この画像を大きなサイズで見る「メメント・モリ」は”自分がいつか必ず死ぬということを忘れるな” というラテン語の警句である。
生きる者たちはできるだけ死から目を逸らそうとするが、死はいたるところにある。そしてそれは誰もが決して逃れることのできない宿命なのである。
ここでは死が記録されている有名な11の場所を見ていこう。
1. ポンペイ(イタリアの古代都市)
この画像を大きなサイズで見るポンペイは79年に噴火したヴェスビオ火山によって一瞬で葬り去られた町だ。遺体は1時間に15センチも降り積もった6メートルもの灰に埋もれた。
遺体が腐って失くなると、灰の中に空洞ができた。ここに石膏を流し込み、掘り出すと、犠牲者が死んだ時の姿そのままの鋳型を作ることができる。
それは悶え苦しむ人間の姿だ。多くには遺骨が残されているが、分厚い石膏のために撮影は難しい。しかし2015年の研究では、CTによってその内部の骨と完璧な歯を明らかにした。
・ポンペイ遺跡の修復プロジェクトで復元される悲しみが詰め込まれた石膏遺体像(イタリア) : カラパイア
2. バハ(メキシコ)
この画像を大きなサイズで見るメキシコ、バハ・カリフォルニア・スル州ラパス湾にあるエル・コンチャリートでは変わった埋葬が行われていた。
2300年以上前にここへやってきた古代人57人の遺体が、貝殻で裏打ちされた浅い墓の中から発見された。
発見された一部の遺骨は無傷のまま、仰向けか、体を横にして安置されていた。しかしかなりの数が切断された状態であった。
例えば30~35歳の男性は脊椎、腰、肋骨が切り取られ、顔の前に置かれていた。また腕の骨の1つが頭蓋骨に突っ込まれていた。
どうやら古代人は一度埋葬してから掘り起こして、腰のところで遺骨を切断していたようだ。それから下半身を上半身の上に置いた。
骨の多くは綺麗に切断されているが、中には失敗してぼろぼろになっているものもあった。一説によると、死者の蘇りを防ぐための儀式だったという。
3. 骸骨の湖(インド、ループクンド湖)
この画像を大きなサイズで見る1942年、インド、ウッタラーカンド州である森林管理官が優雅な湖に遭遇した。仰天したことに、その湖から人間の遺骨が大量に発見されたのである。
ループクンド湖はヒマラヤの標高5028メートルという、そこへ辿り着くまでに1日がかりの場所にある。
当初、最近の遺体であると推測されていたが、2004年に850年のものであることが判明。死因は頭部や肩への打撃と思われたが、武器による傷ではないようだった。研究者によれば、遺体は旅行者の一団のもので、直径23センチという酷い雹に見舞われて命を落としたという。
4. エベレスト
この画像を大きなサイズで見る世界最高峰のこの地では幾人もの登山者が命を落としている。低温、高高度、クレバス、雪崩など、エベレストには危険が山ほど存在する。また、そうした環境ゆえに遺体を回収することも困難である。
2015年の調査によると、8848メートルの山頂付近には200体の遺体が放置されているという。その一部は人気ルートから外れた場所にあった。
また”グリーンブーツ”と呼ばれる遺体は、張り出した突起部の下にあり、蛍光色の登山靴が非常に目立つことから、一種の目印にもなっていた。
それは20年もそこにあったが、調査では、この遺体がなくなっていることが判明した。北側を管理する中国によってどかされたか、石で覆われたのかもしれない。
5. パプアニューギニアの燻製ミイラ
この画像を大きなサイズで見るパプアニューギニアのアセキ(Aseki)地域にあるコケ村(Koke)では、死者を隠したりはしない。この村では遺体を煙で30日間燻し、その後に赤土で塗る。
こうして防腐処理を施したミイラを崖の上に安置する。この習慣を始めたアンガ(Anga)族の伝承によると、儀式を行わないと、魂が彷徨って悪さをするのだという。生きている者は遺体に話しかけ、助言を受けたりもする。
・ミイラになってもなお村を守り続ける、パプアニューギニアのミイラ戦士(閲覧注意) : カラパイア
6. カタコンブ・ド・パリ(フランス)
この画像を大きなサイズで見るパリにある迷宮のようなトンネルには数百万体もの骸骨が安置されている。ここは1700年代に飽和した墓地から遺骨を移すために作られ、1859年まで利用され続けた。またフランス革命期の虐殺やギロチンの犠牲者は直接ここに埋葬された。
カタコンブ・ド・パリで眠る有名な人物としてはマクシミリアン・ロベスピエールがいる。史上初のテロリストと呼ばれるフランス革命期の政治家で、1794年にギロチン刑に処せられた。
7. カプチン会納骨堂(イタリア・ローマ)
この画像を大きなサイズで見るローマのカプチン会納骨堂には3700体もの僧侶の骨で飾った5つの部屋がある。部屋の1つでは、ラザルスを蘇らせるキリストの奇跡が描かれている。また別の部屋では、主に骨盤で装飾が行われている。頭蓋骨専門の部屋や大腿骨と腕の骨専門の部屋もある。そして残りの部屋には、大鎌と秤を持ち、死と裁きを象徴した骸骨が置かれている。
カプチン会の修道士は、1600年代に1528年頃に死んだ修道士の骨を使ってこの事業を始めた。彼らは死の組み立てラインのようなものを作り、死んだばかりの遺体は遺体安置所に埋葬し、最も古い遺体の骨を装飾のために使った。最も新しい遺体は1800年代後半のものだ。
8. 死の霊廟、聖バルトロメイ教会(ポーランド)
この画像を大きなサイズで見る数の点ではカプチン会納骨堂ですら敵わないが、ポーランド、チェルムナにある聖バルトロメイ教会(St. Bartholomew’s Church)は頭蓋礼拝堂としても知られている。
18世紀に作られた建物の外観は何の変哲もない。しかし内部に足を踏み入れると、戦争や疫病で命を落とした24000体以上もの人骨に出迎えられる。
30年戦争、第一次・第二次・第三次シュレージエン戦争ならびに地域的な紛争とコレラの流行など、遺体を供給した事件は1600年代にまで遡る。アトラス・オブスクラによると、装飾に使われているのは3000体で、残りは地下に安置されているそうだ。
9. 断崖の棺桶(中国)
この画像を大きなサイズで見る中国南部の山間部で暮らす僰族は、腐食性動物から遺体を守るために、崖から棺桶をぶら下げるという面白い方法を考案した。
400年ほど前から、1本の丸太をくり抜き棺を作り、それを岩棚の上や、杭を打ち込んだ岸壁に安置するようになったのだ。その多くは四川省キョウ県で発見されているが、中国南部の別の場所でも発見されたことがある。
例えば、2015年に湖北省で、1200年前の宙吊り棺桶が131個発見された。僰族についてはほとんど分かっていないが、1991年の論文によると、夏に分厚い下着、冬に薄い服を着て、体を鍛える習慣があったそうだ。
10. 古代の戦場(ドイツ、トレンゼ川渓谷)
この画像を大きなサイズで見るドイツ北東のトレンゼ川渓谷には古い人間の遺体が隠されている。時折、青銅器時代の頭蓋骨が地表に出てくることがあったが、1996年にはアマチュア考古学者によって、矢に射抜かれた腕の骨が発見された。それ以降、骨折した頭蓋骨など傷ついた骨がいくつも見つかっている。
また棍棒や鏃、マレットのような木製器具など、武器も大量に発見された。これまで100体の遺体が発見されたが、そのほとんどは若い男性である。
これは紀元前1230年頃に幾度か大きな戦いがあったことを示している。100人という戦死者数からは、当時のこの地域における他の戦争に比べると、規模が大きかったことが分かる。
また頭蓋骨の前面にある損傷は、対面で戦っていたことを窺わせる。多くの死者の傷が治癒していたことから、職業戦士だったことも窺える。
その他:動物たちの死体が眠るナトロン湖(タンザニア)
この画像を大きなサイズで見るタンザニアのナトロン湖に人間の死体はないが、それでもきわめて不気味な場所だ。ペーハー10.5前後という腐食作用のある水のおかげで、ここで死んだ動物の死骸は保存され、そこかしこにミイラが散乱しているのだ。
2013年に出版された本では、鳥やコウモリといった動物の死骸がモノクロ写真で紹介されている。しかし、湖には生き物もいる。そこに浮かぶ島にはフラミンゴが繁殖しているし、湖周辺の塩性沼沢には鳥や魚だって暮らしている。
湖の水質は周辺の陸地で堆積した炭酸ナトリウムが原因だ。これは古代エジプトがミイラ作りに使用したナトロンの原料にもなるものだ。
・石化の魔法をかけられた動物たち。神秘の湖、ナトロン湖で石となった動物の写真 : カラパイア
written by hiroching / edited by parumo














埋葬の仕方を見ている時
もっとも文化の違いを痛感する
チェコのセドレツ納骨堂も割と有名ですね。
日本では死は忌むべきというか、あまり歓迎されてないようなイメージだけど
前向きな国もあるもんだなぁ
中国の棺桶はなんで英字が書いてあるんだろうか
十字架も置いてあるよ?
※7
この記事の写真が間違えてる
断崖に棺おけをぶら下げる地域は記事にもあるとおりいくつかあるんだが
この写真は観光スポットにもなってるフィリピンのイガト族の墓のもの
中国の四川省のやつは観光客とは無縁の秘境にあるガチの墓で
棺が黒っぽく地味で風化が激しく、しかもこの地域に立ち寄ったバカ役人が
棺を焚き木に使ったりと遺物消失の危機に晒されている
※11
確かに、フィリピンのサガダの写真ですね。
死体を損壊してるようで嫌悪してしまう。不衛生だという感覚がないのかな。理解不能…。
死体の扱いは日本でも大昔は地域によって様々だったんだろうな
カタコンブ…カタコンベだと思ってた…
ちなみに私は五十カタ…痛くて仕方ない
( ´Д`)=3
フランスのカタコンベに行った時、適当なお金がなかったため
お布施?を少しの小銭で済ませたら、受付の高齢のお坊さんに舌打ちされました。
帰り、お布施としては高額な紙幣を泣く泣く出した思い出。
人の死に対する感じ方考え方の違いは民族とか宗教観が大きく違うからなのだろう
日本の神道は死を穢れとして忌み嫌うけれど浄土真宗は死を穢れとは考えず、塩でお清め自体を否定していたり
土葬する欧州は死人がヴァンパイアとなって出て来ない様に遺体の首を切って足の間に置いたり、埋葬した後に出て来てないか確かめる為に数年後に掘り返した(現代でも行われていたり)りという地域もある
クメルルージュの犠牲碑もガイコツだらけだった気がする
※14
トゥールスレン収容所跡にあった白骨の地図とかね。
さすがに批判が多くて現在は取り外されているそう。
ああいう白骨を飾り付けるみたいな感覚はどうしても良く分からん。
ヨーロッパ特有の感覚なのかと思ってたらカンボジアにもあるわけで。
カンボジアのキリングフィールド 数千の虐殺された遺体が野ざらしにされて数十年あまり まだ地表面に骨や歯や衣類が見え 上を歩くとボキボキ砕ける音がした。
日本でも大昔は殯といって、
遺体を棺の中に安置して完全に肉が腐って白骨になるまで置いておいて、
骨になってからやっと埋葬するというのが普通にあった
その間遺体を管理するのは近親者。皇室のような高貴な身分の人ですらそう
だから昔は死というのが身分問わず物凄く身近だったのよ
というか今も皇室殯やってるもんね…流石に白骨化までは置いとかないけど