この画像を大きなサイズで見るユカタン半島、メキシコ南部にあるチチェン・イッツァ遺跡から、石製の円盤が見つかった。そこには2人の競技者の姿が刻まれていて、両者とも「ペロタ」という古代マヤの球技と関連がある伝統的な衣装を身に着けている。
この円盤には、かなり詳細な碑文も刻まれているが、まだ完全に解読されていない。しかし、描かれているプレイヤーは西暦894年に開催された球技の参加者であると書いてあることはわかった。
考古学者たちは、碑文の解読がさらに進めば、9世紀のこのスポーツイベントに関する詳細がもっと明らかになると期待している。
参加チームの名前がわかるかもしれないし、後世のために残された記録ならば、スコアボードだった可能性があるという。
マヤ文明時代の球技に関する記録が刻まれた石の円盤
この西暦894年に開催された球技に関しての記録が刻まれている石の円盤は11年前に発見された。
「この遺跡でマヤ象形文字が見つかることはめったになく、完全な文章が見つかることはもっと稀です」考古学者のフランシスコ・ペレス・ルイス氏は、メキシコの国立人類学歴史研究所(INAH)発行のプレスリリースで述べている。
この画像を大きなサイズで見るマヤのスポーツ祭典「ペロタ」の重要な試合の記録か?
「ペロタのプレイヤーたち」と名づけられたこの石の円盤は、幅32.5センチ、厚さ9.5センチ、重さ40キロとかなり重い丸い石板だ。
持ち歩くものではなく、公共の場に展示することを目的にしたものと思われる。
カサ・コロラダ(”鮮やかな家”という意味)として知られるマヤの建造物の内部で、INAHの考古学者たちがこの珍しい遺物を発見した。
建物は、内部の壁が赤く塗られているためにこの名がつけられたのだが、ペロタが行なわれた競技場があったため、この場所で円盤が見つかったのだという。
この円盤が、特に重要な試合のために作られたものと考えるのは妥当で、チャンピオンを決めるような試合だった可能性を示している。
円盤に描かれたふたりは、いくぶん違った服装をしているため、敵味方だった可能性がある。左側のプレイヤーは、羽がついた頭飾りと、おそらくスイレンと思われる花を描いた帯をつけている。
「顔と並んで巻物のようなものが描かれているのは、息づかいや声だと解釈されるかもしれません」INAHの考古学者、サンティアゴ・アルベルト・ソブリーノ・フェルナンデス氏は言う。
「対戦相手は、チツェン・イツァで多くみられる”ヘビのターバン”を頭につけています」
マヤ社会や歴史を学んだ者は、ペロタのプレイ方法については、だいたい知っている。
だが、チームがどうやって結成されたのか、プレイヤーが象徴しているものがなんなのか、あるいは誰なのかはわかっていない。
今回わかったのは、円盤に描かれたひとりが、身を守る防護服のようなものを着ているということだ。
この画像を大きなサイズで見る文化的統一と宗教儀式としてのペロタ
ペロタは、マヤ文明にとって文化的な重要性があったことは間違いない。
およそ3000年近く前に初めてプレイされたマヤ帝国の国技のようなもので、今日のサッカー、バスケ、アメフトのように、マヤの人々が一体化できるようなスポーツだったのだろう。
重要な試合であることを記念して、丁寧に彫刻が施されたこのような石板が存在することは、古代のスポーツが、西暦250年から900年の古典期末までにに、高度かつ複雑に発展したマヤ社会をひとつにまとめる役割を果たしていたことの証だろう。
チチェン・イッツァには、カサ・コロラダよりももっと大きなペロタの競技場がある。ここでは、若者やアマチュアの試合が行われたり、練習場として使われたかもしれない。
発見された石の円盤は、カサ・コロラダで実際にプレイされた試合結果を記録したものだったかもしれないし、そうでなかったかもしれない。
試合が別の場所で行われていたのなら、円盤は優勝チームの本拠地で展示されたのかもしれない。
この石の円盤が発見されたのは、入場アーチなどがあるカサ・コロラダの一画で、そこは、入場してきた者の目にすぐに入る、
まさにこれが飾られていたと思われる場所だった。発見されたときは、地下58センチのところにひっくり返った状態で埋まっていたのだという。
つまり、円盤はもともとアーチの東側の壁に吊るされていて、アーチが崩れたときに、表面を下にして地面に落ちたと思われる。
この画像を大きなサイズで見る古代マヤの謎めいた球技、ペロタ
ペロタの競技場やこの球技を描いたさまざまな彫刻の研究をベースに、考古学者や歴史家たちは、ゲームがどのように行われたのかを少しずつ解明してきた。
投げた球が丸い穴を通過するとポイントが入るのは、バスケットボールと似ているが、プレイヤーは腰や肘、膝でしかボールに触ることができなかったようだ。
手を使うことができるゲームよりも難易度が高いゲームだ。
ペロタの試合は、マヤのあらゆる都市で行われ、それぞれの都市は大勢の観客が集まって試合を観戦することができる競技場をもっていた。
マヤの文献や彫刻を研究している学者は、こうした試合と共に、人間の生贄も提供されたとしているが、どのようにして犠牲者が選ばれたのかはわかっていない。
ペロタの球は、亡くなったマヤの支配者や高官の遺灰を詰めて作られることもあったという。
生贄を捧げる行為と共に、マヤの宗教的信仰とスポーツ競技などの文化的慣習が、いかに密接に関わりあっていたかがよくわかる。
この石の円盤をもっと徹底的に調べることで、こうしたものが生まれる動機となった古代スポーツの試合について興味深い詳細が明らかになるだろう。
現在、このディスクは、発見場所で調査されているが、確実に長期に保存するための保存処理が施されている。
円盤の高解像度画像の撮影も行われ、写真を細かく分析することによって、彫刻面の碑文も完全に解読することができるはずだ。
References:Con su texto jeroglifico maya completo, descubren en Chichen Itza un marcador de Juego de Pelota / Commemorative Disc from 894 AD Maya Ball Game Found at Chichen Itza / written by konohazuku / edited by / parumo
追記(2023/04/27)Chichen Itzaの表記をチチェン・イッツァに統一しました。














サッカは本当にあったんだ!!
球技で負けたチームは生贄にされると 以前TVで視たような覚えがある。
>>2
>>3
勝った方が生贄になるってのは手塚治虫が『三つ目がとおる』で描いてたな。
実際のところ、どのように生贄が選ばれたかはよくわかってない。
>>2
わしが読んだアステカ専門の本には勝った方が生贄になると言われているが、人間は生存本能があるので負けた方が生贄だろうって書いてあったと思う
勝った方が生贄じゃなかった?
あとChichén Itzáだからチェチェンじゃなくチチェンイツァだよな
>>3
チェチェンは紛争で有名なロシア連邦のうちの一つの国ですね
どこかに誤植がありましたか?
ウラマとは違う競技なの?
球技で勝者が生贄に…というのは検索するとあちこち出てくるけど、自分が卒業した大学の世界史の教授は「あれはテレビが『その方がより強く印象に残るから』ということで勝手に作った話で普通に負けた方が生贄にされましたよ」と講義で言っていたわ
諸説は色々あるみたいだけど、少なくとも取材までした相手の話を細かい箇所とはいえ面白おかしくなるからって理由で故意に改竄するのはどうなんだろうと思ったよ
冒頭に「~から、石製の円盤が見つかった。」とあるから、つい最近の事かと思ったら「11年前に発見された。」って、おいっw
やたらと制約の多いルールみたいだけど
ルールに基づいた適切な判定が行われていたのだろうか?
>「顔と並んで巻物のようなものが描かれているのは、息づかいや声だと解釈されるかもしれません」
ほほう、鳥獣人物戯画で漫画的表現とされるあれと同じかな? だとしたら最古の漫画という看板が移る可能性も……いやストーリーじゃないから無理か?
一方、日本では
ハヤシ・マヤ文明が存続している。
人類は人類とはなんなのか、居場所はどこかのか?能力はどんなもんかを記した品を宇宙に飛ばしてる。
昔から考える事は同じなんだな。
ちょっと焦げたクッキー
生贄の頭を蹴っていたんですか?
判明してもボールじゃなくて首だった・・・とかはイヤですよ?