この画像を大きなサイズで見るフィクションとは創作された物語で架空の出来事を想像的に描いた作品のことだ。新たな研究によると、フィクション小説を読んだり、映画などを視聴する人は、認知能力が高い傾向にあることが明らかになったそうだ。
ドイツ、ユリウス・マクシミリアン大学ヴュルツブルクの研究チームが、2種類のメタ分析を行った結果、フィクション作品に触れると、認知能力全般、特に言語能力、共感力、視点を理解するといった力を高める可能性があるという。
それはノンフィクション(実話)と比べても言えることで、フィクションにはノンフィクションとはまた違った認知への影響がある可能性が示唆されている。
フィクションには楽しい以上の意味があるのか?
小説や映画、漫画やアニメなどで描かれる架空の物語、すなわちフィクションは楽しい。だが、楽しい以上の意味があるのかと問われれば、なかなか答えにくいところだろう。
それは研究者の間でも同様で、フィクションがもたらす認知能力へのメリット(あるいはデメリット)については、長い間議論が続けられ、いまだに決着がついていない。
ユリウス・マクシミリアン大学ヴュルツブルク校の研究チームは、フィクション作品が及ぼす影響について徹底的に調査した。
小説や映画に楽しい以上の意味があるのかどうかを解明するため、研究チームは2種類のメタ分析(複数の研究を統計的にまとめて分析すること)を行なっている。
1つは、実験を行ってフィクション小説や映画などが認知にあたえる効果を測定した70本の研究(1万1172人分のデータ)を対象としたもの。
これらの研究では、参加者にフィクションを読んでもらう(観てもらう)といった実験を通じて、彼らに現れた認知能力の変化を測定している。
もう1つは、参加者がそれまでの人生で読んだ小説の量と認知能力との関係を調べた、114本の研究(3万503人分のデータ)を対象としたもの。
こちらは、さまざまな人たちの読書習慣と認知能力を比較して、そこに相関関係があるかどうかを調べたより長期的な研究だ。
この画像を大きなサイズで見るフィクション小説を読むと共感力など社会的認知能力が上がる
そして最初のメタ分析からは、わずかではあるが小説を読むと、認知能力にいい影響があることがわかった。
とりわけ大きく伸びていたのが、他人の気持ちや考えを理解する力、すなわち「共感」や「心の理論」などの「社会的認知能力」だ。
興味深いことに、映画鑑賞より読書の方が効果が大きく、なおかつノンフィクションよりもフィクションの方が効果が大きいという研究もあった。
このことは、物語性のあるフィクションの読書という行為には、映画鑑賞や物語性のない読書とはまた違った認知機能が働いている可能性を告げているという。
もう一方のメタ分析では、やはり一生のうちに読む小説の量と認知能力の高さとに相関関係があることが明らかになった。
とりわけ強い関係があったのは、「言語能力」と「一般的認知能力(推論・抽象的思考・問題解決など)」だ。
なお最初のメタ分析と同じく、社会的認知能力とも関係していたが、それは言語能力や一般的認知能力ほど強いものではなかった。
そしてこちらの分析でも、ノンフィクションよりもフィクションの方が認知能力の高さと強く関係していた。
つまり、物語性のあるフィクションを読むことは、ノンフィクションの読書以上に大きく認知能力を伸ばしてくれる可能性があるということだ。
この画像を大きなサイズで見るだたしこの研究には注意すべき点がある
ただし注意すべき点がある。2つのメタ分析の結果は、必ずしも一致しておらず、そのことが今回の結果の解釈を難しくしている。
2つのメタ分析をまとめると、期間が短い実験的研究で確認できたフィクションの影響は、社会的認知(共感と心の理論)に対するものだけだ。
一方、それまでの小説の読書量を比較した研究では、道徳認識以外のすべての認知的能力で確認できた。
なぜこのような食い違いが出るのか? その理由について、主執筆者のレナ・ウィンマー氏は次のように説明している。
まず、短期的なフィクションの読書については、「社会的認知能力だけに効くが、その効果は時間が経過しても大きくなることはなく、だんだんと統合されていく」のかもしれない。
その一方、長期的なフィクションの読書効果については、「読書すればすぐに測定できるほど大きく現れることはなく、時間の経過とともに蓄積される」と考えられる。
あるいは解釈次第で、長年小説を読み続けたとしても、認知能力に対する独自のメリットはそれほどないという反証とみなすこともできるという。
言語能力や一般的な認知能力に対する効果が、因果関係まではわからない相関研究でだけ確認され、実験では確認できないのだとすれば、小説を読んでも持続的な認知的効果はないと考えることもできます(レナ・ウィンマー氏)
仮にそうなのだとすれば、フィクション小説の読書は他人の気持ちを察する力を高めてはくれるものの、それ以外の認知能力全般で見られたプラス効果については、小説を好む人はもともと認知能力が高かったり、学歴といったものの影響である可能性もあるという。
結局、フィクションが私たちの認知能力に与える影響は、部分的にはありそうだが、まだまだ不確かで研究を行う余地がある。
だが残念なことに、この類の研究にはなかなか資金が集まらないのが現状なのだそうで、研究を進めていくのが難しいそうだ。
アニメや漫画など、フィクション王国の日本の研究者なら、この研究を引き継いでくれるかもしれない。ちょっとそれを期待しちゃおうか。
この研究は『Journal of Experimental Psychology: General』(2024年)に掲載された。
追記:(2024/05/09)本文を一部訂正して再送します。
References:People who read a lot of fiction tend to have better cognitive skills, study finds / Study reveals the cognitive superpowers of reading fiction: more than just words / written by hiroching / edited by / parumo
















フィッ フィッ・・ 🤧フィクション!! 誰や噂してるのは
ビブリオマニアほどじゃないけど、フィクションも含めて多量にテキストを読んでるオレがコミュ障なのは統計の外れ値になるんだろうな。 もっと共感とか社会的認知能力を高めたいと思ってはいるんだけど……いるんだけど…… ノンフィクションとか時々に応じて興味の向いた方面(例えば会計関係とか電気関係とか物理関係とか)みたいなのを読むタイプ、いわゆる乱読だからなのか……
>>3
自己の見方に過ぎない社会的認知能力が高いのと、他者への干渉であるコミュニケーション能力が低いというのは、同時に成立する
心理テスト等による客観的な評価でも受けない限り、自身の社会的認知能力の把握なんて言うのは非常に難しい
>>7
3氏がどうかは分からないけど、日本人のコミュ障申告は
謙遜的な意味合いもあるよね。そもそも他人は自分じゃないから
コミュニケーションが望むように運ぶとは限らないし。
読んだうえで感想言い合うとか色々考察したり二次創作始めたりとアウトプットに勤しむ人はそうかもしれないけど、ただ「面白かった」で終わる人にはどうだろう
創作物楽しむのにもそれなりの知能が要るって事かな?
共感と云うか想像力が必要なのは何となく判る
幅広い知見の足しになるのは慥かだから、その辺が役に立つのかも
頭を使う度合いは
小説>>>>>>>ゲーム>映画・マンガ
>>8
それはたぶんゲームや漫画、小説とは違う表現にたいしての読解力や理解力が無いから
>>8
こういうのは使い分け、気分で選べばいい
あと反射ゲームは脳全体は使わない
映画でも小物が後の伏線になると情報量は多い
ぼーっとみたい漫画も(映画も)あるし
この図式は成り立たない
ノンフィクションは現在の環境認識の延長で理解できるが、フィクションは語彙からいったん脳内のメモリ内に世界と環境を設定維持しなきゃならないしな
よく作者が語るキャラが勝手に動くという現象はその設定世界がより綿密になると傍観者の感覚が作れるからだと思う
自分は子供の頃、小説の世界内に自分を模したキャラを配置できるかよく模索してた
よくできた小説ほど配置できる余地がなく、緩い作品はキャラ全般入れ替えた方が面白かった
少し違うかもだが、「飯食ってるときに💩とか言うな!」
っていうけど、俺は平気。全然平気でカレーでも食える。が、
💩の写真を出されたら無理だ。
💩の言葉だけで食えないって人はそれだけで脳内に
映像が浮かんでるのではと思う。想像力が豊か。
小説を読むってのはそういう想像力空想力が鍛えられるのかも。
小説や漫画は自分で咀嚼しながら読み進められる分なにかしらの学習効果を得られやすいという仮説がなんとなく思い浮かぶが
当人の読み方次第だし、どんな読み方してもそれは自由だからあんまり期待するもんじゃないんじゃないかな
でしょ
その前に『IQが高い』はずだよ
だから認知も高いんだ
フィクション作品に触れるから認知力が上がるの
ではなく、元々認知力が高い人間がフィクション作品
を好む傾向にあるだけだと思うけど。
フィクションと現実を区別できない人もいるよね。
昔は、お姑役とかいじわるなお姉さん役の役者さんに「◯◯をいじめないで」とカミソリ入りの手紙が来たり、街なかを歩いていたら、「◯◯をいじめるんじゃないぞ」と中年男性が凄んできたりとかいう話をTVや記事で読むこともあったね。
今も、議員さんとかにいるみたいだけど。
>>17
小公女セーラのラビニアやミンチンの声優さんが
脅迫状が大量に届いて大変怖い思いされたそうで。
いくつもの伏線が張り巡らされていて
読み手、視聴者側に深い洞察力が求められるような作品は
難解すぎるあまり単純明快なアクション映画だとかを好む層には敬遠されがちに思うのだけど
その辺りも認知能力と何かしら因果関係があるのかな?
物語読めない人って
人の話をスッと理解できない傾向はある気がする
自分の認識から外に出られないというか…
司馬史観みたいな
ノンフィクションと見せかけた創作品は、
どっちのジャンルに分類されるんだろう?
子供の頃は本の虫、若い頃はマンガアニメ大好きオタク
でも今はもう本読むのもマンガ開拓するのもアニメ見るのも億劫
これってつまり・・・
>>25
歳です。諦めずゆきましょう
ドラマ見るのがダメなんだよなぁ
凄く面白いドラマなら見れるんだけど、ドラマ好きには到底なれない
けど読書も含まれるのなら、子供の頃は相当読み込んだから、認知能力が低いって事はなさそうで安心した
ノンフィクション好むのはどうなんだ
ノンフィクション好きの方が知的に感じるんだけど
>>28
ノンフィクションは事実の列挙であって、情報の収集という点では小説より優れているとはおもう
今回の話は、得た情報から類推や想像する力の蓄積を認知能力として考えているのではなかろうかと思う次第
どちらにも利点があって、別段対立するものでもない
「学びて思わざれば則ち罔し、思いて学ばざれば則ち殆し」と昔から言われてるくらいだし
フィクションを正しく解釈するには現実と完全に切り離して考える必要がある。
これが出来ない人たちが、例えば作品内にも多様性をもたせるべきだと作者やゲーム会社を恫喝したり、非実在青少年の概念などを作ったりと、完全に現実と混同した非常識な発言や行動をしてしまう。