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中国で5000年前の王の墓を発見、知られざる先史王国の都だった可能性

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(著)

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Courtesy of Zhu Guanghua
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 中国中部、河南省永城県の王荘遺跡で、5000年前の王の大きな墓が発掘された。この地域では当時すでに複雑な社会が形成されていたと思われる。

 この遺跡からは350点を超える遺物が発見されていることから、大きな権力を持った者の墓である可能性は高い。

普通の集落とは違う先史時代の王国の首都

 研究者たちはこの遺跡が単なる集落ではなく、先史時代の王国の首都だったのではないかと考えている。

 墓そのものの大きさは長さ4.52~4.8m、幅3.47~3.68mで、内棺と外棺から成っている。

 かなり破壊されているが、墓には豊富な副葬品が納められていた。

 100以上の陶器、200点近くもの小さな翡翠の装飾品、骨製の道具、ブタの下顎など動物の骨などが見つかった。

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おびただしい数の遺物が並べられていた墓 Courtesy of Zhu Guanghua

中国社会科学院考古学研究所のリー・シンウェイ教授は語る。

新たに発見されたこの墓は、河南省西部の複雑に発達した社会の支配者のものである可能性が高いです

中国考古学では、およそ5000年前の初期の社会のことを古代国家と呼んでいます

この墓はこの時代の最大級のもののひとつで、宴会用の陶器や翡翠の宝飾品など、それはたくさんの遺物が出土しています

陶器の容器には、東部、南部、西部の特徴が見られ、ほかの複雑な社会との交流があったことを示しています(リー・シンウェイ教授)

 この墓は、過去に大きく破壊されている。重要な遺物の多くが略奪され、墓の主の遺骨は大部分が持ち去られ、骨がいくつか棺の中に残っているだけだ。

 棺の内外に散らばった翡翠の装飾品や壊された儀式用の石刃は、なんらかの儀式に使われたものか、略奪者による破壊行為によるものかもしれない。

 この遺跡の発掘は、2023年から続いている。埋葬品が多いことは、この時代の社会階層と階級構造がはっきりしていたことを示している。

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墓から見つかった象牙の工芸品 image credit:Xinhua

大汶口文化:新石器時代後期の文化

 この墓は、紀元前4000~2600年の大汶口文化のものとしてはこれまで見つかっている最大のもののひとつで、副葬品の数も多い。

 中国山東省を中心に紀元前4100年頃から紀元前2600年頃にかけて存在した新石器時代後期のこの文化は、中期と後期に建設された王荘遺跡に代表されるといっていい。

 大汶口文化は、地域ごとに異なる多様な生存戦略で知られていて、人々がさまざまに異なる環境に適応できていたことを反映している。

 もっとも重要だった工芸品は陶器で、この時代に登場した高速ろくろの発明や焼成工程を制御する技術の向上が、陶器づくりを著しく進歩させた。

 こうした技術革新は、この文化の顔となった、高度に洗練された特別な陶器の誕生に貢献し、陶器はこの時代の社会的、文化的発展の重要な指標のひとつになった。

さまざまな古代文化が融け合ったるつぼ

 王荘遺跡から発見された遺物から、この地域が古代文化のるつぼだったことがよくわかる。

 多様な文化が交錯して互いに影響しあっていたことは明らかで、中国東部、中部、揚子江流域の要素が見られ、独自の特徴を発展させている。

 王荘遺跡は中国の歴史だけでなく、より広い意味で初期の人類の文明を理解する上で大きな意義をもつと考えられる。

References: Ancient tomb discovery sheds new light on origins of Chinese civilization - Global Times / 5000-year-old Tomb Could Belong to First Chinese King | Ancient Origins

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この記事へのコメント 13件

コメントを書く

    1. 逆によく聞く中国4000年って誰が言い出したフレーズなんだろうね?あれ。

      • +1
      1. >>誰が言い出したフレーズなんだろうね?

        実は糸井重里だという説がある

        • +4
  1. 記事読んでも悠久すぎてピンと来なかったのでちょっと調べたら
    夏ですら約紀元前2000年と大ナントカ時代よりかなり近くて
    記事の時代は伝説の三皇五帝の時代に当たると知ってどひゃーとなった

    • +6
  2. >>陶器の容器には、東部、南部、西部の特徴が見られ、ほかの複雑な社会との交流
    >>中国東部、中部、揚子江流域の要素が見られ、独自の特徴を発展

    ここら辺が大事よー

    一昔なら「黄河文明の一つ」なんて説明で終わってたんだろうけどね。
    記事にあるように揚子江(長江文明)の影響はあるわ、東部(遼河文明か?)の影響もあるわ、周辺地域の多様な文化が入っているわで大変複雑。

    それじゃあ、黄河文明ってなんなのよ?とか文明の定義は?とか出てくるんだけど、それは別の問題として…
    四大文明という概念が間違っている一つの証左だと思うよ。

    • +7
    1. ちょっと調べたんだけどさ
      今はもう黄河文明とは言わないんだって
      1192作ろうも聖徳太子も教科書から消えたって言うし
      歴史って生きてる間にもどんどん変わるよね…

      • +4
    2. 「四大文明」って単語自体が日本と中国の教育現場でわかりやすくするために括っただけの用語なんです
      現在では「四大でもないよね?」ってなったので、日本ではもう言われていません。中国では知らんけど

      • +3
  3. 象牙製品があるってことは その時代に東南アジアとの長距離の交易ルートがあったってことだな。

    • +4
  4. 記事の時代より新しい紀元前17世紀頃 – 紀元前11世紀ごろの殷(商)の時代の、甲骨の中には象を捕獲したっていう旨が記載されていたらしいので、5000年前なら河南省辺りにも野生の象が普通にいたと考えた方が無難では無いかと

    • +1
  5. 位置的には許昌の東・合肥の北。淮北の近く。

    • 評価
    1. ありがとう
      許昌や合肥と聞いてだいたいわかった自分は三国志好き

      • 評価

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