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古代エジプトのファラオ、ラムセス2世の名が刻まれた青銅製の剣が見つかる

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(著)

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発見されたラムセス2世の名前入り青銅製の剣  image credit:Egypt’s Ministry of Tourism and Antiquities.
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エジプトで3200年前に軍の兵舎だった遺構が発掘され、古代エジプトの王、ラムセス2世時代の新たな側面をおしえてくれそうな遺物が見つかった。

 出土した遺物の中に、高官が所有していたと思われるラムセス2世の名前が象形文字で刻まれた青銅の剣があったのだ。

 兵舎跡が見つかったのはナイルデルタの北西部で、主要な軍用道路沿いの防衛拠点として機能し、西の砂漠や地中海からの侵略者に対抗するための戦略的な場所だったようだ。

兵舎の発見で、古代エジプト軍の生活が垣間見られる

 兵舎跡からは、古代エジプトの軍事力だけでなく、そこに駐留していた兵士たちの日常生活を物語る遺物がたくさん出てきた。

 兵舎の建物には、穀物を蓄える複数の貯蔵室や大きなかまどがあり、兵士たちの食料をまかなっていた。

 魚を含む動物の骨が入っていたと思われる陶器の残骸や、埋められた牛の骨も見つかっている。

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発掘調査中のテル・アル=アブケインの遺跡 image credit:Egypt’s Ministry of Tourism and Antiquities

 古代エジプトでは、牛は強さと豊かさのシンボルとして崇められることが多かった。

 しかし、この遺跡からはむしろこの神聖な生き物はもっと実用的な目的のために存在していた可能性があることがわかる。

 エジプト観光考古省の考古学者、アフメド・エル・カラドリー氏によると、牛の骨はかまど近くのサイロがある場所で発見されたという。

 これは牛が屠殺され、乾燥され、駐屯兵の食料源として貯蔵されていたことを示している。

戦略家であり大規模な建築事業を手掛けたラムセス2世

 ラムセス大王としても知られるラムセス2世は、エジプト新王国第19王朝のファラオで、在位は紀元前1279~紀元前1213年頃。

 その軍事作戦と大規模建築事業で有名だ。父親であるセティ1世の時代からすでに拡張建設は始まっていたが、ラムセス2世はこれをさらに並外れた高みへと引き上げた。

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テーベのラムセス神殿から発掘されたラムセス2世の像 image credit:British Museum

王であり戦士でもあった

 ラムセス2世は権力を握った瞬間から、記念碑建造物の重みをよく理解していた。

 彼の統治下で、アブシンベル神殿やカルナックの巨大な多柱式建築物などエジプトの象徴的な建物がいくつか建設された。

 これら建造物に鎮座するラムセス2世の巨大な像は、自分は民と神の両方から見られることを望んだファラオだというはっきりしたメッセージを送っている。

 しかし、ラムセス2世は単なる建築家ではなく、戦士でもあった。

 紀元前1274年、統治を始めてからわずか5年後、エジプト軍を率いて史上最大の戦車戦のひとつ「カデシュの戦い」に挑んだ。

 カデシュの戦いとは、紀元前1285年にエジプトとヒッタイトの二大帝国がオリエントの覇権をかけて戦った、記録に残る戦争のことだ。

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カデシュの戦いでのラムセス2世を描いたアブ・シンベル神殿の壁画 image credit:public domain/wikimedia

 だが、こうした軍事や建築の功績があったにも関わらず、ラムセス2世の最大の貢献は自己崇拝という個性だったのかもしれない。

 彼を称える記念碑はエジプトじゅうにあり、その名は多数のオベリスクや神殿の壁に刻みつけられて、長い年月を経てもなお今日まで残っている。

 今回の発見で、この偉大なファラオの名は剣にも刻まれていることがわかったのだ。

発見された兵舎は軍事的に重要な前哨基地

 今回の兵舎跡の発見は、ラムセス2世統治の新たな一面を見せてくれるかもしれない。

 歴史学教授のピーター・ブランド氏によると、この前哨基地は当時の軍事戦略において重要な役割を果たしていたようだ。

 軍用道路に近く、西からエジプトに攻め入ってくる脅威に対抗する軍隊を迅速に配備することができる。

「出土した武器類は、この場所が十分に武装され、現地で武器を生産することまでできた可能性を示しています」ブラント氏は説明する。

青銅製の剣は褒賞として高官に与えられたものと思われ、ここに刻まれたファラオの名前と称号は持ち主の威信を高め、王の富、権力、寛大さを大いに喧伝したことでしょう(ピーター・ブランド氏)

 ラムセス2世の名前入り青銅製の剣だけでなく、象形文字が刻まれたふたつの石灰石の塊も見つかった。

 ひとつにはやはりファラオの名が刻まれていて、もうひとつはラムセス2世の後継者であるセティ2世の治世に台頭してきた興味深い人物「ベイ」という役人の名に言及している。

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兵舎の遺構から発見された象形文字が刻まれたふたつの石灰石の塊 image credit:Egyptian Ministry of Tourism and Antiquities

古代エジプトの軍事力

 ラムセス2世の時代は、とくにリビア人集団のような外部の脅威が増大していた。このような兵舎跡の発見は、エジプト人が西からの脅威から国境を守ろうとしたという史実と一致している。

 砦のような建造物や武器類の存在は、エジプトが戦略的国境を守ることができる強力な軍隊をもっていたことを示している。

 この地域にはほかにもラムセス2世が造った砦が発見されているが、今回見つかった兵舎がもっとも保存状態がいい。

 兵舎の状態や内部から見つかった遺物は、エジプト軍がこの重大な時期にいかに補給を受け、組織されていたかを研究するまたとない機会を与えてくれる。

 調査は継続して行われていて、エジプト軍の活動についてもっと詳しいことがわかるのではないかと期待されている。

 発見物は古代地中海世界での勢力バランスについての貴重な知見をもたらしてくれるかもしれない。

 保存状態のいい遺構は、歴史というものは水面下に隠れているもので、現代に生きる私たちに発掘されるのを待っているのだということを思い出させてくれる。

References: Bronze Sword Bearing Ramesses II’s Name Discovered in Ancient Egyptian 3,200-Year-Old Barracks

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この記事へのコメント 7件

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  1. ラムセス2世の墓はツタンカーメンの数百倍以上で
    大エジプト博物館が数軒以上必要とするすげえ品物に
    なったのに全部盗掘され金銀財宝は現在延べ棒になる
    いつの時代も貴重な文化は人の手で壊されるし
    たまらねえな

    • +9
  2. 後期青銅器時代の最盛期であり最末期に近い時代だよね

    この時代、オリエントおよび東地中海地域は高度な経済的・文化的ネットワークによって結びつけられたグローバル社会として大いに発展を遂げ、大小さまざまな国の国王や高官、商人たちが交わした文書が大量に残されている。各国は軍事的衝突も交えながら、しかし相互に依存する経済体制のなかで自国の繁栄を謳歌していた様子は、現代社会の先駆けと言ってもいい

    そしてこの高度な青銅器文明はわずか半世紀も経たない間に一斉崩壊を迎え、長すぎる衰亡と停滞の時期を経て鉄器時代を迎えることになった

    • +6
  3. よくあるピラミッド労働者がホワイトだの二日酔いで休めただの言う話は
    実際はこのラムセス2世の時代の石板に記録されたもの
    現在これを所蔵する大英博物館ではピラミッドに絡めた説明は一切書かれていないが
    日本では古代エジプト=ピラミッドという短絡的な発想で誤情報が広まっている

    • +3
  4. さすが乾燥地帯、青銅がこの状態で残ってるのはすごい

    • +5
    1. 紀元前12世紀頃?
      当時からすでにエジプトは乾燥地帯だったのかな

      • +1

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