この画像を大きなサイズで見る江戸時代の大阪に暮らしていた庶民は、普段どんなものを食べていたのだろうか。遺跡から発掘された人骨に残る歯石を最新技術で分析することで、当時のリアルな食生活が明らかになった。
総合研究大学院大学などの研究チームが大阪の墓地から出土した骨を調べたところ、比較的貧しい庶民でも、高級魚の真鯛や遠方から運ばれた鮭、さらには当時禁忌とされていた獣肉まで口にしていたことが判明した。
全国から食材が集まる「天下の台所」と呼ばれた大阪の豊かな物流ネットワークが、庶民の食卓にも多様な恵みをもたらしていたことがうかがえる。
この研究成果は『Anthropological Science』誌(2026年8月19日付)に掲載された。
参考文献:
- 「天下の台所」の食生活―古歯石プロテオミクスが明らかにした江戸時代の大阪庶民の多様な食事内容― | 2026年度 | 国立大学法人 総合研究大学院大学
- Ancient dental calculus reveals diverse diets of commoners in premodern Osaka, Japan, the 'Kitchen of the Realm' | EurekAlert!
江戸時代の大阪庶民のリアルな食卓
江戸時代の日本人が何を食べていたのか。料理本や日記、ゴミ捨て場から発掘された動物の骨などを調べれば、ある程度のことはわかる。
しかし、「庶民の一人ひとりが実際に何を口にしていたのか」を具体的に特定するのは、これまで非常に困難だった。
そこで、総合研究大学院大学などの研究チームが目をつけたのが「歯石」である。
昔の人々の歯には歯石がそのまま残っていることが多い。
この硬く石灰化した歯石の中には、生前に食べた物の残りかす(タンパク質)がタイムカプセルのように閉じ込められているのだ。
研究チームは、現在のJR大阪駅北側、通称「うめきた」の再開発にともなって発見された共同墓地「梅田墓」の古人骨に着目した。
ここからは2千体以上もの人骨が出土しており、その中から江戸時代(幕末期)の成人8人が選び出された。
梅田墓に葬られていたのは、庶民のなかでも比較的貧しかった人々だ。
研究チームは、8人の歯石に含まれるタンパク質を最新技術で分析し、リアルな食生活の解明に挑んだ。
この画像を大きなサイズで見る大阪庶民は高級魚の真鯛から遠方の鮭まで食べていた
分析の結果、8人の歯石から、魚や哺乳類、植物など17種類の食べ物に由来する、38種類もの食物タンパク質が検出された。
もっとも多く見つかったのは魚で、その数は9種類にのぼる。
現在でも関西や瀬戸内海の地域でよく食べられているシタビラメの仲間のタンパク質も含まれていた。
そして8人中6人の歯石から、当時の歴史文献で高級魚とされていた「真鯛」のタンパク質が検出された。
真鯛の骨は、大阪の庶民が暮らした町屋の跡からも出土している。
西日本各地から大阪へ真鯛が運ばれていた記録も残っており、市場の流通が発達していたおかげで、庶民にも高級魚を食べる機会があったと考えられる。
見つかったのは近海の魚だけではない。一部の人の歯石からは、サケ科のタンパク質も検出された。
鮭は冷たい水を好む魚で、大阪湾に自然に生息しているわけではない。
北海道や日本海側と大阪を結ぶ海運の航路を通じて、遠く離れた場所で獲れた海産物が庶民の口にまで届いていた証拠である。
この画像を大きなサイズで見る禁忌だったはずの獣肉も食べていた
江戸時代の日本では、仏教の教えや穢れの思想から、四つ足の動物の肉を食べることはタブーとされていた。
しかし、分析した8人中4人の歯石からは、ヒト以外の陸上・海洋哺乳類のタンパク質が検出された。
当時の歴史文献には、獣肉を健康維持や病気治療のための「薬食い(くすりぐい)」と称して食べていた記録が残っている。
江戸時代後期の風俗誌『守貞漫稿』には、大阪で鹿肉が売られていたことも書かれている。
今回の分析結果は、梅田墓に葬られた8人が実際に獣の肉を食べていたことを示す直接的な証拠となった。
他にも、「綿の種子」のタンパク質が検出されている。
当時の大阪周辺では綿花栽培が盛んで、綿の種から搾った「綿実油」が生活用の油として広く使われていた。
庶民たちも、この油を口にしていた可能性が高い。
この画像を大きなサイズで見る「天下の台所」の恩恵は庶民の食卓にも
梅田墓に埋葬されたのは、決して裕福とは言えない都市の庶民たちである。
それにもかかわらず、高級魚の真鯛や、遠方から運ばれた鮭、さらには獣肉に至るまで、予想以上に豊かで多様なものを食べていた。
当時の大阪は「天下の台所」と呼ばれ、西日本全域から多種多様な食材が集まる物流の中心地だった。
その巨大なネットワークの恩恵は、一部の裕福な層だけでなく、普通の都市住民の食卓にまで行き渡っていたのだ。
ただし今回分析された8人は、当時大阪に住んでいた何十万人もの人々のほんの一部にすぎない。
研究チームは今後、武士や、流通があまり発達していない農村の人々、江戸や京都といった別の都市の歯石分析も進めていく予定だという。
数百年前の人々の歯石を調べることで、現在の私たちの食文化がどのように形作られてきたのか、そのルーツがさらに明らかになっていくだろう。
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References: DOI.10.1537/ase.260519

















鳥肉や植物の肉(?)は禁忌とされていなかったようなので、鵜・鷺(ウ・サギ)とか紅葉(モミジ)肉とか食べていたのかもですね。 今の常識からすればサケは塩蔵なのかなとかいろいろ想像しますが恐竜時代の話と比すればわりと近年のしかも人の日常生活なのにわからないとか本当に記録って重要だと思います。 ただ、江戸時代って小氷期の真っただ中なのでもしかすると今よりはそれなりに寒冷だったから近所でもサケが取れたりしなかったかなとも疑ったりします。 真鯛も今でこそ高級魚ですがそのころはネコまたぎとは言わないにしてもありふれた魚かもしれないとかその時の環境や文化と合わせないと現代の価値観や環境で見ると誤った解釈をしそうなので、発掘とその解析に期待してます
そして300年後・・
教授 「大阪の庶民は粉もんばっかやなぁ~」
歯石から分析とは面白いなぁ。
維新に支配された外人まみれの今の大阪よりも遥かに幸福度が高そうですな。
そういえば梅田は元々田んぼを埋めて墓にした埋田という田舎だったけど大阪駅開業の際に縁起を担いで梅田に表記を変えたと聞いたことがある
粋だね~
逆、逆。
(よど)
逆、逆。
(淀川周辺の低湿地を)埋めて田んぼを作ったから「埋田」。
ジメジメした氾濫域低地のあまりパッとしない地名を「梅田」に変えた表記がが江戸初期から混混在しだして、江戸中期あたりにはもう「梅田」が優勢。
庶民の意味を分かってないんだろうね
当時江戸の労働者の小腹満たしのファストフードが品川沖で捕れる鯛やスズキやヒラメの握り寿司やで? (切り身を醤油漬けだったけど)
研究の意味を分かってないんだろうね
歯石がべっとり残っていて、歯をまともに磨いていない事、口内衛生環境が悪い事が判るので病気にかかりやすい環境だった事まではパッと観て判りますね。
歯石着きまくりの輩が殊更マイナスボタンを連打しているようでこれは、口内衛生の知識普及により一層取り組まなければいけませんね。
奈良以外の鹿なら黙認だったんだろうか
江戸時代は鯨が庶民の食べものとして定着するレベル、捕鯨は文学や浮世絵も複数残ってるレベルで盛んだったし(北斎が千絵の海の中で明らかにザトウクジラと解る捕鯨の様子を描いているくらい)、江戸では大みそかにクジラを食べる文化まであったやん。
余談だけど江戸末期、東京湾に迷い込んだ鯨は江戸前の漁師が総出で浅瀬(天王洲)に追いこんで一週間程見世物にした後(将軍様@家斉も見に来たし、クジラグッズの即売もあったらしいwww)油とって江戸の皆で食べたんだそうだ。品川にクジラモニュメントが多数あるのはこの一件の所為。
身体が辛い時、動物性タンパクを摂取すると元気になるよね
知識の無い時代なら「薬」とされてても納得いく話だね
ほんとそう。
最近手指の肌がボロボロになって、できものもあって、そういや十日くらい肉を食べてなかったなと思って唐揚げを3個くらい食べたら翌日には治ってた。
肉スゴイ
まさに薬
上方落語の古典(18世紀)にある「猫の災難」はネコのお見舞いに届いた鯛(!)が発端だし、「池田の猪買い」はその名の通り、猪の肉を求めに行く。共に、独身、長屋住まいクラスの、ごく庶民的なお話。
「薬食い」ちゅうてね
「高級魚を食べていた」というよりも「現代では高級とされる魚が当時は大衆魚だった」ということ?
場所による。
大阪や江戸って街のすぐまん前が海=鯛とかの漁場な訳よ。輸送費かかってない。船も手漕ぎで燃料費無し、更に現在と違い冷蔵もパッケージもできない=コストかかってない。今でも漁港で直接買ったら安いのと一緒。
でも魚の供給が安定していた訳ではないので、塩漬けにした魚も一般的だった。で仙台藩が一生懸命『新巻鮭』マーケティングした結果、輸送費かかってる分ちょっと高価なので普段食べるって訳にいかないけど贈答品として人気に。
クジラは脂肪を稲のウンカ避けに使う為に獲っていて、言い方が悪いけど「残ったカス」を加工してド庶民の保存食として売ってた。
都内で発掘調査した近世遺跡の廃棄土坑(通称「ごみ穴」)から鶴やイルカの骨が出ました。
有識者曰く「食べてたんじゃないか?」
山鯨(猪肉)、般若湯(お酒)とか、ウサギを羽(わ)と数えるのは鳥のように飛ぶように走るから、ではなく肉を食いたかったから。何て話を聞くように、ちょっとしたズルってあったんよね。
戦国時代は防具に生き物の皮が必要で、専用の役職あるくらいだったので当然動物を狩って皮取ってたし、その際は肉が出てた。
農耕動物が死んだ時なんかも当然肉は出てて、やっぱどっかで食べてはいたんよね。
鯛や鮭でも、アラ(さばいた残り部分)なら口に出来たのかも。うなぎの頭も食べましたしね。
福翁自伝だとむしろ貧民、反社及び適塾生御用達の下級店として肉鍋屋が描かれていたような。鯛は正月飾りの塩鯛を半年後に食べたり商家だと秋の恵比寿講で丁稚にまで振る舞ったりした。
300年タンパク質が残るのか……歯石の保存性能こわすぎ
ちゃんと歯磨きしよ…(´・ω・`;)
300年どころか数万年前の原始人の歯石からも食生活がわかっちゃうよ
この写真の奥歯「今にも歩きだしそうだ」と思ったのは私だけではないと思う。
「味のある可愛らしい奥歯だ」と思ったのも私だけではないはず。
これが本当のシセキ(史跡)ってやつなのか