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難破船だらけの絶海の孤島で発見された謎の古代ローマ時代の銀貨

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(著) (編集)

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 ヨーロッパ大陸とスカンジナビア半島の間にある内海「バルト海」の孤島でローマ帝国時代の2枚の銀貨が見つかった。

 考古学者たちは、胸を躍らせると同時に困惑している。

 どうやって、これらの硬貨がここにたどり着いたのか、明らかにする手がかりはない。難破船から流出したものか、北欧の貿易商人、あるいは遥か北方へ航海してきたローマ船が残したものか、何の手掛かりも得られず、想像をめぐらすしかないのだ。

バルト海の孤島、ゴツカ・サンド島で発見されたローマ時代の銀貨

 スウェーデン、ストックホルムにあるセーデルトルン大学の考古学者ヨハン・ロンビー氏は、絶海の孤島、ゴツカ・サンド島の海岸で、2023年3月に金属探知機を使ってこれらコインを見つけたチームのひとりだ。発見場所には、古い炉床跡が残っていたという。

「私たちはとてもラッキーでした」ロンビー氏は語る。「この遺跡のことは知っていましたが、これがなんなのかはわかっていませんでした。でも、コインが出た今は、さらに発掘を続ける興味がかきたてられます」

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ゴツカ・サンド島、またはサンド島は、バルト海でももっとも隔絶された孤島のひとつだ / image credit:iStock

なぜローマの硬貨がこの場所に?

 この島で発見されたふたつの銀貨は、とちらもローマのデナリウス貨で、ひとつは西暦98年から117年のトラヤヌス帝時代のもの、もうひとつは、西暦138年から161年のアントニヌス・ピウス帝時代のものだ。

 それぞれの重さは4グラム未満で、鋳造された時代の労働者の1日当たりの賃金に相当する。

 デナリウス貨は、古代ローマ時代の標準的なコインだった。ラテン語ベースのいくつかの言語では、お金を表す単語として似たような言葉が今日でも使われている。イタリア語の「デナーロ」や、スペイン語の「ディネロ」がそうだ。

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左のコインは、アントニウス・ピウスの治世、西暦138年から161年にかけて鋳造された銀貨。右のコインはトラヤヌス帝の治世、西暦98年から117年にかけて鋳造された銀貨で、皇帝の頭部とラテン語の碑文の一部が描かれている / image credit:Johan Ronnby

 ローマ帝国時代の硬貨に含まれている銀は常に価値があるものだったため、長い間、流通していた可能性があるとロンビー氏は言う。

 嵐を避けてゴツカ・サンド島に避難してきた北欧の貿易商人が持ち込んだものかもしれない。

 だが、難破船の生存者によってもたらされた可能性もある。島周辺の海域は危険なことで知られていて、このあたりには、いくつもの難破船が点々と残されているという。

 その他の可能性としては、ローマ船に乗ってやってきたローマ人がでもたらしたものかもしれないという説もある。だが、ローマ人がバルト海を航海したという記録は残っていない。

 「ローマ船の可能性は低いですが」ロンビー氏は言う。

 「ローマ人がスコットランドなど北の方へ航海していたことや、バルト海について書いた当時のローマ人作家がいたことは、考慮に入れるべきです」

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硬貨がどのようにして島にやってきたかは永遠の謎となる可能性

 ローマの銀貨は、島から40キロ南にあるもっと大きなゴトランド島でも見つかっている。ここにはいくつかの町があったため、おかしくないことだが、ゴツカ・サンド島には、町や村はない。

 ”砂の島”を意味するゴツカ・サンド島は、今は無人だが、19世紀には灯台守が常駐していた。それ以前は、難破船がうち捨てられたり、海賊のたまり場だったという。

 考古学者のダニエル・ランガマーは、ゴツカ・サンドの文化遺産を調査していて、今回の発見は、島でローマの硬貨を見つけたという19世紀の灯台守の証言と一致しているという。

 しかし、硬貨がどのようにして島にやってきたのかは、永久にわからないかもしれない。

 この孤島には、かつてアザラシのハンターたちも頻繁にやってきていた。アザラシ猟は現在は禁止されているが、付近にはアザラシが多数生息していて、夏場には漁師たちもやってくる。

 ウプサラ大学の骨学者であるサビーネ・ステンやロンビー氏らは、今年後半に現地に戻り、この孤島の歴史を再現する予定だ。

References:Mystery of Roman coins discovered on shipwreck island has archaeologists baffled / written by konohazuku / edited by / parumo

References: Mystery of Roman coins discovered on shipwreck island has archaeologists baffled

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この記事へのコメント 10件

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  1. 記事読んでてたら頭の中でパイレーツオブカリビアンのBGM流れたわ

    • +5
  2. 書かれている様に価値のある硬貨は広く流通するので、それで遠くバルト海まで来たのだろうね

    • +6
  3. だいぶあとの時代だけど、毛皮交易の代金らしきイスラム諸国のディナール金貨なんかも北欧、ロシアで見つかっているので、ローマの物産がゲルマン商人を通じて北へ北へ運ばれる過程で、運悪く難破した船に積まれていたものが漂着したのかもしれない。

    北米のアメリカ先住民の異物には、太平洋の海流に乗って北米沿岸に漂着した日本や中国の難破船から回収したとしか考えられない銅銭を、皮の服に縫い付けて鎧にしたものもあるので、漂着というのは意外と馬鹿にできないと思う

    • +7
  4. ちょうど五賢帝時代だから最盛期の通貨だよね。この後造られる硬貨より純度が高いから鋳潰しても素材価値があるし、その後数百年保管されていてもおかしくないのでは。それこそ中国で発見されてる硬貨もあるみたいだし。

    • +1
  5. ただの不思議なんて忘れてしまえばいい
    考えてるだけで頭が痛いから~~♪

    って別の難破船だった

    • -4
  6. 質のいい銀貨だと下手すれば中世辺りまで流通してそうだ。
    ヴァイキング期はイスラム方面からの銀貨も流入してたし、秤量貨幣として使われてたのかも。

    • +2
  7. 何年か前に沖縄の遺跡でローマ帝国の銅貨が見つかってたね

    • +1

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