
だがトルコには古くから伝わる助け合いの風習がある。街のいたるところに設置されている「サダカの石」は、石にあけられた穴の中に、金銭的に余裕のある人が、お金を置いていき、困っている人がそのお金をもらっていくためのものだ。
この助け合いの精神が、今、再び復活の兆しを見せているという。
モスクの靴箱を自由に持ち帰れる食料棚にした若きイマーム
イスタンブール北部にあるデデマン・モスク。いつもなら金曜日には、集団礼拝に訪れる人たちのたくさんの靴が並ぶ。彼らはここで靴を脱いでから、大切なイスラムの祈りを捧げるために建物の中に入るのだ。今年3月半ば、トルコ政府はコロナの感染拡大を止めるため、集団礼拝を中止。大量の靴が並ぶこともなくなった。若きイマーム(礼拝の指導者)であるアブドゥルサメット・チャキール氏は、地域の人たちが困窮することがわかっていた。
「モスクが閉鎖されたとき、靴箱のラックを庭に引きずり出してきれいにし、そこに買ってきた食料品や生活雑貨品などを置きました」チャキール氏は語る。「困っているのではないかと思われる近所の人に声をかけて、好きなものを自由に持って行ってもらったのです」
Sarıyer Muftuluğu Dedeman Camii Sadakataşı Hayır koşemiz 5 guninde buyuyerek devam ediyor #dedemancamii #hayırkoşesi #diyanet #turkiyediyanetvakfı #sarıyermuftuluğu pic.twitter.com/MDMz1v7uWE
— Abdulsamet CAKIR (@CakirAbdussamet) April 10, 2020
アブロゥルサメット・チャキール氏と、デデマン・モスクに設置された臨時フードバンクチャキールのこの行為のことは、たちまち広まり、困窮している人が集まってきた。国中の寄贈者やマスコミ、海外からも注目が集まった。
だが、コロナ禍の最中に始まったように思われるこの助け合いのアイデアは、実はトルコでは昔からの伝統だった。彼らには、サダカの石(サダカ・タシュ)と呼ばれる助け合いの精神が根付いていたのだ。
困っている人を助ける。トルコに古くから伝わる「サダカの石」
「サダカ」とは個人が善意で行う喜捨を指す言葉である。サダカの石は、石でできた穴や柱で、金銭的にまだ余裕のある人がそこにお金を置いていき、困っている人はそのお金をいただいていくためのものだ。自分に余裕があるときはお金を入れ、余裕のない時はお金をもらう互助の精神により成り立っている。
サダカの風習がいつ始まったのかははっきりしないが、1300年頃、アナトリア(現在のトルコ)に起こったオスマントルコ時代にさかのぼるのではないかと言われている。
オスマントルコは、その後勢力の大きな帝国へと発展し、第一次大戦後に崩壊した。こうした「サダカの石」はエルサレム、チュニス、オフリトなど、かつてオスマントルコ帝国だった場所で見られる。
オスマントルコ人は、石を効果的に使う才能があったようだ。馬に乗る時の踏み台にしたベニク・タシュ、運搬人が重たい積み荷を一時的に置いて休むためのハマル・タシュ、落とし物をさりげなく置いておくための壁龕、イティッキ・タシュなど、困っている人を助けるためのさまざまなタイプの石が記録に残っている。
イスタンブールには一時期、少なくとも160の「サダカの石」があったと言われているが、今日では見つけるのは容易ではない。
残っているものは、歩道に沈み込んだ切り株のようになっていて、長年の風雨にさらされてかなりすり減っている。
そのほかにも色を塗られてしまったり、脇に追いやられて灰皿代わりに使われたり、新たな工事で埋め立てられてしまったり、完全に取り除かれてしまっている場合も多い。
Sadaka taşları bir zamanlar gundelik hayatın icinde imiş. ‘Veren el’ ile ‘alan el’i birbirlerini gormeden buluşturmak icin. Şimdi bu sadaka taşı Karacaahmet’te mezar taşının yanına dikilmiş, yani hayattan kovulmuş. Ama en azından kendisi korunuyor diye avunalım. pic.twitter.com/FPAMPEOVp5
— Ahmet Emre Bilgili (@aebilgili) December 31, 2017
サダカの石に施されていた心優しい配慮
文化史研究者のニダイ・セヴィーム氏は、2000年代半ばになるまで、「サダカの石」について聞いたことがなかったという。イスタンブールのエユップ地区にある繊細に装飾された墓石を研究していたときに、たまたま「サダカの石」に巡り合った。「墓石のトップにくぼみがあるなんて、変わっていたので、いっぺんで目を惹かれました」
その石に刻まれていたわずかな文字から、高さ90センチから1.8メートルのなんの飾り気もないこの石柱が、かつてはモスクの中庭や墓地の入り口、橋のたもと、町の噴水のそばなど、あちこちに建てられていたことがわかった。
「サダカの石は、石の上の穴まで手を伸ばさなくてはならないように、わざとこの高さにしてあるのです。それは、その人が石の中にお金を入れたのか、お金を取ったのか、外からはわからないようにするためです」イスタンブールのコチ大学で、トルコにおける博愛主義を研究するアリ・チャルコグル教授は言う。great piece @TheTurkishLife! 👏👏👏 on tradition of sharing and social solidarity in Turkey. old revived and also new forms https://t.co/aj3hkC6Peu HT @mert__firat 🙌
— dr olga kravets (@olga_kravets) August 25, 2020
"The Forgotten Stones That Still Inspire Turks to Help Their Neighbors" https://t.co/OkQnHlGprn
こうした匿名性は、慈善行為が貧しい人の尊厳を保ち、富める人が必要以上に高慢にならないようにする、イスラム教の教えを反映している。
セヴィーム氏はこうした「サダカの石」の痕跡を追い求めて、イスタンブールじゅうを歩き回った。その結果、30の「サダカの石」もしくはその名残を確認し、いつの年代のものなのかも含め、まとめて著作にした。2009年にこの本が初めて刊行されて以来、都市開発のせいで、さらにいくつかの石が失われたという。
「これはとても大切な文化で、宝といっていいほどですが、残念ながら、ほとんど忘れ去られているのが現状で、姿を消しつつあります」トルコや海外で人道支援プロジェクトを行う慈善団体 サダカ・タシュウダーニーの代表、ケマル・エツダル氏は語る。Ecdadın medeniyette ulaştığı seviye:"Sadaka taşları."Atan,riyaya girmesin,alan incinmesin.(#bursa muradiye camii) pic.twitter.com/c7QHfMFNeg
— Enderun (@en_derun) December 8, 2016
サダカの精神は今もトルコ人のDNAに宿っている
前述のチャキール氏のフードバンクのように、今日のサダカ・タシュの概念は、形こそ違え、とくにこのコロナ禍の中、現代社会に合うよう進化をし続けている、新たな重要性があるといえよう。トルコの労働人口のおよそ3分の1にあたる800万人は、社会保障制度から外れた日雇い労働者がほとんどだ。
「パンデミックが襲ったとき、彼らの職場は閉鎖し、ウェイター、床屋、ポーターなど多くの人たちの収入がなくなりました」イスタンブール市の広報ムラート・オングン氏は話す。町はシャットダウンし、新たに100万人の人たちが、市に金銭や食糧の補助申請をしました」
しかし、貧しい人たちのために募金活動を始めようとする市の最初の試みは、中央政府との政治的いさかいによって妨げられた。
そこで、地元のガスや水道会社を運営する市は、低収入世帯が、払うことのできない光熱費の請求書の画像を投稿し、収入の多い市民がその肩代わりをすることのできるサイトと立ち上げるというアイデアを思いついた。

「こうした動きは、この未曾有のパンデミックの中での、前向きな結果のひとつといえるでしょう」オングン氏は言う。
「こうした社会の連帯は、わたしたちトルコ人が獲得した国家的DNAなのです。あとは、うまいアイデアと信頼できる方法が必要なだけです」
イスタンブール市のウェブサイトの名前「AskıdaFatura(保留の請求書)」は、トルコおなじみの概念からきている。
パン屋でパンをふたつ買い、困っている人が持っていけるように、ひとつは店の外に設置してある"フック"に吊るしておくという考えだ。
このパンデミックの中、askıda ekmek(保留のパン)という助け合いの伝統に参加するよう、消費者に呼びかけるサインが盛んにパン屋の窓に掲げられるようになり、ほかにもさまざま種類の慈善フックが登場した。

ベイリクドゥズ市やベシクタシュ市は、「連帯フック」運動を始め、スーパーや住宅街のはずれで、食料品の入った袋をフックに下げたり、オンラインで寄付している。これら寄贈品は市の職員が困っている人たちに届ける。
似たような話として、匿名の寄贈者が店に行き、zimem defteri(債務台帳)に 記された請求書の肩代わりをすることもある。
オスマントルコ時代には、神聖なラマダンの月には、普通に行われていたことだといい、トルコのマスコミでも、たびたびとりあげられている。
トルコでは伝統的に慈善事業をイスラム教徒に義務づけることはありません。むしろ、純粋に困っている人を助けたい、あるいは恩送りの精神で人の輪を通じて寄付を行っているのです。
貧しい人たちとそれを支援する人を直接結び付けるわけでもありません。フック手法は、このようなつながりに一線を引きます。お腹がすいたら、いつでも食べ物が手に入りますが、誰がくれたかはわからないようになっているからです。その為、寄付を行った人に直接感謝を示す義務がないのです
昨今のトルコの助け合い運動が活発化した理由
昨今のトルコでの助け合い行為が活性化した理由については諸説ある。イタリアの カフェ・ソスペーゾ(caffe sospeso 保留のコーヒー)という助け合い行為を真似したもので、この数十年の間に現れた新しい行為だという者もいれば、オスマントルコ時代の栄光を取り戻すための政治的意図をわざとリバイバルさせたものだという者もいる。
しかし、研究者のセヴィーム氏は、こうした発想が、遥か昔、イスラムそのものが始まったばかりの黎明期から存在した証拠を見つけている。
イスラムの宗教書ハディスの中に、預言者ムハンマドがメディナにいた7世紀、モスクに2本の紐をかけて、そこにナツメヤシ(hurma)の束をかけておくよう指示したという話があります。とセヴィーム氏は語る。
そうすれば、貧しい人々がプライドを傷つけられることなく、それを手にすることができるからです
考え方はすべて同じで、これを応用して、ほかにもさまざまなバージョンが考えられます。例えば、バスに乗るときの「保留チケット」、現在進行中のパンデミックのための「保留マスク」などです。余裕のあるものが自分の正体を明かさず、困っている誰かを助ける。助けられた人も余裕ができたら匿名で見知らぬ誰かを助ける。
こうした助け合い行為の名前は変わるでしょうし、そのやり方も変化していく可能性はあります。でも、これは善行の普遍的な方法なのです。「サダカの石」のように具体的な"モノ"がなくても、これによって刺激を受けた別の形で、今日でも善行を行うことができるのです
これぞまさしく「恩送り」であり、その恩が世の中をぐるぐる回ってゆくことで、心に余裕を持てる人が増え、社会に正の連鎖が出来上がっていくことだろう。
人は一人では生きられない。地球の資源を利用できるのも誰かの尽力があるからだし、食べ物が手に入るのも、それを育て、販売してくれる人がいるからだ。感謝の気持ちを保ち続けることで、明日の地球はもっと住みやすくなっているのかもしれない。
References:dailysabah / atlasobscura/ written by konohazuku / edited by parumo
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コメント
1. 匿名処理班
これが本当のイスラム教の思想なんだろうね。
穏やかで寛容で助け合う。
経典のどこをどう読み間違えたらISISみたいなのになれるのか不思議だわ。
2. 匿名処理班
実家にいた頃だけど、お地蔵さんに夕方になると誰か彼かがお供えと称してお弁当みたいにしてお供えしていた。
地元の外れの方に住み着いている浮浪者が夜、それを持って帰るんだわ。
婆ちゃんが「人は腹いっぱいになればたいていは一線を超えない。あの人は長く棲みついているけれど何も問題を起こさないので腹いっぱいにさせてあげてお互いが罪を犯さないでおてんとさんにしっかり顔見せられる生き方をしたらええんや」みたいに言ってた。
3. 匿名処理班
世界中で世界中の人々がこういう考え方ができたら、きっと戦争もなくなり飢える人もいなくなり、世界はもっとずっと豊かに進歩していける。
でも実際にはここからお金を取るのは、年寄りをだまして金を奪って平然としているような輩だったりするんだろう。人の善意なんて分からない、心の貧しい人が。
そう考えてしまう自分も、全く夢のない、やはり心の貧しい人間なんだろうな・・・
手放しで「なんて素晴らしい試みだ!世界に広めよう!」
って言える人間になりたいな。
4.
5. 匿名処理班
サダカの石については歴史があり
かなりよく考えられていて
日本人も違和感なくいいなと思える気がする
6. 匿名処理班
トルコはエルトゥールル号の恩返しに
戦争に巻き込まれて帰国困難になった
日本人のために飛行機を飛ばしてくれた
義理と人情の国。
7. 匿名処理班
その精神自体は結構なことだけど新型コロナウイルスは物体の表面で数時間生き残ることが分かってるからこれが感染経路になりえる
8. 匿名処理班
石を通じて受け継がれる助け合いの精神、美しいですね。
9. 匿名処理班
>>2
なんて言い話だ。ホロリ(`;ω;´)
10. 匿名処理班
素晴らしすぎる!
社会の仕組みを知り抜いた成熟した仕組みだ!
トルコ最高!!
でも、いつごろから伝わってるかはサダカではないんだねw
11. 匿名処理班
良い話だな
外出時に、たまにあるんだけど・・・
あ、困ってる?手助けしよかな?って迷ってる間に別の人がサッと手を貸すみたいな
オレナサケナイ・・・
よし、次の機会は迷わずいこう・・・
12. 匿名処理班
イタリア南部(確かナポリ発祥)のカフェ・ソスペーゾみたいだ。
ソスペーゾは英語のサスペンド、まさに保留という意味で、余裕のある人が一杯のカフェに二杯分の料金を払い、そのレシートを店頭に置いておく。
生活困窮者がそのレシートで一杯のカフェにありつくというもの。
交流の場になっているカフェに訪れられるようにする事で、困窮者が過剰な孤立に陥らないようにするためのシステム、このトルコのものと相通じるものがあると思う。
そこからさらに広げると「環地中海文化圏に見られる互助の風習なのか?」とも思うけど、わからん。
そこの人文学系のキミ!卒論にでも調べてみては?(まる投げ)
13. 匿名処理班
「その人が石の中にお金を入れたのか、お金を取ったのか、外からはわからないようにするためです」
どっちなのかサダカにしない。
14. 匿名処理班
母方の祖父の家がいわゆる庄屋さんで
台所にいつもおにぎりを置いておく習慣があったんだって
集落の誰でも持って行っていいように
時代劇で年貢の取り立ての厳しいがめつい悪役にされがちだけど、実際は集落を守り支える存在だった
もっと上の支配階級みたいに歴史に出る存在じゃないので忘れられて行く風習なんだろうな
15. 匿名処理班
トルコって動物にもやさしいし、すばらしい国だね。
精神レベルが高いっていうか。
こういうの見ると、本当に強い国、豊かな国というのはどういうものなのかって
すごく考えさせられる。
16. 匿名処理班
助ける側はさりげなく
助けを求める側は恥じることなく
良い習慣だな
17. 匿名処理班
>>7
それはサダカの石にも保留の請求書にも限った話ではないから君の言い分はズレてる
18. 匿名処理班
>>9
飯だけに?
19. 匿名処理班
エルドアン大統領に是非読んで欲しい。
20. 匿名処理班
※15
日本の方がトルコより経済的に豊かで科学技術も進んでるけど心は貧しいよね。
野良ネコ野良犬にはエサをやるな、ホームレスはあっち行け。
昔は日本人ももっと寛容だったはずなんだけどなー。
21. 匿名処理班
いい文化だと思うんだけど、悪用する人がいるかもってつい考えちゃう。
そういう人については神様に天罰をお任せする。
22. 匿名処理班
善意も大きすぎたら出す方も貰う方も傲慢になる
これくらいの慎ましさが丁度いいのかもしれない
23. 匿名処理班
こういう形式の方が地元で助かる人が多そう
組織とかに寄付は中抜きだらけで恩恵もどこに行ってるのか分からないからやりたくないんだよね
24. 匿名処理班
※1
ただの一面に過ぎない。
ISISだのアルカイダだのはすべて唯一神至上主義の組織だから
これぞイスラムというファンダメンタリズムから言えば彼らのほうが「イスラム的」。
25. 匿名処理班
サダカの風習がいつ始まったのかはサダカではないが(堪え性無し)
26. 匿名処理班
※2
自分の田舎の墓参り
お供え物をたくさん置いていくけど
よそんちのお墓のお菓子は食べていいことになってる
雪国でど田舎だから
ホームレスはいないから、食べるのは子供ぐらいだけどね
自分もたまに食べるw
で、花瓶に水が無かったら足してやってる
よそんちのお墓も自分のところのお墓も
おんなじさ、友達みたいなもん
27. 匿名処理班
まぁこういうのは日本人には無理でしょう。
寄付に関してもそう。
寄付はしたらしたで偽善者だの売名など言い出す始末だし。
さすが不寛容さ世界ランク上位のことはある。
これは本当なら日本人として恥ずべきことなんだけど
そういう意識のない人が本当に多い。
そのくせこいう言う話には「いい話」って言っておしまい。何もしないし変えない。
自己責任大好きなのもいいけどね。ほどほどにしろと。
28. 匿名処理班
日本だと、困ってる人がいそうな繁華街の自販機の下に小銭を滑り込ませておくのがいいんじゃないかな?w
29. 匿名処理班
※1
いいこと言うな
嫌いな国だと途端に悪く言うネットの風潮にうんざりしていたんだ
よその国のいい部分もたくさん知りたいと思う
30. 匿名処理班
※2
石原都知事と裕次郎さんのお母さんも、昔貧しい人達の為に、残った食べ物をゴミから少しよけて置いておいたんだそうな
31. 匿名処理班
サダカの石は、石の上の穴まで手を伸ばさなくてはならないように、わざとこの高さにしてあるのです。それは、その人が石の中にお金を入れたのか、お金を取ったのか、外からはわからないようにするためです
スーパーかしこい……
こういう細やかな気配りができる人ほんと尊敬する
32. 匿名処理班
これにはサラディン氏も空からニッコリ
33. 匿名処理班
同じイスラム圏でもアラビア半島の部族国家になると殺伐としたものを感じるけど トルコとかイランのように昔帝国だった地域は基本的に豊かなんだろう。文化が高いし色々なインフラも整ってる。
34. 匿名処理班
いや、本当に面白い文化だな。
現代にもまあ、募金やボランティアはあるし、現代をそう卑下する必要もないと思うけど、これも心のゆとりから生まれる風習だわな。
物質的には当時の何倍どころではなく豊かに便利にはなってるんだろうけど、精神的豊かさがそれに比例しているかは分からん。
時代を超えてこうありたいと思うよ。
35.