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解剖学を説明するのに初めて絵を使った中世のイタリア人医師(日本の室町時代頃)

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(著)

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 イタリア人のグイード・ダ・ヴィジェヴァーノ(1280~1349年)は、医師でありエンジニアでもあった。

 彼はフランスのジャンヌ・ド・ラメ(ジャンヌ・ド・ブルゴーニュ)の主治医だったが、自動車を発明した人物と言われていて、1331年の彼のスケッチブック『Texaurus regis Francie』には 8メートルもの長さの翼で動く戦闘車両など、たくさんの技術アイテムが描かれている。

 『The National Center for Biotechnology Information』によると、ヴィジェヴァーノは人体の解剖に並々ならぬ興味を持っており、解剖学を説明するのに初めて絵を使った人物だと言われている。

 ”解剖学研究と芸術的なデッサンとの関係をを初めて密接に発展させた”とされており、つまり、ヴィジェダーノは、レオナルド・ダ・ヴィンチやフランチェスコ・ディ・ジョルジョ・マルティーニのような後期ルネサンスの芸術家兼技術者たちの先駆者的存在だったのだ。

ヴィジェヴァーノの教則本『アナトミア』

 ヴィジェヴァーノの教則本『アナトミア』(1345年、日本だと室町時代の頃)は、初めて神経解剖学的構造と技術を6つの図版で示したもので、穿孔術によって切開した頭部の解剖、髄膜、大脳、脊髄を表わしている。

 脳の絵の表面には、ぼんやりとだが皮質脳回の模様も認められるし、脳室もきちんと表わされている。

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この本は、こうした複雑な体内の構造をより深く理解するために、解剖学をわかりやすく図解したもので、神経科学史上初めての試みといえる。

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ヴィジェヴァーノの『アナトミア』(1345)より消化器官の細密画
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死体の腹部の皮膚を観音開きに切開して、皮下にある筋肉や脂肪を露出させた図。”mirac”という名称がつけられている( Colour process print, 1926, after a manuscript illustration, 1345)

西洋の解剖学の歴史

 12世紀 サレルノで古代から行われていた解剖が再び行われるようになり、簡単な解剖学の手引書が作られた。ブタが、人間、特に女性の内臓と似ていると言われ、解剖に使われた。

 人体の解剖は、13世紀末には法的な目的のためにボローニャなどで始まっていたようだ。1302年、ボローニャで、グリエルモ・ダ・ヴァリニャーナによって、毒殺が疑われた遺体の初めての司法解剖が行われた。

 モンペリエで人体の解剖が導入されたのは、14世紀の最初の四半世紀ごろと考えられる。中世後期になると、ボローニャのモンディーノ・デ・ルッツィが中心になって解剖が行われるようになった。

 14世紀始めに 人体解剖を絵図に反映する最初の試みが始まったが、解剖がそれほど普及していなかったことや、解剖のおもな目的が人体の学術的な調査というより、医学や外科学のトレーニングや法医学の一環としての教育的なものであったため、ほとんどの場合、概略的なものにとどまっていた。

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やせ衰え 灰色になった遺体の解剖。解剖医が左手で遺体の腰を支え、右手に持ったメスで腹部を切開している
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腹部や胸部のそれぞれの名称がつけられた男性の体
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遺体の首から肋骨上部にかけて切開する解剖医。遺体の背後に立ち、右手に大きな刃物を持ち、左腕を遺体の首に回して、切開した部分の肋骨を引き揚げている
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背中から脊柱を表わした図。18本の椎骨がはっきりわかり、そこから広がる神経が見える
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ハンマーと刃物で患者の頭蓋を切開する中世の医師

References:The history and illustration of anatomy in the Middle Ages – Article in Journal of Medical Biography ・ November 2013; The neuroanatomical plates of Guido da Vigevano, Journal of Medical Biography (2013); Credit: Wellcome Collection. / written by konohazuku / edited by parumo

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この記事へのコメント 16件

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    1. >>1
      あれよりタッチは独特。あちらは意図的な癖を感じるが、こっちは純粋にこれだからね。

      • 評価
  1. プロの画家が描かないから、素人の医者が描いているんだろうけど、現代のホラー系マンガ家を派遣したら、どう思うんだろうか?

    • 評価
    1. ※2
      こういう「ちゃんとした」系の写本は、教会や修道院所属の写字生(修道士や修道女)が絵や文を書いてるんじゃないかな
      素描やメモみたいのは医者も書くだろうけど、見せるためや記録としてはそういう「プロ」に任せると思う
      解剖もたぶん教会側の許可がないとそうそうできなかっただろうから、こういう解剖記録とかも立ち会ったりなんだりで教会が一枚噛むんじゃないかな

      • +2
    2. ※2
      悪魔の所業だと思われるんじゃね

      日本には通夜の風習が残ってるけど、かつては殯と言って遺体が腐敗し白骨化するまで長期間安置し観察(つまり喪に服す)していたらしい。
      殯は火葬文化のある仏教の影響で廃れるものの、代わりに九相図という絵で人体の死後の様子を伝えた。
      解剖こそしないものの鎌倉時代にはそういうグロい絵巻物があったという。

      • +1
  2. よくわかんないけど
    中世だと身体は神からの借り物とかで解剖が禁忌になってなかったの?
    それか探究心が勝った学者たちの覚悟なのかな

    • 評価
    1. ※3
      解剖は年に1回あるかどうかとかのレベルだったらしい。死刑で殺される犯罪者とかがたまに医者に回ってくるレベル。だからこの図も腐りかけの死体の絵になってる。

      どうしても解剖したい医者が墓場泥棒で死体を盗んできたり、金を払って墓泥棒から死体を買い取ったりしていたらしい。 
      そいういう積み重ねで今の医学が出来上がってるのが感慨深い。

      • +6
  3. 中国(漢方)の解剖図なんかでもそうだけど、
    気管にくっ付けて肺を引っぱり出すと
    左右の各葉が複数の房に分かれちゃう感じなのか?

    • +2
  4. ローマといいイタリア人って昔はクソほど有能なのに、反映極めすぎて今は遊びに夢中みたいな感じよな

    • 評価
  5. 中世では解剖に至るまでのプロセスが長い一方で保存技術がなかったことから、だいぶ傷んだ状態での解剖となるため、正確さに欠けていると学生時代に教わった。例えばターヘルアナトミアでも腹直筋が胸骨に接続していたりする。だいぶにおいもあっただろうけど、科学的探究心ってそういうのに打ち勝つよね。

    • +6
  6. 中世フランスの死刑執行人のサンソン家が、医者としても優秀だった訳だ。

    • +1
  7. どうしてもダヴィンチの有名なあれと比べちゃうが、画力は当時のレベルではきっと相当に高かったんだろうなと思う
    まず絵を描くという行為が、この時代は芸術家ではなく職人が描くもので、今家を建てる業者に共通のやり方があるように、簡単でパッと見で分かればいいレベルで描くという意識だったらしい
    それでなんともシュールな絵になったと。

    • +2
  8. どことは言わんが小さいな笑
    ダビデ像とかもなぜ皮を被っているのか不思議に思う。

    • 評価

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