この画像を大きなサイズで見る17世紀の初め、インドで繁栄を極めていたラダック王国のライオン王、センゲ・ナムギャルは、ヒマラヤ頂上にある都市レーに巨大な宮殿の建設を命じた。彼の血筋を引く王家の一族は、1834年にクーデターが起こり追放されるまで、レーの宮殿に住んでいた。現インドのジャンムー・カシミール州に該当する場所だ。
クーデター以後、かつて世界で最も高い場所にあったレー宮殿は放棄された。栄枯盛衰の世の習えに従いながらも、インドのリトルチベット地域に、いまだ荘厳な雰囲気を漂わせている。
この画像を大きなサイズで見るこの宮殿に既視感を感じるのは、近隣のチベットに建っている有名なポタラ宮に似ているからだろう。ポタラ宮はダライ・ラマが1959年に追放されるまで拠点にしていた宮殿だ。
この画像を大きなサイズで見る実際にはポタラ側がレー宮殿をモデルにしたという人もいる。レー宮殿はポタラ宮よりは小ぶりだが、まぎれもなく広大で印象的な建物だ。9階建の宮殿の上階では、当時ナムギャル王族とその廷臣達の声がこだましていたのだ。下階は貯蔵や軍の大切な馬達を収容するために使用された。
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この画像を大きなサイズで見る宮殿の内部は低い天井と暗くむき出しの部屋が続く、果てしない迷路のようだ。200年近く放棄されていただけに、当時のきらびやかな宮殿の姿は想像に難しい。宮殿に残っているのは大半が外壁のみで、何百年間もこの地域で権力の座についた者の暮らしぶりを内装から想像するのは困難だ。
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この画像を大きなサイズで見る遺跡と化した宮殿の大半は放棄されたが、その一部は建物全体の修復を願うインド考古調査局(ASI)のオフィスに改造されている。しかし、今のところ修復が完了間近なのは4階と女神タラを祀ったDukhar寺院の建物だけだ。
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この画像を大きなサイズで見るASIは宮殿そのものを重要な建築物の一つとみなしている。レー宮殿は考古学者にとって、チベット建築の土木工学が、どの程度発達していたかを知るには欠かせないものだ。、歴史やラダック文化の評価にも極めて重要だ。
神殿の大部分はゆっくりと崩れて落ちている。その修復作業は何年かかるかわからないと言われるぐらい非常に大変な作業だ。また観光客が残す落書きも修繕の妨げになっている。
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この画像を大きなサイズで見るこの場所には、宮殿が建つ100年以上前から要塞が築かれていた。だがその頂上から見た都市レーの風景は全く違うものになっている。レーのオールドタウンはまさしくチベット-ヒマラヤの都市の歴史に残る素晴らしい史跡だ。
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この画像を大きなサイズで見る400年にもなる古都の防壁の内側には泥や木でできた建物が無数にある。ほとんどの人々が伝統的に遊牧民の生活様式を選んだという非常に珍しい場所だ。地域経済の低下に伴い、裕福な一族の大半が立ち去って長年放置されたにもかかわらず、古都の由緒あるたたずまいはほぼ手つかずのままだ。
レー宮殿はインドの七不思議の一つに数えられている割に訪問者が少ない。訪問者は年にたった7万人程度しかおらず、その大半がインド人だ。それはおそらくこの遺跡が僻地に建っていることや、常に修復作業が行われているにもかかわらず、老朽化が食い止められていない建物を目のあたりにするせいだろう。
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この画像を大きなサイズで見るあるがままの歴史を好み、虚飾に満ちた多くの観光事業が参入を快く思わない人々にとっては、知られざるレー宮殿は穴場であり、インドに存在する数多くの驚異の一つに入るだろう。
インドの七不思議、レー宮殿
















ファンタジーだよなあ
夢の中でこういう建物の中を彷徨いたい
美術の教本にでも出てきそうな雰囲気
今年行ってみるか
チベット自治区のパーミットが外国人の個人旅行者には降りなくなってるから、
チベット文化が残ってるラダックは貴重。
行く人は高山病に気をつけてください。
陸路はオススメしません。。
ふつくしい
アンチャーテッド思い出した
インドには昭和50年にインドへと併合され、消滅したシッキム王国なんてのもあったからなぁ
なお最後の国王は、ダージリン(ここも元はと言えばシッキム王国領)のホテルで知り合ったアメリカ人女性と結婚するも、国を追われてアメリカに亡命すると金の切れ目が縁の切れ目か、亡命から4年後に離婚されて、82年にNYで病死してると
地震無いから残るんやなー
数年前に行ったけど、建物の中は何も無くては見所は少なかったよ。
まわりのティクセとかアルチゴンパは最高だった。
※8
日本人でも行けるものなのか?
※9
問題なく行けたよ。
レーの空港は基地も近いし、軍も使うから警備が非常に厳重。
飛行機乗るまでに5回もセキュリティのゲートくぐったけど。
ブラッド・ピットが出演していた、セブンイヤーズインチベットを思い出す。
もしかしてここがロケ地?
俺も行ったぞ。15年前だ。
宮殿は大したことはなかったが、ゴンパは素晴らしかった。
しかし、何を食ってもとにかく飯は不味かった。
1983年に行ったが、スリナガルから片道、バスで30時間かかった。海抜4200mのハジカク峠を越えて海抜3800mのレーに漸く到着できた。スリナガルから航空便もあるが到着と同時に肺が破裂する場合もあるとか。ラダック地方の中心都市だがインドのジャム・カシミール地方はパキスタン、中国と国境線が明確でないため当時もトラック数百台に分乗した大量のインド陸軍に遭遇した。今はどうだかわからないが。しかし、アーリヤ系のインド人はチベット系のラダックの住民を差別し見下していた。元々、インド人は差別意識が強いから。今でも多分変わっていないだろう。その一方でスリナガルは大半がモスリムのパキスタン人が多くインド人は対立している。その上、チベットを追われたダライラマ15世も此処に居住していて中国とも対立していた。兎に角、不安定で難しい地域だ。
にも拘らず、当時は比較的に入り安かったせいか、大量の欧米人が旅行していた。日本人は殆どいなかったが。しかし、その後の冷戦終結のため力関係が変わり今はどうなっていることやら。しかし、ここは地球の涯て。此処より辺鄙な場所はそうそうないだろう。可能なら是非、訪れることを奨める。