この画像を大きなサイズで見るアルバムのパッケージデザインってすごく印象的で興味深い。ジャケットのデザインだけで買ってしまう「ジャケ買い」という言葉があるくらいだ。
アルバム用に入念に切り取られた1シーンだが、もし続きがあるとしたらどうなっていたのだろう?そのシーンの外では何が行われていたのだろう?
ロシアのデジタルアーティスト、Igor Lipchanskiyは、象徴的なアルバムカバーの続きをユーモラスに表現している。
1.ドアーズ – The Best Of The Doors (1985)
2.アデル – 21(2011年)
3.ブラッドハウンド・ギャング – Show Us Your Hits(2010年)
4.ジョン・レノン&オノ・ヨーコ – ダブルファンタジー(1980)
5. Will.i.am – Willpower (2013)
6.デヴィッド・ボウイ – Heroes(1977年)
7. ブルー・オクトーバー – Approaching Normal (2009年)
8. U2 – ヨシュア・トゥリー(1987年)
9.トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズ – 破壊(1979年)
10. エミネム – ザ・エミネム・ショウ(2002年)
他の作品はIgor Lipchanskiy氏のインスタグラムで見ることができる。














5は元ジャケットの時点で面白すぎる
最初に頭に浮かんだ言葉、
「 他人のフンドシで相撲を取る 」
7と9が好きだw
質感も寄せてあるしいい発想だなー
※2
例えば全く同じ構図でジャケットや絵を作って販売してたりしたらその言葉は分かるが、元の作品を応用して個性をプラスしてるこの場合には当てはまらないと思うぞ
※5
いや当て嵌まるでしょ(私は※2ではありません)
あくまで元ネタがあっての作品だし、作品として完成された元ネタに乗っかってるだけだと言われても否定は出来ないかと
※2 作品から「ボクはこんなことを想像したよ。キミはどんな裏側を想像した?」というメッセージを感じたので、そんなマイナス印象はなかったな
表面的なものしか見えていないようで残念だよ
人類とアートの歴史がこれだけ長くあるうちでオリジナリティを出すのは相当難しいよ
そのうちネットのコメント欄は、赤色を使ったり、微笑む女性を描いただけで「○○の△のパクリだ!」と言い出しそうで怖いよ
想像力をどれだけ広げられるか、想像したものを表現する方法(絵画、デジタル、写真、動画、文章、光、音、刺繍、パッチワーク、ダンス、トークなんでも)と、堂々と表現する勇気が大切であって「二番煎じだから。」と表現するのを諦めたり、表現されたものを「二番煎じだ。」と正当に評価しないのは、想像力と芸術の幅を狭めて滅ぼしてしまうだけだよ
※18
いや、2の人はアイディアが二番煎じだと言ってるんじゃないと思うよ。
こういう遊び、ジョークでやるぶんにはいいと思うけど、
プロが仕事としてやるんだったら細心の注意が必要なデリケートな商法だもの。
元々、「他人のフンドシで相撲を取る」というは、“他人のものを利用したり、便乗したりして利益を得る”という意味だから、「他者のジャケット作品を応用して自分の作品にする」この人のやり方は、該当すると思う。
もちろん、ジャケットの制作者へこのプロジェクトについてきちんと許可を取っていれば、なんの問題もないんだけどね。
唐突なブラッドハウンド・ギャング
アリに見える不思議
雰囲気大事にしてるからかな?
6のボウイに三秒でやっつけられそうなひ弱い感じが好き
どうしたって便乗感は拭えないけど
だからといって面白くないわけではない
こういうスマートな笑い好き
原作に対して毒を感じないのは良い。
でも、その発想は無かったと膝を叩くような感じもしない。
クスッと笑って、明日には忘れてそう。
洋楽のジャケットなんて見ないから全部ホンモノに見えるぜ
この人自身も何とも味わいのある雰囲気の持ち主だなぁw
…ちょっと落ち気味の気分だったんだが、これ見て少し浮上したよ
好きだわぁ~。
申し訳ないがどっちが元ジャケットか分らないのがある
1.6.8.9. ヴィニールは持ってる。
これを「コラージュ」と呼んでいいものか
「レディ・メイド」の延長線上にあるように感じる