この画像を大きなサイズで見る日本では、夏に幽霊話が多く語られる。それはお盆で先祖の霊が帰ってくるという事情や、怖い話を聞くことである種の寒気を得られるためと言われている。
実は海外でも、かつて子供たちは夏のサマーキャンプで小屋の中で明かりを落とし、ひそひそと幽霊話をみんなで語り合うのが楽しみの1つだった。ところが、最近こうした光景はあまり見られなくなっているという。
多くのキャンプの主催者が子供たちに幽霊話を禁止しはじめたのだ。その背景に迫ってみよう。
子供たちのトラウマを与えるから。消えつつある幽霊話
2015年の調査では、キャンプ主催者の3分の1がサマーキャンプでの幽霊話を禁止しているという。
キャンプ側が幽霊話の禁止を明文化しているわけではないが、話をさせないほうに動いているという。この傾向は近年さらに増していて、全国に広まりつつあるらしい。
その理由は、楽しいはずのキャンプの思い出が、一部の子供たちにトラウマを与えてしまうのを心配してのことなのだそうだ。
だが、一部の研究者は、ちょっとした恐怖を味わうことは、現実に対処する方法を学ぶことができ、子どもたちにとって必要なことだと主張する。
大人と同じように、子どもたちも、ちょっと怖いものに惹かれる。怖い話は実際に危険にさらされることのない恐怖の疑似体験といえる。
この画像を大きなサイズで見るある程度の恐怖の疑似体験は心を強くする
デンマーク、オーフス大学で、気晴らしとしての恐怖とその利点を研究する認知科学者のマーク・マルムドルフ・アンダーセン氏は、恐怖を疑似体験する遊びに参加する子どもは、不安障害を発症するリスクが低くなる可能性があると言っている。
年齢にふさわしくない極度の恐怖体験は、子どもにとって確かにトラウマになってしまうかもしれない。だが、それ相応の恐怖は子どもたちがストレスや恐怖に対処する方法を身に着けるのに役立つというのだ
対処可能な恐怖を体験することで、子どもたちはそうした状況が身体的にどんな感覚なのか、どうやってそれに対処すればいいのか、心構えを学ぶことができるというわけです
アンダーセン氏は説明する。
この画像を大きなサイズで見る子供に怖い話を一切封じるべきなのか?
怖い話を規制する動きは1980年代には始まっていた。ちょうどこの頃、キャンプ場を舞台にしたホラー映画が急増した。
1984年の映画『グレムリン』は幼い子どもにとってはかなり怖い映画で、恐怖の処理能力がまだ未熟な子どもに配慮した年齢制限が必要だとされた。
このような変遷の一部は、恐怖を純粋に悪いものとして、子どもには接触させないようしようと親が考えるようになったことに影響を与えたと思います。
しかし、実際には子どもが学び成長できる娯楽としての恐怖を適度に見つけることのほうが重要なのかもしれません(アンダーセン氏)
しかし、何を怖いと思うかは個人差が大きく、”適度な”恐怖とはなにかを見極めるのは難しい。
また、家にひとりでいて怖いと感じるのと、みんなとキャンプで怖いと感じるのはちょっと違う。同じように怖がっている友達が一緒にいるということが楽しみになっている場合もある。
とは言え、中には本当に苦手な子もいるだろう。子供の幽霊話に大人がどこまで関与すべきなのか?全ての子に対して、一切禁止にするのもなんか違う気もするし、難しい問題だね。
ところで日本の今の子供たちはサマーキャンプや夏合宿とかで、幽霊話とかをしたりするのかな?
昭和世代の私は小学生時代からずっと学生時代は、何人かで集まると深夜に幽霊話で大いに盛り上がったりしたものだ。トイレにいけなくなったりもしたけども。
それよりもトラウマになってるのは、幼稚園時代に先生が紙芝居で呼んでくれた「いなばのしろうさぎ」だったりするんだよな。
References:Summer Camp Ghost Stories Are Vanishing – Atlas Obscura / written by konohazuku / edited by / parumo















うーん、その前に地獄絵巻とかナマハゲとか抗えない恐怖を与えると馬鹿をしなくなるんだよ
そのうえで怪談とかなら、ただ怖がるだけじゃなくて諦めとか達観みたいなものが生まれると思うんだけど
怪談の本質は「人を殺してはならない、虐待しては成らない」でしょ 恨みを残した死者が、生きた人間が太刀打ち出来ない超自然的な力を持つ事によって、恐怖を与え恨みを晴らす事をを抑止力にする事によって、社会の秩序を保つことが目的。それが揺らぎつつある。」
小学2年生の時に観たエイリアン1が死ぬほど怖かった。
それ以降、エイリアンはウィノナ・ライダー目当てで4しか観ていない。ウィノナ・ライダーは恐怖心よりも強い。
>>3
エイリアンは2が一番面白いと思う。見てほしい。
>>3
小⑤の夏休みに「13日の金曜日2」をTVで見てしまい
ジェイソンを殺しても殺しても追いかけてくるのが
意味わかんなかくて2週間くらい怖かったけど
夏休み中の毎週金土日は
それ系の映画を放映されていたので
「そういうもんなのか」と理解出来た時
恐怖を克服出来たwww
>>36
ロボコップかターミネーターで巨大な重機が恐ろしくておそろしくて、2トントラックやファミリーワゴン車すら怖くなって、近所の駐車場とかで遊ぶのやめたわ
安全な擬似体験ってなるほどな
過保護すぎる
>>4
ジェイソンを放て!
どっちかというと、怪談話のついでのノリでテントから出て行って行方不明だったり事件事故に巻き込まれたりするのを防止するのが本当の狙いな気もするな
>>8
何かあった場合の監督側への責任追及が苛烈になってきて
現場が耐えられない・やってられないってのはあると思う
極度の怖がりさんがトラウマになったら
どう責任とるんだ?みたいなのもありそう
因幡の白兎は絵柄によっては怖い…ささくれで泣いたことある幼稚園児には殊更に「皮をひん剥かれる」が想像を超える苦痛であることが理解できて怖い
私が見た絵本はソーセージ状のガマの穂に寝かす挿絵だったけど、最近になって「実ったガマの穂はフワフワに分解される」と知ったから、きっと絵師が力を入れるべきはそっちだったんだ…
哀れな世界に突入しつつある気がする
「イトッシャノウ…。」
キャンプの怪談と肝試しは小3までビビり散らしてギャン泣きしてたのが、なぜか小4からケロッと聞き流せるようになった
今となっては何が怖かったのかも分からない
でもグロおよびホラー作品にはその後もトラウマをたくさん作ってもらったよ…
幼稚園時代にキョンシーが流行ってた世代ですが、怖いシーンになるとコタツに潜ってやり過ごしながら見ていました。ショッキングなシーンは脳裏に焼きついて小学生低学年までは悪夢を見たりしましたが、それでもキョンシーごっこを夢中でやってました。子供の頃の作り話のようなニセモノの恐怖は決して深刻なトラウマにはならないと思います。
怪談はいいと思うけど肝試しはやめた方がいいと思う、急に飛び出したりするジャンプスケアはトラウマになりかねない
ぶっちゃけ『ふたりのイーダ』の方がトラウマになった記憶w
知らぬが仏
中学校のキャンプで夜中に霊に取りつかれて夜中に「〇×△が来る!!」とか叫びながら裸足で山奥に走っていった友達いたわ。
先生全員で捜索して発見されたけど何も覚えてなかった。
夢見て寝ぼけたって感じじゃなかったけど。
うん、過保護過ぎだと思う
架空のお話で出来たトラウマ一つくらい抱えてたって普通に生活は出来るし、痛い思いを少しくらいした方が人を思い遣る人間になる可能性を作ると思うんだよね
何に付いても過剰なのがいけないんであって程々なら単なる学び
誰しも色んな経験をちょっとずつ齧って人間になってくんじゃないかな
フェイク動画が溢れすぎて幽霊や妖怪なんて、
という風潮が強くなったなぁ。
でも本能的な未知への恐怖、暗闇への恐れは
残っている、というのが大勢だろうね。
幽霊が本当にいるなら捕まえたいなぁ、、、
子供の頃、極度の怖がりで
お化け屋敷とか知らないおじさんの服にしがみついて出てきたり
怪談とか耳をふさいだりする子だった
おっさんになった今、ホラー映画が大好きですよ、ドキドキするんですね~
当時は刺激が強すぎたんですが、今頃になって釣り合ってきたって感じ
子供への影響は、自分はトラウマになってましたが、それが悪い方へ行ってるとは感じませんでした
まじめな大人に成長すると思います
あなたの知らない世界とか毛布かぶって見てて一人でトイレ行けなくてとか記憶あるけどそれが思い出
大人になると怪談の持ち出しトークやあるあるの体験話で盛り上がったり割と怪談って子供の心に重要だと思うよ
ジェイソンが来たらどう戦うのシミュレーションとかさあ
お山にきませんか。かきもあります。
10人中9人は良い思い出として残るが
1人が精神に何らかの失調を来すとしたら避けた方が無難なのかもね
伝統を大事にしたい人には好まれない考え方だろうけど
>>26
言いたいことはわかるんやけど、それじゃあ何もできなくならない?
それに、「誰にでもやさしい」世界を苦痛に感じる人だっているんじゃあないだろうか
なお自分、おっさんになっても怪談はちょっとこわい
>>26
全然無難でもなんでもない。
全員が経験もできないで終わるので、無難どころか完全にマイナス要素でしかない。
ひょっとしたら何か得られるかもしれないのに、可能性をゼロにしてどうすんの?
1人が必ずそうなる保証があるわけでもあるまいに。
大人になって嫌な経験をたくさんすると暗闇や怪談話を何とも思わなくなるのよね
ああいうもので怖がっていられる人は心が健康なんだと思う
前に山頂で日の出を見たくて、深夜に一人で山道を登っていたら、軽装のおばあちゃんとすれ違ったのは俺の人生の中で最大のホラー
ヘッドライトで足元見ながら登っていて、足音がしたような?って前を見たらおばあちゃんが一人で立ってた
普通なら挨拶するんだけど、心臓が止まりそうなくらい驚いて、向こうも驚いたのか無表情で挨拶無しで素通り
頂上についても心臓がバクバクしてたわ
人生に恐れは不要、だが畏れは必要だ
最近よく何かというと「トラウマがー」っていうけど、本当の意味で「トラウマ」にまでなるのってそんなに無くない?
だいたい「嫌だった記憶」「怖かった記憶」「やらかして懲りた記憶」とかあたりじゃないのかな。
子供をちょっと強めに叱れば「トラウマになったらどうするんだ」とか、もちろん虐待・拷問とか誘拐とかはそりゃ後々まで引きずるような重篤な心理的ダメージになったりするだろうけど、ちょっとでも危険な可能性があるなら先んじてとにかくやらないでおこう・やらせないでおこう、の方針じゃ、成長して何かあった時に経験がなさすぎてなにも出来ない気がする…
>>37
経験値不足で成長できてない人達が加害者となって、いじめやそれに類似する事件で最悪の結果を招いてるよね。
そもそもなんで幽霊って人間限定なんだろうな?
牛や鳥や虫や犬や猫とかの幽霊がいてもよくない?
動物には魂がないから幽霊になる権利はありませんって感じ?
でもまぁネズミや魚や虫とかに幽霊がいるとするなら幽霊のバーゲンセールになっちゃうよな
恐怖は大事だよ
何が危険か解るってことだから
本来怖い話から毒を抜く方が危ないと思う
無知なままいきなり現実にぶつかることが一番不幸