
ラムセス2世(紀元前1303年頃 - 紀元前1213年頃)は、古代エジプトの第19王朝のファラオで、約70年間にわたって統治し、エジプト史上最大の王と呼ばれている。
羊の頭部は彼の時代から1000年が経過してから神殿に捧げられている。これはラムセス2世が死んでから1000年たっても彼が崇拝されていたことを示すものとして、考古学者たちを驚かせている。
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ラムセス2世の神殿から発見された2000個もの羊の頭部のミイラ
ニューヨーク大学古代世界研究所の発掘チームによって、おびただしい数のオスの羊の頭部が発見されたのは、ナイル川の西岸にあるエジプト最古の街の1つ「アビドス」だ。カイロから430キロ南にあるアビドスは、エジプト神話の冥界の神「オシリス」復活の地としても知られており、エジプト新王国の最盛期を統治したセティ1世やラムセス2世の遺跡が残されている。
約2000点の雄羊の頭蓋骨は、ラムセス2世の神殿の北側にある貯蔵庫だった場所で、パピルス・革製品・彫像といった遺物と一緒に砂に埋もれた状態で発見された。

羊のミイラはラムセス2世に捧げられた供物
羊の頭蓋骨はミイラ化されていたが、長い年月が経ってしまったため、包みがはがれて頭蓋骨がむき出しの状態になっているものもあったという。これらの羊のミイラの頭は、明らかにプトロマイオス朝時代(紀元前323〜前30年)にラムセスの神殿に捧げられたものだという。

千年の時を経ても崇拝され続けたエジプト史上最大の王
ラムセス2世は、紀元前1213年に亡くなるまでの約66年間、エジプト新王国代第19王朝を支配していたエジプト史上最大の王と言われているファラオだ。ラムセス2世は、紀元前1279年頃にファラオに即位。エジプトの勢力を拡大するために、ヒッタイト帝国や他の国々と戦った。
カデシュの戦いの後、ラムセス2世はヒッタイトと平和条約を結んだ。これは世界初の平和条約と言われている。また、エジプト各地に神殿や記念碑を建設していった。
その神殿への供物は、彼の死後1000年が経ってもなお、崇拝されていたことを示しているという。

重要なのは、それが何年もかけて少しずつ捨てられたわけではなく、一度に大量に持ち込まれたということだ。
理由は不明だが、古代エジプト人はどこか別の場所からわざわざ神聖な神殿に運んできて置いたのである。
「彼らが行き着いたのは、ほかでもないこの神殿だったわけです。つまり重要なのは、理由があって運ばれてきたということです。砂漠に捨てたのではなく、神殿という神聖な領域に運んだのです」と、発掘チームの責任者サメハ・イスカンデル氏は説明する。

巨大な建造物や古代の鐘なども発見される
この発掘調査ではさらに、古代エジプト第6王朝時代(紀元前2345〜前2181年頃)にさかのぼる、厚さ約5メートルの壁を持つ泥レンガでできた大きな建造物も見つかっている。イスカンデル氏が「アビドスの景観の概念を変えるような大きな構造物」と評するこの壁が何なのかよくわかっていないが、高さは少なくとも9メートルあったと考えられている。
もしかしたら、これまで知られていなかった古代のアビドスの壁だった可能性もあるとのことだ。

さらに犬、ヤギ、牛、ガゼルといった動物のミイラや、小さな青銅の鐘も見つかっている。
鐘には舌(ぜつ。内部にぶら下がっている音を出すための部品)がまだ残っており、古代と同じ音を響かせてくれたそうだ。イスカンダル氏によると、おそらく群れの目印として使われたものだという。

いまだ謎に包まれた遺跡、発掘調査はまだまだ続く
2000個というおびただしい数の羊の頭部が発見された今回の発掘調査だが、とにかくわからないことだらけだという。「わからないとしか言えないのは癪ですが、これが考古学というものです」と、イスカンデル氏。まだまだ研究すべきことはたくさんあり、いずれは次の世代の研究者に委ねる必要もあるだろうとのことだ。
「毎年たくさんの発見があり満足ですが、新しい発見と一緒に大量の疑問というお土産つきで帰ってきていますよ」
References:Thousands of Mummified Ram Heads Revealed in Ancient Egyptian Temple : ScienceAlert / Over 2,000 ram skulls discovered in Egypt's temple of Ramses II, a new mystery for archaeologists - CBS News / written by hiroching / edited by / parumo
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コメント
1. 匿名処理班
1000年後にも羊のミイラを作る公共事業として価値のある王ってすごい
2. 匿名処理班
カデシュの戦いはヒッタイトは俺らが善戦し勝ったと記載し
エジプトも同じように善戦し勝ったんだと書かれてるし
両国負けず嫌いでいつの時代も変わらんなと笑える
3. 匿名処理班
胴体はどうしたんだろう?みんなで美味しく食べたのかな?
4. 匿名処理班
日本史に弱いのかな?
日本でも1000年以上崇拝され、現在でも供物を捧げられてる人がいっぱいいるだろうに
5. 匿名処理班
>>4
ごめん詳しくないから教えて?現代で羊2000頭規模で供物を捧げられる1000年前の日本人って具体的に言うと誰?
畜産業の発達した現代と紀元前における羊の価値って大分違うような気がするけど
6. 匿名処理班
ラムセス2世没後千年紀に偉大なファラオが復活して再び全エジプトを支配するだろうという伝説があった。時のファラオはそれを恐れて蘇った亡者が数え疲れて眠ってしまうほど大量の羊を用意させ生贄として祭ったのである。-民明書房刊・古代エジプト七不思議より抜粋-
7. 匿名処理班
昔、ラムセス2世というタバコを吸ってたことがある
今もあるんだろうか
8. 匿名処理班
ラム・セスだから羊?
9. 匿名処理班
>>5
菅原道真など
神社に行けばいっぱいいるだろ
賽銭は供物だよ
10. 匿名処理班
>>5
1200年以上(先の大戦中も欠かさず)朝夕2回の
食事が捧げられてる、弘法大師空海さんとか?
11. 匿名処理班
こういう言ってしまうと悪いけど根拠が余り無い、供物とかの生贄の種類や数って、どうやって決めたんだろう、前例主義かな。
12. 匿名処理班
ピラミッドを造った土方たちの食べ残しでしょ。
13. 匿名処理班
多分、エジプトに参勤交代してきたエチオピアなどのアフリカ諸国が貢物として連れてきた家畜のヤギをエジプト人が肉は食べて頭はまとめて埋葬したんじゃないかな?アフリカでは昔から家畜は財産で通貨のように扱われてきたものと思われる。そのため大量のヤギを常に飼っていたんじゃないかな?
14. 匿名処理班
>>9
日々のお賽銭程度の供物とかそれこそ古代エジプトの神殿じゃ当たり前なんじゃ...?
この記事の要点って今程物資も豊かでない紀元前に1人の王の為に一度に大規模な祭儀が執り行われた事だと思うんだけど
そこらの神社と一緒と思われているなら世界中の学者があそこまで熱心になって研究しないと思うよ卑弥呼より遥かに古い時代の事を日本基準で語るのはナンセンス
15. 匿名処理班
エジプトの中央駅がラムセス駅だし3300年たってもそうなんだから死後1000年とかそりゃ崇拝されてる
日本の縄文時代の人の名前が現代の首都の駅名になってるみたいなもん
16. 匿名処理班
>>4
そりゃいるよ。古代エジプトにおいて死後1000年間も崇拝されてる程に偉大な王に学者達が驚いてるわけであってだな、極東の偉人と比較してどうすんねん。日本の方が凄いんだって張り合ってるのか?
17. 匿名処理班
>>11
「供物の価値」でしょ…って思ったけど記事の「雄羊」って所に微妙な妥協点が見えてちょっと笑てしまった
それでも継続的に毛を刈れる=資産価値のある羊1,000頭を供物としてささげたのだから凄いっちゃ凄い
18. 匿名処理班
エジプトって未だにこういう大規模な発見があったりピラミッドの空間もだけど、本当にいつまでもワクワクする
19. 匿名処理班
イスカンダルにドキがムネムネしたけど、アレキサンダーのことなのね
20. 匿名処理班
>>14
大山陵古墳、誉田御廟山古墳とかは?
21. 匿名処理班
>>8
評価したいw
22. 匿名処理班
>>20
ラムセス大王に関する遺物だからこれだけニュースになってるんであって日本の古墳あげられてもだから何?としかならないわけよ
世界遺産という概念を作るきっかけとなったアブシンベル神殿はじめ世界に誇る遺跡や遺物を沢山遺したレジェンドが幾度も王朝の移り変わった遥か後代の外国人王朝でも敬意を払われてるから盛り上がってるんであって
ついでにこの王朝作ったのがアレキサンダー大王の腹心だったプトレマイオスだから壮大な歴史ロマンだねーってなってるの
そもそも古代における国の規模もネームバリューも違い過ぎて比べる意味ないけど無理矢理日本で例えるならGHQが古代の天皇に数千も捧げ物用意したりそれが二千年後も残ったりするか?って話
23. 匿名処理班
>>22
文明の交差路と文明の終着地を同列に語られましても。
それこそ、単一民族化で、歴史遺物(他民族の遺構)ではなく信仰の対象として神聖化したから諸外国からの干渉もなく保存されているんでしょう?
24. 匿名処理班
>>23
つまり時代、環境、知名度その他何もかも違うのだから日本と同列に語れない古代エジプトの記事にやって来て
何故か急に日本史云々言い出した日本史に強いニキがひたすらに場違いなだけでそれに続くコメント達にも大した意味はないってコト!?