この画像を大きなサイズで見る古代ローマ帝国において、脱税は「死刑」に処されるほどの重罪だった。
トルコ西部の遺跡で新たに発見された1600年前の石板には、10年以上も税金を横領していた役人たちへの見せしめとして、「脱税をした場合には死刑」と厳格な罰則が刻まれていたのだ。
ポーランドのワルシャワ大学などの研究チームによると、皇族の領地を巻き込む汚職が、皇帝への反逆とみなされたためだという。
参考文献:
- Afera podatkowa sprzed 1500 lat. Co nowe fragmenty inskrypcji mówią o korupcji w cesarstwie rzymskim? - Serwis Naukowy UW
1600年前の石板に刻まれた古代ローマの脱税事件
ローマ帝国は、現在のイタリアにあるローマという都市から始まり、地中海全域やヨーロッパ、中東、北アフリカまでを支配した古代の巨大国家だ。
紀元前27年に帝政政治が始まり、西暦395年の東西分裂を経て、東ローマが1453年に滅亡するまで続いた。
アナトリア(現トルコ西部)のストラトニケイアという古代ローマ都市の遺跡で、2024年、考古学者たちが石板の新たな断片を発見した。
当初は地元の有力者の墓に置かれた詩だと思われていた。
だがワルシャワ大学などの研究チームが過去に発見されていた別の石板とつなぎ合わせたところ、西暦480年に定められた厳格な規定の欠落部分であることがわかった。
石板にはローマ帝国の広範囲にわたる脱税事件と、今後適用される厳しい処罰が記されていた。
この画像を大きなサイズで見る領収書を偽造して差額を着服し続けた徴税官
この石板に記録されていたのは、西ローマ皇帝ウァレンティニアヌス3世の娘であるプラキディアの領地で起きた横領事件のことだ。
当時のストラトニケイアに派遣された徴税官たちは、住民から税金を徴収する際、金額や単位を書き込まない領収書を渡し、ローマ帝国首都のコンスタンティノープルには実際の徴収額よりも低い金額を報告した。
役人たちは余ったお金を自分たちの懐に入れていたのだ。
西暦465年頃に最初の苦情がローマの中央政府に届いたものの、役人たちは忠告を無視し続けた。
住民を騙すこの悪質な手口は10年以上も隠蔽されてきたのだ。
この画像を大きなサイズで見る皇族の領地での汚職は皇帝への反逆として死刑に
事態を重く見た近衛長官(高位の役人)フラウィウス・イルス・プサエウス・ディオニシウスは西暦480年に強硬な対応に出た。
長官は特使を派遣し、3ヶ月以内にこの問題を解決できなければ特使自身の財産を没収すると脅した。
さらに脱税を働いた徴税官たちに対しては死刑を宣告したのだ。
歴史学者のパヴェウ・ノヴァコフスキ博士によると、ローマ帝国が4世紀から6世紀にかけて出した税に関する法令は少なくとも11件ある。
しかし死刑を定めたものは他に存在せず、通常は多額の罰金で済まされていた。
なぜこれほど重い罰が下されたのか。
被害に遭ったのが皇帝の娘の領地であったため、横領が皇帝の権威に対する反逆や侮辱とみなされたからだと博士は指摘している。
この法令が石板に刻まれ公開されていることから、死刑の脅しは実際に効果を発揮したと考えられている。
法令の文章を自分たちで書き換えていた石工たち
この石板の研究は当時の職人たちの仕事ぶりも明らかにしている。
古代ローマでは重要な法令を石に刻んで公共の場に設置する習慣があった。
この画像を大きなサイズで見る研究チームが複数の都市で発見された同じ法令の石板を比較したところ、刻まれた文章に少しずつ違いがあることがわかった。
当時の石工たちは単に文字をそのまま写すだけの機械的な作業をしていたわけではない。
地域や職人の判断によって言葉の順番を入れ替えたり、文章の一部を別の表現に置き換えたりしていたのだ。
現在の法律文書は一言一句変えずに公開されるのが常識だ。 だが当時の法律は地域ごとに独自の裁量で柔軟に記録されていたのである。
References: In ancient Rome, tax fraud was punishable by death | Popular Science















