ、アンタルヤ市デムレ地区の奉仕していた教会内に埋葬された。

 だが11世紀に墓が破壊され、ニコラオスの遺骨が盗まれてしまったため、彼が埋葬された正確な場所がわからなくなってしまった。

 ところが最近、数世紀にわたる憶測と数十年の調査の末、トルコの考古学者チームが、ついにニコラオスの墓の正確な場所を突き止めたという。

 そこは、ミラにある聖ニコラオス教会として知られる古代の教会の床下だった。

聖ニコラオスの墓の正確な場所を発見

 トルコ、アンタルヤ文化遺産保護地域委員会の委員長であるオスマン・エラヴシャールによると
、聖ニコラオスは、西暦343年にイエス・キリストを描いた教会のフレスコ画の下の石棺に埋葬されたと発表した。

 現在の聖ニコラオス教会は、西暦520年に建設されたものだが、名高い宗教的イコンのための埋葬場所として選ばれた古い教会の真上に建てられている。

 新旧の床がふたつ重なった地下に、聖ニコラオスの遺骨が埋葬されていたことになる。

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トルコ、デムレのミラにある聖ニコラオス教会の内部 / image credit:iStock

 「彼の石棺は、特別な場所に安置されていたに違いありません。それはドームに覆われ
た3つのアプス(祭壇の後ろの部分)がある部分です」エラヴシャールは言う。

「イエスが左手に聖書を持ち、右手で祝福のサインを示しているところを描いたフレスコ画を発見しました」

 最近の発掘で、古い教会のオリジナルの床と基礎が見つかった。

 古い教会は中世時代の洪水で破壊されてしまい、同じ場所に新しい教会を建てる必要があったのだ。そのため、古い教会までたどり着くのに、数フィート分の砂と沈泥を掘り出さなくてはならなかった。

「実際に聖ニコラオスがその足で踏みしめた床について、話しているのですよ。これは極めて重要な発見なのです」エラヴシャールは興奮気味に話した。

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聖ニコラオス教会内のイエスのフレスコ画が、聖ニコラオスの墓の正確な位置の
手がかりを与えてくれた / image credit:iStock

 6世紀以前の古い床は、大理石タイルのモザイクでできていた。

 そのうちのひとつには、”恵みとして”という意味のギリシャ語が刻まれていて、これが、聖ニコラオスが生前、教会の中で礼拝をしていた場所、つまり彼の墓の正確な場所を示すために置かれたと、エラヴシャールは確信している。

 注目に値するのは、この教会の建築が、エルサレムにある聖墳墓教会と驚くほどよく似ていることだ。

 両方とも、上部のドームは開いたままの未完成で、これは、イエスの磔刑と昇天の物語と聖ニコラオスを直接結びつけるためのものである可能性がある。

 2017年、電子スキャンが行われ、古い教会の床と基礎の間に空間があることがわかった。こうした空間のひとつに、かつて聖ニコラオスの石棺があったことが知られている。

 アンタルヤ文化遺産保護地域委員会の発表によると、フレスコ画、タイルの文字、開いたドームがなにを示しているのか、自分たちの推測が本当に正しければ、5年間の考古学研究の集大成となる墓の正確な位置がわかったことになる。

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数世紀以上にわたって、聖ニコラオス教会内にあるいくつかの異なる墓が、聖ニコラオスの埋葬場所なのではないかと、とりざたされてきた。この石棺もそのひとつ / image credit:iStock

ニコラオスがサンタクロースの起源とされている理由

 サンタクロースのモデル、聖ニコラオス(ミラのニコラオス)は、西暦270年、小アジア、現在のトルコ南西部、地中海の港湾都市パタラに住んでいたあるギリシャ人家庭に生まれた。

 当時、この地域は、ローマ帝国の支配下にあり、ニコラオスと家族はローマの権威のもとで敬虔なキリスト教徒として暮らしていた。

 ニコラオスは、裕福で影響力のある家の出身だったが、相続した財産を自分のために使うのではなく、すべてを投げうって、病人や貧しい人たちに施すことに専念した。

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主教の祭服を着た姿で描かれた聖ニコラオスのイコン(シナイ山の聖カタリナ修道院) / image credit:public domain/wikimedia

 彼のもっとも有名な慈善活動は、貧しい家庭の恵まれない子どもたちにこっそりプレゼントを贈ることだった。

 この行為で彼は世間に知られるようになり、この地域の子どもたちが、ニコラオスがやってきて、プレゼントで満たしてくれることを期待して、靴下や靴をぶら下げるようになった(彼はよくそうやってプレゼントを渡していた)。

 聖ニコラオスのもっとも有名な善行は、3人の貧しい少女たちが売春を強いられないように、持参金を与えたことだ。

 彼は匿名で金貨の入った袋を少女たちの家に残したが、善行で有名だったために、誰もが少女たちを悲運から救ったのは誰かがわかっていた。

 若いころ、ニコラオスはミラ市の司教になった。この地位において、彼の寛大さますます力と賞賛を集めた。

 西暦343年にニコラオスが亡くなって以降、すぐに命日の前夜に子どもたちに贈り物をすることが習慣になった。

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photo by iStock

 宗教改革の後は、この贈り物の日は、12月後半に変わり、いわゆるキリストの誕生日と関連づけられるようになった。

 しかし、聖ニコラオスとその行いは、サンタクロースというキャラクターを通してずっと残り、聖ニコラオスは、実際以上に大きな寛大そのものの人物として神話的体現者となったのだ。

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photo by Unsplash

演繹による考古学

 ほとんどの場合、考古学では遺骨や埋葬品を発掘することによって、墓の位置を特定する。しかし残念ながら、聖ニコラオスの場合は、それは不可能だったので、考古学者たちは演繹(えんえき:一般的・普遍的な前提から、より個別的・特殊的な結論を得る論理的推論の方法)のスキルを使う必要があった。

 1087年、イタリアの都市バーリの力のある商人グループが、聖ニコラオスの名を冠したトルコの教会から、彼の遺骨を盗み出そうとした。

 チャールズ・W・ジョーンズという中世の学者が翻訳した歴史の写本によると、共謀者たちは「教会の床を壊して開け、神聖な遺骨を運び去る」ことを計画していたという。

 計画は成功し、泥棒たちはまんまと聖ニコラオスの遺骨を盗み出して、石棺を破壊した。遺骨はバーリに運ばれたとされているが、その後どうなったのかは、いまだに謎のままだ。

 言うまでもなく、この事件のせいで、聖ニコラオスの永眠の地を探すのが難しくなった。

 遺骨と石棺を見つけるのではなく、教会の象徴性と建築が、聖ニコラオスと彼の伝説的埋葬とどのように関係しているのかを、論理的に推論する必要があった。

 聖ニコラオスの墓がついに発見されたというニュースは、それが真実だと断定する証拠である実際の遺骨がないため、万人に受け入れられないかもしれない。

 だが、この結論は、合理的な解釈の確固たる基盤に基づいているように思え、本物の聖ニコラオスの墓の捜索にやっと決着がついたことを、大半の専門家に納得させるのに十分なものかもしれない。

References:Saint Nicholas Discovery! Has the Tomb of the Real Santa Been Found in Turkey? / written by konohazuku / edited by / parumo

本記事は、海外の記事を参考にし、日本の読者向けに独自の考察を加えて再構成しています。

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この記事へのコメント 18件

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    1. ※1
      聖ニコラウスです
      墓から遺骨を持ち逃げされたとです
      遺骨の場所は分かってなかとです
      イタリアに遺骨や遺物が盗まれた聖人、オレ以外にもいるとです
      聖ニコラウスです

  1. よくお笑いでサンタの仕事がブラックすぎるみたいなネタあるけど、ホンモノはそのうえ私財だってんだからすげえわ

  2. 中世の教会の上の人って金に汚くて懐に蓄えるっていうイメージだったよ・・ごめんなさい(´・ω・`)

    1. ※4
      だいたいはそれで合ってる。そうした中で自腹を切って慈善活動してたから、これだけ聖ニコラウスが親しまれている。

  3. 副葬品のトナカイの遺骨が発見されないことにはまだなんとも言えないな

  4. カトリック信徒です。
    待降節らしいネタですね。
    ニコラウスの善行については風化されつつあるので、こうやって記事が出ると広まりやすい。

    またクリスマスはプレゼントをもらうことが趣旨のように広まってますが、実際は自分ができる範囲で生活の様々なことを辛抱し、そのお金を献金するという時期でもあります。
    つまり嗜好品やレジャーを減らして、その分をためておいて献金するということ。
    この時期になると教会に馬小屋が設置されますが、同時に献金箱も設けられ、「うまや献金」として、集まったお金は福祉団体等に寄付されます。

    1. ※7
      昔いた野郎だとコレクションにしていた
      腕の骨とかかつての王や英雄のものを見て喜ぶらしいが
      書いている自分ですら意味不明な感情だ

    2. ※7
      中世のあたりだと「神聖盗掠」といって、よその修道院から聖遺物を盗んで自分の所の教会に据えるというのが横行したので、それかもしれない(しかも、「ウチの聖遺物は本物だ!何故なら○○から盗み出したものだからだ!」という主張までする始末)。
      ただ、当然ながらこの手の聖遺物伝承にはパチモンもかなり多いので、本当にここがニコラウスの墓だったかは他の証拠も欲しいかなぁ。

    3. ※7
      聖人の遺体の一部や形見は聖遺物として参拝しに来る巡礼や寄付が増えるので教会の観光資源となるのです。 
      「修道士カドフェル」という中世イングランドを舞台にしたミステリーシリーズでも「聖女の遺骨求む」というタイトルの作品があります。

      1. ※14
        修道士カドフェルシリーズ知ってる人がいて嬉しい!19巻の「聖なる泥棒」が神聖盗掠の話ですよね。
        観光資源としての聖遺物の恩恵が教会だけでなく町全体に及ぶ所は、昔も今も変わらないなー。

    4. ※7
      西暦828年イタリア半島の「ヴェネツィア」では国を作る時「聖マルコ」という福音書を書いた聖人の遺体を当時ビザンチン帝国のアレクサンドリアから奪い取った
      そして守護聖人としてまつられ海の小さな浮島にできた国家はその後なんと1000年も栄えた
      「千年王国」だ……
      1000年以上栄えた国家はこの世界の歴史でヴェネツィアと1900年続くヴァチカンだけだ
      信じようと信じまいとそれは「聖人の遺体」があるからだ
      「聖人」中の「聖人」は1000年の栄光と力を約束する

  5. フィンランド出身と思い込んでたからキリスト教に吸収でもされてたのかと漠然と思ってた恥ずかC

  6. 昔、名の有る偉人や聖人、美女や芸術家が使ってた日常品や遺物や遺骨をコレクションするのが一時はやっていたらしいね
    特に美女や聖人の遺体や遺骨を食べると夢の中や死後に天国で会えると言った迷信も有ったとか…

  7. こっそりか。周りも分かってるなら良いけど、知らずにこっそり置かれてたら住人疑われるよな。渡した人が周知されてるなら問題ないね、うん。

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