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エジプトから1世紀の仏像が出土。ローマ時代のエジプトに仏教が伝わっていた可能性

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(著) (編集)

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 現在のような移動、通信手段が存在する遥か昔から、あらゆる種類の境界を越えた異文化間のつながりがたくさんあった。このことを痛感させてくれる発見があった。

 紅海に面した古代エジプトの港湾都市であるベレニケ遺跡で、1900年前の仏陀(釈迦)、つまりゴータマ・ブッダの像が発掘されたのだ。

 この発見は、ローマ時代のエジプトとインド亜大陸との交易関係にさらに光を当てることになった。

仏陀の像をエジプトで発見。ローマ時代の交易と文化交流の証

 エジプト観光考古省の発表によると、ポーランドと米国の発掘チームが、ベレニケ遺跡の古代聖堂を調査しているとき、ローマ時代にさかのぼる像を発見したという。

 地中海産大理石でできたこの像の高さは61センチで、アフガニスタンよりも西で作られたものとしては初めての発見だという。

 中央インド、サータヴァーハナ王朝時代の2世紀の硬貨も2枚発見されている。

 この像の発見は、とても重要なことだ。というのは、西暦2世紀頃にアレクサンドリアで作られたものとされているが、頭のまわりに太陽の光である光輪がついていて、左手で袈裟の一部を持って直立し、そばにはハスの花もある。

 つまり、仏陀を表していることがはっきりわかるのだ。

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高さ60センチの仏像の正面と側面 / image credit:the Egyptian Ministry of Tourism and Antiquities

 釈迦は、およそ2550年前、南アジアに住んでいた。

 王子として生まれたが、のちに富や物質的なものを所有することを放棄し、悟りを求め始めた。そして、仏教の伝統において、「悟りを開いた者」を意味する、サンスクリット語の言葉であるブッ
ダ(仏陀)となった。彼によって確立された宗教、仏教はこうした教義に基づいている。

 ベレニケ遺跡での発掘は、米国とポーランドの研究者による共同作業で、デラウェア大学の歴史学者、スティーヴン・サイドボサムがアメリカチームのリーダー、ワルシャワ大学の考古学者、マリウス・グウィアズダがポーランドチームのリーダーだ。

 サイドボサムは、1994年に発掘が始まって以来、現地で作業を続けている。

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古代エジプトの港湾都市、ベレニケの遺跡 / image credit:Polish Centre of Mediterranean Archaeology.

湾岸都市ベレニケはローマ帝国の中心的交易路だった

 ベレニケは、紀元前3世紀頃にでき、ローマ支配下のエジプト最大の港湾都市となった。

 象牙、織物、準貴金属などの商品が長年、この都市を中心に東西を行き交い、ローマ帝国とインドの商業的なつながりを担っていた。

今日のベレニケは、荒涼とした、人っ子ひとりいない場所だ。淡い青空の下、平らで木のない、西部の砂漠の赤土のワジ(雨期以外は水がない谷)が、風の強い紅海沿岸へと続いていく。

ここにはかつては栄華を誇った建物、セラピス神殿、ローマのアロマ蒸留所の名残りがあり、立派な浴場だった建物の壁は、今はかろうじて膝の高さほどの遺構しか残っていない。

海岸沿いをドライブしていると、あっけなく見落としてしまいそうなこれらそっけない遺跡は、それでも、かつてのローマ帝国を旅した、何世代にもわたるインド商人たちの重要な足がかり地点だった

 著名な歴史家ウィリアム・ダルリンプル氏は書いている。

 近年のベレニケの発掘調査で、ピリップス・アラブスとして知られる皇帝マルクス・ユリウス・ピリップス(在位西暦244年~249年)の治世にさかのぼるサンスクリット語の碑文など、この都市で異文化が融合していたことを示す遺物がほかにも発掘されている。

 こうした碑文が、エジプトで発見されたという事実は、ローマ帝国と古代インド帝国がいかに互いに結びついていたかを示す、もうひとつの証拠といえよう。

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 もうひとつの興味深い発見は、1999年にベレニケ聖堂の中庭の下から、17ポンドの黒コショウの実がいっぱいに詰まった壺が見つかったことだ。

 当時、コショウの実は、インド南西部でしか栽培されておらず、ここからも、ベレニケが古代の交易ネットワークの重要な拠点として機能していたことがはっきりした。

 今日、グローバリゼーションについてよく耳にするだろうが、西暦1世紀にはすでに、ヨーロッパ、アフリカ、アジアを結ぶ、グローバル経済が存在していた。ベレニケは、その完璧な例と言えるのかもしれない。

References:Statue Reveals Buddhists Likely Mingled with Roman’s In Egypt / written by konohazuku / edited by / parumo

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この記事へのコメント 44件

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  1. シュメール文明時代のエジプト王族の墓に収められていた遺物の中に、太陽の象徴と考えられる金製の美しい器は「ロータスの皿」と呼ばれ、日本の天皇家のシンボルでもある十六菊花紋と酷似した造形となっている事から、シュメール文明時代のエジプトと日本の間で交流があったのではないか?という説もあったりしますね。
    エジプト以外の中東諸国の遺跡でも同様に十六菊花紋に酷似した様々な遺物が存在している事からも、広い範囲で交流があった可能性も言われていたりしますから、ローマ時代のエジプトに仏教が伝わっていたとしても不思議ではない気がします。

    • -11
  2. じゃあ、同時代のキリストも仏教の影響を受けていたんだろうな。

    • +8
    1. >>4
      キリストを祝福した東方の三博士の一人がインド系とされる場合もある。宗教画で黒い肌の博士がいたらそいつ(カスパール)がそうだけどアフリカ系とも言われる。このへんの細かいことは聖書には書かれてない
      映画で有名なベンハーのストーリーではメルキオールがインド人になってる。ただし仏教じゃなくてヒンズー教みたい

      • +7
    2. >>4
      さらに歴史を遡った世界各地に古くから伝承される神話と呼ばれるものも、国々で違いこそあれ、おおまかな部分ではどれも類似した点が多いというのは興味深い事だし、遠く離れた国々であっても現代人の我々からは想像もつかないような人々の交流があった可能性もあるのかもしれませんね

      • +7
    3. >>4
      当時のユデヤ地方はローマ文化に同化するユダヤ人達と、それに反発するユダヤ教徒の中の原理主義者が殺し合いをしていたので、イエスが仏教に触れたとしてもネガティブな印象を持った可能性が高いです
      歴史的にはイエスはユダヤ教週末思想系の伝道者または指揮者の一人だったはず
      仏教の輪廻転生およびそこからの解脱を説く教えは、神と天国の存在を前提としたユダヤ教ルーツとは相容れないでしょう

      • +7
  3. 本物かな?どう見ても仏像だ。
    ロマンだなー!

    • +10
  4. 宗教と共にあったのか、単なる美術品だったのかは分からないね

    • +12
  5. 現代のわれわれが考えているよりも
    古代世界はかなり地域の交流が盛んだったんだな

    • +18
  6. インドの貿易商人がエジプトで死んで墓に入れてもらったとかじゃない

    • +5
  7. >4
    イエスは聖書に書かれていない若い時代に仏教を学んでいたのではという説はある

    • +6
      1. >>32
        仏教は苦行を禁止しておりますので・・・(禅宗は除く。時々悟りのために殴り合うし。)

        • +2
  8. インドからの航海士のためにあった寺の石像なのでは?

    • +3
  9. 生まれ故郷のインドじゃ全然浸透しなかったのにな。

    不思議なもんだ。

    • -2
    1. >>14
      浸透しなかったのではなく、盛んだった時代はあったがよりメジャーなバラモン教の後継であるヒンドゥー教の存在、新来のイスラム勢力による弾圧などにより、そのうちにヒンドゥー教に吸収同化されてしまった
      この時代にはインドと直接交易していた紅海沿岸の港湾都市で、移住してきた仏教徒のインド人商人が仏像を作らせて拝んでいても何ら不思議はないだろう

      • +12
    2. >>14
      もう書いてくれてる人いるけどヒンズー教に吸収されちゃったんだよ
      シヴァ神の化身の一つがブッダとされてる
      異教徒や神に背く人たちに誤った教えを広めて混乱させる役割だそうだ
      クリシュナやナラシンハと違ってマイナーだけどね

      • +7
      1. >>26
        横からスマン
        正しくはヴィシュヌ神の数多ある化身の一つね

        • +3
    3. マウリア朝時代にアショカ大王が仏教を広めてるからその見解は的外れ。

      • 評価
  10. 頭がもげているのは微妙だが…おそらくブッタ像
    年代的に仏教が入るのは有り得る
    信仰の対象なのかアジアの芸術コレクションなのか(隠れた信仰も)
    とても興味深い発見

    ギリシャとかインドもそうだが、特定の神の信仰が広がるとき昔からの土着の神を取り込むことがある(キリスト教ではクリスマスなどの祭り)
    「たわわな乳房をたくさんつけたゼウス像」とかがそれ、変化しているのだという
    ブッダもいずれかの神の化身と言われていたのかも

    なお
    >仏教の伝統において
    ではなくシッダルタ以前の文化で「ブッダ」の名称はあった
    たしか「彼の前にはふたりのブッタがいた」はず(諸説あり)
    「覚醒したもの=輪廻を解脱したもの」の意味だから
    普通ブッダはゴータマ・シッダルタ、シャカ族の王個人を指すが
    広くは「悟りを得たもの」は全てブッダ、彼に敬意を払いそう名乗らないし、呼ばないだけ

    • +12
  11. ベレニケがどうして放棄されてしまったのかも興味があります。

    • +2
  12. まあよく世界史では、仏像がヘレニズム文化の影響を受けてーなんて教わるもんな。

    • +3
  13. ということは
    キリストが青森に来ていてもおかしくないわけか

    • +8
  14. 旧約聖書 コヘレトの言葉に「空」と訳される言葉が頻繁に使われてますね

    • -1
  15. 以前も大浴場や動物墓地が発見されるなど注目の遺跡ですね

    • +5
  16. まあお釈迦さんは白人種のアーリア人だったというし、エジプト方面まで伝わっていても違和感はないというか

    • +4
  17. 「地中海産大理石でできたこの像」インドで作ったものがエジプトへ運ばれたわけじゃなく 仏教徒がエジプトで作ったてこと?

    • +4
  18. イエス「エジプトに遊びに行ったらちんちくりんな頭をした人がいるなと思って」
    ブッダ「私も頭に茨を巻いて血だらけの人がいる!と思って怖くなってさ」

    イエス、ブッダ「あははははははは」

    いやー、この発見は凄いね

    • +4
  19. アレクサンドロス大王がユーラシアにまたがる大帝国を築いて、ギリシャ圏とアジア圏で交流が生まれたヘレニズム時代、
    ギリシャ様式と仏教様式の融合した像が各地で出土していてその時から東西交流があったことがわかる
    エジプトは大王の武将だったプトレマイオス朝の支配下になり、その後ローマに編入という流れ

    この仏像の発見は、ヘレニズムの東西交流の影響がローマ時代になってもまだ続いていたことを示すという点が重要

    • +3
  20. すげー。仏教徒になったギリシャ人がいたけど、仏像がエジプトで見つかるのは驚いて、ロマンを感じる。夢が広がるな

    • +3
  21. 典型的なヘレニズム様式なのでギリシア経由の仏像ですね。

    • +6
  22. カニシュカ王の頃にはその治世がギリシャにも伝わってたみたいだし仏教自体もそれなりに伝播してたんだろうな

    • +1
  23. はえーおもろい
    純粋に大理石きれいやねえ
    ちょっとお顔が険しいけど

    • +2

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