この画像を大きなサイズで見る「傍観者効果」という社会心理学用語がある。これは、ある事件が起きたとき、自分以外に傍観者がいる場合には誰も率先して行動を起こさないという集団心理の一種だ。
例えば、道端で誰かが倒れていた場合、近くにいたのがあなただけなら、あなたはその人を助けようとしたかもしれない。でも、周りにたくさん人がいたら、誰かが助けるだろうと思ってあえて自分が助けようと思わなくなるのだ。しかも困ったことに、人がたくさんいるほどそうした傾向になりがちだ。
こうなると、自分以外に人がたくさんいるところでは、誰も困っている人を助けなくなってしまう。だが最近の研究によると、人には「困っている人を助けたい」という欲求があるので、助けてくれる人はいるそうだ。
現実の状況で本当に傍観者効果が生じるのか?
これまでのいくつかの実験では、この傍観者効果が確かにあるらしいことが確認されていた。
しかし、よくよく考えてみると分かるが、本当に緊急性のある状況を実験で再現するのは倫理的にも実践的にもかなり難しい。
道を歩いていたら、すぐさま手助けが必要な人に”偶然”出くわすなどという状況は、なかなか作れるものではないのだ。
そのことを考えれば、これまでの研究の結果を本当に現実の状況に当てはめられるのかどうか、はなはだ怪しい。
しかし幸か不幸か、街中に監視カメラがたくさん仕掛けられ、その記憶容量も大きくなった現在、現実に発生したケースを実際に検証できるようになってきた。
この画像を大きなサイズで見る実際には周囲に人が多いほど助けようとする傾向にあった
イギリス、ランカスター大学とデンマーク、コペンハーゲン大学の研究グループが行なったのは、ケープタウン、アムステルダム、ランカスターの中心部に仕掛けられていた警察の監視カメラ映像の分析だ。
分析対象となったのは、監視カメラ映像のうち、条件に当てはまる219本だった。なお、これらの3都市は、暴力犯罪の発生率と重大さに対する住民の認識がずいぶん異なっている街だ。
分析の結果、9割のケースで少なくとも1人が困っている人を手助けしようとしただけでなく、傍観者効果の常識とは真逆で、周囲に人が多いほど助けようとする傾向にあることも明らかになった。
この画像を大きなサイズで見る人には他人を助けたいという欲求がある
研究グループによると、これまでの傍観者効果に関連する研究は、「責任分散」(誰かがやるだろうから、あえて自分がやる必要はないという心理)を検証したもので、「機械的な救助ポテンシャル」(助けたいという一般的な気持ち)についての検証は不十分であったという。
従来の実験結果と今回のカメラ映像の分析結果が食い違っているのは、そのような事情があるようだ。
ただ今回の研究は、都市中心部の商業地区におけるケースを分析したに過ぎず、たとえば「音楽やスポーツイベントでの事故、大学キャンパスでの性的襲撃」といったケースにも当てはまるかどうかは分からないとのことだ。
この研究は『American Psychologist』に掲載された。
References:boingboing/ written by hiroching / edited by parumo














人種によるのでは?
日本で電車内の痴漢を現行犯で捕まえた女子高生が、助けてください❗️と周りに言っても、全員無視で誰も助けてくれなかったという話を聞いた。
日本人みたいに前に出ること?が苦手な人種には難しいんじゃないのかな
>>1
ちゃんとした研究と統計を無視して人の性質が人種で変わると思ってるのは人種差別ですよ。
※14
犬は犬種が違うと気性や性格が違うよ
※17
犬種は「牧羊が得意」「闘犬として優れる」「愛玩向き」など、それぞれの特徴を持った個体を代々掛け合わせてきた歴史があるので、性質もそれぞれ傾向が分かれるが、人間にそれがあてはまりますか?あってもせいぜいが気候や風土によって少し違いがある程度でしょう。だとしてもグローバルに人間が混交する今日び、人種によって性質を決めることのほうがナンセンスです。
※22
人種にステレオタイプな特徴が存在するかはさておき、気候や風土で違いが出る上に生活環境が違えば社会も変わり、社会も変われば子孫を残しやすい人も変わって当然遺伝的性質にも違いは出るよ
グローバル化なんて言っても、どの日本人にも当然のようにフラニ人の血が流れてるなんて事実はなく日本に住んでいるのは大部分が日本人である以上、日本人の人種的特徴というものが存在する(消滅していない)のは何もおかしくはない
日本人が前に出る事が苦手というのは社会的影響のほうが大きいと思うけどね。倒れてる女性の服を剥いでAED使う事は社会的悪影響が多いからする人が少ない
200年前のイギリスが倒れてる人のケツを丸出しにしてタバコの煙を突っ込ませるのは社会的に認められてるから多くの人が躊躇いも少なく行えた。ただそれだけ
>>17
それはその犬種の役割にふさわしい性質を持つ両親を、管理している人間が選び出して交配してきたから。
※14
優劣とかではなく、人種による違いがないって言うのは無理がない?
人種という言葉が嫌いなら生まれ育った環境による違いだよ
いずれにせよ元の記事に何の関係もないことだけど
※45
”人種”と”育った環境”では全く意味が違いますよ
ロンドンの富裕層で育った黒人もいればスーダンの貧民街で育った黒人もいる
地域によって差がある、なら多少理解できますが
なぜ
>人種による違いがないって言うのは無理がない?
と思うのですか?
確かに身体的特徴は人種別に平均をとった場合に差は出ますが、それは違いではなく偏り
身長が低い白人も多いですし、足が遅い黒人だってたくさんいる、全体を平均した場合に偏りがあると言うだけ
ましてや、人を助ける助けないと言う問題で人種で差がある、と言う発言は人種差別主義者と捉えられても仕方ないと思いますよ
>>14
1は、人種ではなく国民性を
言いたかったんじゃないかな。
自分には通じたよ。
>>57
国民性なんてねーよ
※1
まずは、その話が本当にあったことか確認するところから始めようか
日本人だから云々と確証のない推論を振り回す前に
>>1
倒れてたり命の危機っぽいのと、痴漢やスリとかでは違うっていうのならあるかもしれないなーと思う。
痴漢されてたり「あ、今あの人盗まれた!」みたいな感じのは、やった奴に顔覚えられて逆恨みされたり色々厄介に巻き込まれるかなーとか考えてしまうかもだけど、普通に血を吐いて倒れてるとかは考えるより先に助けなきゃと思うかもな。
※1
人種っていうか文化だろうね。
日本においては同じ人種ばかりだろうけど、世界では人種はいろいろいて、そこに住む人の共有する価値観、すなわち文化が違うということだと思うな。
まぁ、でも日本でも最近は手助けしてくれてる人も多くなってきているんじゃないかなと希望を持ってる。幸いにして私は手助けをしたほうがいいかなと思うような場面にであったことがないんで、わからんのだけどね。イナカだから電車にあまり乗らないんだ
>>77
日本人が同じ人種ばかりだと?ありえない。おまえの勝手な考えで個人の個性をつぶすな。
だれも 消防車を 呼んでいないのである!
>>2
アフロ田中www
あれマジで笑ったw
>>2
絶対このセリフ書いてる人いると思ったw
人が沢山いるなら助けないよ
>>3
むしろ目撃者が多いほど自分はただの通りすがりで助けただけの人って証明できるなーとは思う
他に誰もいない場所で急に倒れた人とか倒れてる人を救護したら「本当はお前が何かやったのにただ通行人のフリしてるだけなんじゃないか?」って疑われたらどうしようとか思ってしまう
目撃者がいない状況だと後々やってもないのに不必要な場所を触られた!とか猥褻なことされた!とか言いがかりつけられてもやってないって証明できないし怖い
>>3
これ
誰かやるやろの精神
東京は子どもが倒れててもスマホで撮られるだけで放置される場所だもんね
後からインスタに載せられて「カワイソ〜」っていいねが付いて終わり
「誰も消防車を呼んでいないのである!」
※5
フィクションはことさらショッキングな方を強調するからね
実際街とかでも老人が倒れてたりすると必ず誰かが面倒見てるな
ああいうときにすぐ行動に移せる人尊敬する
私も助ける人になりたいなぁ。でも実際動けるかどうかはわからないなぁ。
>>7
実際目の前で倒れられたら色々考えるより前に自然と体が動く。
そんなもんだと思うよ。
>>37
私もそう思うよ。
>>7
自分は10代の時たまたま遺体の第一発見者になった事があるのだけど、
(見掛けた時は亡くなってるかどうか分からなかったから)とっさに駆け寄って、自分に何が出来るか物凄いスピードで考えてた記憶がある。
心臓バクバクだったけどオロオロはしなかった。
きっと人って自分がしなきゃ!と咄嗟に思ったら動けるんだと思う。
こんなご時世でも見ず知らずの人を何やかんや助けてくれる人には感謝だね。
世間は冷たいとか言われるけど決してそうでは無いと思える。
余計なお世話になる場合もある。
昨今より問題になってるのは「他の誰かが助けるだろう」「自分が助けなくても大丈夫」より「余計なトラブルに巻き込まれたくない」「余計なリスクを背負いたくない」ではなかろうか
女性にAED使うのを躊躇う、に代表されるような
>>10
女性自体が嫌がってるわけだからな
助ける人をに明確に保護する法律があるわけじゃないし
自分も助けたことあるし、助けてるのも見たことあるし、ニュースでもみた。
思春期の延長で人は助けない行動パターンに強めに惹かれるだけだろうね。
>>15
実際経験してみないと何とも言えないよね
ここで助けないって宣言してる人が
クソッしかたねえなで助けるかもしれないし。
今住んでるところが年寄りが多い地域のせいか、転倒して倒れてたり、気分が悪くなってうずくまる高齢者によく遭遇する
もちろん慌てて駆け寄って救急車を呼ぶことになるんだけど、周りの人も大丈夫ですかって、その場で役割分担して助けてくれるよ
下手に助けようとしたら不審者扱いで通報されかねないからな
自分の身は自分で守る時代
>>18
そんなに不審者扱いされるだろうか?
考えすぎな感じがする。
人通りの多い十字路で車にはねられて死にかけた時、周りの人は救急車呼んでくれたり応急処置してくれたり犯人取り押さえてくれたりしたって後から聞いたなぁ。
笑いながら写メってる手合いもそこそこいたらしいけど、そういう人もいれば助けてくれる人も少なくないよねって心底感じる。
※18
ネットの作り話を鵜呑みにしすぎでは?
そういう助けてくれた人を不審者扱いする人もいるかもしれないけど、圧倒的少数だしそれはスタンダードじゃなくて頭おかしい人に分類されるから。
傍観者効果、それを否定するような観察結果、どちらも時と場合によって「そのような傾向が出る」くらいに受け取ればよいと思います。むしろ「そういうもんだから手を出さなくていいや」という思い込みに繋がることのほうが怖い。
前を走っていた車が突然壁に衝突した場面に出くわしたことがあります。特に救命救急の知識は持ち合わせていないが、とりあえず声をかけてみて、大事ではなかったけど救急車や警察への連絡、事故車の移動、そしてレッカーの手配など、通りがかりの人や住民が大勢協力してくれた。
たまたま居合わせても、案外少しずつ出来ることはあるものです。
外国はしらないけど日本だと何だかんだいって
ちゃんと?助けている場面を見る事が何度かあるな
先日、駅のホームで倒れた女性を保護して駅員を呼んだけど…ほかに誰も助けようとはしなかったよ。
そこで若い男を選んで「駅員を呼んでくるから彼女が動かないよう見ていてくれ、ふらふら歩くと危険だから」と具体的に頼んだら、電車を乗り過ごしても見てくれた。
自分が何をしたらいいからわからない人が多いようだ。
僕は基本「助けがいるか?」を必ず聞いてからにしている。
昔、雪の日に転んで足首を骨折した人を助けようとしたら「家族を呼んだのでココから動きません!!」と。
積もった雪の上で動けず濡れていくし、足先がぷらぷらしてるので(おそらく開放)せめて固定しようと言っても拒否されて、身分証まで見せたけど頑として拒まれた。
連れていた子供だけは中年のオバサンが抱きかかえて保護してくれたが幸いだったけど、その方も出社途中のようで困り果てていた。
それ以来、聞いてから行動するようにしている。
もちろん酔っ払いや意識の無い人なら警察やQQ車を呼んでしまうけど。
※21
誰かが介抱してる⇒知り合い同士か、両者間のトラブルか?と思ってなかなかそこに立ち入りづらいのかもね
私は朝の事故現場で「何人も集まらなくてもこの人だけで十分な状況かも?」と思ってオタオタ様子伺ってたら、「あなたこれから仕事でしょ?行っていいから!」と追い払われてしまったw
まだ人としての矜持が最低限は残ってる人がそれなりな数がいるからだろうな
割合の問題でどっちも一定数居るって事だろ
傍観者になる方が多いってだけで
状況によりけり、というか、そこに誰がいるかで変わってくるんじゃない?
自分個人の経験を踏まえれば、ある状況下における人間の行動パターンはざっくり「率先して動ける人(A)」「誰かの指示を受けたら動ける人(B)」「状況から遠ざかる人(C)」に分けられるように思う。
つまり、苦しむ誰かを取り巻く群集のなかにAがいれば皆が救いの手を差し伸べるだろうし、いなければ誰も何もしないだろう、ということ。
ただし、群集の数が増えれば人の性質の多様性の向上も期待できる。つまり、Aがその中に含まることが期待できる。AがいればBも動く。
逆に周囲の人の数がすくなければ、Aが含まれないことも多くなって傍観者効果は発生しやすい。
そういうことじゃないかな。
※25が端的に言ってるけど。
ちな、この状況ってのはさまざまで、人の行動も状況にしたがってさまざまに変わるように思う。ある局面で率先して動けた人が、別の局面では立ちすくむ、とか。
人を助けたい欲求がある人は少なくないだろうけど、この場合、そういった心の作用みたいなものよりはむしろ、受けた訓練や教育が問題になるのかな、って気がするわ。
人種の問題かというと、、、70年くらい前ならそんな説明も通用した、かな?
辛い時に誰も助けてくれなかったから誰も助けないぞ
調査対象となった南アフリカ・オランダ・イギリスはクリスチャンが多いのと関係あるかもしれない。
何かとんでもなく不幸な事件が起きても
真っ先にスマホでカメラや動画撮影する日本人には少数派だろう
他人の不幸はエンターテイメントなのか?
同じ種として最低限の心を忘れないでほしい
いつかは自分に返ってくるのだから
>>29
事件を記録したいから撮影をしたがるというのはちょっと短絡的な考えだよ。
戦場カメラマンみたいに、目の前にショッキングな光景があったり、命の危機が迫るような天災が迫っていると、人間はカメラで撮影することで自分が当事者ではなく遠くからの観測者だと思い込むことで、現実逃避をしてしまう傾向があるからなんだよね。
だから、自然災害で死んだ人のスマホのデータを解析すると、最後まで津波や噴火を撮影していたりすることが多い。
パニックに陥っている人間って、本当に意味不明なことをやりかねないんだよ。
だからこそ、レスキューなどを仕事にしている人は現場を想定した訓練を重ねて、反射的に動けるようにするわけで、一般人に理性的な行動を期待しても難しいんだよね。
※29
オレは撮影する。そのために常にバッグに、コンデジを入れている。
ガキの頃遊具から落ちて気絶してたことあるが
数人公園にいて声かけてきた奴なんてひとりもいなかったわ
こっちを一瞬みてこれまでの動作続けるからな
見ず知らずの人でもないのにさ
逆に見ず知らずの人のほうが常識的というか優しいんだよ
知り合いしかいないと打算的というかめちゃくちゃ冷たい
緊急性の程度にもよるだろうし、
緊急性が相対的なものかも知れないしな
命に関わるものなら助ける人増えるんじゃないかと思うけど
緊急時対応で教わった事
誰かが倒れて緊急措置をする際に自分は胸骨圧迫をするとして、緊急通報やAED手配も同時にすべき
それで人に指示を出す時に「誰か119番通報して下さい!」ではなく
指差して「あなた!119番通報お願いします」
さらに指差して「あなたとあなたとあなたはAEDを持ってきて下さい」と指名したほうがいい、と習った
倒れた人との距離や最初に見つけたかどうかで感じる責任に差があるのでは?
自分と倒れた人の間に人がいるなら、自分が前に出てまで助けようとは思わないもの
もともとの傍観者効果の話でも家の外の犯罪を傍観してたって話でしょう?
日本人は~ってネットで知った程度の話をドヤ顔で書き込むのは如何な物だろう?
実際に自転車同士の事故を起こした身としては、左ヒザの靭帯を薄利骨折し動けなかった
俺を助け起こしてくれたオバサンと自転車が邪魔にならないようにと車道に倒れていた
俺の自転車を歩道側に立ててくれたオジサン、救急車を呼んでくれた若い女性
こうして皆が俺を助けてくれたのは事故が起こって転倒してから、たったの十数秒
こういう話もちゃんとある
日本人と一括りにするのにも変な意図すら感じるしね
何回か道端で倒れた人に駆け寄ったことがあるけど、自分が救助的なことをしていると「どうしたんですか?」「なにか手伝いますか?」って人は毎回現れたので、本質的には人は人助けをしたいんだと思ってる。
救命講習くらいの知識しかなくても、人助けのキッカケにはなれると思ってからは声をかけるのが怖くなくなったな……。
※43
カッコイイやん
なんか「消防車を誰も呼んでないのである!それはおそろしい集団心理だ!」みたいなコピペだか漫画があったよな
実際は小さな火事でも数人、数十人が通報するから、ほぼあり得ない話で解る人から見りゃリアリティ全くないしいい加減なこと言ってるもんだと思ったわ、でもそういうのが流行るのが日本の国民性なんだろうね
関わりたくないという人もいるだろうが、同時にヒーロー願望や見捨てて罪悪感を持ちたくないという人も多いからな。
人が多いほど助ける人が現れるのも、その辺が関係するのだろう。
具合が悪くなった振りして助けようとした女性襲ったりする事件
日本でもあるから警戒したほうがいい
前、段差でお婆ちゃんが転倒した時、周囲の人が5人くらいで役割分担して素早く助けてた。主に女性だけど、若いお兄さんが来て抱き上げて、タクシーの運転手さんがお代はまたでいいから!とお婆ちゃんのお連れさん共々病院連れてった。
うちのおかんは膝がちょっと悪いが、バスや電車乗ると大抵JKが席譲ってくれると言う。
それ以外も以外と困ってる人助けてる様子見るけどなー。
ちなみに関西ね。
たとえ100人のうち1人しか助ける人がいなくても、その場に100人いれば1人は助けにゆくだろう。そしてそれを見た人の中から、ならば自分もと助けにゆく人も出てくるだろう。善意も伝染すると思う。
スマホに録画する事で救助の義務から逃避する心理が働くそうだよ
「私は記録しているから」
私は記録に忙しいから救助に参加できないと言う心理
それでも困っている人を助けるのは人間の本能だと思ってしまったりする
私が超厚底サンダルはいたおバカな女子大生だったころ
渋谷駅山手線のホームと電車の間にお尻まではまって焦って声も出なくなってたら
うおおおお!と叫んで駆け寄ってきて引っ張りあげてくれたおじさん3人のことを
いまでもこういう話を読むたびに思い出す
あのときは本当にありがとうございました
20代の頃は人助けしてる自分を誰かに見られるのが嫌って感覚があったなぁ
未だにあれは何だったんだろうって思う
まぁ傍観者効果自体はあると思うが
人も千差万別というか、色んな人がいることができるように進化してきたっぽいからなぁ
人の数が多ければ多いほど「率先して助ける人」がいる確率も高まるだろうし、なんなら社会的な地位向上って点で他条件では助けないって人も助けることすらありそう
あと、傍観者効果は指名することで責任を明確にして無効化できるらしいけど、「率先して助ける人」ってのはこれを自身でやってるのかもな
そういう仕組みとか関係なしになんとなく助けちゃう人も多そうだけど
駅のホームでおじさんが倒れたとき、自分でもびっくりするほどスムーズに救急車呼んで周りの人にAED頼んだりってできたし、本当にいざとなるとなんかしなきゃ!ってなるもんだなと思った。スリや暴行だと反撃が怖くて動けないかもしれないけどさ。
全く誰も動かないなんて、そこまで世間冷たくないよ…たぶん。
一昨日電車に乗ろうとしてうまく進めない車イスと介助者を見たが、すでに3人の男女が両側を支えて乗り込むところだった
3人ともとっさに手が出た感じでさっと支えて、さっと乗せていったぞ
いや、これちょっと違うと思うぞ。
傍観者効果と同根だと思う。
傍観者効果は、厄介事に巻き込まれたくない、誰かがやるだろうという心の動きだが、
こっちは、これだけいれば厄介事にはなるまい、誰かがサポートしてくれるっていう心の動きだと思う。根っこにあるのは自分に対する自信のなさ。