この画像を大きなサイズで見る近年のヴィーガニズム(完全菜食主義)とベジタリアニズム(菜食主義)ブームは加速度を増し、植物由来のチキンナゲットやバーガーをこぞってテスト販売するファストフード業界の動きも著しい。
このブームの背景には、健康効果、動物保護はもちろん、畜産動物が温室効果の高いメタンガスを多く排出することによる環境問題に取り組むという理由もある。
オーストラリアに住むある女性も10年間ベジタリアン生活を続けていた。だが第3子の妊娠をきっかけにして、そのライフスタイルが大きく変化した。
妊娠中に食べた1個のハンバーガーがきっかけとなり、再び肉食生活に戻るだけでなく、現在は農場と肉屋を経営しているという。
3児の母、妊娠中に食べたハンバーガーで肉食に戻る
オーストラリアのビクトリア州に暮らすタミ・ジョナスさん(49歳)がベジタリアニズム(菜食主義)に目覚めたのは、19歳の時にピーター・シンガー著の倫理学書『動物の解放』を読んだことがきっかけだった。
動物が畜産業界で残酷に取り扱われていることに嫌悪感を覚え、動物の権利についても大きな興味を持ったタミさんは、以降厳格なベジタリアンになった。
しかし、第3子を妊娠中に過去2回の妊娠にはなかった重度の貧血に見舞われた。
お腹の胎児のために、じゅうぶんなたんぱく質を摂取する必要があると思ったタミさんは、ある日、職場で漠然と「バーガーを食べればこの貧血は治るかもしれない」と思った。
そしてバーガーを1個口にしたことで、ベジタリアンから再びの肉食主義へとライフスタイルが大きく変わることになった。
肉食主義者に転向した後、農場と肉屋を経営
それからタミさんは、3人目を妊娠中は週に1度のペースで赤身の肉、つまり牛肉や羊肉を好んで食べるようになった。しかし、豚肉や鶏肉を口にするまでは数年かかったという。
彼女は倫理的な考えからベジタリアンになったが、10年後に再び肉食主義に戻ったことについて、タミさんはこのように話している。
食物のために、動物の命を奪うことは不道徳だとは思いませんでした。私は、常に食物連鎖の中の自分の位置に満足しています。
でも、動物を残酷に扱ったり、外に出させて新鮮な空気を吸わせることを禁じたり、狭い小屋に多くの家畜と押し込めたりするのは不道徳だと思います。
その後、タミさんは子育てをしながら夫スチュアートさんと動物の扱い方について研究し、動物を適切かつ倫理的に扱うことに焦点をあて、小規模ではあるがJonai Farms and Meatsmithsという農場と肉屋を経営することを決心した。
もともとアメリカのオレゴン州の農家で育ったタミさん。間近で家畜業を経験していたこともあって、90年代に移住したオーストラリアでの農業には、さほど抵抗はなかったようだ。
「動物を殺害することが悪い」という線引きはしない
現在、経営8年目になるタミさんの農場では、豚をメインに小さな群れの牛が飼育されている。
そしてそれらの家畜は屠殺され、肉はタミさんの地域支援型援農業(CSA)の農場から、およそ80世帯に提供されている。
有害な化学物質を一切使用せず、動物は農場で飼育されながらにして、解放された空間で自由に生きていると話すタミさんは、『動物の解放』にある倫理観をまさに事業に反映させているといっていいだろう。
しかし、いずれの家畜も結局は殺されるまでが自由なだけであるため、どうしても動物の命を奪うという道徳的問題が疑問視されることになる。
その点について、タミさんは次のように話している。
一部の人は、動物を殺害することが悪いという線引きをしますが、私はそのようには考えていません。
動物が(死ぬまで)良い生活を送ることができれば、消費のために動物を殺すことは非倫理的ではないと思うからです。
私が肉を再び食べるようになった時、「体が必要としていたものを口にすると健康的だ」と思えました。
ただ、その肉がどのような形で処理されたのかということには、いつも気にかけていました。そして自分が農場と肉屋を経営するようになった時には、すぐに豚の飼育から始めました。というのも、豚は特に畜産業界で扱われ方が酷いと聞いていたからです。
私は自分の農場では、消費者が倫理的な選択肢を選ぶことができる場を提供したいと思っています。
環境のために持続可能な畜産経営を目指す
再び肉を食べるようになったというだけでなく、自ら肉を生産するというライフスタイルの大きな変化を起こしたタミさん。彼女の畜産経営のポリシーは、あくまでも持続可能であることと、家畜に敬意を払うことだ。
屠殺される豚のストレスを少しでも軽減するため、これから死が訪れることを豚に悟られないようにし、恐れと痛みを感じることなく処理することが、「肉食主義者にとって最も正当化された方法」だとタミさんは語っている。そして敬意をもって「命いただきます」とおいしく食べることも。
現在もベジタリアニズムをサポートし続けているタミさんは、ブームになっている植物由来の製品についても大いに称賛しているが、タミさんの望みは「有限の惑星で食べ物を得る最良の方法」を見つけることであり、自身の経営する農場が少なくとも気候変動の逆転もしくは緩和に繋がると主張している。
References:UNILADなど / written by Scarlet / edited by parumo














他の命を殺して食す事は自然の摂理であるが、
知性と道徳を持つ人間として動物がどう扱われるか、
に対しては思慮を持つ。知性的だと思うし、共感を得る。
この人は「生き物のため、環境のため」という一本筋が通ってる
動物愛護の名目で農場を襲うような人たちよりずっと本気で動物福祉を考えていて良いね
職人が腕組みするポーズを見るとラーメン屋かな、と錯覚してしまう
光墜ちは草
>>8
やっぱ人は肉を欲するんだよなぁ…
狩猟民族ともなればなおさら逆らえるわけもなくw
他人のやり方は残酷で、自分は残酷ではないということ?
こういうのは不特定多数の畜産業者に対する侮辱にも感じる。
ハンバーガーで貧血が治ると思ってベジタリアンやめるというのも
理論的ではないし、過去にベジタリアンだったのかも疑わしいな。
※10
いや、逆じゃないかな この人は世論でいう動物愛護の観点から
客観的に考えて残酷なやり方と思われるものは出来る限り避けたいって事で今のやり方を選択しただけで
明らかに他者への侮辱の意図は無い
ハンバーガーで貧血が治ると思ってとあるけど
こういうのは余裕がない状況から些細なきっかけではじまって、その後熟考して
自分のスタンスを築いていくって過程があったりするものだから
動機がなんであれ志を抱いて立派になったから良いんじゃないか?
能動的な正義はいつも都合の良いサンドバッグになりがち
>>10
5年程前にベジタリアンの8割程が結局肉食べるようになるってあったよ。
※10
自分の考え間違ってたというかちょっとずれてたと思ったから別のやり方しただけだろう
バーガーは貧血が肉断ち原因じゃないかって思って職場近くの肉ある食べ物食べたってだけだからおかしいとこはない
>>10
自分でも完璧だとは思って無いんじゃない?問題を前に進めようとしてるだけだと思うけど。完璧より前進。
ここを参考にしてもっと良いシステム作る人が出てくる可能性も十分有るし、そんなにネガティブな事ではないと思うけど。
>>10
狭く身動きの取れないケージに押し込め、家畜を生き物として見ていないような育成より、生き物として育てて最後にはきちんと命を頂く、っていう部分にコストをかけるという考え方があってもいいではないか。
あと、妊婦に理論的な考えをしろとか、君は独身だな?人生まだまだ色々だぞ。
限りなくストレスフリーで育った豚は味も良さそうだな
他者の命を食らわずに生きる生物なんていないし人間だってそこから外れる訳が無い
人間含めて賢いとされてる生物を特別視して、生物に対する貴賤を造るから歪みが生じる
なんつうか生き難い思想、生きる事を否定してる様な思想だなってつくづく思った
※12
どこまで行っても全ての生物の命は対等なのだと改めて思わされました
肉も魚もバランス良く食べないとおかしくなるのは当たり前だよなぁ?
牛殺ししたことがあるが、感情は人間と同じだった、臆病で震えて失禁するのもあれば、勇敢な奴もいた、皆怖がっていた。
>>14
肉が大好きでよく食べるけど、それでもその光景を想像するだけで辛い気持ちになる。
生き物と、飼育者と、加工者への感謝を忘れずに頂きたいね。
※14
可哀想すぎる
牛や馬や豚のようなある程度知能の高い生き物はもう食べるのはもう嫌になった
今は鶏と鮭だけたべてる
彼らは頭よくないし、痛覚も鈍い
人間に肉は必要なのは事実だ、だから魚と鶏だけ食べていればいいよ
※96
魚の知性に関してはよくわかりませんが……
少なくとも鶏には殺されるのを怖がる程度の知能も心もありますよ
どの肉を食べようが食べまいが自由ですが、知性を考慮されるのなら昆虫食がおすすめですよ
タイトルだけ見たら極端な人だなーって思っちゃうけど自分の考えを改めてから納得いく答えを出して農場まで経営するってなかなかできることじゃないね。むしろ柔軟な人。
牧場も種類問わず全部放牧できたらいいけど実際は難しいよね。少しでも多く増えてほしい
※15
一見、両極端に心変わりしたかのように思えるけど、実際はそうじゃないんだよね。
「動物愛護のために肉食しないベジタリアン」から、「やっぱり肉食は必要だと認めた上で、家畜にもできる範囲の動物愛護の実現を目指す人」に転向したわけだから。
価値観の根っこは同じ。
どんなに自由に育てたからって、最終的にその家畜の意思を無視して殺してることに変わりはないから、所詮綺麗事だと思ってしまう。
ハイエナが死肉を漁ってる映像を見て「死肉を食べるなんて…」みたいに言ってる人いるけど、スーパーに並んでる肉も死肉だからな?人間が食べてるのも死肉だからな?って思うのにとてもよく似てる。
まあ正直、肉を食べて気持ち悪くならない人間にベジタリアンは向いてないよ。
※16※21
一生が不幸か幸福かは、0か100かで決まるものではない。
人間社会には肉食が必要であることは変えられない事実なのだから、その中でせめて最大限家畜を幸せで居させよう、という妥協的選択だよ。
全人類ベジタリアンかつ全人類健康体、なんて現実問題不可能なんだから。その上で動物愛護的理想を追求すれば、これが自然の帰結だと思う。
※42
幸せの定義なんてものはあくまでも人間の価値観でしかなくて、動物側にとってみれば0か100か、つまり生きるか死ぬかかもしれない。
それは人間には推し量れないし、人間ですら0か100かの人はいるから、それこそ個人の価値観でしか無いよ。
綺麗事を否定するんじゃなくて、綺麗事だと分かった上ですべき事だって言ってるだけ。
※16
あなたの言いたい事もわかるけど、彼女の存在や頑張りが、業界の悪習に光を当てて改善する余地を生み出す可能性を考えたら、僕は悪い事ではないと思うよ。
色んな闘い方があるって事でさ。
>>16
それもわかる。最終的には無視してるから残酷とも言える。
きっとこの人は人間をひとつの動物として捉えてるんだよ。動物たちのサークルオブライフの中でも、相手の合意があって殺すなんてことはない。それと同じだと考えてるんじゃないかな。
※16
0か100かの無思考はなんの生産性もないから止めた方がよいかと。
「食物連鎖の中の自分の位置に満足しています」ってのが大事だよな。自分は他の命を犠牲に生きている、自分もその環境の中に存在している。当たり前だけどそれを認めないことには環境問題に対等に向き合えない。
振れ幅がすごいわ…(´・ω・`)
主義思想はそれぞれ自由だけど
妊婦と胎児を危険に晒すような食生活が健康にいい環境にいい言われて一部でプッシュされてる現状って普通にやばいのでは
※19
本当にそう。
この方も、漠然と「ハンバーガーを食べると貧血にいいのでは」と食べたから良かったけど
それまで身体が悪くなっても栄養学とかを全く調べようともしてないからね。
一部の特殊な体質の人以外は、動物性の食物も取らないと生きていけない。
自分の体が出してたSOSにちゃんと気付けたんだね
ぶっちゃけ幸せに生かせば後でころしてもいいって理屈づけもちょっと違うわな
まあ家畜は人間がおいしく頂くために神が遣わしたと言ってるも同然なイブラヒム系宗教観の枠の中ではこの辺が限界というか落としどころなんだろうけど
その点、獲物を仕留めることを善悪で判断せず、代わりに肉となったものたちへ感謝の祈りを捧げたネイティブアメリカンなどのほうがよほど本質を捉えてる
一神教でアニミズムを下に見る人々よりも、その下に見られてる人々のほうがわかってるというのも皮肉なもんだ
>>21
幸せに生かせば後でころしてもいいなんて理屈づけしてなくない?
まずいずれころさなきゃならない自分の立場を認めてわきまえた上で、それまでは動物に良い生活を送らせようって言ってる。
着地点が違うし、後者は確かに倫理的だと思うよ
宗教観の話は勉強になりました
>>87
少なくとも「消費のために」殺すのであれば殺しても良い、みたいに読み取れるのでこういう見方もアリなのでは。
正直この辺は各々の死生観あたりに左右されるのでブレるもんだとは思うけど。
自分で勝手にやってるぶんにはなんでもいいんだよ
まわりに大声でいってまわって迷惑かけはじめるとなんでもだめなんよ
お肉もお魚も野菜もバランスよく食べる
食べている時が一番幸せ
このひとはベジタリアンの頃から考え自体は一貫していて、向かい直す過程でどうすればよいのか理性的に考えているのが人として大きいと思った(こなみかん
単なる菜食主義者が肉食に回帰して肉屋になったなら何も問題はないと思うよ
でも菜食主義者だったときに肉屋に赤ペンキぶちまけていたりしていたらノー天気に「私は肉屋になりました」では済まされないと思う
こういう人って「極端」なんだよね。
これ以外の別な事例でも感じるけど。
「普通」になんにも考えず消費者として消費する、って事ができない。
「自分が何か行動を起こさないといけない」っていう義務感と、
「世の中にいろいろある価値観に目を向ける事ができない」っていう視野の狭さ。
どちらも、「自分が世界の中心」って観念が強いので起こってる。
だから、
「裏返る」きっかけも「自分」の身に降りかかった災難だったりする。
否定的に書いてはいるけど、彼女自身を批判したいわけではない。
価値観なんて人生の中で変わる事があって当たり前の事だから。
ただ、それを殊更に賞賛したりする事に意味があるとはあまり思わない。
脱サラしてラーメン屋始めたおっさんと変わりない話かと。
※29
いや、アンタも極端だよ
寄りすぎてるから相手も寄りすぎて見えるんだ
>>29
その内容で「普通」は使っちゃいけないだろw
この人は理屈と感覚と実行力のバランスが取れてて、健全だし立派だなあと思う
この手の話題って菜食主義や動物愛護の人、そしてそれらを批判する人、いずれも安易に極論に駆け込む傾向があって読んでて虚しくなる事が多いから、無意識に考えるのを避けてしまいがち。でもこういう人を知ると、ちゃんと向き合うべきなのかなあと考えさせられる。
無智を選んで罪悪感や矛盾から目を逸らし安全圏に引きこもっておきながら、
さも自身は聡明であるかのようにふるまって他者を批判するような人がたまにいる。
グサっと刺さった人は気を付けてね。無智は生きる術であって賢者の証ではないからね。
近頃アメリカの富裕層の中には店を出さないまでも家に土地を持って農業やり、ガチョウやヤギを放し飼い、普段はヴィーガンで肉はハレの日だけに締めて食べるというのをやる人が増えてきてる気がするよ。自分の食べる肉は自分で育てる、みたいな。仕事は別に持っていて、兼業農家のスタイル。私はせいぜいベランダで紫蘇やヨモギを育てるのが精一杯だけど、ちょっと憧れる。タンパク源としてイモ虫を食べたらもうちょっと近づけるだろうか
※35
それヴィーガンじゃないじゃん
変なの
※35
そういえば、日本も昔の田舎では
庭で鶏やヤギ(人乳の代用として牛乳よりも成分が近いとか)
を飼ってる家は結構あったよね。
今の時代は近所迷惑とか言われかねないけど…。
(ラジオ体操ですら文句言われる昨今、
鶏は夜明けから鳴くし…。)
偏りすぎ 肉も野菜もどっちも食えよ
いずれお肉になる牛とか豚とか見てるとさ、これを殺すなんてかわいいし賢いのにかわいそうだなって思うんだけど
それよりなにより申し訳ないと思うのは食べられることもなくただ捨てられてゴミになるのを見るときだわ。
肉魚に限らず野菜とかもだけどね。
この人は自ら動物相手に働いて『敬意をもって「命いただきます」とおいしく食べる』って言ってるんだから立派だわ。
別にベジタリアンだろうとベジタリアンを辞めようといいと思うよ
本人の自由だ
問題は「動物を殺すことは悪!」と短絡的に他人にまで攻撃してくる輩が居ること
そのせいで”問題ない”人たちまで攻撃に晒されるからな
他の家畜らより自由に快適に生かされようがどんな生き物だって殺されたくは無いだろうよ
詭弁だと思いながら読んでたけど、ころす時に痛みや恐れを感じないようにするという配慮は良いと思う
本当は薬で眠らせて…がいいんだろうけど、そうなると食肉にするのはできないのかな
にくたらしいのは、オバタリアン
やっぱ肉って相当うまいんだな
先日おそらく10年以上ぶりにエリンギを食べたけどなんの感激もなかったし10年以上前に食べたエリンギと同じ味しかしなかったもんな
いい笑顔だ
極左の活動家が転向して、そのまま極右になるのは珍しいことじゃないらしいし
そういうことじゃないですかね 普通の人はそこまで極端にはしれないもの
どうせ肉を食べるならこういう人から買いたい。
多少高くてもいい。
肉食を礼賛するわけじゃないし、できれば食べないで済ませたい(でもお肉大好き)と日々感じている私には読んでてとても気持ちいい記事だった
元ベジタリアンだけあって葛藤も相当なものだったはず
そういう風に悩み抜いた人にしかできないことがあると思うんだ
生き物としての命の対等さにこだわるなら昔の狩猟生活が一番誠意はあるとは思う。但し動物にやられてこっちが死ぬとか飢えとかリスクはあるけど。頂いた命は無駄にはしないは大前提だよな。何か病気持ってない限り。
要は、やっと大人になれたってことね。おめでとう
私は普通に肉食で普段から動物をリスペクトしています。仕事の関係でベジタリアンやビーガンの外国人と食事をする機会があった(私が菜食のレストランを調べて予約したが、会計は実費)が、相手の趣向に合わせた食事だったので、楽しめなかった。これからは、普通のレストランで普通に食事することを有り難く楽しんで生きたいと思います。
こういう人はなぜ極端→極端と行くのかな
他の人が書いてるようにちょいと極端な所もあるけど、頭だけで考えず「体験」を通して自分が納得できるとこまで突き詰めようとする人じゃん
それを実践できるなんて結構すごい事じゃない?
俺は部屋に篭って頭でっかちになりがちだから尊敬するわ
取り上げてくれてありがとうございます
他所でもまとめられていたけど省略されすぎて極端から極端に走ったように誤解招く記事だったからここで詳しく読めて嬉しい
どうせ殺すんだから生きてる間の苦しみなど知ったことではないと考えるか
行き着く先が同じでもその間を幸せに生きてほしいと願うか
単に死に方が違うってだけで、これは人間の人生に当てはめて考えてみても同じ問題だよね
自分なりに何かしら答えを導き、実行してる姿勢は素晴らしい。
一番ダメなのは、現状に文句を言ったり、妨害するだけが活動だと勘違いしてる人。
妊娠を期に食べ物の好みが変わっちゃうって話はたまに聞く
また同じタンパク質でも植物性と動物性は別の働きしてて生きる上では必要だし
やはり無性に食べたくなるってのはそれだけ必要としてたってことだから
素直に食べたこの方は柔軟な発想の持ち主だったと思う
まんべんなくバランスよく栄養取るの大事よ
おいしいものが食べたい
ストレス与えて不衛生な所で虐待しながら飼育した方がおいしくなるのか
それともストレスフリーで自然に近い状態で健康に気を使いながら大切に育てる方がおいしくなるのか
畜産業とかに従事したことがないからわかんないけど
感情的にはストレスなく健康に育ったお肉の方を食べたい
でもフォアグラも食べたい
いただきます <(_ _)> 感謝の心
死肉が気持ち悪くて食べられないという人は生きたまま丸かじりとかなら大丈夫なんだろうか
あとなんで肉は駄目で野菜とかの植物は平気なんだろう?
切り花とか結構持つし植物は切断したり口に入れて咀嚼してる状態でも生きているっていう判定なのかな
結局体に吸収される段階では死んでいると思うんだけど死体を吸収するのは気持ち悪くないのかな
それとも胃の中に入っても生きてる判定なのかしら
自分勝手な人間だなぁとしか思わない
※73 こうであると決めたことから一歩も前に進まない人ほど自分勝手なものもないとおもうね。それは停止だよ。止まったままの人間は長い時間をかけて周りに害を及ぼす。
まあ途中から菜食主義になった人だから思想が変われば元に戻るよね。10年間の間にも何度も肉を食べたかったんじゃないのかな? 貧血なら鉄剤、たんぱく質なら大豆や魚でもいい訳だし。ヴィーガンでなくてラクトベジタリアン?辺りで止めとけばいいのに・・・無理してたんだろうね、恋に恋すると同じでヴィーガンな自分に酔ってたのかね。
「肉を食べる人は植物殺して~」← この手の輩が必ず沸いて出てくるけどさ動物と植物を一緒に考えんなよ。これ言う人は無様に家族が殺されても雑草を踏みつけたくらいの悲しみの感情しか沸かないのかな? 野菜を踏み潰すのと牛や豚を殴り殺すのとはイコールなのかな?そんな考えは私は怖いです、動物は動物、植物とは違います。
できるなら人体からは遠く離れた物を食べて生きたいですよ私はね。
もし自分が家畜に生まれていたら、やっぱり生きてる間は
楽しく暮らせればうれしいし、できれば屠畜も分からない
くらいの安楽死にしてもらいたい。
なんで、できるだけ家畜に配慮しているお肉・卵・牛乳を選ぶ。
量は若い時よりずっと少なくて済んでいる。
動物のためを思うなら、肉を食うのをやめても効果は無い
それで牧畜がなくなるわけじゃないからね
それなら環境を整えて自分で動物を育てる方がずっと効果がある
ベジタリアンの主張で初めて合理的だと感じたよ
菜食でも雑食でも何でも良いのだけど、例えば漁獲量の規制がある魚は規制を超えた分は廃棄されている(用途に限らず、規定量以上の申告は出来ないため)とか、そういうのを知った方が良いんじゃないのかね。
流通に一切乗れないまま葬られている量は食品ロスどころの問題ではないよ。
肉も野菜も食べればいい。世界は人間のものだから
今の肉牛も豚も鶏も人が食べるから種を未来につなげる事ができているんだよ
もし人間がこういった家畜を食べなくなると、おそらくすぐに絶滅危惧種レベルにまで
落ちるだろうね
比較的野生動物の狩りに厳しい日本のような国でも野生動物は激減している
人の飼育を受けられなくなった家畜の居場所なんてないんだよ
動物を食べない事だけで動物を守ったような気になっているのなら大間違い
過酷な環境で死んでいく、強い生き物に食べられるのも動物の自然な生き方と割り切れないと
動物愛護なんてしちゃいけないよ?
自然からかけ離れた歪な愛護なんてのは、その手の愛護団体が毛嫌いする動物園なんかと変わらない
動物はダメで植物は良いというのも変な話。
植物にも何かしらの痛み的なものはあるし、生きたいという意志もある。
だからこそ丹精込めて育てれば良く育つし、雑に扱えばちゃんと育たなかったりする。
石でも食べて生きるんでなければ、人は常に命を食べてる。
植物が摘まれるときに苦しくないとか痛くないとか、誰が決めたのか。
魚は痛みを感じないとか、ウサギは鳥と同じだとか、
その時代の人が勝手に決めていることじゃないのかな。
だったら私たちにできることは、万物に感謝して食べて生きることしかないじゃないか。
なんとまあ行動力のある人だ、素晴らしい
※86
全く同感。行動するしないは本当に天と地ほど差がある。
さらに結果だけ見て非難するのはもはや宇宙外だね。
普段肉食べまくってるけど、食という「娯楽」のために動物の命を奪ってる業は否定できないと思う。
極限状態になれば躊躇なく動物を殺して食べるだろうけど、余裕のある状態での殺生はエゴイズムだよなぁ
かといってヴィーガンはしんどすぎた…
動物ぶっ殺してる事実を隠すような教育はしたくないし、かといって子供に過度な不殺主義押し付けてプレッシャーもかけたくない…
この人は悩みまくった結果落とし所を見つけて生きてるし、
食について考えるきっかけを押し付けることなく発信してて良い影響受けました。
俳優のクリスチャンベイルは7歳からヴェジタリアンだったけど20年後「ライフ・イズ・ビューティフル」を観たあと無性に肉が食べたくなってヴェジタリアンを辞めたそうだ。映画とどんな因果関係があるんだろうか。
菜食主義を実践した上で悩んで、肉食に転向して、自らの主張を農場経営という行動で示してるのが凄いし立派だと思う。
菜食主義になったきっかけも、農場を経営する現在の行動も、動物福祉について真剣に考えた結果なんですね。
肉が大好きだからこそ、家畜達を出来るだけ丁寧に扱ってほしいと考えている自分にとって、こういう人がいてくれるのは嬉しい。
動物愛護を叫ぶ一部のヴィーガン達の言動が最近まで理解出来なかったけれど、日本の畜産業が他国に比べ良心的なのかもと思う今日この頃。
海外の畜産業者の中には、日本人が想像も出来ないような扱いをしている経営者達がいるのだろう。
ベジタリアンやヴィーガン全体に対して侮辱的で攻撃的な人が多いけど、過激な愛護活動家と同類だと思う。
一部の言動を全体に当て嵌めて敵視するのは視野狭窄だと思う。
>動物が(死ぬまで)良い生活を送ることができれば、消費のために動物を殺すことは非倫理的ではないと思うからです。
これに対して それでも残酷だって主張する連中に何て返すのか知りたいトコだけど。
妊娠すると普段食べない物が無性に食べたくなったり、その後の人生で食の好みがはっきり変わったりすることがある
体調不良もあるけどそういう変化の一種でもあったのかもしれない
菜食主義はやっぱり宗教だなあ。
結局のところ、自分がそうしたいなら勝手にすれば良くて、思想の押しつけ(肉食べてる人にイチャモンつけるとか子供に肉を食べさせなくて栄養失調とか)さえなければ自由にしてくんなって思う。(当然肉食を菜食主義に押し付けることも同じ)
この人も菜食主義から肉食アリに転向したからって理由で褒めるのも筋違いかな。元ヤンキーが過去の過ちをすべて精算したわけでもないのにちょっとした善行でイイ話扱いされる気持ち悪さに似てる。
屠殺を不道徳だと考えた。だからveganになり肉大好き人間の生活を非難する。個人の信条はその人のもんだけれど、人間が人間であるためには他の生物より沢山の命を奪い、地球上で最も不道德な存在でなくてはいけない。この不道徳さからeasyに逃れようとして肉食やめるのは愚の骨頂。あまつさえ他人のメシに文句つけるなど不遜極まりない。
そこら辺に気付いて再び肉を食うようになったこの人は立派。
人間、今までの信条を見つめ直して後戻りするってのは案外できないもんだ。
肉断ちするなら、肉から摂取出来る栄養素を補えるような献立を考えなきゃならない
だけど海外の貧乏人には到底無理なんよ
そこら辺を肉屋テロリストは一切考慮しないんだよな
日本人なら米と大豆さえ食ってりゃ、必須アミノ酸不足にはならないから何とかなるかもしらんが
植物にも苦痛や焦りの感情があるって研究結果が今月発表されてたけど、ベジタリアンたちが今後どう反応していくのか見ものだな
陳舜臣の本を読んで「男子厨房に入らず」の意味を「肉を食うのに、目の前で〆られてるのを見ると、かわいそうになって喉を通らなくなるから入らない」という、目をそらせば大丈夫という都合のいい意味だということを知ったが、彼女はきちんと向かい合ってるんだから、えらいもんです。
いうて、西洋人も一般人まで肉が行き渡るようになったのは、そんなに古い話なわけじゃない。
まず最初に感心したのは、自分の為=お腹の子の為に肉を口にした、ってトコ。
世の中には、子供の命よりも己の思想を優先させる(必要な輸血をしないで死なせてしまうとか)人もいるからね。
「( 命を ) いただきます」と手を合わせ礼をしてから食べる日本の習慣を見習ってほしいよ。野菜も肉魚も同じ、食べ物は全て、命への敬意、育てた農産業者への感謝の意、両方を込めてきちんと食べるほうがよっぽど健全だと思う。
最近だいぶ傲慢な人間になっていて、食べ物を冷蔵庫で腐らせてしまった
マジ反省しないとな
倫理的にも、環境面でも、ヴィーガンよりも、レスミート(肉を毎日じゃなくて、週何度かに抑える)が当たり前になるのが一番だと思うけど
ついついエゴで極端から極端に走ってしまうのが人間なんだ
生き物がかわいそうだから食べない、じゃない。我々はほかの生き物を食べる動物なんだから、自然の摂理には逆らえない。だからこそ感謝して食べるんだよ。
人間という生き物として「生きる」ために、その中でできうる限りの配慮をしているこの方にはとても共感できるし惹かれる。人間として生まれた業から目を背けず前を向いて進むことこそ「人間」であるべきだ。
自意識が高い人だね。
普通食に戻せばいいだけなのにころす方に転向する意味わからん。
ここで 菜食=悪 肉食=正義
として語る連中の傲慢さと悪辣さよ
現状維持バイアスと自己正当化だろうな
何にせよ動物への残酷な仕打ちは無くすべきだし
栄養の問題も解決するために
培養肉の研究開発を推進してほしい
論理的にどーとか食物連鎖の中にいるからどーとかいちいちうるせぇ
肉美味いでいいんだよ
> 敬意をもって「命いただきます」とおいしく食べること
生かされてる、ということかな。生かされてる訳だとしたら敬意は確かに重要なのかも。
肉食と菜食、どちらが悪でどちらが正義なんてないのに、己の正義を他人に押し付けようとするから争いが生まれるのだと思う
己が選んだものを黙って食べればいいだけのことなのに
猿だって肉を食べるのだし、人間が肉を食べるのは当たり前。猫が肉や魚を食べるのと同じこと。ただ人間の共感能力は極めて高いため、動物の苦痛を思うと自分も苦しくなる人がいるのはわかる
そう思うとどちらを選んでもおかしくない気はする
自分個人としては、残酷だし可哀想だとは思うが肉を食べない生活を想像すると不安も多いので食べ続けるよ
こういう極端から極端に走る人間は周囲を振り回す
絶対に関わるなよ
いただきます、ってことを完全に理解したか…
さも当たり前のように失われた命がスーパーとかで手に入るから割とみんな忘れかけてることだけどさ、動植物関係なくその家庭で奪った命に心から感謝しながら残さず食して糧にするのが一番の供養なのよね…
それでいて動物に与える苦痛等々に対して配慮しようとするなんてなかなか出来たことじゃないよ…私は普通に凄いと思う。
食肉の是非を問うんじゃなくて、現代の効率化された畜産での家畜の扱いが酷すぎてリスペクトに欠けるってのは分かる主張なんだよな
肉食なんて野蛮だ!この野蛮人どもが!!お前らが死ね!!みたいな空気出すからヴィーガンやらアニマルライツがみんな大大大っ嫌いだけど
フォアグラ用のガチョウの扱いとかブロイラーの扱い見たら可哀想って思う心はあるし
この人の牧場みたいな試みを応援する気持ちだってあらあな
ただまあ、全ての畜産がシステム化されなくなったら
多すぎる人類に対して肉が全然足りなくなるんだろうな
鳥胸肉100g69円とか夢のまた夢になるんやろなぁ
まあ、アニマルライツなんかに言わせりゃ、人類が死んで数を減らすべきだとか言うんだろうけど
宴会で生きたエビを出されて 手が震えて首引っこ抜けず食べれなかった自分が恥ずかしい
動物愛護のためにヴィーガンしてたけどアトピーが悪化して続けられなかった。肉を食べるようにしたらアトピーは良くなったけど、もし肉を食べずに健康に生きられるならそうしたい。
「肉食に転向した」というより「雑食に戻った(ヴィーガンを辞めた)」じゃないの?ヴィーガン辞めても肉だけじゃなくて植物も食べてるし。