この画像を大きなサイズで見る科学の名のもとに、自らの体を張って実験を行った科学者は多い。そんな科学者のおかげで医学の発展があるわけだが、実験には失敗がつきものだ。
危うい実験を何度も行い、のちにノーベル賞を受賞したヴェルナー・フォルスマンもそんな科学者の1人だ。
非常に困難な状況下で自分の体を使って実験を行い、まわりから変人扱いされたものの、後に人間の心臓に初めてカテーテルを通した人物として有名になった。
心臓にカテーテルを入れる試みを、最初に自らの体で実験
1929年、フォルスマンはベルリン北部にあるエバースヴァルデ病院で外科医として働いていた。肘の静脈にチューブを挿入して、心臓にカテーテルを入れることは可能だと確信した彼は、自らの体を使ってそれを証明しようと実験した。
当時、そのようなことは完全に常軌を逸したこととだと思われていて、フォアマンの先輩医師はそんなことをしたら、患者はみんな死んでしまうとして、彼のアイデアを却下した。
だが、そんな反対で思いとどまるフォルスマンではなかった。まず最初に動物に実験してみたらどうかという提案を拒否し、自分自身の体を使って実験することに決めたのだ。
先輩医師の助言を無視して、自分の心臓にチューブを挿入する最初の人間になろうとしているときに、結果など気にしなかったのだろう。
フォルスマンの実験に協力した看護師
この実験のためには、第三者の協力が必要だった。看護師のゲルダ・ディッツェンの協力がなければ、フォルスマンは必要な手術器具や局所麻酔薬を使うことはできなかったのだ。
数週間後、フォルスマンに説得されて彼の実験の意義を納得したディッツェンは、この実験に協力することを自らかって出た。
ディッツェンは、座ったまま施術を受けようとしたが、フォルスマンは麻酔の副作用が出た場合のことを考えて、彼女を手術台に横たわらせた。
ディッツェンの手足を台に縛りつけて準備を始め、彼女が見ていないときに、自分の腕に麻酔を打った。
実は、自分以外の人間にこの実験を行うことははなから考えていなかったのだ。ディッツェンはいわばダミーの被験者だったのである。
この画像を大きなサイズで見るレントゲン技師を説得し、実験に協力させる
麻酔が効いてくるのを待つ間、フォルスマンはカテーテルを入れる準備をするふりをし続けた。麻酔が効いたのを確認すると、フォルスマンは自分の腕を切開し、カテーテルを30センチばかり静脈に挿入した。
そして、ディッツェンに次のプロセスに必要なレントゲン技師に連絡するように頼んだ。
この時点で初めて、ディッツェンはカテーテルが自分の腕に挿入されないことに気づいて抗議したが、結局は諦めて、フォルスマンを階下のレントゲン室へ連れていった。
ところが、いざレントゲンを撮る段になってもひと悶着あった。カテーテルがどこまで達しているかを確認するためにレントゲンを撮りたいと言うと、友人の医師のピーター・ロマイスは、フォルスマンの命を救おうと、逆にカテーテルを引き抜こうとしたのだ。
フォルスマンは、ここでもなんとか相手を説得して事を収めた。心臓病学を発展させるのに本当に必要なスキルは、相手と戦う術を知ることだと痛感したかもしれない。
やっとのことでレントゲンを撮ってみたところ、カテーテルは肩関節のところまで入ってい
るのがわかった。最終的に60センチ押し込んで、ついに目的地である心臓の心室まで到達させた。
実験には成功するも病院を解雇される
エバースヴァルデ病院の臨床医のヘッドは、最初、フォルスマンのこの実験に青くなったが、レントゲン写真を見せられると、喝采を送った。
これ以降、フォルスマンは再びこの手術を行うことを許され、今度は末期患者に薬を投与する方法として、このカテーテル法を施した。
しかし、この自己実験の結果を世間に公表すると、彼はすぐに病院から解雇されてしまい、外科医としてのキャリアを剥奪されてしまったのだ。
軍医を経て再び医学界へ
その後、フォルスマンは泌尿器学者として再起し、第二次大戦のときは軍医になった。医学に多大な貢献をしたが、戦争が始まる前の1932年には、積極的にナチ党に参加していたことも事実だった。
対戦中、彼は捕虜になり、一時的にきこりをやっていたりしたが、のちに地方医として医学界に戻ってきた。
この画像を大きなサイズで見る最初の実験から20年後、ノーベル賞を受賞
フォルスマンが自らの体でカテーテル実験を行ってから20年以上たって、驚いたことに彼はノーベル賞を受賞した。
フォルスマンが囚われの身だった頃、医師のアンドレ・フレデリック・クルナンとディキンソン・W・リチャーズが、彼の論文を読み、さらにそれを発展させて心臓病の診断や研究に役立てた。1956年、フォルスマンは共同受賞者として、のノーベル生理学・医学賞を受賞した。
「まるで、自分が司教になったことを知った田舎の村の牧師のような気分です。ときに、この業界にもある程度の正義があるようですね」とフォルスマンは語ったと言われている。
References:The Doctor Who Tied A Nurse To A Surgical Table, Fought Another Doctor, Then Won A Nobel Prize | IFLScience/ written by konohazuku / edited by parumo













正気にては大業成らず
※1
※10
良心のあるマッドサイエンティストって感じ?サイコパスチックだけど他人が死ぬより、自分が死ぬとか被害のある方を選んだってことかなと。
私も自分の身体を使った人体実験はしますね。トレーニングだけど。
コーチじゃないから怪しいトレーニング理論を人に試すわけにいかないから、自分に試すんだよねwww
多分、そういう人多いと思います。
この医師のおかげで家族の命が助かったのですね。感謝しかありません。
30年ほど前のことになりますが、当時の日本では小児心臓カテーテルは大変で、ドイツやアメリカまで留学して学んで下さった。
使命感を持つ医師はスゴい。頭が下がります。
俺、心筋梗塞やったけど、カテーテル手術で助かった。
この人のお陰なんだなぁ。ありがとう。
本当に世界を変える人は自己犠牲のうえ社会に貢献してるんだよね
社会に文句だけ言って変えたつもりになってる人は見習ったほうがいいよ
これはすごい…
なんかほんとうにすごいしか言えないけど
自分の体を使ったのが特にすごいわ
看護師のディッツェンはこのエピソードに必ず名前が出てくるけど、その後は全く語られないんだよね
フォルスマンがクビになったんだから彼女もただで済んでないはずなんだけど
正気と狂気の狭間に発展はある。
思い付くと試したくなってモヤモヤする質だからなんとなく分かる
偉業は偉業なんだけどその後の人生も波乱万丈すぎるんだが
その気になればなんでも出来そうな人だな?
ピロリ菌飲み干したり局所麻酔で自分の盲腸切り取ったり、医療技術の歴史はロックな人材で溢れてる。
私、失敗しないから
いや動物実験はしなよ…と思ってしまった🤔
心臓にカルーセルだとぉ!
※13
確かに、巻きが入っておる
うちのばあちゃんも心臓が悪くて、バルーンカテーテルを入れてもらってからすごく長生きしたよ。一昨年亡くなったけど、最後まで心臓が頑張ってくれて、家族皆から看取られて旅立てた。この先生のおかげです。ありがとうございます。
外科医のジョン・ハンター先生も感染症の解明のために自分に感染させて経過を観察したりしてたな。
お弟子のジェンナー先生も似たようなことを以下略