
だが、そのにぎやかな地面のすぐ下には、衝撃的な秘密が隠されていた。2万人もの人間の遺体が、誰
にも知られずにひっそりと葬られていたというのだ。
2万人の無縁遺体が眠るワシントン・スクエア
戸外の憩いの場として近年に整備し直された場所のすぐ下に存在するものとしては、少々ぞっとするようなものです調査司書のカルメン・ニグロは、ニューヨーク公立図書館のブログにこう書いている。
1797年から1820年頃まで、ワシントン・スクエア公園の東側3分の2は、無縁墓地だった。ここの巨大な墓穴に、貧しく身元もわからないニューヨーカーたちの遺体が無造作に投げ込まれていた。
ニューヨーク市が、わずか4500ドルでこの区画を買い取り、葬式も出せない貧しい市民が安らかに眠ることができる場所を確保したのだ。

不気味な都市伝説が流布される
その200年後、ニューヨークシティ・ゴーストという団体が、毎晩この公園を象徴する凱旋門の下に集まってツアーを組み、近隣の不気味な話を伝えて歩くようになった。ある霧の夜、ランタンを手にした骸骨のように痩せたツアーガイドは語る。
暑い真夏の夜でも、無縁墓地があった場所を歩く人は、突然背筋に冷たいものを感じたり、木のあたりで影のような姿を見るが、近づくと消えるといったことがあるという。
「ここらへん一帯には、死そのものが漂っています」NYCゴーストと関わるあるゴーストハンターはYouTubeで語っている。
ここに幽霊が出るかって? もちろんです。いまだに、周辺をさまよっている霊やエネルギー体があるはずですから
Ghosts of Washington Square Park
4度の黄熱病の大流行で死者が急増
確かにワシントン・スクエア公園の歴史には、ぞっとするような話がたくさんある。当時の市の計画では、埋葬できる遺体は5000体ほどの予定だった。ところが、1797年、1798年、1801年、1803年の夏に4度、ニューヨークで黄熱病が猛威をふるったとき、その4倍の数の遺体を受け入れざるを得なくなってしまった。

黄熱病の大流行で、町の通りは実際にゾンビがあふれているように見えたに違いない。
患者は最初、発熱、悪寒、嘔吐、体の痛みを訴え、数日後には、皮膚が黄ばみ、眼球の黄疸、黒胆汁の嘔吐といった深刻な状態に陥り、最終的には臓器不全を起こす。感染者の最大60%が死に至るという。
正確な死者数は不明だが、数千人の市民が、この恐ろしい運命に屈したと言われている。市は感染者の遺体をできるだけ日常生活から遠ざけたいと考えていた。
1799年、感染者の遺体は手段は問わず、無縁墓地に埋めるべしという命令が可決された。この場所は当時、ただの農地にすぎなかった。
墓堀人が酷使され、次から次へと遺体を積み上げた。十分に深く埋められなかった遺体もあったという。
「土が崩れて、棺同士がぶつかり、骨が散乱したことでしょう」べつのゴーストハンターは言う。「しばらくすると、人々は気づき始めました。幽霊たちが、バラバラになった自分の骨を探しに、夜な夜なさまよっていることに」

しかし、地下の許容量がいっぱいになってからも、このような地獄の様相は続いた。市は、死者をそこに埋葬しただけでなく、生きた人間をそこへ連れて行って命を奪った。
罪人を処刑する為に使用された「首吊りのニレの木」
「首吊りのニレの木」と呼ばれる樹齢350年の木が、公園の北西の入口に今もある。この木は、かつて罪人を処刑するために使われたという。アメリカ独立戦争でアメリカ軍を指揮した、フランス人のラファイエット侯爵が、この木の枝で馬泥棒20人を処刑する命令を下したと言われている。
公園の北西の入口にいまだにある樹齢350年の"首吊りのニレの木"(右側)
このいわくつきの木の近くでは、ラファイエット侯爵の幽霊が、夜、絞首刑にした罪人を見つめている姿が、多数目撃されている。
地元の人は、18世紀のいでたちのラファイエット侯が、正義がなされたことに満足して、罪人たちがニレの枝にぶら下がって揺れているのを見つめている姿を今日でも見かけるとことがあると主張している。
「首吊りのニレの木は、ずっと公園の伝説でした」ニューヨーク市の考古学者ジョアン・ガイスマーは語る。
この手の話は、いつの時代にもあるものですが、根拠があるものなのかどうかは、たいていわかりません
Ghosts of Washington Square Park
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実際に公園内の敷地で処刑が行われたのは、記録によると、今日の噴水がある場所の近くに設置された絞首台でのことだった。1818年、19歳の奴隷、ローズ・バトラーが主人一家が就寝中に屋敷に火をつけたとして、処刑された。
だが、この火事で死んだ者はなく、被害はキッチンの階段が数段焼けただけだったが、それでもバトラーは絞首刑になり、この無縁墓地に葬られた。今でも、公園で彼女の幽霊に会ったと言う人もいる。

「ローズは、ワシントン・スクエアで絞首刑になった最後の人間です。嵐の夜に枝に吊るされて揺れている彼女が目撃されています」ゴーストハンターのひとりは言う。
「幽霊が出没し、うろついている理由は、彼らが非常に過酷な状況で、悲惨な死に方をしたからだといいます。ここはそうした状況に完璧な場所なのです」
19世紀の変わり目にニューヨークに広まった感染症の波は、やっとのことで終息した。蚊を介して伝染する黄熱病の予防接種が開発されたのは、1930年代になってからのことだ。
1826年、無縁墓地は公園に
1825年、ニューヨーク市長のフィリップ・ホーンは、無縁墓地だったこの場所を、公共の公園にすると宣言した。翌年の1826年、独立宣言50周年を祝うパーティで、この場所は、ワシントン・スクエア公園と改名され、地下に残る大量の遺体のことはすっかり忘れ去られることになった。
1965年、コン・エジソン社の保守作業員が、地中にシャフト管を埋めているとき、地下にあった部屋の天井をぶち抜いてしまい、大変驚いた。そこには、およそ20体の遺骨が山積みになっていたのだ。

当時、コン・エジソン社の請負業者だったエイブラハム・マーカスは、掘り進めるたびに出てくる大量の骨の山に驚いたという。
頻繁に公園にたむろするヒッピーを皮肉って、「サンダル履きで公園をうろつきまわる骸骨を何度か見た」などと語った。
地価の遺体を掘り起こすよう市が考古学者に依頼
ついに市は、考古学者たちに地下に眠るものの全貌を掘り起こすよう依頼した。「問題は、墓が残っているかどうかでした。答えはイエスでした」ガイスマーは言う。

2013年、ガイスマーは公園のわずかな区画を発掘し、女性ふたり、男性ひとり、7歳の子どもを含む少なくとも8人分の人間の骨の破片100個以上を発見した。
彼らは全員ヨーロッパを起源とする人たちと思われたが、ほかの骨の性別は判別できなかったという。
「自分の研究のために掘りたいと思っていた場所ではありませんでしたが、多くのことがわかりました」ガイスマーは言う。
ニューヨーク市の考古学のおもしろいところです。騒ぎになりそうなところばかりを掘っていたのです。べつに私たちが掘る場所を選んでいるわけではありませんが、多くのことがわかります。なにかを見つけ出す行為は、とてもワクワクします

身元不明の遺骨は新たに埋め直され、記念碑が建てられる
2015年、水道管の敷設工事をしていた作業員が、公園の北東部でふたつの巨大な地下室を見つけた。ここはかつて、教会の庭があった場所だ。地下室は両方とも木製のドアで封印されていたが、カメラ探査機を内部に差し込んでみると、中には子どもサイズの小さなものも含むたくさんの棺が散乱しているのがわかった。
大人の棺のひとつには、ウィリアムという名が刻まれた金属のプレートがついていたという。
考古学者のアリッサ・ルーリャによると、この地下のカタコンベに埋葬されていた人たちは、1800年頃に死亡していて、必ずしも黄熱病で亡くなったのではなく、近隣のシーダー、またはパール・ストリート長老派教会の信者だったらしいという。
何世紀にもわたる、地下の掘削、混乱、建設で、数多くの遺骨が散乱したままになっている。
去年の3月、公園管理局は、サリバン・ストリートとワシントン・スクエア南の角近くにある花壇の下5フィートのところに、身元不明の遺骨の断片を新たに埋め直した。
近くの歩道には、事情を説明したささやかな記念碑が建てられている。
裕福な人の遺体も埋められていた衝撃の事実
2009年、ガイスマーの研究チームは、この場所に対する歴史家の見方を変えるような発見をした。それは、1799年に亡くなった、ジェームズ・ジャクソンというアイルランド生まれの28歳のニューヨーカーの墓石だった。今ではたいしたことはないことかもしれないが、ジャクソンが生きていた時代は、きちんとした墓石を手に入れるにはしかるべき財力が必要だった。
墓石があったということは、ジャクソンは、無縁墓地に埋葬されるような身寄りのない貧乏人ではなかったということだ。
だが、黄熱病によって死んだ者は全員、共同墓地に埋葬するようにという市の命令書が可決されてからわずか数週間後に、彼は黄熱病で死んだ。だから、彼はここに眠ることになったと思われる。
「ジェームズ・ジャクソンの墓石は、無縁墓地の概念全体を変えました」ガイスマーは言う。
明らかに、ジャクソンはその他大勢と一緒に埋葬されるような人物ではありませんでした。ここはただの無縁墓地ではなかったのです。この事実は、相当な衝撃でした史跡保存会によると、現在、ジャクソンの墓石を復元し、公園の展示室で公開する計画が進んでいるという。

現在のワシントン・スクエア photo by iStock
忘れてはならない過去の歴史
ガイスマーは、私たちの足元に眠っているもの、あるいは人物について、決して忘れるべきではないと語る。こうした過去は、私たちに今後の展望を与えてくれるに違いありません。私たちは、むやみやたらにニューヨークの通りを歩き回っていますが、今、目に見えているものは、過去とは違います。とくにハロウィンの時期には、公園の遺体やその伝説は、教訓じみたものものになるかもしれない。
以前にも、確かにここに人々が生きていて、考古学的な記録が残っているのですから、あなたがそれを読む手間を惜しまないのなら、過去がよみがえるはずです
「万一、大量にゾンビが発生するような壊滅的な状態になった場合、とくに避けるべきエリアをひとつあなたは知ったことになるのです」ニグロはブログに書いている。
References:Secrets of the 20,000 bodies buried under Washington Square Park / written by konohazuku / edited by / parumo
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コメント
1.
2.
3. 匿名処理班
ゴーストバスターズを呼ぼう。
4. 匿名処理班
感じるのは自由だけどさ、だったら東京大空襲とか関東大震災経験した東京は?っていつも思う
5. 匿名処理班
ここに幽霊が出なければどこに出るねん!ってくらいの場所。
6. 匿名処理班
やっぱり火葬がNo1
7. 匿名処理班
>「万一、大量にゾンビが発生するような壊滅的な状態になった場合、とくに避けるべきエリアをひとつあなたは知ったことになるのです」
ゲームにネタを提供するようなオチを付けなくてもw
8. 匿名処理班
凄いな、ぶら下がってる絞首刑犯ではなく、それを眺めてる侯爵の幽霊とは。
9.
10. 匿名処理班
それでゴーストだのバスターズだのって話になるのかな、ニューヨーク。
wiki見て来たら墓地になる前は黒人奴隷の農地だった時期もあるとか。今は高級宅地化されてるらしいけど、もとは町の辺縁だったのかねえ。
あと、重箱の隅だけど「New York Public Library」は「ニューヨーク公共図書館」と訳したい。
11. 匿名処理班
非業の死を遂げた挙句、ツアーのネタにされたから気に入らんのじゃないだろうか。
12. 匿名処理班
コロナも同じ状況を生み出した。
13. 匿名処理班
発掘は大事だけど、祈りの場も必要だよね
なにか彼らが眠れるようなことをしてほしい
あと墓石の移動はどうも…埋め戻した元のところに置くのがいいと思うよ(墓を探して彷徨い出てくるぞ)
楡の木って人と相性が悪いようだ
アイヌの伝承でも駆け落ちした恋人が、楡の木の下で突然死ぬ話がある
ここでの瞑想や気功は避けたほうがいいかも
14.
15. 匿名処理班
鎌倉海浜公園の地下駐車場を作る時に発見された由比ガ浜中世集団墓地遺跡や由比ヶ浜南遺跡からは、数千体の人骨が見つかっています。長谷や由比ヶ浜を散策すると人が埋葬されている上を歩いているかもしれません。
16. 匿名処理班
※13
樹形がよくて景色に生えるし材木としても使えて、いざという時は実が救荒植物になるから人の生活圏によく植えられただけよ。
人と関わりが多ければ当然なにかしら伝説が生まれ蓄積される。
その伝説の中には良くないものもあるだろうけど良いものもたくさん埋もれてる。
要はバイアスかかってるってことね。
17. 匿名処理班
ハート島にコロナの犠牲者が600人以上埋められたんだってね
18. 匿名処理班
大して昔でもないのに(日本人の感覚ですが…)
公園にしたから忘れてハイ終わり、とかそんなんさすがに無理があるのでは・・・
ニューヨーカーってのは忘れるのが特技なのか?
19. 匿名処理班
※18
日本でも、江戸末期の墓地を潰して明治に小学校を建てた場所は
各地に多いと思うが。(ある程度の校庭面積を持つ大きな建物で
既存の田畑(平地)や人家(山裾)と干渉しない立地の確保となると、
消去法で、裏山の既に草木が開けた所、って選択になりがち。
あと、寺子屋の延長で寺のそばの広地=古墓地だったり、
逆に廃仏毀釈で潰した寺の跡地の有効利用だったり。)
昭和の子供ぐらいになると、もう経緯があやふやになって
「元は墓地だったらしい」という真偽不明の微かな噂話として
学校七不思議に挙がってたり。
20. 匿名処理班
ありのままを伝承するのは努めてもなかなかできることでもないし、忌事は関わった人の口も重くなるしね
合掌
21. 匿名処理班
元々、ネイティブアメリカンの土地だったしね〜