この画像を大きなサイズで見る北欧の国フィンランドで、長年の経験則として語られてきた「土に触れることの重要性」を、科学的に証明した研究結果が注目を集めている。
フィンランドの保育園が試験的に園庭に、土や植物、虫、コケ、地衣類を導入し、自然環境を作り上げたところ、園児の健康がはっきりと改善したのだ。
フィンランド天然資源研究所(LUKE)のこの研究は、この環境が園児の体内の微生物叢(マイクロバイオーム)の多様性を高め、免疫の働きを後押しすると示した。
都市環境で失われがちな自然との接触を意図的に増やすことで、アレルギーや病気のリスクを低下させるという画期的な成果がみられたのだ。
これを受けて、フィンランドでは現在、43の保育園に合計100万ユーロ(1億7,741万円)の助成金が支給され、園庭の一部を森に代える取り組みが進められている。
都会の子どもが抱えるアレルギーと免疫の問題
フィンランドでは、都市部に住む子どもたちが健康でいるための新たな常識が生まれつつある。それは「土に触れること」だ。
これまでに行われた数十もの比較研究で、農村地域に住み、日常的に自然と触れ合っている子どもたちは、セリアック病(小麦などに含まれるグルテンに対する自己免疫疾患)、アレルギー、アトピー性皮膚炎といった免疫システムの過剰な反応に起因する病気を発症する確率が低いことが確認された。
しかし、都会の子どもたちにどうやってその恩恵をもたらすかが課題だった。その鍵となったのが、自然が持つ微生物の力だった。
この画像を大きなサイズで見る人間の体には大量の微生物が宿っている
なぜ、土や自然との接触がこれほどまでに子どもの健康を左右するのだろうか。
その答えは、私たち人間一人ひとりが、細菌、真菌、古細菌といった何兆もの微生物を抱え込む「一つの環境」であり、それらの微生物の宿主であるという事実である。
これら微生物の総数は、私たち人間の細胞の4倍であり、研究者の間では、人間の健康と機能において「最も影響力のある力」として認識され始めている。
不衛生とは別の意味で、現代の清潔すぎる都市環境は、この大切な微生物の多様性を奪っている可能性が高い。
この画像を大きなサイズで見る保育園の庭に森のような自然環境を取り入れる実験
フィンランド天然資源研究所(LUKE)の研究科学者であるアキ・シンッコネン氏らは、この多様性を園庭を森のような自然にすることで意図的に増やし、子どもの皮膚、腸、口腔の微生物叢がどのように変化するかを調べ始めた。
同国ラハティ市のフンプラ保育園で2021年、もともとあった芝生の庭の一部を、深さ30cmの土壌層を持つ、10平方mの面積の「巨大なピザ一切れ」のような森の地面に置き換えるという改造が行われた。
この「ミニチュアの森」には、野生のコケモモ(北欧などで自生する、赤くて酸味のある小さなベリー)やブルーベリーの種、昆虫、苔、地衣類が事前に植え込まれた。何よりも重要なのは、そこに何兆もの微生物が存在することだ。
園は子どもたちに週に5回、土いじりや菜園活動の時間を設け、この森で堆肥を作って野菜を育てさせたり、収穫物を給食に使った。
その結果、わずか1か月のうちに、子どもの微生物叢(人間の体、特に腸や皮膚に生息している、多種多様な細菌などの微生物の集団)が多様化し、免疫システムを通じて感染する病気から体を守る効果が高まったことが確認された。
フンプラ保育園での研究では、炎症性腸疾患に関連するとされるクロストリジウム属の細菌(Clostridium bacteria)のレベルが低下し、免疫の中心的な役割を担うT細胞のレベルが上昇するという、理想的な免疫状態が確認された。
シンッコネン氏は当時、「多様な自然の要素を都市環境に加えることで、病気に対する防御の変化が見つかったのは、これが世界で初めてだ」と、この発見の重要性を強調している。
この研究成果は『Science Advances』誌に掲載された。
この画像を大きなサイズで見るフィンランドの他の保育園にも展開
現在、フィンランド全土で、43の保育園に合計100万ユーロ(1億7,741万円)の助成金が支給され、ミニチュアの森を作り、子どもたちの微生物との触れ合いの機会を増やす取り組みが進められている。
フィンランド天然資源研究所はこれらの保育園で、自然環境が免疫の健康に与える影響を正確に測定するため、子どもたちの髪、唾液、便のサンプルを採取し、データの収集と分析を行っている。
この調査で効果が実証されれば、フィンランドすべての保育園にミニチュアの森が作られるかもしれない。
そうなれば、国家全体から医療費という膨大な財政的負担が軽減され、子どもたちの健康リスクも軽減される可能性がある。
【追、追記】 カラパイアではこれまで「子供」と表記していましたが、子どもを独立した人格として尊重し、漢字(供)が持つ従属的な意味合いを避けるべきだとのご意見をいただいたため、「子供」から「子ども」へと表記を変更することを伝えました。
その結果皆さまから、様々なご意見をいただきました。
なお、「子供」「子ども」「こども」という三つの表記については、明確な統一ルールが存在するわけではありません。
文部科学省は2013年の整理の中で、公用文(行政文書)では常用漢字表の扱いに沿って「子供」表記を用いることが基本としていますが、これは行政文書としての統一を図るためのもので、日常的な文章表現に対して特定の表記を求めるものではないそうです。
一方、こども基本法やこども家庭庁では、柔らかい印象を重視して「こども」と表記する方針が示されています。
また、新聞・教育機関・一般のWebメディアでは、読みやすさを理由に「子ども」表記を用いるケースが広く見られます。
このように、公的文書・法律・メディアの間でも表記が揺れており、表現の目的や文脈、読み手の層によって最適解が変わるため、現状は使い分けが一般的です。
いただいたご意見を踏まえ、カラパイアでは今後、記事の内容や文脈に応じて柔軟に表記を選び、できるだけわかりやすく、読者の皆さまに寄り添った形で記事をお届けしていきます。
References: How a radical experiment to bring a forest into a preschool transformed children’s health / A Daycare Rewilded its Yard and the Children Became Healthier: Now the Whole Nation Is Doing it
















子供の供なんて複数形の意味しかねえと思うけどな
トイレの赤青にケチ付けるくらい意味不明な難癖
次はぜひ「赤子、赤ちゃんは見た目の色を揶揄した表現なので愛情がこもっていようが現代的ではありません、乳児幼児に統一します」だよね
うん、完全に意味不明な言いがかりだよね。
「象」に「ゾウ」と派生した「すがた・かたち」(印象、象徴、抽象など)の意味があって、後者のうち特に物体的な造形は人偏をつけて「像」と区別するようになったみたいなもん。
時代が下るにつれて複数形・総称の意識が失われ、単数形でも「こども」呼びするようになって、複数形の「子共」の字面に違和感が出たため、近世ぐらいから何となく「子供」表記へ遷移していっただけ。
どっちかというと、「『ども』は現代では見下した相手にしか使わない乱暴な印象なので、『子等(こら)』を使います」とか「一人だけを対象にした話題の場合は、複数形の語源はそぐわないので、『子供』は使わず『子』にします。複数形でも『子供達』の重言は避けます」「『子』は成人の息子・娘を指す用法もあるので、意味の明確化のため幼年者を指す場合は『児』や『童』を使います」とかの方がまだ理解できる。
ああ、「手下ども」のどもと一緒か
『現代では』だよね
元は「手前ども」とか謙遜の意味もあるし、「乙女ども」とか単なる女達という意味なのに
かなり昔からある日本の言葉が悪い意味にされていくのが嫌だなぁ
まさに意味不明な難癖と言うべきケチの付け方の書き込みだね
えーと、、まず「子供」は漢字のほうが、、
まあ、個人の価値観だろうから、、
私は個人として漢字の「子供」を使用します!
基本言葉狩りのようなのは反対です!
今でもJRのことは国鉄と呼んでます!
JRは、言葉狩り関係なく、国有鉄道ではなくなって経営母体が民間会社だよ。
…まぁ、といって、私鉄は今でも私鉄呼びだけど。
子供と子どもの表記の違いを気にしてる人っているの?わざわざ表明することに驚いた。
記事の内容はそりゃ免疫つきやすくなるだろとは思ったけど
カラパイア民は落ち葉に関しては外国の話でも文句言うほど否定的だから
個人的には小さな森の取り組みは素晴らしいことだと思う
子供は親の従属的存在です。
「親はなくとも子は育つ」わけはなく餓死します。
衣食住だけでなく躾ける、教育する義務が生じます。
足りない地域や国は相応の治安になります。
養育されているから従属しろという考え方がもう古いんですよ
保護者に養育する義務があるのは当たり前かつ
子どもは独立した一人の人間(人格)として扱うべきというのが
今の世界標準です
こんな悍ましい考えの人間がまだ存在するのか…毒親がこの世からいなくなる日は遠いなあ
サムネイルの子の表情いいな
似たような話で犬猫を飼っている家の子は雑菌耐性が強いとか聞いたし
ある程度自然環境に親しむのは必要なんだろうねぇ
体の微生物叢が細菌感染から守るというのは分かるのですが、アレルギー疾患にも効果があるのは本当でしょうか。
アレルゲンに触れる機会が多いとアレルギー症状が出やすくなるわけで、自然の中で生活すると必然的にアレルギーになりそうなのですが…
蕎麦屋の子がそばアレルギーとか聞く話ですね。 ただ、雑菌含めいろいろなものと接触することで出にくくなるのかもとも思います。 つまり清潔であまり触れる種類の多くない環境で特定のものに多く触れるとアレルギー出やすいのかなという仮説を個人的に持っています。 当然に生存者バイアスってのもあるし、そもそもそういった勉強をした者でもないので証明できません。
記事の取り組み、いいですね。 現代の先進国の医療の力を考えれば、小さい時は多少の小汚い環境にいて病気になったら医療機関に行けばいいんじゃないかとね。 小さい時に落ち葉食べたり、小石を拾って食べたりしてた子で幼稚園いっていたころは割といつも鼻水垂らしてたけど、小学校に入ったころから全然風邪もひかなくなって一通り免疫ついたなと感じました
減感作療法みたいなもんで、過剰な除去はかえってアレルギーを生む・悪化させる、っていうのは少し前から言われているよ。
例として、農村部の牧場育ち(幼少期から畜舎に出入り)の子は、一般よりもアレルギー発症率が低いとか。
小児科のアレルギー指導に関しても、2000年代ぐらいの一昔前は、離乳食期はアレルギーになりやすい物(卵とか)はとにかく除去!除去!って感じで、それを受けて神経質になり 祖父母が子供に食べ物を与えようとするのをやたら敵視する親が多かった。
でも今は、その結果、「適度な時期に適度の量から接触してないと、かえって体が異物認定しやすくなる」という知見に変わってきて、厚労省のガイドラインなども変更された。
子どもの心にも良い影響があると思うよ。
>>「子供」から「子ども」へと表記を変更
その想い受け取ったあ!
じゃあ罵声のときの「ゴミどもが」の「ども」と同じみたいに見えて、なんかざわざわするからこの気持ちにも寄り添って新しい言葉でも作って(噴飯)
スモール人類とか未発達人類とか幼体とかに言い換えて、いつものフラワーとかスティック的なこと発想すれば良いのに?!ってびっくりした
一文字一文字こだわりを込めたら、そのうい米入ってる方の気とか使いそ
昔欧州のどっかの研究(ドイツかな?)で、子供のころから過度に清潔な環境で育つと
アレルギーが出やすいかもしれないって研究があった気がする
それを考えると、自然に触れて生活するのはいいのだろうね
耐性が全く無いからとかだったかな?
知能が発達する時期に様々な刺激を与えたり経験をさせ、身体が発達する成長期にしっかり食べて運動するのと同じように免疫系の発達のためには色々な物質、病原体に触れさせなきゃダメなんだろうなぁ
それを怠ると知能や身体の未発達と同様に病気やアレルギーになりやすいのかもしれない
「土に根をおろし、風とともに生きよう。種とともに冬を越え、鳥とともに春を歌おう。どんなに恐ろしい武器を持っても、たくさんの可哀想なロボットを操っても、土から離れては生きられないのよ」
NHKドキュメンタリーでもやってたね。
酪農家の子供はアレルギー持ちが皆無で、
赤ん坊の時から豚牛の糞尿に触れて育ち、免疫鍛えられてる。
それこそ報道とか内閣とかの表記規則ガイドブックとか見て難癖付ける人がいるんじゃないかな…いちおう複合語の「くっつく方」は平仮名に開くとか、なんか色々あるんで…
そのうちここも「奥さん」「ダンナさん」は差別的だから
「妻さん」「夫さん」にします、になるのかな
昔からの表現表記なんてそんな悪意持って使ってないよ…
そう思う
悪く捉えている方を正すんじゃダメなのかな
昭和50年代まで「こども」を「小人」と漢字表記することが普通にあった
こどもとよむのだが。
「子供」は「小人」の差別的な表現を回避するために採用された。
2013年に文科省が「公用文には『子供』と統一すること」と周知するよう指示してますけど…
【追記】 カラパイアでは、子どもを独立した人格として尊重する観点と、漢字(供)が持つ従属的な意味合いを避けるため、この記事以降、「子供」から「子ども」へと表記を変更いたします。
意味不明
呼び名が同じなら何も変わらん
子供は肉体的な健康のために土に触れた方がいいということだな
オレは大人は精神的な健康のために土に触れた方がいい
と思ってる
幼児期の環境がアレルギーの発症を左右するなら、すでにアレルギーを発症してしまった人はどうしろというのだろう…?
育てた親を非難しろと? 子どもは親を選べない。
「男ども」や「女ども」とかも歴史小説なんかに出てくるけど、そんなに悪いニュアンスじゃないというか庶民の口語って感じがする
曾祖母が一人称オレだったし、あとはもっとセンシティブな言葉も地域によっては違う意味で使われていたりするし
時代や地域によっても言葉のニュアンスって変わるからなぁ
「子ども」はただの複数形だったと思うよ
それで複数形の意味が薄れて、チャイルドの意味合いが強くなったと感じていたけど
不快に感じる人がいるなら「子達」にすれば?
上の方で、子は親の従属的存在と書いてマイナスくらってるけど
悪い意味ではなく似たようなことは思った
子どもの供は、つきしたがう者って意味があるみたいだね
制度的にはそういう考え方も矛盾がない気がするけどな
幼くても個人だからって労働させて納税させたりしないじゃん?
法的には保護者と子を対にする形で子を守っているんじゃないかな
だからコドモという言葉に「供」を使っただけで、悪い意味とは限らないと思うけど
もし悪い意味合いで決定されたのなら教えて欲しい
そりゃ自然とともに生きたほうが免疫力がつくだろう。
食べ物だってもっと自然のままなら栄養も免疫もつくだろう。
だがしかし生まれたときにアトピーなんだけどそれはどうすりゃいいの?
まさか親や祖父母の幼少から自然に触れてないとだめとか?そうなると遺伝子の問題なんじゃないかと…
「先天的」と「後天的」を一緒にして語るからおかしなことになるだけですね
それらは別の問題なので、別々に語ってください
動物園に行かせて免疫付けるって話もあったね
私、小さい頃野山を駆け巡り毎日土に触れてたけど、アトピーでしたよ…中学生くらいまで悩まされ、高校卒業頃にはアトピー症状は治ったけど極度の乾燥肌と敏感肌になり、今も乾燥肌で、人工甘味料とかサプリメントや一部の市販薬で体調不良になるし、、、まあ、その他は健康体ですけどね…
“子供”表記は差別的で無いとの見解は文科省が公式に認めて教科書全般”子供”表記にしてるらしいから今更そこ巻き戻すの?って感じ。
むしろ親なりそれにあたる保護者が共に歩んでくれてるイメージすらあるんで悪い気はしてない。
“男共”なんて表記の”共”は現在では複数を荒く言ったものだけど、それに対しても”供”って表記はそんな悪いイメージは無い。
追追記読んだよ
>漢字(供)が持つ従属的な意味合いを避けるべきだとのご意見をいただいたため、「子供」から「子ども」へと表記を変更することを伝えました。
そういう意見が来てたんだね
パルモさんの意見かと思って驚いたけどそういうことか…
率直にいうと、表記のせいで揉め事が起きたりしないといいなと思う
なのでパルモさん運営さん達の方針に従います
これからも良い記事を楽しみにしています
子どもの表記について、
ワイ保育系の業界にいる人間やけど
よく勉強してるなって関心したで
言葉狩り・漢字の表記にそんな意味はないって意見もわかるけど
大事なのは表記云々じゃなくて子どもの人格を認めることなんよ
そこにちゃんと触れてるのが凄いと思った