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マヤ人は野球大好きだった?マヤ文明の遺跡で現代の野球の原型ともいえる姿が描かれた石板が発見される

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(著) (編集)

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 紀元前8000年には存在したとされる、メキシコ南東部、グアテマラ、ベリーズなどいわゆるマヤ地域を中心として栄え、メソアメリカ文明に数えられるマヤ文明。それは17世紀の植民地時代まで続いていたとされている。

 そのマヤ文明の都市国家であった現在のベリーズにある長く忘れ去られたマヤ遺跡、ティパン・チェン・ウィツ(Tipan Chen Uitz)は、研究が進むにつれ次第にその謎が明らかになりつつある。

 新たにホームランのような快挙な発見があったようだ。

 それは、ふたつのテーブルサイズの石板で、宮殿のそばを歩きながら民に挨拶する選抜された野球選手のような人々が描かれていることが、研究によってわかった。

マヤ人は球技を重視していた

 この発見は、マヤの人々が球技を重視していたという説を強力に裏づけ、その広いネットワークで他部族の社会とつながっていたことがうかがえるという。

「この遺物からは、ティパンがマヤ文明地域に広がる支配層エリート間の、極めて複雑な政治的関係の中にうまく適応していたと言える」というのは、マヤ考古学を専門とするミシガン州立大学のクリストファー・アンドレス上級研究員。

 アンドレスら研究者グループは、2009年にベリーズの別の考古学プロジェクトにたずさわっていたときに、ティパンのことを知った。

 地元の人たちが、文字の記録のないマヤ文明のことを知っていて、ジャングルの中にある現場に案内すると言ってくれた。

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 現場に到着すると、文字通り”ぶっとんだ”とアンドレスはいう。「まるで夢のようで、全員で頬をつねったよ。こんなに巨大な遺跡だとは思っていなかったからだ」

 かつてティパンには数千人の人が住んでいたらしい。舞踏場や、荘厳な宮殿のような建物の廃墟があり、その一部で、この”球技選手”が描かれた遺物を発見したという。

 この彫刻板は宮殿の入り口のファサードの一部のようで、おそらくここにはティパンの支配層エリートが住んでいたと思われるとアンドレスは語る。

野球選手の彫刻

 このふたつの球技選手の彫刻板は2015年に発見されたが、ベリーズでこのようなものが見つかったのは初めてだった。球技に興じる人物と象形文字のキャプションが描かれていて、紀元600年から800年の間のものと考えられるという。

 モニュメント3と名づけられた石板のひとつは、ふたつに割れて、表が下になった状態で発見された。大きさは長さ140センチ、高さ70センチ、幅20センチとけっこう大きい。損傷も少なく、それほど風化していないため、考古学者は彫刻をつぶさに観察できた。

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 大きなボールのそばに、プロテクターのようなベルトをつけて、吹き流し(おそらくは扇)のついた棒のようなものを持ったプレイヤーが描かれているという。

「この石板は、ティパン・チェン・ウィツの舞踏場内で行われた球技の試合を表わしているのか、あるいは同盟部族の地で行われた試合のようなものを記念したものかもしれない」

 描かれている象形文字は、「広げた手9つ分の大きさの球」といっているが、この長さが球を作る天然ゴムの長さのことを言っているのか、球そのものの周囲の長さのことなのかどうかははっきりしない。

 紀元716年5月18日という日付もあり、”つかむ”という動詞と、プレイヤーの名前も表記されていた。このプレイヤーは、”渦巻きオセロット”といったニックネームをつけて、遊び心を示そうとしたのかもしれない。

 もうひとつの石板、モニュメント4は、表を上にした状態で見つかったが、その3分の1は失われている。大きさは長さ80センチ、高さ幅60センチ、幅20センチ。ここには、特徴的なベルトをした男性が描かれている。この人物が前に身を乗り出して、左の膝で体を支え、まるでボールを打とうとするように左手を伸ばしている様子がわかる。

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 おもしろいのは、”猛禽は天空の炎の口”と読める、プレイヤーの名前の一部が、現在のグアテマラにある主要なマヤ遺跡ナランホの舞踏場にも見られることだ。この彫刻が両方の遺跡をつなげた同じ人物を示している可能性はあるという。さらに、ティパンがナランホとつながりがあったことを示す建築上の証拠もある。

政治的な普及

 全盛期のマヤ文明は、現在のメキシコ、ベリーズ、グアテマラ、ホンジュラスの一部まで広がっていたが、ひとつの帝国として統治されていたわけではない。

 むしろ、階級別に分かれた共同体をもつ別々のエリアが複数存在していたとみられる。中心的で権力をもった上層部の下に、より小規模な第二、第三の階層があった。

「ティパンは政治組織の中心だったようだが、名の知れた最大組織というほどではなかった」

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 球技プレーヤーが描かれた石板は、ティパンが影響力のある王の座があった場所であることを示していて、専門家にモニュメントを製作依頼できる金銭的な余裕があったようだ。また、ほかのマヤの中心地のように、家臣や君主も皆、球技に参加して、イベント的にゲームを行っていたことがうかがえる。

 おそらくティパンは、ナランホに属していた領地の一部だったのだろう。ナランホの昔の王たちがカラクムール(現在のメキシコにあった規模の大きなマヤ遺跡)の君主に忠義を誓っていたため、ティパンの人々も間接的にカラクムールと接触があったのかもしれない。

「だが、どれくらい相互関係があったかは、はっきりとはわからない」とアンドレスは言う。

via:cambridge / livescienceなど/ written by konohazuku / edited by parumo

http://karapaia.com/archives/52198860.html

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この記事へのコメント 22件

コメントを書く

  1. 球技ではなく祭りと考えるほうが自然だと思う
    スポーツが神事ならば他にも証拠が残ってるいるだろうし

    • +4
  2. 無理矢理感…
    もしバット的なのだとしても野球じゃ無くてクリケットでしょ?
    世界競技人口的に クリケット>>>>>野球だし

    • 評価
    1. ※4
      野球の原型ってのが無理やりっぽいのは同意するけど、クリケットってのもどうかなと思うよ。
      ボールをバットで打つという遊び(スポーツでも神事でも)は誰でも思いつくもので各地にあるし…
      紀元前のエジプトにも同じような記録があるそうだ。

      • +8
  3. マヤ人はスポーツ大好きで勝つと生贄にしてもらえるぞ

    • +7
  4. 全ての自称はあの万能壁画で説明がつくwww

    • -1
  5. んな訳ね~だろ、犬や猫でも丸いものが有れば本能的に転がしたくなるもんだろ

    • 評価
  6. マヤだっけ?
    サッカーに似た競技(奉納の儀式)でボールを落とすと、殺されちゃうっていう。
    これも儀式じゃないの?

    • 評価
  7. モー「古代マヤから伝わるスワッターだよ!」

    • +1
  8. どこが野球やねん。
    生贄選抜の戦いの前とか発想はでないのかよ。

    • +2
  9. メキシコのベリーズシティと神戸市灘区でマヤ姉妹都市契約してキャラをタイガースにw

    • 評価
  10. これは塀酢棒褸と呼ばれ、現代の野球の源流である。(民明書房刊世界の球技大系より)

    • +1
  11. ゴムのボールを的に当てる、若しくは輪に通すトラチトリ系列の球技がメソアメリカ全域にあるのは有名だ
    件の球技はキチェー神話にも出てくる
    そのルールは腰で打ったり、蹴ったり、棒で打ったり地域によって多少違う
    今回のヤツは棒で打つタイプのヤツだろう
    どちらにせよ野球とは関係ない
    あれはクリケット由来だろう

    • 評価
    1. メソアメリカの球技がローカナイズされたものばかりだったことは憶えてたけど
      棒で打つものも有ったことはすっかり忘れてたな…
      思い出させてくれた※23氏に感謝

      しかし7世紀以後のナランホ系都市か…
      と言うことはこの選手ももしかすると「6の空」女王を直に見てたかもしれない訳で
      それはちょっと羨ましい気持ちもする
      カラクムル没落以後のナランホ周辺の状況も興味あるし
      いろいろと有用な遺物が見つかってくれるといいなぁ

      • 評価
  12. バルギニンとポコじゃないか
    懐かしいな

    • 評価

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