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この画像を大きなサイズで見る1900年代初頭、イギリスの田舎に暮らす女性が、かごと棒を手に森を歩き回り、地面から突き出た男性器そっくりのキノコを探し回っていた。
見つけると掘り出し、家に持ち帰り、誰にも見られないうちに燃やすことに情熱を注いでいたこの女性の名はヘンリエッタという。
進化論を唱えた、偉大な博物学者チャールズ・ダーウィンの実の娘である。
父の重要な著作の編集を手伝う知的な女性な一面を持つ反面、いちもつライクなキノコを焼き払うことを趣味としていたのだ。
参考文献:
- Henrietta Emma Darwin | Darwin Correspondence Project
森でキノコ狩り、目的は男性器そっくりなスッポンタケ
ヘンリエッタが探していたキノコは、スッポンタケ(英名 stinkhorn)である。
細長い柄の先が丸みを帯び、形状は男性器そっくり。表面は粘液に覆われ、動物の死骸のような強烈な臭いを放つ。
ヘンリエッタはスッポンタケを見つけては掘り出し、かごに入れて家に持ち帰り、誰にも見られないようこっそり焼却していた。
この話はヘンリエッタの姪にあたるグウェン・ラヴェラの回顧録『Period Piece: A Cambridge Childhood』の中に書かれたものである。
この画像を大きなサイズで見る息子スティックキノコを焼き払う理由
当時幼かったラヴェラは、「ヘンリエッタおばさんはなんでこのキノコを焼くの?」と尋ねたところ、「卑猥なキノコを診たら、家で働く若いメイドたちの道徳心が乱れ、健康まで損なわれてしまうので、見つけ次第処分するの」と答えたという。
当時のイギリスでは避妊手段がなく、未婚の女性にとって予期せぬ妊娠は生活の破綻を意味した。
上流階級の家庭は使用人を病気からも性的な堕落からも守る責任があると考えられており、ヘンリエッタの言い分には納得できる理由があった。
だが、理由を口にするときのヘンリエッタは、決まって目をいたずらっぽく輝かせていたという。
実はメイドの道徳心を守るという説明は表向きの口実にすぎなかったようだ。
ラヴェラは著書の中で、伯母がキノコ狩りをほとんど趣味のためにやっていたと書いている。
当時60歳の叔母は、鼻をひくつかせ、目をキラキラさせながら、森を歩き回っては獲物を見つけると、飛びかからんばかりに掘り起こしていたという。
この画像を大きなサイズで見るスッポンタケの学名は「恥知らずの男根」
ヘンリエッタが追い回したスッポンタケには、Phallus impudicus という学名がついている。
ラテン語で「恥知らずの男根」を意味する。名づけたのは生物の分類体系を築いたスウェーデンの博物学者カール・リンネで、1753年のことだった。
男性器のような姿ゆえに、スッポンタケは古くから性的なイメージと結びつけられてきた。
ヨーロッパや北アメリカでは、豊穣や生殖力を高める媚薬とみなす地域がある一方、性的な堕落や悪魔、病気の象徴として恐れる地域もあった。
卑猥で不気味な言い伝えは植物学の書物にも載っており、ヘンリエッタも一連の話を知っていたはずだ。
この画像を大きなサイズで見る父ダーウィンを支えた優秀な才女でもあった
息子スティックそっくりのスッポンタケを狩り、引っこ抜いて焼き払うという、ちょっと変わった趣味を持っていたヘンリエッタだが、天才にありがちな奇妙な一面なのかもしれない。
実際のヘンリエッタは優れた知能を持ち、チャールズ・ダーウィンの研究と著作を陰で支えた人物でもあった。
ダーウィンは1839年、いとこにあたるエマ・ウェッジウッドと結婚した。
エマは生涯にわたるただ1人の伴侶で、夫妻のあいだには男子6人、女子4人の合わせて10人の子どもが生まれた。
ダーウィンとエマ・ウェッジウッドの子ども10人(生まれた順)
- ウィリアム・エラズマス(男)1839年
- アニー(女)1841年 ※10歳で病没
- メアリー(女)1842年 ※生後まもなく死亡
- ヘンリエッタ(女)1843年
- ジョージ(男)1845年 ※のちに天文学者
- エリザベス(女)1847年
- フランシス(男)1848年 ※植物学者、父の研究を助けた
- レナード(男)1850年
- ホーレス(男)1851年 ※技術者
- チャールズ・ワーリング(男)1856年 ※幼くして死亡
ヘンリエッタ・ダーウィンは1843年、イングランド南部のケント州ダウンで三女として誕生した。
兄弟たちのような正式な学校教育こそ受けなかったものの、科学的な議論と知的好奇心に満ちた家庭で育った。
この画像を大きなサイズで見る20代後半になると、ヘンリエッタは父の原稿を読み込んでは文章や構成を修正するようになる。
とりわけ大きく貢献した著作が、ダーウィンが進化論を人類そのものに適用した『人間の由来』(1871年刊)だった。
ダーウィンは1870年、ヘンリエッタにこう書き送っている。
お前は本当に役立ってくれた、なんと熱心に取り組み、私の原稿を完璧に理解してくれたことか
1871年に同書が出版された後にも、ダーウィンはヘンリエッタへこう伝えた。
明快で力強い文体だと書評家に褒められたが、その文体は自分ひとりの力ではなく、ヘンリエッタの編集のおかげだと今になってよくわかった
ダーウィンは感謝のしるしに、ヘンリエッタに20〜30ポンド相当の贈り物を贈った。現在の価値にして20万円を超える金額だった。
ヘンリエッタはその後も、『チャールズ・ダーウィン自伝』の一部に携わり、母エマの手紙をまとめた書簡集を編纂した。
若い女性たちと親しく交わって科学の知識を分かち合い、なかには『種の起源』の草稿を一枚譲り受けた女性もいたという。
1871年、ヘンリエッタはリチャード・バックリー・リッチフィールドと結婚し、以後リッチフィールド姓を名乗った。
この画像を大きなサイズで見る夫婦に子どもはなく、晩年もダーウィン家の記録を後世へ残す仕事を続け、1927年に84歳でこの世を去った。
偉大なダーウィンの名著の陰には、独特の趣味を持つ聡明な娘の存在があったのだ。
References: Charles Darwin’s daughter had an unusual hobby: Hunting phallic mushrooms | Popular Science
















スッポンタケが俺って見ただけで妊娠させる
能力も魔力もねえよと嘆くぞ
下ネタで盛り上がるのは万国共通
同じくらい嫌がる人もいるんだよなぁ
未婚のお嬢さんは本物のスティックを見たことないから
キノコ見てもなんとも思わないと思うんだが…
やっぱりただの趣味だな
>未婚のお嬢さんは本物のスティックを見たことない
いくらなんでも「未婚のお嬢さん」にヘンな夢を持ちすぎだよ…
女性向けのエロ本みたいなもんは当時からあったし、田舎や中流~下層階級では婚前交渉もわりとありふれてた。上流階級ですら未婚なのに経験あることが判明して婚約が破談に、ってスキャンダルが珍しくなかったぐらいで。
ヴィクトリア朝が保守的な社会だったことを加味しても、見ても何かわからないレベルは相当うぶで奥手な女性だけだったと思うぞ。
> 当時60歳の叔母は、鼻をひくつかせ、目をキラキラさせながら、森を歩き回っては獲物を見つけると、飛びかからんばかりに掘り起こしていたという。
おいおばさんそれはザイーガでやれ…(´・ω・`)
🎸 ちょっと、奥さん! 何を想像してまんねんやぁ~♬
なんかかわヨ
🔥🍄🔥<アツゥイ!
きのこ狩りは、淑女が嗜む自然相手の宝探しなのですね
で、冒頭にこの記事は広告を使ってるってありますね。
息子スティック広告の存在を私は最後まで信じてました!
イギリスって椅子(の脚)すら卑猥みたいな時代なかったっけ?
その時期と被ってたらヘンリエッタさん特有の趣味でもなかったかも
19世紀の後半。今日、当時の女王の名をとってヴィクトリア時代と呼ばれている時期です。
宗教改革、三十年戦争から始まる西欧リベラリズムの流れが啓蒙主義、アメリカの独立とボルテージを高めていった挙句、犠牲者1千万とも言われるフランス革命、ナポレオン戦争という大惨事となった結果、文化も含めて、西欧全体が保守化していた時代です。
特にイギリスは、王宮で略奪を欲しいままとしたフランスの民衆や、下層から踊り出て、西欧全体を引っ掻き廻す独裁者になったナポレオンの矢面に立ち、
北米権益の過半を持ち去られたアメリカの独立を後面に持った上、
内部にまで、工業化と資本主義によって極大化した不平等を覆す、マルクス主義。更には、ユダヤ、アイルランドなどの被支配民族の不満までもを抱えて、その総てに蓋をしようと、モラルと愛国心、信仰に凝り固まりました。
「赤ちゃんはコウノトリがー」
と建前が語られたのです。
け、健康的ですね
安産スッポンタケ
顔つきが似てる、彼の子孫は学者が多い
玄孫のサラはガラパゴスで研究生活をしてるとか
スッポンタケ、ここでよく話題になるけどリンネの命名かー
まあ目立つし、昔から知られた茸だったんだろう
さて焼くというのは趣味なんだろうね
性的なものに潔癖か、あるいは男性器をいたぶることに快楽を得るタイプか
まあ実害はないのでよしと
別に良いんじゃない
燃やすしかないよ。この森はもう(色々と)ダメじゃ。
そう言われるとあの粘液が違うものに見えてくるな
旦那さんの息子スティックスッポンタケの無事が気になって仕方ない
食レポ見ると食用にできなくはないが粘液を洗い流すのが臭いし手間がかかるわりにたいした味でもなさそうなキノコだった
焼いていたのは普通に捨てると臭かったからでは…
タイトルからは窺えないダーウィンの娘が父の仕事に貢献したという話がとてもよかった
彼女が男性だったら学者になっていたかもな
性癖だろ
私なら、証拠隠滅を疑いますな。
暖炉の前、事に及んでいたヘンリエッタ。
ノックを忘れたメイド。
単純明快。
何も推理小説のような、複雑に絡んだ糸を一つ一つ紐解いていく様なものではない。
ここの同胞諸君は、すぐ下に持っていこうとする悪い癖がある。
まあ諸君らの性癖を熟知している私としては見ぬ振りもできたわけだが。
諸君らの妄想は大方こんな感じでしょうな。
キノコ狩りに出掛けたヘンリエッタ。
群生するスッポンタケ。
一際目立つ黒光りしたキノコ。
地中から男根だけ突き出して獲物を待つ老いた使用人。
気付かぬ振りで何度も抜こうとしてヌイたヘンリエッタ。
翌日亡くなる使用人。
悶々とするヘンリエッタ。
スッポン生活開始。
スッポン精力モリモリの由来。
シャーロックホームズの中の一作品、
「這う男」
は、世に出たバージョンでは折り目正しき老紳士の生物学者が、己の老いに抗うべく架空の猿から抽出した血清を自分に注射した所、夜毎、猿の様に壁を這う奇行を繰り返すという、トンデモ話。
しかし作者、ドイルによる最初の構想では、老紳士が息子の嫁に恋慕し、性欲を募らせ、しかし、ついてこれない肉体を補う為、学者として赴任していたインドで見知った回春剤を手に入れたものの、不十分な知見であった為中毒に陥るという物であったそうだ。
そして、峻厳な父の本性を知らぬ息子夫妻は原因を測りかね、名探偵の元を訪れると。
この形での出版を許さなかったのが、ヴィクトリア時代のモラル。
しかし、実際の所、不倫にアル中、薬物、変態や暴力行為への耽溺者が王宮、貴族にまでも頻出し、学府は男色と薬物に沈んでいた時代。
かのヘンリエッタの「情熱」などは、些細な物と言えましょう。
何言ってんのこいつ
単に汚らわしいとかならわざわざ見つけに行かないはず。焼くことで何か精神的勝利感を味わっていたんですかね。
本当に、旦那さんの息子スティックが心配。
なんか黒歴史を開示されてしまったようで可哀そうなんだが・・(´・ω・`)
ずいぶんお盛んな娘さんっすね…w
「種の起源」はタマタマの方にあるのになw
ハト見たら追いかけ回す元カノ思い出した
ドキドキわくわくなタイトルで掴みはバッチリ、あれよあれよとダーウィンの功績の縁の下の力持ちたる娘さんの活躍の大筋を知る運びとなった
なんて上手な記事なのかしら!
キャァ~~~~!!
日本人「で、食えるのかね」
秘術的な意図で刈り取ってた感じが有るな、ダブルの秘術的な意味で
イタズラな目線とは何を指したのやら
ちょっと盛ってる気がするな
私もカラパイアでたくさんの息子スティック風のものを見てきたけど、そういう記事見ても口の端でニヤッとするぐらいだよ
パルモさんだってだいたいは冷静じゃん
ヘンリエッタさんも知的な女性ということだし、まぁ本人か書き手の冗談かなと
校正・校閲の名手と語られる方はおられますがそれらも感じさせる楽しいこだわりと集中
文献や大著にまとめたならばフィールドワークからの知見と理論はいかほどの貢献を人類に遺したことであろうか(のこさない)
スッポンタケ検定であれば名誉級?
もっと似ている タケリタケと言うのがあって…
元カレだなきっと。
ヘンリエッタ夫婦に結局子供がいないってのはちょっと悲しいな
なんか精神的な重圧を深読みしちゃう
ご立派な見た目の個体を人為的に淘汰していくことによって清楚で慎ましやかな模範的キノコへの進化を促し、スッポンタケに着せられた汚名を濯ぐ実験だった…?
これは「燃やしていた」ではなく、Gの証拠隠滅か、あるいは「焼いて食べていた」のかもしれんね。
そういう用途だったとしても丘しかないし。精力剤として認知されてたのなら普通に食べるでしょ。
別の記事によると中国では食用にもなるらしいので焼いて食べてた説も微レ存?
エノキダケの集合体を見ると
ぞわぞわするのはなぜなの。
今年のマツタケ、
沢山取れるといいのにな
って(ここ最近の天候踏まえ)思った
それが少子化対策にならないのは分かってるけど(倒置法)