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紀元前300年の技術が凄い!古代ローマ人が道路を作った方法を3Dアニメーションで再現

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(著) (編集)

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 古代ローマ人は有名な建築家だったと言っても過言ではないだろう。ローマ帝国全域には、彼らによって建設された多くの橋や石畳み道路、その他の遺跡が今も傑作として残っている。

 その中でも最も大きな役割を果たした建築物といえば「ローマ街道」だ。

 古代ローマ時代に主要都市を結ぶネットワークとして作られたこの道路は「すべての道はローマに通ず」ということわざがあるように、最盛期には全長20万マイル(約32万キロ)に及ぶ巨大インフラだった。そして現在も、アスファルト舗装されて国道として使用されている。

 2千年という長い年月にも耐えるローマ街道の構造はどのようなものだったのか。3Dアニメーションで再現されているので、早速見てみよう。

古代ローマ時代の大規模なネットワークとなったローマ街道

 ローマ街道は、紀元前312年に着工されたアッピア街道がその始まりと言われている。

 初期のローマ街道は、ローマからイタリア半島の主要都市を結ぶためのものだったが、次第にローマ以外の都市間でも建設されるようになった。

 ローマ街道は、軍隊の迅速な移動を主な目的にして建設された主要幹線道路であった一方で、帝国の安定とその拡大を維持する上でも非常に重要なネットワークだった。

 この大規模な道路網は、支配地域の生活水準を向上させる目的で、都市間における人々や物品の輸送を活発にする役目を果たしていたのだ。

 人々は、道路に沿って牛や車輪付きの荷台を往来し、またあらゆる種類の交通に従事することが許可されていたという。

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pixabay

ローマ街道はどのようにしてできたのか

 40万km以上の長さにおよぶローマ街道のうち、80500km以上は石畳みと推定されているが、全体の構造はどのようなものだったのかというと、複数の耐力層で構成されるという特徴を持っていたようだ。

 まず、道路の基盤を作るために森林を伐採した。完成した道路では2台の荷馬車が行き違えるようにと幅4メートルに設定し、できる限り直線で森を切り開き、表面または地形を平坦化する作業を行った。

 次に、下層路盤として25~60cmの厚さで大きめの石を敷き詰めていった。中層には、下層に敷いた石の隙間を埋めるように直径5cmほどの中ぐらいの石を敷き詰めた。

 その上に、砂利砂と粘土を敷き、厚さ15cmの岩石ブロックを厚板のように重ね路面を舗装していった。重量のある分厚い石を敷くことで、層を重ね道路の安定性を高めたのだ。

 道路中央部には雨水などが溜まりにくいように少し高い勾配をつけ、両脇には排水溝が設置された。

 車道の両側には3メートルの歩道として砂利の小道が設けられているが、そのすぐ外側には樹木を植えることは禁じられていた。

 これは、地下に伸びる根の道路への浸食を防ぐためと、野生生物や強盗など突然の予期せぬ出現から見晴らしをよくするためだったと伝えられている。

 また、最近になってその存在が発見されたということだが、道路から20メートルほど離れた両脇には溝が設置されていた。これは、当時許可されていない通り抜けを防ぐためのものだったようだ。

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2千年の使用に耐える構造で作られていたローマ街道

 紀元前2世紀の初めには、この主要道路に沿ってローマの属州からローマに到達するための多くの大小含む道路が建設されていたという。

 やがて、「すべての道はローマに通じる」ということわざが生まれた。数世紀にわたり、広大な土地を征服し、保持することが可能だったのも、この古代ローマ街道が都市と地方を結ぶ重要な役割を果たしたからこそといえるだろう。

 2千年の使用に耐える構造で建設されたローマ街道は、イタリアでは現在アスファルト舗装がなされ、国道として使用されているということだ。

written by Scarlet / edited by parumo

追記:(2022/04/25)本文を一部訂正して再送します。

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この記事へのコメント 18件

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  1. 中世でなぜ途絶えたんだ
    いくら悪魔の所業(当時)とはいえ残すべきだったぞ

    1. ※4
      街道は、ローマの元老院議員の篤志家のポケットマネーで作られたりしてる。
      ローマが超富裕大国だったからこそできた事業。

      ローマが異民族を侵略しきってしまい、新しい領土の獲得ができなくなった時点で、捕虜イコール奴隷も獲得できなくなり、労働者が足りなくなって、あっという間に経済が破綻した。
      さらにそこへゲルマン人が大移動してきてローマの経済は完膚なきまでに蹂躙され、街道作りどころではなくなった。

    2. ※4
      ローマは建国以来、戦争をしなかった年がなく、常に他民族から略奪した資産と奴隷で経済が回っていた。コンスルはいかに戦争と略奪が上手かで決めれれていた。
      しかしパルティアとササン朝との戦いでローマは拡大を阻止され成長の限界に達し、略奪型経済をやめて内需型に転換したがうまくいかず財政破綻した。
      その後、ローマを支配したゲルマン人は都市や道路の維持の方法がわからず次々と放棄し、郊外に粗末な家を建てて住み、文明は一気に後退し、高度な技術は全て失われ暗黒の中世に突入する。これは当時の彼らが蛮族だったことと気候が乾燥化に向かい、都市が維持できるほどの人口や経済活動がなかったため。
      やがて、数世紀後にゲルマン人が十字軍遠征した時、東方の家が石造で煙突があることに驚くエピソードは有名。彼らの家は木造で煙突というものを知らず、家の中は煤で真っ黒だった。下水道という概念も消失していた。
      この時にフォークとスプーンの存在も知るが、実際に使うようになるのは18世紀のこと。

  2. 水道と道路への情熱ほんますごい
    建物全般すごいけど
    ローマン・コンクリートとかいう神建材の製法さえ伝わっていれば……

  3. >>道路から20メートルほど離れた両脇には溝が設置されていた。これは、当時許可されていない通り抜けを防ぐためのものだったようだ。

    どういう事だ?
    溝と通り抜けの関係がさっぱりわからんぞ

    1. ※10
      横から道路を真横に横断したりするのを避けるため、
      馬車が通れない溝を掘って横断できないようにしたってことかな
      古代の高速道路のよう

      1. >>11
        ああ、馬車の進入阻止の工夫か

        通り抜けを防ぐとか書いてあるだけだから、徒歩で移動してる人の通り抜けを溝でどうやって防ぐのかすぐに思いつかなかったが、馬車か、そうか、軍事用の大量輸送を考えると別の馬車が横切るのは防ぎたいよな。

  4. これだけの土木・建築技術はいつぐらいから蓄積していったんだろうか
    急にできるようになりました!って訳でもないだろうし

  5. この延々と石を手作業で敷き詰めた人達、一日中これやって帰宅して、いざ寝ようと瞼を閉じたら、絶対瞼の裏一面に敷き詰められた石が浮かんで嫌ぁな気持ちになったと思う。お疲れさまでした。

  6. 藤子・F・不二雄先生のタイムパトロールぼんにもローマ街道を作るエピソードがありましたね

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