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海賊に見つからないよう巨岩を使って家を偽装。ギリシャ、イカリア島の人々の暮らしの知恵

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(著) (編集)

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 それは岩だらけのイカリア島ならではの究極のカモフラージュ術。海賊たちの侵略を恐れた島民の必死の策は、住み慣れた海岸の家を捨てるという大胆な戦略だった。

 エーゲ海に浮かぶギリシャの島、イカリア島の内陸には巨岩と一体化した奇妙な家がいくつもある。それらはすべて昔この島で行われていた海賊対策の名残だ。

 恐ろしい海賊の目にとまらぬようにと、島民たちは約300年にわたり岩に偽装した家で「放棄された島」を装い続けたのだ。

紀元前1世紀から海賊に悩まされていたイカリア島

 エーゲ海に浮かぶ美しい島、イカリア島は長きにわたり海賊に狙われ続けた島の一つだった。

 エーゲ海を故郷とかたる海賊がいつこの島に目をつけたのかは不明だが、イカリア島では紀元前 1 世紀のころにはすでに海賊の被害を訴えていたという。

 その襲撃がより激しくなったのは14 世紀のころだ。この島がジェノバ共和国の一部になった後、海賊行為はさらにエスカレートし、耐えられなくなった島民は侵入を阻止するために自ら港を破壊した。

 だが残念なことにこの措置も決定打にはならず、島がオスマン帝国の配下になっても、海賊のほうは相変わらず島を襲い続けた。

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photo by Pixabay

「完全に放棄された島」に見せかける戦略を選んだ島民

 イカリアの人々が奪われる暮らしに終止符を打つ覚悟を決めたのはその頃だ。

 オスマン帝国の支配はゆるく、まったくあてにならない。むしろ海賊行為を助長するだけだ、と考えた島民たちはある戦略を思いついた。

 このまま祖先の島で死ぬか、遠く離れた場所で暮らすか…と思い悩んだすえに第三の道を選択したのだ。

 海賊にあらがう術を持たない島民はまず、今までの暮らしに別れを告げた。

 住み慣れた海岸の家を捨て、内陸の荒れた山へと移動した彼らの目的は、海から来るならず者にこの島が「完全に放棄された」と見せかけることだった。

 暮らしは不便になるが代わりに海賊も狙ってこないはず。こうして始まったのが、岩だらけのイカリア島ならではのカモフラージュだった。

 棄てられた島を装うと決めた住民は、海から見えない内陸を居住区と決め、あちらこちらにある巨岩を住居にし始めた。

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外との交流も制限して300年間。岩だらけの山奥で社会を築く

 現在島民の一人であるエレニさんはBBCの取材にこう語る。

その家の作りときたら時代に逆行してると思うほどです。イカリア人は見えない場所に家を建てることにしました。そのためには海じゃなく高い場所にある荒野に移動しなければなりませんでした。

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 以後イカリアの人々は岩だらけの山奥で社会を築いた。

 他の島との交流も浜辺の小舟の移動のみにして手作りのボートや島の木や貝殻を売る一方、庭の果樹や野生のヤギや羊の乳をつかったチーズ、自家製ワインなどを食料にし、ほとんどを島内で過ごした。

 こうしたカモフラージュ生活はおよそ300年間にわたったという。

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そこに大岩があるから家にする。一般的な家とは違う住み家

 この島の住民でアフィアネス・ワインズというワイナリーを営んでいるニコスさんはこう語る。

普通なら家を建てるのにまず土地を平らにするところから始めるでしょう。もしそこが急な斜面なら邪魔な岩を掘り出したりしますよね。

 イカリア島ではその逆だ。家の構造もすでにある巨岩の形をできるだけ優先し、壁になるものは壁として使い、大きく張り出していればそれを屋根とした。

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image credit:IkariaEllada/ facebook

 建設場所も常に島の内陸側を選んでいため、海から見えることはなく、幸いにも家にふさわしい巨岩がある場所はもとからちょうどいい具合に広く分散していた。

 おかげで各家がまばらに建つことになり、万一そのうちの1つが海賊に見つかったとしても全島民が発見されるリスクは低かった。

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煙突は無しで交流は夜。部外者の目を欺く努力も

 とはいえすべてが岩任せなどではなく、島民自身も部外者の目をあざむく努力を怠らなかった。

 家の構造はとにかく低くが基本。1階建てと決まっていたので、前述の構造からもわかるようにすべてが岩の高さよりも必ず低かった。

 煙が目立つ煙突はあきらめ、かまどなどで料理をする際は、その都度大岩の壁の間を埋める石を外して出てくる煙を散らすようにした。

 島民が交流する時間は夜のみ。海賊が横行していた時代は、吠えて居場所を知らせかねない犬を飼う人もめったにいなかった。

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現在も住居はまばらで夜ふかしを好む傾向

 これらの家にはシェルター的な役割もあったとされるが、当時の島の習慣は現代のイカリア社会にも影響を与えている。

 1820年代に米国や英国などの軍艦がエーゲ海の私掠船(しりゃくせん:海賊船の一種)を鎮圧した後も、住居を山間部にしてまばらに建てる習わしは引き継がれ、夜遅くまで楽しむ傾向もいまだにある。

 これらはどれも海賊時代の名残りといえる。何しろ当時は礼拝所でさえ、張り出した巨岩の下に押し込まれるように建てられたぐらいだ。

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まだ廃墟じゃない。今も巨岩の家に暮らす男性

 では現在、カモフラージュされた巨岩の家はどうなってるのか?さすがに廃墟化したかと思いきや、なんと今でもそこで暮らす人がいるそうだ。

 正確な人数は不明だが、少なくとも男性1人がかつての集落で長らく暮らしている。

 ニコスさんによると、彼の家族は誰一人引っ越すこともなく、ずっとその島に住み続けているという。

 だがその人物と現在の島民とはほとんど交流が無く、あるとしたら年に1度、その男性が主催する伝統的なお祭りの時だけだという。

 その間はどうしているのか。島のみんなも詳しくはわからないらしい。

 つねに海賊の攻撃におびえ、唯一の防御策として巨岩だらけの島に溶け込むことを自らに課していたかつての島の人々。その暮らしは私たちの想像以上に過酷で厳しいものだったに違いない。

日本の沖縄同様、多くが100歳超えの長寿の島

 なおそんな過去とはうらはらに、イカリアは日本の沖縄同様、長寿の島としても有名だ。

 世界でも稀有な「ブルー ゾーン」の一つであるこの島では3人に1人が90代まで長生きしており、多くの人が100 歳を超えている。

 なお最近イカリア島はSNSで知名度が上がり、その特異な文化を一目みたいと島を訪れる人も。長生きの人が多いイカリア島を訪ねてみた、などの動画も人気だ。

The Tiny Island in Greece With the Oldest Life Expectancy in the World

 ただ現地には案内板やガイド付きツアーなども一切ないとのことなので、どっちかというと旅慣れた人やマニア向けのレアスポットみたいだよ。

References:odditycentralなど /written by D/ edited by parumo

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この記事へのコメント 28件

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  1. いいな~子供の頃はこう言う家に住みたかった。

    • +15
  2. 岩利用して住むってちょっと憧れだわ。夏冷んやりしてきっと気持ち良い。
    時効警察で室井・枡が住んでた家も素敵だった。
    もちろん海賊はノーサンキュー

    • +10
  3. >煙突は無しで交流は夜

    年に一度ぐらい海賊が来るようなイメージで読んでたけどもっと深刻そうだな

    • +10
  4. これ、カッコいいですね。👍
    住みやすさは別として秘密基地のワクワク感が半端ない。

    • +13
  5. たまに見ると面白いだろうけど、やっぱ今の時代には不便だよね
    高齢者の足腰には負担だろうし

    • +9
  6. 仮に巨石が50あったとして、4人×50=200人

    たったこれだけの人口で300年もよく続いたものだ

    • +7
  7. 何で海賊は、こんな小さな島の鄙びた村をしつこく狙ったんだろう?

    商船や豪華客船でも襲った方が実入りが良いだろうに。

    • +7
    1. ※8
      食料や水の補給が狙いだったのかも?

      • +6
    2. >>8
       人口が少なく反撃される危険がないからだと思う。
       海賊側からすると、本格的な収益を期待して襲ったわけじゃなく、気楽に休憩しつつ酒や女を差し出させる、無料の酒場兼娼館みたいな認識じゃないかな。

      • +4
  8. 意外と快適なんだろうな
    でなければ長寿であるはずがないから
    戦うのでもなく、逃げるでもなく、欺く方に舵を切ったのは面白い

    • +6
  9. この住居で問題なく暮らせるのって気候的に恵まれてたからなんだろうな

    • +10
  10. 日本と違って大地震も起きないんだろうね

    • +3
    1. ※13
      いや…、
      イタリア半島~ギリシャ~トルコ辺りのあのラインって、
      ユーラシアプレートとアフリカプレート、あと細かいやつだと
      エーゲ海プレートやアナトリアプレートの入り組んだ境い目で、
      そこそこ地震は多い地域じゃない…?
      環太平洋ほどじゃないにしても。

      • 評価
  11. ポルトガルにも似た様な住居があったような気がする?

    • +2
    1. ※14
      モンサント村?
      マグマ岩群を、開き直ってそのまま活かした家造りのやつ。

      • 評価
  12. 「オスマントルコ支配の初期におけるこの島の最も優れた記述は、1677年にArchbishop J. Georgirenesが、この島にはおよそ1000人の丈夫で長命な住民がいたがエーゲ海で最も貧しい人々だったと記述したものである(DeepL)」
    外部の者には実数の把握など難しかったであろうし実際とどれほどの開きがあったろうか。高地へ移動する以前の、海賊の発見と危険度を見張りの塔から塔へと伝える仕組みなども練りこまれていて興味深いですね。

    • +5
  13. こういう岩って元々の島の地盤なのか、あるいはサントリーニ島の火山が大噴火したとき飛んできたんでしょうか。海賊も怖いけど地震も多い地域のはずだし寝ている間に岩が転がって潰されたらと思うと怖いな。

    • +1
  14. 「オースっ!」「どうした声が小さいぞ、もういっちょオースっ!」

    • 評価
  15. 島の名前に引っ張られたのか、烏賊から身を隠して、と勘違いしてた。

    • +2
  16. 今見ればファンタジックに見えて良さそうだけど苦渋の決断だったろうね
    まさに死活問題だったんだろうなぁ

    • +3
  17. やっぱり海賊なんてもんは暴力と略奪が生業の度し難い存在なんだな。
    勇気やら冒険やら虚飾で塗れた作品多いけど犯罪者以上の何物でもない。

    • +5
    1. ※24
      昔って、海軍と商船と海賊の境い目って
      けっこう曖昧だと思うが。

      本文にもあるけど、
      私掠船(敵国の貿易船への攻撃・掠奪を公認された民間船)
      なんかは、特に、免許状を発行している国王が
      海賊の親玉としてバックに付いてる感じだったりするし。

      • +3
      1. ※28
        そんなもん毎回毎回襲われ奪われる島民や被害者にしてみたら関係ないだろ。
        公的な許しがあろうがなかろうが人殺して奪ってゲラゲラ笑ってられるくずどもに変わりはない。

        • +2
        1. ※29
          それ、兵隊でも同じことやで。
          要衝地はしょっちゅうやられる。

          近代的な人権に配慮した条約ができるまでは
          食糧や財貨は行軍地での現地調達(収奪)が基本だったし、
          だから攻め込まれる側は焦土撤退作戦なんかが有効だった。
          占領後に有効利用しようと思っている重要都市なら、
          きちんと統制とれた軍であれば、現地民の反感を買わないように
          兵士に対して略奪と○姦の禁止を言い渡していることもあるが。

          • +4
  18. 長寿ですか。食べ物はもちろんだけど岩盤浴効果もあるんでは?

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