メインコンテンツにスキップ

17世紀の日本の脇差がドイツで発見される

記事の本文にスキップ

16件のコメントを見る

(著)

公開:

この画像を大きなサイズで見る
 image credit:Anica Kelp/ © Staatliche Museen zu Berlin, Museum für Vor- und Frühgeschichte
Advertisement

ドイツ、ベルリンの歴史地区モルケンマルクトで、かつて地下室だった場所の発掘中に驚くべき発見があった。

 発見当初は第二次世界大戦時の軍事遺物だと思われていたが、江戸時代の日本の短刀、つまり脇差(わきざし、わきさし)であることが判明したのだ。

 このようなものがどうやってベルリンにたどり着いたのか、この発見がベルリンとの隠された歴史的つながりについてなにを明らかにしてくれるのか、好奇心を刺激する遺物がさまざまな憶測を呼んでいる。

ドイツで発見された謎の剣

 ベルリン州立博物館によると、この発見があったのは2022年冬のことで、モルケンマルクト地区シュトララウアー通りの発掘作業を行っているときだったという。

 昔は現在よりも狭かったこの通りには、第二次大戦中に破壊されるまでは住宅や商業施設がいくつも建ち並んでいた。現在ではその面影はほとんどないが、かつての地下室は現代都市景観の下に埋まったままだった。

 がれきに埋まった地下室跡からは、手綱、あぶみ、くつわ等の馬具など、軍用品だったとおぼしき遺物が発見された。これらの中にひどく腐食した刀剣があったのだ。

 発見当初、これは第二次世界大戦時軍事パレード用のサーベルだと考えられていた。

 だが、ベルリンの先史・初期歴史博物館がさらに調査・修復を行ったところ、剣の正体が明らかになったのだ。

この画像を大きなサイズで見る
修復後の脇差。柄の一部にエイの皮と布が巻かれ、その下に柄につける刀装具である銅製の目貫(めぬき)が見える。 image credit:Anica Kelp/ © Staatliche Museen zu Berlin

修復によって日本の江戸時代の刀、脇差であることが判明

 この剣は日本の侍が長い刀と共に身に着けていた脇差だった。柄は熱のせいで部分的に溶けていたが、木製の構造部分が残っており、エイの皮と布が巻かれていた。

 柄の腐食した部分の下に日本の七福神のひとり、大黒天をかたどった小さな突起が見つかった。

 大黒天は繁栄と幸運のシンボルで、いつも小槌と米袋を持っているため、すぐ
にその正体がわかる。

この画像を大きなサイズで見る
柄部分に小槌と米袋を持った大黒様がはっきりわかる。 image credit:Anica Kelp/ © Staatliche Museen zu Berlin

 さらに鍔には、熱で少し溶けてしまっていたが菊と水の線をモチーフにした装飾が見つかり、この刀が日本で作られたことが濃厚になった。

 調べたところ、17世紀から19世紀の江戸時代のものであることがわかった。

 修復前のX線撮影で驚きの事実も判明した。実はこの刀、もともとはもっと長いもので、ある時点で短くされたことがわかったのだ。

 柄はオリジナルの刀についていたものではなく、柄に開けられているふたつの穴のうち、ひとつだけを使ってを後から取りつけられたものだった。

 これは、この刀が脇差として作り変えられて再利用されたことを示している。刃の部分は柄よりも古いもので、16世紀にさかのぼる可能性があるという。

この画像を大きなサイズで見る
脇差のX線写真。木製の柄を取り付けるための穴がふたつ開いているのがわかる。再利用して新たな柄を取り付けたときはひとつの穴だけを使ったようだ。 image credit:Anica Kelp/ © Staatliche Museen zu Berlin

なぜ江戸時代の脇差がドイツに?

 日本の脇差がドイツの首都に運ばれた経緯について、興味深い疑問が浮かび上がる。

 日本が鎖国をしていた時代に、通常なら高官や侍だけしか持てないはずのこうした見事な武器が、どのようにして遥々、ドイツ・ベルリンまで旅するはめになったのだろうか?

 考えられる説明のひとつは、19世紀にヨーロッパを訪れた日本の外交使節団が持参した贈答品だったというものだ。

 1862年の竹内使節団と1873年の岩倉使節団は、ドイツを含めた西洋列強との関係を深めることを目的にした重要な外交活動だった。

 脇差が見つかったモルケンマルクト地区は、これら使節団が国王ヴィルヘルム1世(のちの皇帝)に迎えられたベルリン王宮に近いことから、これら使節団となんらかのつながりがある可能性を示している。

 だが、この脇差の正確な出どころとシュトッラウアー通りに住んでいた元住民との関連については、今のところ推測の域を出ない。

 モルケンマルクト地区での思いがけない脇差の発見は、ベルリンの通りの下に眠る豊かな歴史の積み重ねを浮き彫りにしてくれそうだ。

 ベルリンの地面の下で発見されるのを待っている驚くべき遺物がまだまだあるのではないかと思わせてくれる。

References: Sensationsfund auf dem Molkenmarkt: Wakizashi / A 17th-Century Japanese Wakizashi Unearthed in Berlin | Ancient Origins

📌 広告の下にスタッフ厳選「あわせて読みたい」を掲載中

この記事へのコメント 16件

コメントを書く

  1. または鎖国下のオランダ貿易でも輸出品の中には刀もあったから、
    それがドイツに渡った可能性もあるかも

    • 評価
  2. ヒトラー総統に贈られて愛刀として気に入られた「備前三郎国宗」や、ヒットラーユーゲントの元団長に来日記念に贈呈された「大日本國關鍛錬塾兼秀作」と同じく、この脇差も当時の日本軍がドイツ軍の将校やナチス幹部に送った日本刀の一振りやろうね。
    当時は結構な数の日本刀が贈答用として同盟国に贈られてたらしいし。

    • +1
  3. 江戸時代でもドイツの歯医者は長崎から江戸まで御招待
    ドイツの歯医者連れて来るのはオランダ(沼ドイツ)の商材の一つで
    硬い陶磁器製の義歯はリヒテンシュタイン(ドイツ語圏)の技術特産品

    • 評価
  4. >大黒天は~米袋を持っている

    えっ、あの袋の中身は金銀財宝だろ?
    米俵の上に座ってるのとゴッチャになってないか?

    >通常なら高官や侍だけしか持てないはずのこうした見事な武器

    もともと大刀だった物を作り直したとのことだから
    まぁお武家さんの持ち物だった可能性が高いんだろうけど、
    脇差だけの一本差しなら、町人の護身用にも許されていた。

    • 評価
    1. 町人の腰刀が拵に趣味を凝らした名のある刀だったかどうかは、わからんけどもね

      • 評価
  5. 大黒様に菊水文様
    福の神と健康長寿って感じだし、拵えは無難なお守り仕様。
    刃は判らんが、拵えは輸出を見越した良品って感じなのかな?

    • 評価
  6. 外交的な贈答用なら太刀や刀だろうけど
    脇差だから個人的な付き合いか記念品だろうね

    • 評価
  7. 脇差って扱いの軽いものじゃないですよ。
    むしろ武士にとって大刀より命に近いものです。
    大刀預けなければいけない場所でも脇差だけは帯刀ゆるされたんですよ?

    • 評価
  8. なんかコメント評価できなくなってるな。明らかに場に相応しくないコメントにマイナス評価つけるのが生きがいなのに・・・

    • -2
    1. 流石にそれは歪み過ぎ。
      もっと建設的な生き甲斐を見つけなさいな。

      • 評価
    2. マイナス評価で文字が小さくなるのを避けるためにやめたのかなと思ってる

      • 評価
  9. 軍装の丸々一式を贈答品として贈ったとすると、鎧と太刀はどこかにあるのかもね。

    • 評価
  10. うちの先祖が作った能面もベルリンに…返してくれないかなあ?

    • 評価

コメントを書く

0/400文字

書き込む前にコメントポリシーをご一読ください。

リニューアルについてのご意見はこちらのページで募集中!

知る

知るについての記事をすべて見る

  1. 記事一覧を読込中です。

歴史・文化

歴史・文化についての記事をすべて見る

  1. 記事一覧を読込中です。

最新記事

最新記事をすべて見る

  1. 記事一覧を読込中です。