この画像を大きなサイズで見るこれまで、東日本と西日本の縄文人は別々の場所からやってきたという説が有力だったが、東京大学の最新研究がその定説を塗り替えた。縄文人の起源は共通だった可能性が高いのだ。
日本列島に到着した共通の祖先集団が、国内で東西に分かれて暮らすうちに、それぞれの地域で遺伝子のタイプが変化したことが明らかになった。
東と西で縄文人が使用する道具が違うのは「別々のグループが渡来したから」だと考えられてきたが、実は日本の中で独自の文化や遺伝的分化を遂げていたという。
この査読済みの研究成果は『Anthropological Science』誌(2026年)に掲載された。
最新のDNA解析で縄文人のルーツを探る
東京大学大学院理学系研究科の太田博樹教授や吉田光希大学院生らによる研究グループは、大規模な縄文人のDNA解析を行った。
これまで、東日本と西日本の縄文人で遺伝的な特徴が大きく異なるのは、アジア大陸の異なる地域から別々のグループが渡来したためだと考えられてきた。
しかし、千葉県市原市の遺跡から見つかった人骨など、縄文人の40個体分のミトコンドリアDNA(母親から子に受け継がれる遺伝情報)を詳しく調べたところ、彼らは日本列島へ到達した段階で、すでに共通の遺伝的特徴を持つひとつの母体集団であったことが示唆された。
この画像を大きなサイズで見るこれまでの考古学では、東日本と西日本で出土する土器や道具の形が違うことから、別々のルートで日本列島にやってきた複数の集団がそれぞれの文化を築いたという複数移住説が有力だった。
しかし今回の研究により、新たなシナリオが浮かび上がった。
縄文人の祖先は約2万5000年前の旧石器時代に共通の集団として日本列島へ到達。その後、長い年月をかけて国内で東と西のグループに分かれていく中で、約1万6000年前から独自の縄文文化を形成していった可能性が高いことが示されたのだ。
この発見は、日本列島における人類の歴史を根本から見直す重要な成果となる。
この画像を大きなサイズで見る今回の研究では、古代人のmtDNA全塩基配列が初めて包括的に解析された。Image credit:東京大学
なぜ東と西で遺伝子が違うのか?日本国内で起きた独自の変化
共通の祖先から分かれたはずの縄文人が、なぜ地域によって異なる遺伝子タイプを持つのか。
研究グループは、DNAの変異から過去の人口動態を推定する統計手法を用い、その謎に迫った。
縄文人の代表的な遺伝子系統には、東日本に多い「N9b」と西日本に多い「M7a」がある。
これまでは、この2つは別々の場所から持ち込まれたと考えられてきた。
しかし今回のシミュレーションにより、たとえ共通の集団から始まっても、東西に分かれて交流が制限されれば、現在のような頻度の差が生まれることが数学的に示された。
これは「遺伝的浮動(いでんてきふどう)」と呼ばれる現象によるものだ。
人数の少ない集団が隔離されて暮らすと、世代を重ねる中で「どのタイプが次世代に受け継がれるか」という偶然の偏りが積み重なり、特定の遺伝的特徴が定着しやすくなる。
つまり、外から別の集団がやってきたのではなく、日本列島に定着した共通の祖先集団が東西に分かれたあと、それぞれの地で「偶然による別々の変化」を遂げた結果、東はN9b、西はM7aという地域差が生まれたと考えられる。
この画像を大きなサイズで見る東日本では1万年前に縄文人の人口が急激に増加
さらに研究では、縄文人の人口がいつ、どこで増えたのかも明らかになった。
DNAの解析結果を時系列で追うと、今から約1万3000年前から8000年前にかけて、縄文人の人口が顕著に増加していたことが判明した。
特にこの人口増加は、西日本よりも東日本で顕著だった。これは、当時の日本列島の環境差が大きく影響している。
縄文時代の東日本は、豊かな森林が広がり、ドングリなどの木の実や動物たちが豊富だった。
また、サケやマスといった魚介類も早い段階から利用されており、食料資源が非常に安定していた。
この環境が東日本の縄文人の生活を支え、急速な人口拡大をもたらしたと考えられる。
一方で、当時の西日本は東日本ほど天然の食料資源が豊かではなかったため、人口の増え方は緩やかだった。
この人数の増え方の違いが、それぞれの地域で異なる遺伝的特徴を定着させる大きな要因となった。
この画像を大きなサイズで見るひとつの集団が分かれ、独自の文化を形成
今回の発見により日本列島に住んでいた縄文人は、もともと共通の集団だったことがDNAのデータから証明された。
東日本で人口が急増したという解析結果は、その地域の遺跡や土器が圧倒的に多いという考古学的な事実を裏付ける強力な証拠となった。
遺伝子のデータと地面に残された遺跡の証拠がひとつに繋がったことで、「同じルーツを持つ人々が、日本の多様な自然の中で別々の道を歩み、地域ごとの個性を育んだ」という縄文時代の多様性がまた1つ、明らかになった。
研究チームは今後、過去の気候や生態系のデータも組み合わせて、さらに詳しく調査を進める予定だ。
我々の祖先がどのように日本列島に適応し、豊かな文化を築き上げたのか。新たな事実の発見で常に歴史は覆されていく。
今後はどんな発見があるのか、楽しみにその報告を待ちたい。
【追記】(2026年2月25日)
論文の主旨に基づき、東日本と西日本の縄文人のルーツについて「単一」から「共通の起源」という表現に改め、日本列島への到達後に国内で遺伝的分化が起きたという論理構成をより明確にしました。
また、遺伝的浮動の仕組みについても「東西への枝分かれ」であることが伝わるよう記述を整理・修正しました。
References: Jstage.jst.go.jp / U-tokyo.ac.jp / Labrujulaverde
















👴「ワシは粉もん人じゃ」
市原の西広辺りだと今の国分寺台が高台で周囲は養老川の氾濫原。すぐ北は海だから漁撈民だったんだろうね。
それでどこから来たの?と思うけど、やっぱ南方ルート説なのかな
東西で水質が違うのとかと関係あるんだろうか?
日本が山がちなせいで言葉(方言)もめちゃくちゃ多様だったわけだけど、文化どころか遺伝子レベルで変わるほど!?
論理的におかしい
北から来たN9bから西日本でM7aが発生したのなら、東日本のN9bもM7aに変化していなければならない
別れた後で進化しただけでは
よくわからない。すべてが同じように変化しないといけないならば、
地球上の生命は一種しかないはずなんだけど…
日本人にしか居ない遺伝子とかもあるし進化したのかも。
ご自身の学の不足を認めるか論理を認めるかは確かに難しい問題ですね
「一方の遺伝子がある変化をしたら、同じルーツのもう一方も同様に変化しなければならない」
という考えだろうか?
あまり論理的な考え方とは思えないのだが・・・
みんな縄文人好きだけど、弥生や古墳奈良時代にかけて入ってきた渡来人の数がやたら多かったみたいでそっちの方がメインなのかと思う
そっちの流れも知りたい(特に流入量)
沖縄とかは縄文系が濃いんだろうけど
言うほど多くないと思うよ
渡来人が多いなら文字も文化も渡来系が支配的になるが
逆に日本独自の方向に進んでいたし
むしろ大陸へ行ってまで積極的に文化の導入をしていた
奈良時代にもなるとペルシャ人すら来て役人に採用されてたようだから
渡来して来る民族は多用だったろうけど
ゲノム解析だと、むしろ現代日本人ってほとんど渡来系の遺伝子じゃなかった?
縄文系の遺伝要素は1割強(地域差があって、沖縄、鹿児島などの南西九州、東北地方、あと山陰は比較的高め。逆に、畿内や四国・山陽、意外と北陸も低め)、
残りは、2割弱が満州やシベリア方面由来、7割は漢民族と共通項の多い大陸系の東アジア遺伝子。
縄文時代は100%縄文系のゲノムなのが、
弥生時代に北方アジア系が半量に迫る勢いで増えて、
さらに古墳時代に一気に大陸東アジア系がメインシェアを塗り替えて席巻、
だいたいその比率に近いまま(東アジア系が微増・縄文系と北方アジア系が微減)今に至る。
「ALDH2」の活性が弱いか欠けていると、「お酒に弱い体質=下戸」になります。
ALDH2 の欠損率は日本人は(40~44%)、ベトナム人(57%)、漢族(50% 多分南方系)、モンゴル人(30%)、韓国人(25%)
日本列島で弥生系優位の北九州〜長野あたりは下戸率が高く、南方系でしょう。
2021年に金沢大学等のチームが発表した研究結果によれば
現代日本人の遺伝的なルーツは
古墳時代渡来人>>>弥生時代渡来人>縄文人、程度らしいね
文字が日本に伝わったのも古墳時代とされてるから
古墳時代に文字やら文化やら引っ提げて渡来した東アジア系の集団が
現代日本人の本流なのかも知れない
DNAが示す通りそうだと思いますよ。直感的にも顔を見て中国人や韓国人とほとんど見分けがつかないですから。
日本語と韓国語との文法の驚くほどの一致を考えると、大陸に共通祖先がいたと考えるのが自然でしょう。文化的にも古墳時代に大陸から来たその人々が本流なのだと思いますね。
縄文人も日本人の祖先の一つですから、彼らの足跡をたどることも有意義だと思いますが、日本人の主流である古墳人が日本列島移住前はどういう集団でどこから来たのかを研究するほうがより日本人のルーツに迫れると思いますし大変興味深いです。
秦の始皇帝の頃の秦帝国の人口5000~6000万人
縄文時代の最大の人口28万人 縄文末期の人口8万人
弥生時代の人口60万人
平安時代800万人
うろ覚えだけどこんなかんじだったと思う農業ってすごいんやな小並感
農業だけじゃなくて技術発展もだと思う。
鉄器の本格的な生産と運用が爆発的に広まると、農業が飛躍的に成長するから人口が増えるのでは?
技術の革新が重要なのだと思うわ。
日本は南北に長いから、それだけ気候や環境が地域によって異なる
それは地域ごとの選択圧を生み出し、結果東西で異なる遺伝子が定着する要因となったと考えられる
つまり、遺伝学上の意味においても「ガラパゴス化」が起こりやすってことかも
やべ、ちょっと訛っちゃった
千葉市~市原市にかけた関東平野と下総台地の境目って掘れば縄文時代のなんかが出てくるってレベルだもん・・・(序に鎌倉時代の砦跡だらけだ) 実家の家庭菜園からも土器だ石斧だ矢じりだわんさか出てくる。家庭菜園横の古墳の調査に来た博物館の人に見せても「ウジャウジャでてくるんですよねー」で修了というレベルw でも弥生式のは全然見つからないのよね。
弥生土器のかけら拾ったのは埼玉の大宮と上尾の境に住んだ時に下水工事現場に落ちていたのと、片瀬海岸に打ち上げられていたヤツの2個だけ(どっちも一応専門家に見せて弥生土器とお墨付き貰った。こちらも史料価値は全く無いので私が持ってるw)。
縄文時代の地層が露出していると言う事は
その上にある筈の弥生時代の地層は後世の開発により既に失われているという事
原因は千葉で弥生時代が始まるのがそもそも5〜6百年遅れた為に千葉市で弥生時代相当にあたるのが数百年しかなかった為だと言われています(縄文時代は6千年以上。20倍ちかく期間が違うので)
掘れば縄文時代の何かが出てくるって言わんばかりの千葉市で弥生時代の遺跡は16箇所しか見つかっていません。そして弥生前期(といっても弥生時代1000年のうちの半分ですが)と呼ばれる時代の特徴の土器が1個も見つかっていないのです。
もしくはついこないだまで千葉が縄文時代だったか
人類の歴史からしたらぶっちゃけそうですよ。
旧石器時代が4万年あってその後の縄文時代が7千年、そこから現在まで2500年前後しか経って無いんだから。
関ケ原の戦い終わってからまだ450年も経って無いんですよ?
論文(掲載:Anthropological Science)が示しているのは、
「縄文時代における東西の遺伝的分化が、列島内で起きた可能性が高い」という点です。
これは「縄文人の祖先が完全に単一だった」という意味ではありません。
祖先段階で複数系統の混合があった可能性や、縄文時代中の局所的な交流まで否定しているわけではありません。
また、この研究でいう「縄文人」は文化的な意味ではなく、DNA上の遺伝的クラスタを指しています。
そのため、従来の「複数系統の統合」というモデルと必ずしも矛盾するものではないと思われます。
「縄文人のルーツは一つ」という見出しは、やや強い表現かもしれませんね。
まさに。
ホモサピエンスがネアンデルタール人やデニソワ人なんかと混血しながら世界各地へ分散していったように、ルーツは想像以上に複雑だろうね
ただ、集団の遺伝的文化的違いが数千年のスパンで地理的な環境要因で生み出される得ることを解明したところは本研究の重要な成果だと思う
どんなに違っていてもつい最近まで血縁だったかも知れないし、たとえ血縁でも違いが生じるものだ、とわかっているだけで生きるヒントにはなる
大陸であった遺伝子的分化が、列島内で起きても不思議じゃないよという事ですね。
当たり前だろ、としか
日本なんて縦に長い国なのでそりゃ最南端と最北端で生活様式や習慣は真逆なくらい変わるしそれがグラデーションのように存在してる国って事
今まで異なるルーツと考えられていたものが、
生化学的な観点から共通のルーツから分かれたことが明らかにされた。
これは「当たり前」のことではないと思う。
縄文人の中に地質学に目覚めた人がいて、フォッサマグナに気づいて東西に分かれて行ったのだった。
対馬ルートと北海道ルートが消えたということ。
台湾・沖縄ルート一択。
つまりスンダランド系。
いつの時代も世界のどこでも民族移動って右に行くか左に行くかって分かれるもんだよね。モンゴルから今のヨーロッパ入りした人達も、じゃあ俺北行くわ!ってグループとんじゃ俺西行くわ!って西行った人達は野菜も肉ももりもりで、北に行った人たちは野菜すら取れなくてふざけんなよ!って
文化なんて割とそんなもんの延長線
日本列島に3つの方向から、種族の異なる人がやって来て、そのうちのどれか一つが生き残ったのか?日本列島に至る前にその内のいくつかが既に混血してたか?いろんな可能性があるのでは?
うーん…この記事を読む限りだと、あくまでも共通の祖先から二つの系統に分かれた「可能性も出てきた」ってだけで、今までの別々の祖先が持ち寄ったって説が否定されたわけじゃないよね
あくまでも「交流が制限されれば」って制限付きなわけだし、集団が分かれた後に東西の行き来を妨げるような大きな山や海ができたってわけでもなさそう
それだったら俺はまだ別々の祖先由来って説の方が自然だと思うなあ
「N9b」の顔と「M7a」の顔の典型例を見てみたいね
日本人のDNAって縄文人、中韓、ロシアの3つの混血が普通なんだけど。
最近移民へのヘイトから、平気で日本純血とか叫ぶ人が目立つ。
いうて同時代の中国人や韓国人は今とは別民族だし、
ロシアなんてスラヴ系は東シベリアまで到達していないです
記事の趣旨とズレてるけど分かる。
自分のことエルフか吸血鬼かかなんかだと思ってるのか。
品種改良で混ぜくり返した血統書付きのにゃんこやわんこの方が近いかも。純血とは言えない。
西日本には独自に進化した「ぼけつつっこみ脳」があり
反応の速いほど優秀とされ、遅いと生存が困難である。
これはすごい発見だ!!
弥生人も再考の余地あり?!
まあ、じっくり日々の研究ですね。
ルーシーの子孫がどんどん変異して多様な人種となったのだから、縄文人内で変異するなど当然じゃん?
割と長い間、均一性を保った集団内でも遺伝子変化が起き、日本においてもそれが起こったという事が分かったのは重要じゃない?
個人的には、縄文海進が進んだ約1万6000年前に日本列島が大陸や北方から完全に切り離されたことにより、列島内の遺伝子が一旦均一化した(他の場所からの移民が途絶えた)んじゃないかと予測する。これを縄文人と定義しているだけで、その後の縄文人に起こった変化は外からの遺伝子の流入では無く集団内での変化と言う事なんじゃないかな?
ロシア人はモンゴル人の子孫や。
ベラルーシ人を白ロシアと呼ぶのは支配を逃れたからだね。
上の方のコメントにもあったが、
なぜ研究の結果を「当たり前」「当然」と評価する人が結構いるのだろう?
「所詮、世界は分かり切ったもの」という価値観、考え方の基本があるのだろうか?
この説は確かに面白い。
そして有りうるが、そもそも東日本が豊かで西日本が劣るとしたら、西日本から東日本へは陸続きなので移動するというのが自然だろう。
それは生死にも関わる事だけに絶対的な基礎的行動だと考える。
ではなぜ移動が無いのか?
縄文時代に東と西で大規模な戦争状態が続いていたから?
いやいや、縄文時代は結構平和だったと推定されている様だし。
他に移動しなかった理由は?
西縄文人が東縄文人を嫌っていたから?
それでも、食う為には移動するね。
また、西日本でつるべとか明らかに日本人的でない顔が多い。
これは大陸、半島方面から可成り弥生に入って来たと推定されるが、縄文時代からということも捨てられない。
しかし、この説、興味はある。
原因は地理的な隔絶ではなく、縄文時代の人口は西日本と東日本とで雲泥の差があるので、人口密度の違いや近親交配の頻度の違いによって、何世代も経るうちに遺伝的特質の東西差が生じたと考えられる。九州には東日本と同じN9bが多く、篠田謙一先生によると半島から対馬ルートで来た人達とのことだったが、この記事の研究で、そうではない可能性が出てきた。つまり、東日本から関西を通らない海上ルートでの直接の移住の可能性もある。太平洋か日本海かはわからない。
論文の大事な記述を抜かしてしまっていると思います。
このシナリオが”起きなかった”確率は、「これらの条件すべてが満たされた場合でさえ、より高かったことに要注意です。」と記載されています。
①先行研究でM7aとN9bの共通祖先がさらに2万~1万年古く推定されている点がこのチームの解析結果と合わない
②N9bとM7aがそれぞれ約23000年前と約26000年前に出現したとする研究と矛盾
③文化の伝播(約1万6千年前)とゲノムの伝播を同じテーブルに載せている前提がおかしい
④東西縄文人が一定期間交わらなかったことを前提としているのに、約1万6千年と約1万年前の差を食い違いとみなしている点が論理矛盾を起こしている
⑤「極端に不均等な状態で東西集団に分かれる」、「両者の間の移動が少ない」という”自然選択”を前提条件にしているにも関わらず、 遺伝的浮動(偶然や確率的な要因)が起因としている点が矛盾
論文のアブストに「縄文文化は約1万6000年前に始まり」と書かれているせいか、
カラパイアの記事だと、
「縄文人は約1万6000年前に一度の移住で日本に到達し、」
としてしまっているのがまずいよ。元論文では、「約2万5000年前に東ユーラシアから日本列島へ移住し」とちゃんと書いてある