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フィリピンで発見された3万5000年前の海洋文化が、東南アジアの人類史を塗り替える

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(著)

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image credit:unsplash
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 フィリピン、ミンドロ島で行われた大規模な考古学調査によって、3万5000年以上前に高度な航海技術と漁業文化を持つ人類が存在していたことが明らかになった。

 マニラのアテネオ・デ・マニラ大学の研究チームは、海外の専門家と連携しながら15年にわたる調査の末に、貝殻や石で作られた道具、人骨、そして外洋の魚をとらえていた証拠などを発見した。

 これにより、当時の人々がすでに海を越えて他の島々と交流していた可能性が浮かび上がってきた。この成果は、東南アジアの人類の歴史を大きく塗り替える発見として注目されている。

 この研究は『Archaeological Research in Asia』誌(2025年6月)に掲載された。

昔から大陸と隔てられていたミンドロ島

 今回の調査で焦点となったのは、フィリピン・ミンドロ島とその周辺の島々、特にイリン島、サンホセ市、マグサイサイ町のサンタ・テレサ地区だ。

 この地域では、現代人と同じ骨格を持つ人類(ホモ・サピエンス)の痕跡が確認されており、その年代は少なくとも3万5000年以上前にさかのぼる。

 ミンドロ島は、氷河期を含めて一度も東南アジア本土と陸続きになったことがなく、古代人がこの地にたどり着くには、海を越える必要があった。

 つまり、ここに人類が暮らしていたという事実そのものが、当時すでに海を渡るための高度な技術を持っていたことを物語っている。

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約2万5000年前、最終氷期の最盛期における島嶼部東南アジア(ISEA)とスンダ地域の地図。地図上には、ミンドロ考古学プロジェクトによって調査された遺跡の位置が示されている。これらの遺跡からは、数千kmの距離と深い海に隔てられているにもかかわらず、驚くほど似通った特徴を持つ遺物が発見された。これらの発見は、当時すでに高度な航海知識と技術が存在していたことを示している。  image credit:Base Map: gebco.net, 2014

貝殻を使った道具や、回遊魚を狙った漁の痕跡

 ミンドロ島とその周辺から発掘された遺物には、人骨のほか、動物の骨、貝殻、そして石や骨、貝を使って作られたさまざまな道具が含まれていた。

 その中には、カツオやサメのような沖合を回遊する魚を、当時の人々が漁で獲っていたと考えられる証拠も見つかっている。

 とくに注目されるのは、シャコガイの貝殻を加工して作られた石斧だ。

 これは約7000〜9000年前のもので、インドネシアやパプアニューギニアのマヌス島(ミンドロから約3000km離れた島)で発見されたものと非常によく似ている。

 こうした類似点は、当時すでに島々のあいだで道具の製作技術が共有されていた可能性を示している。

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ミンドロ島およびその周辺で発見された古代の技術の一例。左上から時計回りに:骨製の釣り針(A)とその一部とみられる破片(B)、打撃用の石(A〜F)、小石を使った道具(G〜L)、網おもり(M、N)、ミンドロ島産(上段)とパラワン島産(下段)の黒曜石製の切断具(どちらも類似した化学組成を示す)、シャコガイ(Tridacna属)を加工して作られた石斧(A、B)と、貝製の道具(C)Photo by:iStockPhotos and figures by A. Pawlik; after Pawlik et al. 2025; Pawlik & Piper 2019; Neri et al., 2015

古代の埋葬方法に見られる文化的つながり

 また、ミンドロ島の南西沖に位置するイリン島では、約5000年前に埋葬された人骨も見つかっている。遺体は胎児のように体を丸めた状態で埋葬されており、石灰岩の板で囲まれていた。

 こうした埋葬形式は「屈葬(くっそう)」と呼ばれ、東南アジア各地の遺跡でも見られる。

 この埋葬方法の共通性は、当時の人々の間に思想や信仰といった精神文化のつながりがあったこと、一定の社会構造が形成されていた可能性を示している。

海を越えて他の島々と交流

 これらの調査結果から、ミンドロ島とその周辺は、数万年前から人々が海を越えて行き来し、道具の作り方や暮らしの知恵、信仰や文化を伝え合っていた広域ネットワークの一部だったと考えられる。

 これは単に航海をしていたという話にとどまらず、石器時代の段階で、すでに遠く離れた島々のあいだに継続的な交流があったことを示している。

 アテネオ・デ・マニラ大学の研究者たちは、「ミンドロ考古学プロジェクト」を通じて、人類がこの地域に定住し、環境に適応しながら技術や文化を発展させてきた過程を解き明かそうとしている。

 今回の発見によって、これまであまり注目されてこなかったフィリピンの先史時代が新たな視点から見直されつつあり、東南アジアにおける人類の広がりや文化のつながりを理解するうえで、重要な手がかりとなっている。

References: Chronology and ecology of early islanders in the Philippines: The Mindoro Archaeology Project / Philippine islands had technologically advanced maritime culture 35,000 years ago, archaeologists discover

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この記事へのコメント 14件

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  1. 隣の台湾がポリネシアンやネイティブアメリカンの祖の一つであるのに、フィリピンが全く無関係だったなんてことは無いと思うんだよね。
    てか、フィリピンが考古学的な視点からずっと軽視されてきた理由はなんなんだろう?

    • +15
    1. エジプトや超有名な文化があり、そっちにみんな固まってたようだ
      で一部の考古学者がみんながやってる文化に嫌気を出して、じゃあ
      手を付けない文化に手を出すぜwという感じに、マヤ文明のように
      凄い文化なのに相手されない文明に研究する人が出て、だんだん
      新発見されるようになった
      フィリピンもその一つであり、ようやく目を見ることになったと思う

      • +15
    2. 考古学とか古生物学はぶっちゃけカネにならんからね。
      国力に余裕がないと後回しにされがち。
      フィリピンにそれだけ余裕が出来てきた、ということもあると思う。

      • +15
    3. 単純に「フィリピン政府に金がないから」だよ

      • +13
  2. 貝で作られても『石斧』
    翻訳するとそうなるだけなのか、原文でもなのか……。どうでもいい疑問だけが残った

    • +8
    1. 引用元の方ではadze(手斧・ちょうな)という表記だね

      • +11
      1. 解説ありがとう!
        これ【手斧・ちょうな】って読むのか。
        ずっと【ておの】って呼んでた(笑)

        • +2
  3. 35000年以上前だとオーストラロイドの祖先と関係があったのかな? 当時は陸域が広くて海峡が狭かったから帆のない丸木船でも渡れたと思う。5000年前とかになるとマレー人の拡散が始まるという時期だから航海術もずっと進んでいたはず。

    • +6
  4. 日本も弥生時代までは屈葬だったんだっけ?

    • +3
    1. 王族・貴族はともかく庶民は、奈良・平安とかでも
      野辺に遺棄でなく土葬するなら、あまり変化なかったそうだし
      (穴を掘るのも結構な労力なので、丸まった姿勢が一番体積が少なくて済む)、
      なんなら江戸時代とか近代になっても
      「座棺」へ体育座りとあぐらの中間みたいな感じで納めるのも
      (胎児というより座禅を意識したものではあるが)分類的には屈葬の一種かと。

      • +5
  5. 散々言われてる事だけど
    人類の初期の文明は海に沈んでる可能性が高いよね
    エデンの園も川辺に沈んでるかも

    • +5
  6. 縄文人のルーツを思うよね
    屈葬と黒曜石でときめいてしまったよ
    沖縄には来てただろうな

    • +13
    1. 鹿児島の竹細工がラオスのものと酷似しているらしいから、東南アジアルーツの集団がいたのは間違いないと思う

      • +9

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