この画像を大きなサイズで見るイギリス南西部、ドーセット州の田園地帯の丘には、こん棒を振りかざし、立派なイチモツを備えた巨大な男性の裸体像が描かれている。
溝に白いチョーク質の瓦礫が埋められ、輪郭を形どっている全長55mもの地上絵「サーン・アバスの巨人」の起源や制作された年代はいまだ完全解明に至ってはおらず、何世紀も議論されてきた。
だが新たな研究によって、ついにその起源に迫る説が発表された。
この巨人像は元々古典的な英雄「ヘラクレス」の像として彫られ、ヴァイキングに攻撃されていた時代、ウェストサクソン軍の集合地点として使用されていた可能性が高いという。
サーン・アバスの巨人は何者なのか?様々な説が浮上
この巨人はいったい何者なのか?このことについては諸説ある。
サクソンの神、異教の豊穣のシンボル、古代ギリシャ神話に登場する半神半人の英雄ヘラクレスなど、さまざまだ。
「英国のヘラクレス」と呼ばれた17世紀の政治家、オリバー・クロムウェルを敵方がからかったものという見方もある。
この説によれば、目立つ男根はイギリスのピューリタン革命(1642~49年)の指導者、クロムウェルのピューリタニズム(プロテスタントの一派、ピューリタン(清教徒)の思想)を表しているという。
この画像を大きなサイズで見る巨人はヘラクレスでウェストサクソン軍の集合場所だった
この謎について、オックスフォード大学のふたりの歴史家が堆積物やカタツムリの殻などを含む大量の証拠を集めて新たな研究論文を発表した。
それによると、サーン・アバスの巨人像は、これまでの説にあったように神話の英雄「ヘラクレス」を描いているという。
さらに、ここは、襲撃してくるヴァイキングと戦うため、ウェストサクソン軍が集結する場所で、士気を上げるための目立つランドマークとして描かれたものだと主張した。
もともとそういった説はあったのだが、修道士たちはそれを支持しなかった。彼らは、この像を地元の守護聖人という形で財産として守ろうとしたのだろう。
ヘラクレスはたいてい、こん棒を持った姿で描かれることが多く、サーン・アバスにも見られるように、割れた腹筋がいかにもたくましい裸体姿で描かれるという。
「中世初期の時代に古典的な神ヘラクレスの人物像を作るというのは、違和を感じるかもしれないがこん棒が手がかりとなる」論文著者のヘレン・ギトス博士とトーマス・モルコム博士は書いている。
手がかりはこん棒だ。ヘラクレスは古典世界でもっとも頻繁に描かれる人物のひとりで、彼が持っている節くれだった独特なこん棒は、聖ペテロの鍵や聖カタリナの車輪のように、その人物を識別するヒントとなる
サーン・アバスにも見られるように、動作を感じさせる姿、腹筋、下腹部のライン、裸であることなどすべて、典型的なヘラクレスの描写だ
こん棒と同様にヘラクレスはライオンの皮でできたマントと関連づけられることが多く、もともとはこの巨人像の左腕にかけられていたのではないかと思われる
異教のイメージがあるが、この巨人像は比較的最近の、西暦700年~1100年頃の中世初期に描かれたものだという(所説あり)
この時代は、英国はキリスト教国だったが、一部の集団の中では、ヘラクレス像への関心が根強く残っていた。
ヘラクレスへの関心は、古代に終わってしまったわけではありません。中世を通じてよく知られていた文化的人物だったのです
この神話上の人物は、強さ、男らしさ、そして勇気の象徴としてよく引用されたのだと研究者は指摘する。
この白亜の像が描かれた場所は、西サクソン軍の集合場所だった可能性があるという。
ここは、西サクソン王家所有の地で、集結した軍隊に供給するための豊富な真水や農地がある場所からそれほど遠くない。
また、巨人像が英国がヴァイキングの侵略の脅威にさらされていた時代に生まれたことも偶然ではなさそうだ。
ここから、地元の軍が集結する場所が必要だったことがよくわかる。遠方からやってくる軍隊の集合を調整するなら、ただ「巨大な裸体像付近に集合」と号令するほうが、ずっとわかりやすいだろう。
ヘラクレスだと信じたくない人も
だからといって、誰もがヘラクレスだとは信じたくない。
地元の修道士たちは、このストーリーを書き直し、この巨人を地元サーンの守護聖人イードウォルドとしてイメージし直そうとしたようだ。
本研究の一環として、歴史家たちは大英図書館にあった12世紀の文書の概要を明らかにした。
そこには、聖イードウォルドが杖を手に、傾斜した崖の頂上に立っていると記述されている。これは、この巨人をイードウォルドというブランドに再生させようとする試みだ。
こうした解釈の再考は、非キリスト教の英雄のイメージを払拭しただけでなく、地元の修道院が聖イードウォルドという貴重な遺物を主張するのに役立ったのかもしれない。
この新たな研究は、米国の中世アカデミー学会誌『Speculum』に発表された。
References:Cerne Abbas giant is Hercules and was army meeting point, say historians | Heritage | The Guardian / The Mysterious Origins Of The Cerne Abbas Giant May Finally Be Revealed | IFLScience / written by konohazuku / edited by / parumo













当時の人の無駄にスケールの大きなしょうもない落書きという可能性も捨て切れず
>>1
そういうことも絶対ないとは言わないけど、色んな技術の有る現代よりはるかに大変で手間暇かかる作業が必要だから気軽な落書きで出来る範囲とはちょっと思えないかな
「明日俺たちのチームは○玉の所に集合な!」
違和を感じるという言い方に違和感を感じます
キリスト教由来の聖人でこんなデカくてデフォルメされたイチモツ描かれたの見た事無いけどなぁ
ヘラクレスに譲っとけば良いのにと一寸思った
>>5
>>キリスト教由来の聖人でこんなデカくてデフォルメされたイチモツ描かれたの見た事無い
それ、かなり重要な指摘じゃないか?
メガテン3の威霊アルビオンによく似てるけど、モデルなのかな?
製作の記録が残っていないのがおかしい
意思の集合体
Google マップで確認した所…
50.81369551366849, -2.4746583758744323
先っちょにピンを立てるのはヤメテあげて!
おっ立てなくてもいいやん・・・って思ってしまう
西暦700年を比較的最近と言ってしまう西洋。
日本はようやく大宝律令ですよ。
>>12
巨人 大宝 卵焼き
>>12
キリスト教がイングランドに本格的に布教されたのは6世紀前後ぐらい。この絵が描かれたのが10世紀前後らしい
もしこれが異教徒排斥に情熱を燃やしたキリスト教下で、キリスト教に関係しない神の絵が大手を振って書かれた可能性があるのがいやもう。ビックリの”比較的最近”ですよw
それ以前の先史時代や、ゲルマン神話が強かった時代ではなくて、あのキリスト教下ですからねw
>>21
ゴシック建築には異教(北方ヨーロッパ・アニミズム)のシンボルが山ほど飾られているし、ルネサンスの時代にはヴィーナスなどギリシャ神話が画題に選ばれたし、19世紀のロマン主義では北欧神話が復活した。
ヨーロッパ人はキリスト教に染まってなどいなかった、と言わざるを得ない。
>>21
キリスト教は教会組織の脅威になるのでなければ民衆の土着信仰には割と寛容、というか大抵の場合黙認してたよ
識者が著作とかでブツブツ文句を言ってることは多いけど、逆に言えばそれだけいつの時代にもまかり通っていたということだし、実際的な根絶行動を取るのはかなり稀
そんなの民衆の反感買うだけだし、何より民衆文化を根絶し尽くすなんてのはまず不可能なので、そんなことに血道を上げる旨味が教会にはない
ヨーロッパにおけるキリスト教の歴史は土着信仰との「共存」「並存」の歴史でもある
>>23
フランスやドイツで古い土着の信仰がそれなりに残ったなんて聞いたことない
北欧やケルトの神話が残せたのはたまたまローマからは遠い僻地だったからとよく聞く
それでもケルト神話なんて曖昧だし
つまり、目印だったと言う事か
言葉だけで文字があるかないか
文字を覚えているかどうかわからん時代
絵の情報の方が確実だったと言う事かな
キリスト教の聖人 聖エレクチウヌス
ナスカの地上絵もそうだけど、単純に数学が出来れば小さい絵の縮尺をそのまま大きくすればいいだけだからデカイ絵って別に何も不思議じゃないと思うけど
ものすごく凝ってるわけでもない単なる線画なんだし
>>16
記事読んだか?
この記事の焦点はそういう話じゃないねん
西暦2000年代の地層からやたらとロボットの模型が発掘される上、東京湾の底に沈んでいた20mのガンダムが発見され、この時代において神々として崇められていたという説が出てくるのに期待したい。
ドグマのヒルフィギュアのモデルなんだろうな
第六文明人の遺跡