この画像を大きなサイズで見るイギリス東部サフォーク州の博物館で、19世紀に起きた歴史に名を残す凶悪な殺人事件が起きた。事件の犯人であるウィリアム・コーダーは絞首刑となり、死後、医師によりその皮膚が剥がされ、裁判記録の本の表紙として使用された。
こうしてできた「人皮装丁本」は同州のモイズ・ホール博物館に1933年から展示されていたが、実はもう1冊あった。
事件から200年近く経った今、忘れ去られていた“第2の人皮装丁本”が博物館の事務所から発見され、再び展示されることとなった。
歴史的価値を認める声がある一方、人間の遺体の一部を展示に利用することへの倫理的な懸念も広がっている。
1827年に起きた赤い納屋殺人事件
1827年、イングランド東部サフォーク州ポルステッドで起きた殺人事件は、ジョージ王朝時代のイギリス社会に大きな衝撃を与えた。この事件は「赤い納屋殺人事件(Red Barn Murder)」として知られている。
最も広く知られている説によると、犯人ウィリアム・コーダー(当時23歳)は、マリア・マーテンさんと(当時25歳)不倫関係にあった。
コーダーは彼女に、地元でよく知られている「赤い納屋」で会うように告げ、イプスウィッチの町へ駆け落ちして結婚しようと持ちかけたという。
だが実際には、コーダーは納屋でマーテンさんを銃で撃ち殺し、その遺体を床下に埋めた。
事件は当初発覚せず、コーダーはロンドンに逃亡して別の女性と結婚までしていたが、マーテンさんの母親が不審を抱き、「納屋を掘るように」というお告げの夢を見たという逸話が広まり、村人たちが納屋を掘ったところ、遺体が発見された。
ロンドンで逮捕されたコーダーは、1828年8月11日に絞首刑で公開処刑された。当時の法により遺体は医学解剖に回された。
この画像を大きなサイズで見る犯人の皮膚が「人皮装丁本」に
コーダーの遺体は医師によって解剖され、その皮膚の一部が裁判記録の本の装丁に使用された。これが、現在サフォーク州バリー・セント・エドマンズのモイズ・ホール博物館に所蔵されている「人皮装丁本」である。
この本は1933年からモイズ・ホール博物館で展示されており、館の目玉のひとつとして知られていた。
人皮装丁本は16世紀頃から始まったといわれている。当時ヨーロッパでは、死刑だけでは罪を償うには不十分とする風潮があり、死後の「肉体的制裁」までが刑罰の一部と考えられていた。
悪名高い犯罪者の場合、その身体を解剖して見世物にしたり、医学のために利用することが「正義の執行」とされていた。
特に19世紀には、死刑囚の記録、医学書、あるいは医師が患者の皮膚を使用して個人的な記念として製本することもあった。
この画像を大きなサイズで見るもう1冊の人皮装丁本が発見される
2025年、博物館職員が館内資料のカタログを確認中、過去にもう1冊の人皮装丁本が寄贈されていた事実に気づいた。
その2冊目の本は、博物館の事務所の本棚に他の本と並んでひっそりと置かれていたのだ。
この本は、コーダーの遺体を解剖した医師と関係のある一家が、数十年前に博物館に寄贈していたものだった。
職員のダン・クラーク氏は「20世紀の所蔵資料では、時々“博物館の損失”が起きるが、今回のように見つかったのは幸運だった」と語っている。
今回の再発見された2冊目の本は、皮膚が表紙全体ではなく、角や背の部分のみに使用されている。それでもその特異な由来は大きな注目を集めることとなった。
この画像を大きなサイズで見る展示をめぐる賛否と倫理的論争
博物館側は、資料としての価値を強調しているが、すべての人がその姿勢を支持しているわけではない。
イギリスの歴史作家テリー・ディアリー氏は「このようなものは焼却すべきだ」と述べ、「人の遺体が博物館の展示物になることそのものが問題だ」と強く批判している。
ディアリー氏は、事件の裁判においてコーダーが状況証拠のみで有罪とされたことや、その後の扱いがあまりに非人道的だったことにも言及し、「処刑よりも恐ろしいのは、死後に遺体が解剖され、こうした用途に使われることだ」と語っている。
モイズ・ホール博物館では現在、2冊の人皮装丁本が並んで展示されている。
この画像を大きなサイズで見る一方、モイズ・ホールの遺物担当ダン・クラーク氏は、「歴史の不快な側面にも向き合う必要がある」と語る。
展示の目的は単なるセンセーショナルな演出ではなく、過去の暴力的かつ見せ物的な正義のあり方を問い直すためだという。
職員のアビー・スミスさんは、「触った感触は普通の革装丁本と変わらない。人の皮膚と知らなければ気づかない」と語り、「歴史の重みを感じる特別な資料」だと話している。
実際に、こうした「人皮装丁本」の展示については世界的にも議論が広がっている。2024年3月、アメリカのハーバード大学ホートン図書館では、同大学が100年近く保管していた19世紀のフランスの書籍「魂の運命」から、人皮装丁部分を取り除いたと正式に発表した。
この本は、フランス人医師リュドヴィク・ブーラン博士が、勤務していた病院で死亡した女性の皮膚を、本人の同意なく切り取り、本の装丁に使用していた。
著名な書物研究者ポール・ニーダム氏らの10年以上にわたる倫理的見直しの呼びかけが実を結び、大学側が人間の尊厳を尊重する方向に方針転換したのである。
ハーバード大学は、除去した皮膚部分について、今後は大学と関係機関が協議し、「適切かつ敬意をもった供養」を行う予定であるとしている。
References: Book bound in the skin of a 19th-century Suffolk murderer goes on display / A Forgotten 200-Year-Old Book Bound in a Murderer’s Skin Was Just Found in a Museum Office / Book bound in human skin found in museum office














・・・歴史的資料としては意味があるんだろう、うん
個人的な感性としては正直受け付けないけど
物自体は気色悪いなぁと思うけど歴史に関するこの記事は学びになったし記事としては知識が増えて面白いと思う
死人が生きていたら(?!)人の価値観もさまざまなだけに「俺の死体を何世紀も飾って金払って拝みに来る見物人どもがいるなんてなぁ!ハッハ!学術的『価値』も年々上がるなぁ!」という考えの人もいるかもしれないし、嫌な人もいるだろうし、この人やその人を個人的に知る家族や友人はもう他界しているからなんとも言えない。宗教的なことは知らないけど別に体の一部が欠損していたら天国なり極楽なり浄土なりに行けない(?)という宗教に入っていたか、そもそもそんな欠損で門前払いをくらわす超越者のいる宗教があるのかも自分は知らないし資料もないし…現代人が自分の宗教で弔う意味もよくわからない
だけど、まあ、感想は自分の感情だとわざわざ見に行かないには同意。
倫理的かどうかなんてもう時効だと思うけどな
エジプトのミイラと変わらんよ
ミイラは死者への敬いや崇高な目的があって行われた儀式よ。エジプトによる人類史初の外科手術と医学はその信仰心から始まってる
学術的な観点で展示されるオチは同じだとしてもミイラは敬っとけ
学術的な観点で同じだと言ってるんだけなんだけどな
ミイラを敬ってないとは言うとらん
「正義()」の拳で殴って気持ちよくなりたいからって余計な妄想働かせて相手を根拠なく貶めるのはやめて欲しいなぁ?
>倫理的かどうかは時効
ミイラを非倫理的だと思ってたからこういう結論になる
でもな、ミイラは司祭や神官によって残された故人の魂の器
非倫理的だったのは盗掘からの展示や砕いて絵の具にしてきた経緯の方
極悪人への罰として作られたこれと、持ち出されたミイラを同列扱いするのは敬意に欠けるとしか言いようがない
作成の経緯も歴史的意義もまるで違う。時効になろうがそれは変わらんよ
今も学者が墓掘り起してんじゃん
当時基準なら不敬で済まないレベルのことしてるけどそれはいいの?
言うほど貶められてはなくね?
ミイラに熱くなってどうする?
ミイラは冷たいのに(末端冷え性おじさん
ミイラフリークの地雷でも踏んだか・・・
なんで突然ミイラが出てくるが知らんが、
これをミイラと同列扱いは流石に無知すぎる。
展示会で見ると感じるが、あれは人。
遺品、展示品でもない、数千年前は生きて動いていた。
ジロジロ見ることが、後ろめたく思えてくる。
ああいう感情を”畏怖”と言うのだろう。
ミイラなんて不気味~、と言わず、
彼らに一度”会って”みて欲しい。
製作についての倫理なら死者を貶める目的で行われたのだから現代では反する
展示についての倫理ならミイラと同じだと思う
続けるにしても供養するにしても
(ミイラすら展示取り止めのケースが増えていることを誰も知らない)
展示方法を変えるだけで本質は変わらないよ
元の墓に戻したりするわけじゃないからね
展示中止のムーブメントはエジプト人の「先祖は白人の好奇心で公開されることを望んでいない」という考えから来てるから
それ以上は子孫の方々が決めることかと
ブーラン博士の方や猟奇的事件で作成されたものだったら反対だけど、この本については展示してもいいと思う
社会について考える機会にもなるし、正義への妄信に対する警鐘にもなるから
単なる変態犯罪者の趣味なら展示する価値はないが、
当時このような行為が法的に黙認されていたという事実を示す資料として、十分な意味があると考えられる
同じく。
歴史的資料を現代の一時的な価値観で焼却処分にしたりするのは感情的でしかないと思う…
言葉狩りで言葉を無くしてもそのものや行為自体が残るように無意味で表層的なことばかりしないで「当時はこうでした」「今はこうです(ここは現代人なので書く必要すらない)」「今後の未来はどうかわからない」でいいのではないかと思うよ
この人を個人的に知る遺族が生きていたならともかく…そうでないなら他人がとやかく感情論をぶつけるシーンでもないと思う
歴史と自分と歴史的価値を分けて考えられる..そんなもの…
個人的な感想だけどね。
これから作るというなら反対だが、、
過去に作られた者なら残すべきでは?
あと、なんか 人体の不思議展
を想起させる事件やね、、
いいと思うけどなー
司書の講座でも話題になったけど
当時の思想が反映された結果なんだし
むしろイギリスは干し首買ってきたり、墓を盗掘してきたことを反省しないと
日本でも沖縄人の墓から盗んだ遺骨を返したじゃん
そういえば『死霊の腹わた』のあの本が人の皮で装丁されてるよね(和訳のコピー持ってる)
そういやロンドンのScience Museumの片隅で干し首が展示されてたの見たよ
なんだろうこのしなびた人形の首は…?と思って説明読んで腰抜かしかけた
もうけっこうな昔のことだから(たぶん90年代)いまあるかどうかわからんけど
人間とか尊厳とか生命とかについていろいろ考えるきっかけにはなった
日本の国立科学博物館に干し首3体あるようですね
普段展示してないようですが
昔爆問学問?で見た
ルルイエ異本も人の皮で表装してるからなー
この本にも怪異を呼び出すため……おっと、誰か来たようだ
負の遺産と位置付けて残すのはアリだと思う
そんな大義名分を立てたところで俗悪なグロ趣味という誹りは免れないけども、無かったことにしちゃうのもそれはそれで……という難問
触ったら呪われるやつ
上から妄想しながら正義()の拳を振りかざす人にこと?
はい???
何と戦っているのか
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白癬菌でボロボロに
>ID: NGJj
>当時基準なら不敬で済まないレベルのことしてるけどそれはいいの?
逆逆、むしろ当時の基準がガバガバだった
因みに現代では研究発掘は非侵襲調査(CTスキャンなど)が使われることが多いよ
当時って墓が作られた時代のことでは?研究の為に王族の墓を調査させてくれなんてとんでもない話じゃなかろうか
それはミイラ自体の問題じゃないんだよね。人皮装丁の本は存在自体が倫理的に問題視されてるので、性質が異なるなという印象。ミイラ研究や展示の是非は現地や学者の間で議論が尽くされてきたので、やはり人皮装丁本も議論は必要なんだろう。
当時の倫理を現代の倫理観で判断する事の意味が分からないけどそれが流行りなら仕方がないね
プラスティネーションだのミイラだの展示してんのに何を恐れているのか
そういう歴史も我が国にありましたって公表したらいい。
こわいけれど捨てるのは違うと思う。そんなの歴史修正主義じゃん(黒歴史おじさん
上野の国立博物館にねー
全身に彫った刺青の全身標本が
額縁に入れられて展示してあった。
よく探すと十数本あるんだよー。
200年以上も前のことに何言ってんだろうな
その頃、お前らもっとひどいことを日常的にしてたろ
まさか『ザンテヴィノタ・デ・デミウルクシュ(聖蛇霊への連禱の書)』か?であればのどから手が出るほど手に入れたい。
江戸貝く~ん!