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個人の記憶は無意識のうちに書き換えられていく、「社会への同調」で生まれる「ニセの記憶」

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(著)

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 wiredの伝えたところによると、われわれは世界を「物語」として認識するが、それは「事実」を歪めてしまうことも多いという。

 同時テロのような社会的大事件についての記憶も含め、個人の記憶は、社会に同調する形で容易に変化しうることが実験で示されている。

人は筋の通った物語を作って記憶する習慣がある

 人は物語を作る。われわれは世界を受動的に認識するのではない。われわれは世界についての物語を語り、ランダムに起こるイベントを整理して、ひとつの筋の通った物語にする。

 この習慣は役に立つことも多い。しかし、深刻な副作用もある。筋が通っていない事実については、それを歪めたり無視したりする傾向があるからだ。

 エピソードのほうを重視するあまり、真実が遠ざけられ、何度も語っているうちに純粋な創作になることもある。

 われわれは自分の物語を調整して、よりよい物語に変える。われわれは事実を曲げて、もっと集団にアピールするようにする。われわれは社会的動物であるから、過去の記憶も、社会的圧力に即する形で絶え間なく修正されているのだ。

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人の記憶は他人の意見に影響され書き換えられる

 この現象について研究した論文が『Science』誌に掲載されている。神経科学者チームは、個人の記憶が、さほど時間が経たないうちから、他者の意見によって変化しうることに着目した。

 実験では、数十人の被験者が、5人ずつのグループに分けられ、警察の逮捕の様子を追った現場レポート風の短いドキュメンタリー映像を見せられた。

 3日後、被験者たちは、ドキュメンタリー映像についての記憶テストを受けた。さらにその4日後、被験者たちはもう一度呼び出され、今度は脳スキャナーにかけられた状態で、映像についてのさまざまな質問を受けた。

 被験者たちは、同じグループで映像を視聴した他の人々の回答を見せられた。ところが、「ライフライン」として提示された回答は、実はどれも間違いであり、しかもその質問は、前回、彼らが自信を持って正しく回答したものだった。

 驚くべきことに、この偽のフィードバックは被験者の回答を変化させた。ほかの人の意見に従って、事実と異なる回答を行った確率は70%近くにものぼった。

 問題は、彼らの記憶が実際に変化していたかどうかだ(過去の研究において、人は社会に同調するために、間違っているとわかっている回答も行うことが確認されている)。

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一度植え付けられた虚偽の記憶は事実と認識される

 このことを調べるために、研究チームは、被験者をさらにもう一度呼び出し、再び記憶テストを受けさせた。

 その際に被験者には、前回見せた回答は、実は同じグループで映像を見た人のものではなく、コンピューターでランダムに生成したものだったと告げた。

 すると、最初のテストと同じ回答に戻るケースも見られた一方、40%あまりの回答は依然として間違ったままだった。これは、前回植えつけられた虚偽の記憶が、被験者の中ではすでに事実となっていたことを示している。

 虚偽の記憶が永続したケースと、「社会への同調」によって一時的に誤った回答をしたケースとで、脳の活動を比較した結果、研究チームは、記憶間違いの神経的要因を突き止めることに成功した。

 主要な引き金になっているとみられるのは、2つの脳の領域、海馬と扁桃体が同時に激しく活性化することだ。

 海馬は長期記憶の形成に関わっていることで知られる領域、扁桃体は脳の感情中枢だ。この2つの領域が同時に活性化すると、正しい記憶と虚偽の記憶は、虚偽の記憶のほうが社会的要素を帯びていた場合、入れ替わってしまうことがある、と研究チームは述べている。

 このことは、他者によるフィードバックは、われわれの記憶する体験を形づくる強い影響力を持っていることを示している。

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社会的に共有されることで個人の記憶はフィクションへと変化する

 なぜこの現象が起こるかについて、研究者たちは次のように述べている。

偽りのプロパガンダなどがもたらす社会的影響は、政治キャンペーンや商業広告における個人の記憶に有害な影響を及ぼしたり、目撃者の証言を変化させて裁判の妨げになったりするおそれがある。

しかし一方で、記憶の同調は、適応的役割を果たす可能性も考えられる。社会的学習は、個人的学習よりも効率的で正確であることが多いためだ。

このような理由から、人間は、本来の個人的意見と食い違っているときでさえ、集団の判断を信頼する傾向をもっているのかもしれない。

 この研究は、社会的に共有された物語が、個人の記憶をまったく信頼できないものにしうることも説明している。

 例えば、2001年9月11日の「鮮明な」記憶に関して調査が行われている。悲劇的なテロ事件があってから数日後に、ウイリアム・ハーストらによって率いられた心理学者たちが、人々の体験についてインタビューを行い、その後も個々の記憶について追跡調査を行った。

 その結果、1年後には、事件の詳細の37%が、最初の叙述から変化していた。2004年には、その数字が50%近くに達した。研究者たちは現在、10年目の調査結果をまとめているが、おそらく記憶のほとんどがフィクションに近いものになっているだろう。

われわれの物語は、よりよいものになる。よりエンターテインメント的で、ドラマチックで、恐ろしさをより強調したものになったりする。

 しかし、その「改良」は事実を犠牲にすることで行われている。物語は意味を生じさせるが、人生はふつう、そうではないからだ。
via:How Friends Ruin Memory: The Social Conformity Effect

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この記事へのコメント 58件

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  1. 映像とか写真とかの記録を信用したいがそれさえ歪められて加工偽造されるからな
    もう何を信じていいのやらw

    • +3
  2. どんどん過去の思い出話や恨み話が変化していってるばあちゃんをみると
    自分のことでも自分が勘違いしてるだけかと思いそうになる

    • +6
  3. 「うちの子は子宮にいた時の事をおぼえてるんですよ~」とかガチで信じてるお花畑主婦は偽記憶でぐぐるべき

    • -13
    1. ※5主張したいことは何となく分かるけど、お前病気だよ

      • +6
  4. 人間の知性は、矛盾を排除してつじつまをあわせることで成り立っているからな。
    3次元の世界に生きて、2次元の図面を作成するようなもん。どこかで帳尻の
    あわない箇所が出てくるが、そこに個人差が出るのが面白いね。

    • 評価
  5. いやいや事実は変わらんでしょw
    データとして残っているものが多いだろうし
    遠巻きにしか知らないことや断片的な情報しかないものを勝手な想像で組み立てているような場合には“思い込み”を事実だと誤認して記憶する人はいるだろうけどさ
    データが足りないから誤認するんだってw

    • -4
  6. 追記
    宗教を信じてしまう人や思春期に恋をする場合などに相手を理想化するような
    都合の良い情報だけを見て自分にとって都合の悪い情報は完全無視するというような
    判断力が異常な状態のままの人というのがいるね
    あれは脳の欠陥としか思えない

    • +3
  7. この研究者のこの研究の記憶はどうなんだろうね。
    書き換えられたり歪曲したりしないのか。

    • 評価
  8. 新人類と呼ばれ物語性を否定した世代。中でも価値観を切り取り事実の断片として持とうとした人達の多くは活動困難なメンヘラに。物語から逃げれない、つまり戦争やいじめは無くならないし今ある問題は解決しない。震災のとき「火事場泥棒は撃ち殺せ」と語ったビートたけしは力を持ち続ける。

    • 評価
    1. >>16
      研究データを人間の記憶だけで保存しているなんてことはないでしょ。
      ただ、研究結果によって最初と研究の方向が変わってくることはあるだろうね。

      • +4
  9. ここでいきなり朝鮮が云々とか良い出しちゃう奴こそ
    他者の記憶や感情が混同して自分の意志だと錯覚しちゃってる奴だろ

    • +2
  10. >11
    >>データが足りないから誤認するんだってw
    資料から作為的な抽出をしないつもりでも、個人が解釈する時点で
    既に情報の変質が起きている。
    なので、資料作成者(他者)の意図を高角度で正しく理解するには
    集団で意見を出し合い相対的に判断するしかないんだよねぇ。

    • +17
  11. 出来事に意味付けをすると、当然解釈が産まれる訳だから、変わってしまうのも必然だよ。
    昔の記憶なんて年齢ごとにその記憶に対する立場が変わって、解釈が変わってるから自分に取ってはそこまで驚く事では無いと思った。
    結局個人に出来る事は、絶え間ない自己観察と自己洞察だよね。
    正しい自分である為に、間違う事を恐れるんじゃなくて、
    成長する際に過去の事が間違いになる事は必然であって、常にその時の状況状況で正しい選択を考えている自分を信じればいいんだど思うけど。
    っていうか、それしか出来ない。
    やっかいなのは記憶を更新する際に、間違えた過去の自分を否定して、上書きしちゃう人が多い事だよ。
    身近な例えだと、昔子供の頃に自分がされて嫌だった事を平気で自分の子供にやっちゃう人とかね。

    • +1
  12. アスペなので覚えている事については逐一正しく覚えている。
    なので時々、黒歴史の記憶が蘇って突然絶叫したくなる時がある。

    • +4
  13. 伝記なんかでも筋の通ってない方がかえって信憑性が高いのかな

    • +1
  14. 僕は一体何を信じて生きたらいいのだろうか・・・。

    • +1
  15. とりあえずコメで議論したがるのは馬鹿馬鹿しいってのだけはわかるな。

    • +3
  16. 夢の中で別の社会の経験をしているのは確かだ

    • +1
  17. ってことは引き籠るってのは逆効果なんだな
    ひきこもる理由っていじめとかだろ
    社会に同調しないから永遠に過去の記憶のまま・・・なんか可哀相になってきたわ
    ご愁傷様です。

    • +2
  18. この記事を読んで、これが自分の頭にも起こりうることだと
    理解できない人達がある意味羨ましくなるな

    • +3
  19. 社会的圧力によって押し付けられた誰かにとって都合のいい常識について、疑うこと、或いは、反抗することができなくなるってことでしょ
    その例
    ・サビ残は常識(会社が得するだけ)
    ・一人暮らしは立派(不動産屋が儲かるだけ)
    ・結婚しない人間は未成熟(個人の人格の問題)
    ・実家暮らしは生活費を入れなければならない(生活が困窮していなければ、先に死ぬであろう親の資産が増え、相続税が増えるだけで損)
    ・戒名(ただの葬式ビジネスの一環)
    ・バレンタインデー(女が男にチョコレートを上げてるのは日本だけ、ただの洋菓子店の販促)

    • +4
  20. アカで工作員の某独裁者がそれだよな。マスコミを買収して自民が悪い→厚労省が悪い→農協が悪い→労働組合が悪い→日教組が悪い→外国が悪い・・・マニフェストは詐欺で実はズブズブでした。でも日本人は民度が低いからもう忘れてます。って、おい。

    • +3
  21. 自分を他人から客観的に見てもらうのって大事なんだね

    • 評価
  22. ネットで政治外交にお詳しい例の池沼の一団の行動や意識の一部も、これで説明できる気がするね
    結局流されて記憶も認識も歪みまくってるけど、彼らの中ではそれも真実なんだろうな

    • -3
    1. >>34
      これはいい典型例ですな
      自分の妄想の中に浸りきって何も疑うことをしないのは
      ある意味幸せなことだろう
      周りからバカにされるだろうけど

      • +3
  23. ある人は言った。
    「嘘も百回言えば本人まで信じる」と。

    • +1
  24. 中島京子のツアー1989ってこんな感じの小説なのかな。
    いま開いた文庫に挟まってた広告しかみてないけど。
    「噂や伝聞が人々の記憶を書き換えてしまう不思議さを描いた」
    だって。

    • +6
  25. 考えるのがめんどうに思えた
    個人的見解だと昔の記述やこれからの未来に残す記述で100%正確な物は出来ない
    何故なら人間が間違った記憶や政治的な意図で変えてしまう可能性があるから
    真実を知りたかったらで納得いくまで調べて正しいと思う事を選べ見たいな事だろう

    • +1
  26. 「私は」や「あなたは」ではなく、「われわれは」という表現を使うことで、より同意を得やすくなるというようにも言われているね。
    我々はそういうところで、この世界を錯視している。
    おっとっとw
    私はそういう点で錯視している可能性があることに留意しなくっちゃ、と。

    • +2
    1. ※41が痛くてしょうがない
      俺釣られてるのかな
      A型には論理的な思考は無理なので
      お気持ちは解りますがファミコンでもなさっててください

      • +13
  27. NO42:19<<A型が血液型であれば、君の考えは違うぞ。
    A型は血液型で言えば「森の人」だ。 森の人の基本は論理的思考であり、周囲に間断なき警戒心を持っている・・・。
    まぁ~  NO41のコメはまともで、個性派だなぁ~。
    NO41を大胆に予測すれば「BもしくはAB」ではないか?
    孤立を恐れないところを観れば、強い「O」かも。

    • -1
  28. アルファベットeのような、そんな顔になるような人生を
    おくりたい。 
    ねぇ さよちゃん。

    • -1
  29. NO50:<doctor=能見さんの親父さんは偉大と言うことですか・・・。

    • -4
    1. >>47
      僕はO型ですよw
      でも血液型占いは全く信じてないですね
      しかし、一応当たっているので「あなたの血液型占い」は正しいのかもしれません

      • +2
  30. そこで全人類の意識を統合するわけですよ
    あーボーグかw

    • 評価
  31. 血液型性格判断信じてる人に論理的思考がっていわれてもな、、
    科学リテラシー皆無なのに、科学について批判とか論理的思考とか少しおかしいと思う

    • +1
  32. <<われわれは自分の物語を調整して、よりよい物語に変える。
    どこぞの半島の生き物はそこが発達してるんだろなぁ…

    • -1
  33. 脳ってホント不思議でわくわくするところだな

    • 評価
  34. 血液型があると言うのは、何らかの意味があると思う。
    自然は意味のないことをすることもあるだろうが。
    合理性をひとは求めるもの。隠されたものを求めたからオカルトから科学へ、と言われる。

    • 評価
  35. 血液型は抗体の型を表している.抗体の特徴を利用して,その個体が生物学的に有利な行動を取る可能性はある.特定の行動の延長上には,特定の「性格」が知見されても不思議ではない.血液型による性格判断は今のところ完全否定できていない.
    自然は人間の都合とは無関係に存在する.人間が勝手に「母なる大地」や「自然に育まれて・・・」などと擬人的な言及をしているに過ぎない.本来自然は気まぐれでもなければ善でもない.
    自然に対して人間由来の「意味」を見出そうとすることには自己中心的無理がある.意味ではなくしくみを追及することが自然科学の根源であり,そこに逐一人間の納得する意味をあてがうことは不可能だ.
    人間の為に自然があるのではない.我々は偶然にその中で誕生した存在に過ぎない.
    我々は決して「特別な存在」ではないのだ.
    合理性を求める思想は西洋である.東洋思想にそれを求める傾向は少ない.安易に合理性を求めても,人間の浅知恵ではいくつもの必要なものの切り捨て 見落としが行われるものだ.
    道を歩く時,理屈上は人間の足の裏の面積が歩幅ごとにあればよいと考える.
    だが実際に安心して道を歩こうとすれば,全く踏まない部分が必要になる.
    「踏まないから捨ててもいいだろう」
    これが合理性に名を借りた人間の愚かさの一つである.
    東洋思想は 我々にそれを教えている.

    • 評価
  36. 空気を読む・・・・空気に支配される恐ろしさ。
    日本社会の真面目さが息苦しい・・・

    • +2
  37. 自分は中学生の頃、記憶の改ざんを行った。周りの環境が荒れていたわけでも、その瞬間めちゃくちゃ追い込まれている状況ってわけでもなかった。
    自分と友人が共犯でやってしまったことを、自分の存在をどこか遠くに置き、まるで友人だけが行い自分はそれを見ているだけだったかのように後々聞いてきた先生に語った。
    自分の記憶に間違いがあることに気づかされ(はじめ)たのは、その友人が先生に怒られた後、自分にちょっと違うんじゃないかと言って来たとき。
    だけど自分は本当に、先生に話を聞かれたとき、いつもと同じように記憶の糸をたどって、ただただ思い出していただけのつもりだった。
    この記憶ももしかしたらどこか事実と違ってしまっているのかもしれないが、あのとき友人を裏切ってしまったことは確かだと思う。
    僕はいまだに彼に謝ることができていない。
    案外、他人事じゃなかったりするよ。お前らも気をつけて。

    • 評価
  38. 反社会的人格障害の人は、この作用を使って他人を欺くことがよく知られているよ。
    気をつけましょう。

    • +2
  39. 自分これだわ…この記憶変換の傾向物凄い強い
    記憶が狂い過ぎて、特に己が人生に肝心な時点、ターニングポイントなどでは、そのせいで自分で自分が信用も出来なくなる

    • 評価
  40. 冤罪事件などで一旦は罪を認めた後に無罪を主張したときなど、
    「絶対嘘だろ、弁護士に入れ知恵されたんだろ」なんて思ってましたが、
    70%ともなると・・・十分すぎるほどに起こりうる、むしろ一般的な人間の性質だったんですね。

    • +2
  41. とすると、歴史なんかもただ筋が通ってるだけでそんな事実はない可能性があるな。
    写真や映像も恣意的な部分はあるし、確実なのは数学とか積み上げて来た学問と技術くらいかな?

    • +1
  42. シナチョンが非を認めない人種なのは事実じゃん?
    ましてや人ん家の物を「うちのだ!証拠もある!!」とか平然といい放つくらいだし、最たる例でしょ。

    • -2
  43. 脳は年取ると極力省エネしたがって、前提からオカシイ意見とかいう人間とか、すぐに自らの意見を振り返らず棄てる人間がいるんだと思ってたわ

    • +2
  44. 手塚治虫の短編漫画でまさにコレについての話があった
    落盤事故の生存者が事故のことを証言するたびに段々本人に都合よく変わっていって…ってやつ 内容が変わっていくたびに漫画の絵もあやふやに変わっていってすごく面白かった…記憶がある
    肝心のタイトルさえ思い出せないのでこれも偽の記憶かもしれないけど笑

    • 評価

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