この画像を大きなサイズで見るエジプトの砂漠では頻繁にいろいろなものが見つかるので、有名なピラミッドを超えるものが出てくるのはかなり難しいと思われる一方で、驚くような発見はまだまだある。
新たな遺跡から疫病がテーベを襲った時期のおびただしい墓が出てきたり、カイロの博物館やスラム街のような現代の場所からも、思いがけない歴史の至宝が発見されている。
ここでは過去5年以内に発見された古代エジプトに関するものを見ていこう。
10. ナポレオンの武器
この画像を大きなサイズで見る古代エジプトは、何度も征服者の侵略を受けている。ナポレオン・ボナパルトもその征服者のひとりだ。1798年、彼は100隻以上の戦艦を率いて、早朝にアレキサンドリア市民を驚かせた。
かつてファラオが治めた地を支配しようという権力の魅力に屈して、ナポレオンはイギリスを撃退した。再びイギリスがエジプトを奪還し、彼は今度はフランス国内でクーデターを企てようとした。
2014年、ロシア人ダイバーたちが、アレキサンドリア近くのファロス島付近で、ナポレオン軍の痕跡を発見した。この島は、かつて高さ117メートルに達する世界一高い灯台があったことで有名だ。
ファロス島の海域を捜索したところ、ナポレオン軍が所有していた18世紀の銃やピストル、大砲が見つかった。これらは、アレキサンドリアの港でのイギリス軍との小競り合いで行方不明になっていた、フランスの戦艦Le Patriot号の乗組員のものだとされている。
9. 予想外のピラミッド
この画像を大きなサイズで見るエジプトで新たなピラミッドが見つかるのはそれほど意外なことではないが、またしても思いがけない四角錐の驚異がひとつ現われた。遺構全体が地下にあったため、これまで気づかれることがなかったのだ。
この遺構は、カイロの南、ダハシュールのネクロポリス(墓所)内にあり、いくつかの玄室、雪花石膏で舗装されたブロック、石の回廊が見つかった。墓を作ろうした初期の建造物だとされたが、それは誤まりだとされた。しかし、2017年に再調査され、真実がわかった。
これはただの手のこんだ、実験的な墓ではなく、約3700年前のピラミッドなのだ。近くには、よく知られた屈折ピラミッドがある。こちらはスネフェル王の命で紀元前2600年頃に建てられた。
ダハシュールで見つかったこの新しいピラミッドに誰が眠っているのかはわかっていない。
時代は古代エジプト第13王朝にあたり、高貴な生まれの人物の永眠の地である可能性が高い。墓を取り囲んでいるネクロポリスは、ナイル川の西岸にあり、ここは王家の墓地として確保された区域だった。
8. 1000体の像
この画像を大きなサイズで見るエジプトの考古学者たちにとって夢のような瞬間がやってきたのは、ナイル川西岸の別の墓を発掘していたときだった。
ここも、ネクロポリスの境界内のひとつだ。ルクソールのドゥラ・アブ・ナル=ナーガの現場からは、棺だけでなく数多くの副葬品が出土した。
2017年に墓が開けられたとき、3000年前に死んだ貴族が発見された。彼は新王国時代(紀元前1500~1000年)に裁判官として活躍したウセルハトという人物。墓にはふたつの広間につながる開けた中庭があり、片方の広間で4つの棺、もうひとつの広間ではさらに6つの石棺が見つかった。
ほかの部屋はまだ発見されていないが、内部からは小さな像が1000体以上まとめて発見された。これらの小像は、さまざまな王朝の王を表わしていて、発掘が完了するまでにもっと見つかることが期待されている。同じ部屋から、木製の仮面や石棺の蓋の取っ手なども見つかっている。
7. 新たなネクロポリス
この画像を大きなサイズで見るエジプトではネクロポリスはごく普通のことだが、2016年に発見された新たな墓は、この地域の歴史に矛盾を引き起こし、謎を深めている。
ゲベル・エル・シルシラは、ただの採石場だと考えられていたが、この霊廟と42の墓から、ここが民族や宗教や交易で繁栄したひとつの共同体であったことがわかる。
そのため、考古学者たちは家屋の跡を探したが、まったく見つからなかった。あったのはネクロポリス、採石場、彫像、石碑だけで、村や町の痕跡はなかった。
墓が発見されたのは、洪水の損害を修復しようとしていたときだ。岩石を切り開いた穴に気づいてはいたが、ナイル川の泥をきれいに取り除くまで、本来の用途はわからなかった。
ふたつの玄室がある霊廟が最初に見つかり、片方の部屋には翼のついた丸い太陽が彫刻されていた。これは強力な守護のシンボルだ。墓は盗掘されていて、人骨が散乱していたが、埋葬者は選ばれた階級の人物のようだった。
副葬品の像は、紀元前1543~1189年にかけて続いた高名な家系を表わしていて、スカラベの護符にはトトメス三世の名前が読み取ることができ、シルシラが単なる採石場以上のかなり重要な地だったという説を裏づけている。
6. バードダンサー
この画像を大きなサイズで見る2015年、この宝は”エジプトでもっとも重要な10の考古学的発見”のうちのひとつになる栄誉を得た。一見、ぼんやりと消えかかった岩絵にしか見えないが、ファラオたちが登場する前の時代のものである事実から、その重要性が出てきた。
のちに独特な古代エジプト社会を形成した、新石器時代のナイル文化についてはほとんど知られていない。アスワン近くのネクロポリス、クッベト・エル=ハワの発掘にたずさわっていたエジプト学者たちは、紀元前4000年にさかのぼる絵を発見した。これらが、とてつもなく長い年月残っていたのは、ペイントされたものではなく、岩に刻まれたものだったからだ。
そのスタイルはとてもおもしろい。線ではなく小さな点で、ダンサーとダチョウに忍び寄る射手の輪郭を描いている。点が連なっていなければ、この絵は見えない。両腕を上げて、狩りを鼓舞し祝福しているらしいダンサーは、鳥の仮面のようなものをかぶっている。
これは、ふたつの文化をつなげる希少な証拠になる可能性がある。数年前、似たような粘土の仮面や、鳥の仮面をかぶった女性ダンサーの絵がヒエラコンポリスで見つかった。これらもまた紀元前4000年のものだったのだ。
5. 隕石ジュエリー
この画像を大きなサイズで見るエジプト北部で見つかった9つの金属ビーズは最古の鉄製品だが、宇宙からきたものから作られている。この小さな副葬品は、ゲルゼ遺跡の墓地にあるふたつの別々の墓から発見され、紀元前3200年にさかのぼるレアメタルであることが確実になった。
鉄隕石でできたこれらビーズは、金属をたたいて薄いシートにして、それを丸めて最終的な形にしてあった。この筒状のジュエリーは、とても貴重なものだ。
4つのビーズが、ゴールド、紅玉髄、メノウ、ラピスラズリなどほかの貴重な鉱物と共につなげられて一本のネックレスになっていた。あとの3つは、同じ埋葬者の腰につけられていて、残りのふたつは、もうひとつの豪華な墓に埋められていた人物の手の中にあった。
墓地は1911年に発掘されていて、紀元前4000年のどこかで死んだ、王朝ができる前の人たちの遺体があった。もろくて荒い鉄隕石は、銅(当時はもっと一般的に使われていた)よりも固いが、この古代コミュニティは1ミリという薄いシートにたたいて、壊さずににそれを成形することができる見事な製錬技術をすでにもっていたことになる。
4. 第三の王国
この画像を大きなサイズで見る2014年、考古学者たちが鍬をかついで、アビドスのこの地に向かい、名も知れぬ王の遺体を発見した。だが、それはただの古代のファラオではなかった。荒らされていたが、3600年前のSenebkay王の遺体だったのだ。
学者たちは、この時代に存在していた王朝について仮説をたてていたが、これまではその具体的な裏づけがなかった。さらにいっそうはっきりしたことがわかれば、エジプトが統一される前にはふたつの王国しかなかったと長く信じられていた説は書き換えられることになる。
南北の王国の間の中間領域に、もうひとつの王国が存在し、紀元前1600年頃にSenebkay王が統治していたというのだ。この失われた王国が果たした役割がなんだったのかはわからないが、誰と連合を組んだのか、ふたつの王国の間の緩衝地帯のような役割があったのか、はっきりさせることは大変興味深い。
考古学者たちは、残されている墓が王の権威と失われた歴史をよみがえらせてくれるという望みをつないでいる。
3. キプリアヌスの疫病
この画像を大きなサイズで見るルクソールでの1997~2012年の発掘で、ぞっとするようなものが発見された。かつて古代テーベの人たちが葬儀の場として使っていたハルワとアクヒメンルの建物は、人間の遺体を捨てた場所であったことがわかったのだ。
ここの3つの炉は、大量の石灰を産出していた。石灰は当時殺菌処理のための消毒薬として使われていた。石灰に厚くおおわれた遺体や、遺体を火葬した後の骨なども見つかっている。世にも恐ろしい疫病の犠牲者は炎で焼かれ、そのあまりにも恐ろしい光景に、聖人キプリアヌスは、この世の終わりも近いと考えたほどだった。
炉は紀元3世紀のもので、その時期は疫病がローマ帝国を襲っていた頃で、エジプトを含めあらゆる国の人口が激減していた。
キプリアヌスはカルタゴの司教を務めていたが、紀元250~271年に発生したこの疫病の痛ましさをつぶさに記録している。症状は、絶え間なく嘔吐や下痢が続き、衰弱して、口の中がただれ、手足が壊死していくという。
この遺跡は、本来ならハルワとアクヒメンルというふたりの重要な管財人を迎えるはずだったが、疫病のため急遽、緊急の葬儀場として使われることになった。
遺体を調べると、急死した人々は葬儀もなしで捨てられたことがわかる。症状からこの疫病は、麻疹か天然痘だったと思われるが、のちにキプリアヌスの疫病と呼ばれるようになった。
2. カイロの写本
この画像を大きなサイズで見るカイロにあるエジプト博物館の倉庫で、長いこと忘れ去られていたユニークな遺物が眠っていた。この革装丁の本がどうしてここにあるのかははっきりわからないが、フランス東洋考古学協会が、第一次世界大戦前にこれを購入したらしい。売主は古美術商だというが、誰なのかはわかっていない。
第二次大戦が始まる前、この本は博物館に寄贈されたが、2015年までまるで忘れ去られていた。再発見されたとき、巻かれた革はボロボロになってしまっていた。丹念な修復が終わると、それは宗教的な呪文や、宗教上の超自然的な生き物のカラーの絵が満載の、4000年前の写本であることが判明した。
2.5メートルもの長さがあるこの写本の裏表には、文字や絵がちりばめられていて、やはりさまざまな儀式をまとめたあの『死者の書』よりも前の時代のものだった。
紀元前2300~2000年の間に製作されたこのカイロの巻物は、古代エジプト最古の革の写本だ。新しい聖書の中で、強力な魔術的存在によって守られている、秘密の神聖な場所にどうやってたどり着くか、読者はその詳細を教えられる。
1. スラム街の像
この画像を大きなサイズで見る2017年、カイロのスラム街でふたつの像が発見された。ひとつは等身大の男性の上半身像で、もうひとつは8メートルもある息を飲むような巨像だ。
小さな像のほうは、ファラオのセティ二世であることが判明したが、巨像のほうはいま
だに誰の像なのかはっきり決着がついていないが、プサメティコス1世であるという説が有力だ。(関連記事:カイロの住宅地から3000年前の巨大な像が発掘される)
via:Top 10 Dazzling New Discoveries From Ancient Egyptなど / written konohazuku / edited by parumo













考古学も一種のオタク的要素があるなと思う
興味が最優先されており、論文はその興味を続けるための仕事というイメージだ
メンフィス~
紀元前何千年前のものがたくさん出てくる国はいいね~
ロマンたっぷり
そういうのが一般家屋の地下室から見つかったとかあったら感涙物
日本で、数千年単位で残ってる蔵とかないかな~無理か
※4
小規模な古墳とかお金と時間なくて未調査で平地にされてますし日本じゃ難しそうですよねぇ
※4
スケールは違うんだけどフツーに地下掘ったら縄文遺跡が…
なんて話は結構ありますよ。
ただ、日本の土壌は有機物を残しにくいのでそこが残念。
もし弥生時代でも木製の物がでてきたらそれだけで結構な発見。
※14
火山灰で出来た地層である関東ローム層は酸性の地質。だから、骨が溶けてしまう。
ある意味では限りなく自然に帰ったとも言えるが、足跡を直に追えないのは少々口惜しい気もしないでもない。
ネクロポリス 埋葬都市
思い出した
キプリアヌスの疫病って
キアヌリーブスの疫病みたいだよな
※6
感染したら日本で味噌ラーメンを食べたくなりそう…。
※6
定期的に体重が増加したり減少したりもするんですね、わかりません
>キプリアヌスの疫病
キアヌ・リーブスに見えた俺は病んでると思う
せっかくのロマンがキアヌ・リーブスに邪魔されて入ってこないw
エジプトだと見付けたら掘れるからね、あの辺は聖書の舞台にもなっているから資金は確保出来るようなイメージがあるんだけど 、どうなんだろう?
中国に未盗掘の墓が見つかったけど出土品の保管が難しいから手を付けられないって記事を読んだのは何時だったかな?アレどうなったんだろう?
エジプトってほんと、砂漠掘ったら何かしら出てくる気がするロマンあるな
実際はそこまでじゃないだろうけど
冒頭からつっこみどころが・・・ナポレオンが攻めてきたのは古代ではない
うーん・・・ごめん
バードダンサーの絵がどうしても絵に見えない
どこが頭でどこが体でどこが手足?
新発見の遺跡が実はすでに盗掘済みってのが残念ではあるけどおもしろいなと思う
泥棒のほうが先に見つけてたのかよって感じて
ダチョウの近くで両手を上げてバサバサ動かしたらどうなるか
あいつら馬鹿だから縄張りを主張されたと思って近づいてくるんだよ
ムツゴロウさんがやってる映像見たことある
「新発見とは即ち、新たなる謎への誘いである」