この画像を大きなサイズで見る誰だって気分が落ち込むことはある。だがずっと落ち込んでいても何も良いことはない。自分の気持ちが晴れる何かを模索しているはずだ。
例えばそれが一杯のお酒だったり、甘いチョコレートだったり、沈んだ心を晴らす自分なりの方法があることだろう。
でもなかなか気分が良くならない。そんな時はこんな方法もある。
これは、アメリカ・アイオワ大学の心理学者、ダグラス・ジェンティーレ教授が教えてくれた方法だ。ほとんどの人は気持ちがすっと晴れてくるという。
その方法とは・・・
自分ではなく、他人の幸せを願おう
自分のことを気にするかわりに、他人が幸せになることを願えば良いのだ。
外に出て散歩でもして、そこで出会った人の幸せを心から願おう。知らない人に親切にふるまってみよう。
そうすれば、不安が和らぎ幸せな気分になれる、とジェンティーレ教授は話す。
この画像を大きなサイズで見る何が一番幸福感が増すか?3つの方法で実験
自らが抱える不安を緩和し、幸福感を上昇させるには、他人の何を見て、どう考えるかがポイントとなってくる。
そこで、ジェンティーレ教授の研究チームは、一般的に言われている3つの方法(対照実験を含めると4つ)で実際にテストしてみた。
大学生に12分間散歩をしてもらってから、次のいずれかをやってもらった。
1. 愛と親切
周囲にいる人たちを見て、「彼らが幸せになりますように」と心のうちで願う。学生には、できるだけ本気で願ってもらった。
2. 絆
周囲にいる人たちを見て、自分との関わり合いについて考える。たとえば、彼らが分かち合いたい願いや想い、出会ったことに対する縁、あるいは今後仲良くなるかもしれない可能性といったことを想像する。
3. 比較(他者を見下す)
周囲にいる人たちを見て、自分が彼らよりもどれだけ恵まれているのか考える。
4. 対照群
周囲にいる人たちを見て、服装やメイクやアクセサリーなど外見だけを観察する。
この実験の前後、参加した大学生の不安感、幸福感、ストレス、共感度、連帯感のレベルを測定した。
この画像を大きなサイズで見る一番幸福感が上昇したのは「愛と親切」
この結果、幸福感・共感度・連帯感が一番大きく上昇し、不安感が一番少なくなったのは、「愛と親切」法だった。
また「絆」法では共感度と連帯感が上昇した。
一方、「比較(他者を見下す)」法には、特にメリットが確認されなかった。また、「愛と親切」に比べると共感度や連帯感が低いことが判明した。
先行研究の中には、気分が落ち込んでいるときに比較法を行えば、ストレス緩和作用が得られると報告しいているものもあるが、今回の実験では確認されなかった。
どんな性格の人でも「愛と親切」法は有効
今回の研究では、それぞれの方法と性格との相性も調べられている。
普段から自然に他人を思いやれる学生なら、「愛と親切」法からより大きなメリットを得られる、というのが研究者の予想だ。
一方、自己愛的な人では、他人の幸福をなかなか上手く願えないだろうと予想された——どちらも順当な予想である。
しかし意外なことに、どのような性格であろうと効果にさほど変化はなかった。
親切心に溢れる学生も、自分大好きナルシストな性格の学生も、愛と親切テクニックによって大きく幸福感が上昇していたのだ。
この画像を大きなサイズで見るSNS時代に陥りがちな他人との比較の罠
SNSを使用していると、どうしても他人と自分を比較をしてしまいがちになる。自分よりも暮らしぶりが良かったり、容姿が良かったりする人が簡単に目につくからだ。
今回の研究は特にSNSを念頭に置いたものではなかったが、その結果から他人との比較がリスキーであることが窺えるだろう。
SNSをやれば、他人と自分を比較しないでいるのはほとんど不可能です。研究でこの点を調べたわけではありませんが、SNSを眺めているとき、嫉妬や妬み、怒りや失望といった感情をよく味わうものですよね。
ジェンティーレ教授によれば、他人との比較は、そこから何かを学んだり、何かを決めようとしたりしているときなら有効だという。
周囲の人を観察して、彼らが手にした結果を自分のものと比べれば、よい成長の機会にもなるだろう。
しかし幸福感という点においては、それほど嬉しい結果にはならないようだ。
この研究は『Happiness Studies』に掲載された。
References:A simple strategy to improve your mood in 12 minutes • News Service • Iowa State University/ written by hiroching / edited by parumo
















そんなわけあるか、俺は人の幸が大好きなんだ
俺は貴様らを心の底から祝ってやるからな
自分の幸福を考えた結果他人への奉仕に行きつく。パラドックスのようだけどこの結論はよく耳にする。認知科学者に言わせると長い進化の歴史の中で集団生活に有利な心の仕組みになっていったんだそうだ
ある程度歳をとって(経験を積んで)人や世の中を知ってる人なら
実感として感じ、同じような結論に達する人は多いね
他人を見下したり他人と比較してる人がそれによって幸福を感じてるとこ見たことないし
満足するのは幸福感じゃなくて別の感情であって不平不満持ってる人がしてる行動
これ意図的にやったとしても効果があるもんなんだね
どう頑張っても幸せを願えない相手がいて、そんな自分の小ささに嫌気がさして落ち込んでしまうのですが。。
※4
世の中には嫌な奴や悪い奴はたくさんいるけど、何もそういう輩にまで愛想を振りまく必要は無くて、愛すべき・救われるべきだと感じる人々に手を差し伸べるだけで良いと思うよ
※4
そう思える時点で、あなたは優しい人だ。
全世界全ての人を許し愛するなんて、そんなの聖人でもなきゃ無理。
今目の前の誰かが幸せそうだと、自分もちょっと幸せって、その感覚だけでいい。
どうしても幸せを願えない人は、ひとまず考えなくていい。答えを出すにも、時間が必要なのだから。
※4の者だけど、ありがとうありがとう。おかげで今日はなんだか幸せです
>>32
一連を読んで何故だかこちらまで嬉しくなった。こういう事なのかな?
会ったことも無いどこの誰だか知らないけれど、お互い明日も良い1日になるといいな!
>>4
私もです(。・_・。)ノ
人の幸せでメシが美味い ! !
おまえらがたいほされるのはいつだ(´・ω・`)?
他人によって落ち込んでいる人に、その他人の幸福を願えと言うのは、相当酷なことを要求しているよね。
この手のポジティブなノウハウを言う人は、本当に人間の心理を理解しているのかなと思うことがあるよ。他人に平気で難しい事を要求する人なのかなと。
昔、馬鹿な事ばかりしてとうとう服役した。
雑居で、強殺で無期懲役の室長が毎晩消灯前に被害者に般若心経と祈りを捧げているのを見て、自分も幼少の頃からお世話になった方々を思い出しながら、心の中で感謝と幸せを願う祈りを始めそれが日課になった。
今は社会復帰し、やりがいのある仕事に就き穏やかに過ごしている。
自分が変われたのは、周りの人達とこの祈りのお陰だと思っている。
今でも時々、きっかけをくれた室長にも感謝と幸せの祈りを捧げている。
※8
更生というものがやけに疑問視される世の風潮で貴方の言葉で胸がすくような思いがしたよ
貴方の穏やかな日々が途切れる事なく続きますように
知ってた
それが可能な状況なら「寝る」これが一番。
そんな聖人ばかりいたらブラック企業は無くなるよね
ふむ、愛は地球を救うのではなく自分自身を救うのか、しかし例外はあるのだろうか?NZの銃乱射事件の犯人のような。
公共の場での人々の幸福と言えば統計的最大多数の幸福っていう功利主義的価値規範というのはもはや暗黙知の領域だからね
今回で言えば家族の事を考えてネガティブになるようなマイノリティは数のうちに永遠に入らない訳
やってみたがなーんも変わらん
※16
継続は力なり。
テストする対象を事件や事故の被害者など精神的にダメージを受けてる人に限定してやった方が良いんじゃないかな。
性格とかそんなんではなく、今置かれてる状況の方が重要だろ。
確かに落ち込んでいるときは自分のことで精一杯になりがち
一歩踏み出して、ささやかな他者の幸せを願うのはいいかもしれないね
他人は無理だという人は、道端のタンポポがきれいに咲きますようにとかはどう?
※18
うん、タンポポの幸せを願うことならできそうだ
気をそらすには有効かもしれないが、一時しのぎの感は否めないなあ
他人の幸せは蜜の味
アイドルオタクなので常に推しの幸せを願ってるし推しが幸せそうにしてるのを見たら確かにどんな時も元気出る
これ不思議なんだけど、ほんとに幸福感が増すならみんなやるはずなんだよね
快楽を求めるのは人も実験ネズミも同じはず
でも実際には他人の幸福を願う人は必ずしも多くない
このギャップには何か理由があるはず
そっちこそ本当に研究すべきことだと思う
※26
ふと思ったんだけど、ここで指摘されてる心理の一方で、人はいいことを考えただけで自分にちょっと甘くなって「いいこと考えてる自分はこれくらいしてもいいはずだ」と本当はやってはいけないちょっとした規則違反なんかをしてしまう都合のいい心理があると聞いたことがある
「他人の幸福を願ったんだから、少しくらい、ね」
もしかしたらそう考えてしまう自分がいることを多くのひとは無意識に感じていたりするのかも
どんなにいい薬にも副作用があるものです
ましてや処方量を間違えればそれは一転して十分毒になり得る
人の幸福を願うとき、それは自分の気分を向上させるといういたって自己中心的な
理由もあるということを同時に自覚しておくべきなのかもしれません
>>26
キャッチボールにならないと効果が出ないと場合が殆どだと思うからかな?
ズルして自分だけ幸せになろうとする人が少なからず存在するし
相互に同じ考えじゃ無いと厳しお面あるよね
そうねー。
まあ、『それができれば苦労しねーよ。』な案件な気がしなくもない。
※29
それはその通りなんだが、「それでもやるンだよ!」
ECHOES「『ZOO』で歌っておきました」
時分が贔屓にしてるスポーツチームの好成績を常に願ってるんだが、
確かに次の試合でこんな幸運に恵まれて快勝するに違いない!
とか妄想してると幸せな気分になる、、、多少w
仏教の慈悲の瞑想に似てる
「ありがとう」をひたすら言うみたいな似たようなものがあったけど、最近、聞かなくなったな
まあ、そういうこったろ
皆に祝福あれ!幸運を!
・・・・・・・・・・・・なんだかなぁ
・・・映画で、仲間助けて犠牲になる人の最後の通信?
自分は猫と遊ぶ、猫を抱っこが一番効果がある
>>36
そだな、他人の幸せを祈る余裕は無くとも、目の前の猫の平穏を祈るだけでも人はきっと穏やかな気持ちになる。
自分がつらいときに他人の幸せなんか願う気になれないのはごく自然で普通のこと
気持ちを切り替える方法は色々ある
個人的には、他人の幸せも不幸も願わず、見下さず見上げず「他人」というものを意識から可能な限りシャットアウトするのが一番すっきりする
心なしか、いや絶対コメントのマイナス評価がいつもより少ない気がする(笑)
幸せにさせてくださいと言いながら人に祈りを捧げようとする人に絡まれたことがあるけどあれは何だったんだろう
※43 新興宗教。彼らが目を閉じて祈りを捧げている間に逃げた。(@渋谷 西武前)
確かに、通勤中イライラしてても、妊婦さんに席を譲ったり人に親切にすると2時間ぐらい心があったかくなるな。
でも嫌いな野郎の会社が縮小傾向なのを聞いたので今2日ぐらい心がほんわかとあったかいですね。
人の幸せを願えるのは、自分に余裕がある時だけなんだよね。
両親の介護が始まっちゃって、毎年楽しみにしていた社員旅行にいけなくなって、社内連絡用のlineグループに流れてくる皆の楽しそうな様子が見てられなくて通知を切ってしまった。
私はこんなしんどいのに皆は旅行を満喫してるのかと思うと辛くって、何度言い聞かせても分かってくれない認知症の母につい怒鳴っちゃって、そしたら体が動かないだけで頭はしっかりしてる父にごめんよって謝られてしまった。私は本当にダメな娘。
両親の幸せを願ってるのに、もうずっと苦しいまま。
どうしたら私は楽になれるんだろ。
※45
もしかすると、あなたがご両親の苦しそうな様子ばかり引き受けてしまっているのではないかな。
※47さんが言うように、まずは自分自身を助けることから始めてはどうだろう。
きっとあなたのご両親も、あなた自身が楽しそう、幸せそうなところをなところを見たいと思ってるんじゃないかな。
でもあなたが辛そうだと、介護されてるご両親は自分たちのせいじゃないかと思って辛い気持ちになるんじゃないかと。そしてそれを見るあなた自身がまた辛いことになる。
そういう悪循環にハマってはいないかな。
何か知った風なことを言ってしまって本当に申し訳ないが、何か家の中でも微笑むことができるものを探してみてはどうだろう。例えば動物動画とか。
※50
※58
※59
ありがとう。
誰かに気にかけてもらえるって、それだけで嬉しいね。
両親は晩婚で私は二人が40過ぎてから生まれた長女で、本当なら私の年齢なら介護が始まるのはもっと先なはずだから、私には心構えとか覚悟が足りないんだと思う。
こうなる前、母は私に依存する毒親気味な人で、父は仕事のストレスでずっとイライラしていて最近までまともに話したこともなかった。
だからと言って苦しませたいほど憎んでる訳でもないし、一人娘が泣きながら介護してる姿なんて見たらそりゃ悲しいよね。
もうちょっとどうにかならないか、方法を探してみる。
優しい言葉を掛けてくれてありがとう。
あなたたちにたくさん良いことがありますように。
※45 あなたの反応は、当然の結果。
あなたはダメな娘なんかじゃない。
絶対に。もっと他人を頼ろう。
>>45
家の親も要介護です。お疲れ様です。
疲れたら休みましょ。
完璧な親もいないし、完璧な子供もいないし。
親御さんも、あなたが小さい頃あなたを一度も叱ったことがない、なんてことはたぶんないんじゃないでしょうか?思いが伝わらなくて、イライラしてつい声を荒げることなんて、ありますよ。ダメな娘じゃないですよ。あるよあるある笑 お互い様さー。それで心を痛めているところ、むしろ優しい娘さんさー。
>>45
SNSは見ない方が良いと思うの
幸せの形って決まってないし見えてるもの見せてるものが本質とは限らない
追えば逃げるツンデレなんやで
この研究ではタイトルとは些か違う結果が出ただけにしか読めないな
本当に落ち込んだ時に他人の事を考える余裕なんて普通は無い
先ず気分を平静に戻した後からなら別かもしれないが
落ち込んでる時に他人の事を思いやれない自分を責める必要など全く無い
他人より先ず自分自身を助けること(自助)が先決だ
その方法こそもっと世の中に広く知らしめられなければならない
私が働き始めた頃は常にお客の要望を叶える為に頑張った
確かに活力にはなったが仕事に馴れたと思った時には心の抑揚が平滑になっていった
今では仕事に遣り甲斐を求めてはならないと思ってる
遣り甲斐を求めるなら趣味が一番
人間相手には無理だ。
犬や猫じゃダメかな。
日々感謝することを最近心掛けてるけど、
本当に落ち込んだ時には感謝も出来ないし
余裕もないから他人とかどうでも良くなる。
ただひたすら休養に専念して、寝るとだいぶ回復する。
死にたいほど凄く辛かったとき、でも〇〇が幸せならいいな、幸せでいて欲しいなって自然と考えてたことがあるなあ。
達観して感謝しちゃうというか。
そしたらそのうち事態が好転した。
そして自分比だけど人にもっと優しく寛大になれるようになった気がする。
夫は会社で嫌な事があると、必ずお土産を買ってきてくれる。
なのでちょっとオーバーくらいに喜んで、お礼を言ってる。
※63
嫌な事があったからお土産を買ってきてくれたのかな?と気付けるあなたも素敵。
優しい夫婦なんだね。
本当に落ち込んでいる時は他人ではなく自分を労わるべきだよ。
自分を大切にすることが一番大事だと思う。
それじゃ、今日も私利私欲のために世界人類の幸せを願わせてもらうか。
本気で願うってどうやるの?
こういうのって色々あって最終的にこういう境地に辿り着くんであって、辛いのをごまかすために無理に他人の幸せを願うのは違うと思う。
一時的には効果あったとしても、続けると段々違和感が出て来て、他人にも「なんか変だな」って察知されそう。
環境が許すなら辛い時は辛いままでいるのが一番だよ。ごまかしたりすると後々来る。