
自然への愛着と心の安定性 / Pixabay
人が生き生きと活動するためには、心の欲求が満たされていなければならない。こうした心の欲求と自然を愛する心とには関係があるのだそうだ。そもそも人はなぜ自然を好きになるのだろうか? 米ミネソタ大学のアダム・C・ランドン氏は、自然を愛する心と心の欲求とには関係があるのではないかと考えた。
「心理機能における自然の役割が注目されています。この研究は、自然が最適な心理機能を支えており、そうした支えが場所への愛着につながることを実証しています」と、ランドン氏は話す。
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自然への愛着と基本的心理欲求の関係性を調査
「自己決定理論」によれば、人には「自律性」(自分で主体的に行動したいという欲求)、「有能感」(自分にはできるのだという感覚への欲求)、「関係性」(他者と親密になりたいという欲求)という3つの基本的な心理欲求があるという。これらが満たされた人は、外部から無理やり強制されなくても自発的に行動し、それゆえに大きな成果をあげることができる。
ランドン氏らはこうした基本欲求と自然を愛する心との関係を調べるために、南アパラチアの自然が豊かな地域を訪れた795名のアメリカ人を対象に質問を行なった。
質問は、”自然に対する愛着”を評価”するものと、”自然が基本的心理欲求を満たす”度合いを評価するもので構成されていた。
たとえば”自然に対する愛着”への評価なら「自然との一体感を感じる」や「お気に入りの自然よりもいい場所は想像できない」など、”自然が基本的心理欲求を満たす”度合なら「自由に自然を訪れることができると感じる」(自律性)、「自然を訪れたときに出会う挑戦を克服できると感じる」(有能感)、「自然を訪れたとき他人とつながっていると感じる」(関係性)といったものだ。

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自然との触れ合いで心理的欲求が満たされるほど自然が好きになる
調査から明らかになったのは、自然との触れ合いで心の欲求が満たされていると感じている人ほど、自然に対して愛着を抱いているということだ。それぞれの欲求と自然への愛着の各要素には関連性もあった。たとえば、自然との一体感を強く感じている人は、関係性が高い傾向が見られたという。
独りの時間を求めて自然を訪れる人もいるかもしれないが、案外人は大事な人と一緒に自然を訪れるものだし、そうした場所には似た者同士が集まってくるものだと、ランドン氏らは指摘する。
だが、自然を愛する心と一番関係していたのは自律性だったそうだ。多くの人にとって、自然との触れ合いがレジャーや遊びであることを考えれば、特に意外ではないようだ。遊びとは、自由で自発的な動機によって行われるものだからだ。
調査結果は実験に基づくものではないので、その点に注意が必要ではあるが、心理欲求の充足と自然への愛着の形成に関係があることを示す確かな証拠であるとランドン氏らは述べている。
自然エリアの実務的な管理や、天然資源のステークホルダーに重要な価値観の形成をうながすうえで示唆に富んでいるそうだ。
この研究は『Environment and Behavior』(5月21日付)に掲載された。
References:People’s attachment to the wilderness is linked to the fulfillment of basic psychological needs, study finds/ written by hiroching / edited by parumo
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コメント
1. 匿名処理班
自然環境が良いって昔から言われていて言葉の上ではそうかもしれんが
虫出たとか暑い寒いとか実際はそう上手くいかんよ
2. 匿名処理班
自然生活にあこがれたけど
イモムシやヘビ
おいしくないからやめた。
3. 匿名処理班
そんな難しい言い方をしなくても当然そうだよね
でも虫とかの大群は遠慮したいところ。蚊とか。
最近の子供は公園でまともに遊べなくてかわいそう
自然の中で基地作りなど出来ない。(都心では)
木登りなどしようなら警察のご厄介になる。
4. 匿名処理班
すみれの花のような ぼくの友だち
心強き人岩をくだく波のような ぼくの父親
心深き人愛を語るハイネのような ぼくの恋人
根雪をとかす大地のような ぼくの母親
5. 匿名処理班
つい数千年ほど前までは、文明化などまるでされていない広大な自然の中で人間は生きてきたわけだし、現在でも、世界中を見渡せば自然がすぐ手近な所にある状況で暮らしている人の方が多いでしょう。
都会のコンクリートジャングルに閉じこもった毎日を送っている人間というのは、近代文明が成立して以降の、それも都市生活者に限られているわけです。
つまり、自然に囲まれているというのは人類にとって本来当たり前の状態であり、当たり前の状態にあれば心理的に落ち着くというのは、これまた当たり前のことなのだと思います。
6. 匿名処理班
分かるで
待ち受けとか全部森やら湖やら空やわ
7. 匿名処理班
なお、文明によって飼い慣らされた自然、の場合に限ります
この手の自然、って言う場合、非常に穏やかな風景のみを対象としてるっていうのが、すっぽり抜け落ちてるんだよな
大津波も大地震も台風も自然だし、猛獣が草食獣を希に人間も襲うのも自然だし、ナメクジやヒルが蠢いてるのも虫が飛び回り走り回るのも自然だ、っていう観点が一切無い
結局、常に自分が安全な状態だと錯覚出来るから、自然が良い物だって言う感覚が生まれるんだろう
8. 匿名処理班
精神病の静養の為に田舎で生活するなんてよく聞く話だね。
精神的・心理的な話だけじゃなくて、マイナスイオンがどうとか、科学的にも説明できそう。
9. 匿名処理班
※8
マイナスイオンが科学的とは
10. 匿名処理班
都市の雑踏の中より山道を歩いている時の方が落ち着くなあ。ただ自然は触れるだけなら癒しになるけどその中で生きるとなるとそう甘くはない。
11. 匿名処理班
災害や害虫が嫌いなのもまた自然だから山は好きだけど虫は嫌いって考えは物凄く素直で自然な感想
そもそも好きなやつなんて歴史上誰も居ないでしょ
土砂崩れやマダニを受け入れてこそ自然好きだみたいな屁理屈こそ全くもって不自然
12. 匿名処理班
誰かが言ってたけど多くの自殺した人の日記には他人のことばかりで生き物や自然のことはほとんど書かれてなかったってのを思い出した。何というか時にはヒト以外のものに目を向けるってのも大事なんじゃないかって思う。
13. 匿名処理班
別な記事で、自然って言っても、石ころだらけの原っぱや高いやまの限界地域より
川とか海が良いとか森もジャングルよりも農村の里山みたいな作られた自然のほうが心が落ち着く、みたいな記事が以前にあったと思う、単純に原始人にとって住みやすい、食べ物を得やすい環境ってだけかと
14. 匿名処理班
「自己決定理論」のほうが気になる
近代的人間万歳!みたいな理論だけど
どれくらい信憑性があるものなのだろうか
15. 匿名処理班
愛犬と林道をお散歩していて、自分史上最高の夕日を見て、あまりの美しさに感動で号泣しながら歩いた。
心が洗われるようで、仕事の疲れとかそんな心身のマイナス要素が吹っ飛んだよ。
住むには虫も野生動物も多い地域で難儀する事もあるけど、やっぱりここが大好きだ。
16. 匿名処理班
「多くの人にとって、自然との触れ合いがレジャーや遊びであることを考えれば、特に意外ではないようだ。」
この一節に超ムカついたとです。
17. 匿名処理班
※15
よく佐渡島の大佐渡山脈にトレッキングで出掛けました。
確かに山の中の林から垣間見える夕陽は、
海に沈む夕陽とは全く別の美しさがありますよね。
だけど山の場合はすぐさま暗くなり畏怖を感じます。
そのギャップがたまらなく好きです。
18. 匿名処理班
自然って一括りにしてる辺りがなんとも大雑把な研究だなぁ。
土壌が豊かで緑の多い水の綺麗な環境なら、ブヨ も蚊も出ては来るけどそこはかとない優しくて甘い香りが漂うのだよ。
裸足で大地に降り立つだけでアースしちゃうような抜け感を味わえるし、微生物の働きが活発なところならフカフカした土触りを楽しむことも出来る。
けど!
どんな植生かにもよるでしょうし、季節によっても異なるし。
私が森や手付かずの自然、湖、渓流なんかをこよなく愛するのは、別に1人でいたいからじゃないし、誰かと親密でありたいわけでもなく、豊富な酸素といい香りを楽しみ、体温を回復するため。
都会だと2日で34度台に体温が下がるんだよねぇ。
田舎の森や山に行くと24時間以内に36.6度に戻る。
同じような人にこないだ田舎の宿屋で出会ったなー。横浜で体温が下がるってー。
19. 匿名処理班
最近一人で行った宮崎県の青島にオレが満たされた気持ちで帰ってきたことだけが真実
20. 匿名処理班
※5
でお前は今何してるの?
21. 匿名処理班
旧道の寂しい風景とか、昔の景観を残してる寂れた町村とか無性に見たくなるときがあるんだけど
どんな心理的欲求によるものなのだろうか
22. 匿名処理班
※21
共感です。
私もよくそういう風景を求めて自転車で遠乗りに出掛けます。
ずっと昔に過ぎ去った空間は時間の流れを感じずにすむからでしょうかね?
ゆえにホッと一息つけるみたいな。
なんだか漠然としててごめんなさい。
23. 匿名処理班
これ、自然を愛する人ほど人生における?安定性や満足感が高い、みたいな話じゃないよねw
自然を愛する人ほど"自然における"安定性や満足感が高い、というそりゃそうだろうって内容