
新婦は新婦に胸を引き裂かれ、無残にも胸を食べられていたという。そのそばに血まみれの新郎が立っていた。
新郎は狂犬病だったようだ。だが理性を失い獣のような行動をおこした新郎の姿は当時「狼男」に例えられた。
かつて欧米では狂犬病が数々の狼男や吸血鬼の逸話や伝説を生み出していたようだ。
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フランスで起きた狂気の殺害事件
事件が起きたのはフランスの片田舎だ。新郎は理想的な若者に思えたが、「ときおり奇行を目撃されていた」ために、当初新婦の両親は結婚に反対していたという。やがて新婦の両親も結婚を認めるようになり、無事結婚式が挙げられた。ところが、それからしばらくして新婚夫婦の家から上がった「恐ろしい悲鳴」によって2人の生活に終止符が打たれてしまった。
これを耳にして駆けつけた人が目撃したのは、「胸を残酷に引き裂かれ、苦悶の表情を浮かべたその新婦」であった。そして「狂気に取り憑かれた新郎は血塗れで、あろうことか哀れな新妻の胸部を喰っていた」のである。
まもなく新婦は事切れ、新郎も「激しく抵抗」した末にやはり絶命した。
はたしてなぜこのような恐ろしい事件が起きてしまったのだろうか?

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狂犬病で狼男に変貌?
検死の結果、明らかになったのは、新郎が「奇妙な犬に噛まれていた」ということだ。こうなると、犬から狂気が感染したとしか考えられなかった。当時この事件を報道したブルックリン・デイリー・イーグル紙はこの事件を引き起こしたのは「恐水病」――すなわち「狂犬病」であると結論づけている。
だが、その内容は、狂犬病により「狼男」になってしまったと、ゴシックホラーなテイストでつづられている。
「狂った犬に噛まれたことで、男の体は血に飢えた恐ろしいモンスターに変貌してしまい、かくも凄惨な事件を引き起こしてしまったようだ」といった、読者の興味を惹きつけるのに十分なものだった。

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欧米では狂犬病がらみの逸話や伝説が新聞のネタとなっていた
カナダ、ブリティシュコロンビア大学のジェシカ・ワンは、その著書『Mad Dogs and Other New Yorkers』で、狂犬病の裏の意味について考察している。それによると、少なくとも18世紀初頭から1890年代頃まで、北アメリカでは狂犬病がらみの逸話がしばしば新聞のネタにされてきたという。
当時、人間を荒ぶる獣に変えてしまうことから狂犬病は非常に恐れられていた。
歴史家のユージン・ウィーバーは、19世紀のフランスの農民が狼と狂犬と火を恐れていたと述べている。何世紀もの間、狂犬病の犬は人々にとって悪夢のようなものだったのだ。
じつのところ、19世紀から20世紀初頭にかけて、コレラ、腸チフス、ジフテリアといった他の感染症の方がずっと多くの人の命を奪ってきた。
だが人々を恐怖に陥れたのは「狂犬だ!」という叫び声の方だった。なにせ、その犬に噛みつかれてしまえば、それは死の宣告に等しく、苦しみながら消耗した挙句、死にいたることになるのだ。

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精神が錯乱してやがて絶命する狂犬病
現在では、狂犬病の原因は狂犬病ウイルスであることがわかっている。狂犬病ウイルスが体内に侵入すると、神経を伝って脳に到達し発病する。また狂犬病という名前から犬だけが保持する感染症のように思われるが、猫やコウモリ、猿やアライグマなど、犬以外の野生動物も感染源となっている。
感染から発症までの潜伏期間は数週間から数ヶ月で、ときに数年になることもある。感染からすぐに処置を受ければ予防が可能だが、発症してしまったならほぼ命を落とすことになる。日本においては狂犬病で亡くなる人はほとんどいないが、世界では毎年5万人が死亡しているとされる。
19世紀の文献によると、潜伏期間がすぎて発症すると、最初はぼんやりとした動揺や情緒不安を感じるという。
やがて狂躁状態となり、不眠、興奮、熱感、頻脈といった症状のほか、喉の筋肉が麻痺することからよだれを垂らすようになる。さらに幻覚や精神錯乱といった神経性の症状が現れ、最終的には脳神経や全身が麻痺して呼吸困難となり、発症から数日で死亡する。
数世紀前の人間には、狂犬病によって体の自由がきかなくなり、理性が失われるその様子は、人間らしさに攻撃が加えられているかのように思えたことだろう。
こうして、動物からうつされる恐ろしい病気から、人間を怪物に変えてしまう邪悪な動物の力という超自然的なイメージが生まれた。

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その一噛みが人間をケダモノに変えてしまう
19世紀のアメリカの文献に、超自然的な力を直接連想させるようなものはない。しかし、症状の記述には、噛み付いた動物のエッセンスが人間を苦しめるという暗黙の了解があった。当時の新聞を見れば、犬からうつされた人の症状については犬のように吠えたり唸ったりすると書かれているし、猫が感染源なら引っ掻くと書かれている。
幻覚や制御不能なけいれんといった症状は、いかにも動物によって刻まれた邪悪な刻印であるかのような不吉な印象を与えた。
狂犬病の伝統的治療法も、当時のアメリカ人が、暗黙のうちに人間と動物の境界が曖昧であると想定していたことを示している。
たとえば犬による狂犬病なら、噛まれた犬を殺したり、尻尾を切り落としたり、あるいはその犬の毛を傷口に当てたりすることで身を守れるとされた。そうすることで、動物と噛まれた人間の間に結ばれてしまった目に見えない超自然的なつながりを断ち切ろうというのだ。
また、ときおり病気は不気味な痕跡を残したという。1886年、ブルックリンのある住人が狂犬病で死んだとき、ニューヨーク・ヘラルド紙は、男性が息を引き取ってから数分後に「手に残されていた致命の噛み跡である青っぽい輪が消えた」と報じている。
狂犬病の呪いは死によってしか解かれないのだ。

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狂犬病は吸血鬼のルーツか
狼男のほかにも、吸血鬼も狂犬病にルーツがある可能がある。医師のファン・ゴメス=アロンソは、歪んだノイズ、大袈裟な表情、情動不安、突然攻撃的になるといった、どこか吸血鬼を連想させる狂犬病の症状を指摘する。
また、ちょっとした刺激で有痛性のけいれん発作が起きるのも狂犬病の特徴的な症状だ。鏡をチラリと見て激しく反応する様子は、姿が映らない鏡に怯える吸血鬼を思わせる。
さらに東欧の伝承の中には、吸血鬼はコウモリに変身する代わりに、犬や狼に変身するといったものまである。
ハロウィンの時期にもなれば、狼男や吸血鬼といったモンスターのコスプレをした人たちが楽しそうに街を練り歩く。だが覚えておくことだ。このお祭りには仄暗い想像の爪痕があるのだということを。
動物と病気と恐怖が絡み合った末に、動物界と人間界の境界を超えて実体化したもの――もしかしたらそれが狼男や吸血鬼なのかもしれない。
References:How Rabies Inspired Folktales of Werewolves and Vampires/ written by hiroching / edited by parumo
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コメント
1. 匿名処理班
有名な話だろ
狂犬病が
東ヨーロッパでは吸血鬼伝説に
西ヨーロッパでは狼男になった
だから両者はライバル関係にある
2. 匿名処理班
猫も持ってるの?
猫にうつされても狂犬病?
3. 匿名処理班
『新婦は新婦に胸を引き裂かれ、無残にも胸を食べられていたという』
高度な自殺かな?
4. 匿名処理班
『新婦は新婦に胸を引き裂かれ』
純白ドレス&百合&リョナ来た!(゚∀゚)
5. 匿名処理班
米1さん、東ヨーロッパにも狼男伝説はあるし、西ヨーロッパにも吸血鬼伝説はあるよ。
6. 匿名処理班
クージョ
7. 匿名処理班
日本だと狐憑きとか犬神憑きとかになるのかな
今では医学が発達して原因や治療法がある程度わかるけど昔は医学も発達途上で原因自体わからなかっただろうから、自分達でも理解でき馴染みもある神霊の世界にその原因を求めたってことなんだろうか
8. 匿名処理班
麦角菌という説もあるよ
9. 匿名処理班
文中、
> 新婦は新婦に胸を引き裂かれ
とあります。
10. 匿名処理班
狼男の多くは憑依妄想、統合失調症の一種だったと思うが
なお、東欧の吸血鬼は死体恐怖の一種
死後腐敗と分解により血が口に溜まり、ガスで肥って見える
杭を打つとガスが抜けて声を発することもある
11. 匿名処理班
新婦は新婦に…早口言葉でも始まるのかと
12. 匿名処理班
悪魔憑きもこれなんじゃないかな
13. 匿名処理班
吸血鬼が日の光を浴びるのとニンニクを嫌がるのは、狂犬病のせいで感覚が過敏になりすぎて光も匂いも強烈に感じてしまうからだと読んだことが有ります。十字架を嫌うのは何だったっけ?
14. 匿名処理班
実際は抑圧と解放の話で
狂犬病や血友病はあとあとつけられた尾ひれだと思う
15. 匿名処理班
有名ですけど、吸血鬼ドラキュラのモデルは串刺し公の異名を持つヴラド・ツェペシ。攻めて来た敵を串刺しにして領地の周りに立てて晒したからこんな異名を持つんだけど、自領地内では、評判が良かった。藤子F氏の漫画にも出て来るので、意外と知ってる人は多いかと。
外のイメージと内のイメージが異なるという所がポイント。
異教徒や外敵を化け物扱いする事はよくある事。蛇の扱いがその典型例で、ある地域では神の使いであったり医療の神様だったりするけど、他の地域から見ると、それは邪神扱いされている。
吸血鬼伝説の発祥の地ルーマニア近辺も例外ではなく、古くから民族対立が起きていて、相手側を化け物扱いした。信仰や生活の中で何かしらの血に関する物があったんだろうと推測される。串刺しにされた兵が流す血とか。
外敵、自分に対する物を化け物扱いする事で自己の正当性や人間性を主張した。安寧を脅かす恐怖の対象として吸血鬼という記号だけが残って、広まったというお話。
吸血鬼に対するにはキリスト教が有効ですよ、なんて触れ込みもあったのかもしれない。
16. 匿名処理班
存在しないものは伝説にならないって奴か
昔の人間は今とは違い生活は厳しく
想像や空想なんてものは二の次だったろうしな
何か現実に起きたことがそのまま
その当時の解釈で伝説になったんだろうな
17. 匿名処理班
昔はヨーロッパの田舎のお祭りで
犬を吊るしてグルングルン回して
川に落とすっていう悪魔払いの儀式をしていた
昔は疫病は悪魔の仕業だったからな…
ちなみに未だにやってる地方もあるようで…
18. 匿名処理班
SF小説で吸血鬼の考察をしてるのがあった。タイトルも作者も忘れた。
その中では、昔から直行する線(or棒)状のものに対して、恐怖に近い感情を抱く体質(トライポフォビアの十字架版)があったのだけど、十字っぽい造作が世の中に登場して何千年か程度なので、自然の中では欠点とはならなかった。今の時代だと生活は大変だろうなぁ。
異食症という精神疾患がある。実際に見たのはコーヒー【しか】摂食しない人だった。世界には髪の毛や釘を食べる人も居る。もちろん【血液】も。
件の人はコーヒーを禁止すると、コーヒーが飲めないばかりに大暴れして大人数人でやっと抑え込めるほど力が強いらしい。当然、栄養失調だし貧血だ。
色素性乾皮症という遺伝性疾患がある。
蛍光灯のあかりさえダメだそうだ。死に至る事もある。
これで、財産とか権力さえあれば、とても立派な吸血鬼の完成。
コウモリになる病気は知らない。
19. 匿名処理班
アンコールワットに旅行に行った時、ガイドさんに「犬がいたら絶対に近寄らず、もし噛まれたら小さな傷でもすぐに言ってください」と言われたのを思い出した。カンボジアでは今でも毎年狂犬病で800人ほど亡くなるのだそうだ。
20. 匿名処理班
既に大勢に指摘されている「新婦は新婦に〜」以外にも
今回の記事はちょっと何箇所か意味が読み取りにくいな。
>19世紀のフランスの農民が狼と狂犬と火を恐れていた
⇒ fire は「火」というより「火事(野火)」?
もしくは、peasant(小作農)だと「クビ(解雇)」とか?
原始人や、それこそ狂犬病患者じゃあるまいし、
いくら田舎者でも近代の人間が火は恐れないと思うが…。
>人間らしさに攻撃が加えられているかのように
⇒ 一瞬「人間らしさ + 攻撃」の意味に取れ
「人格に攻撃性が増し〜」的な趣旨?と思ったけど、
原文を読むと「人間らしさが冒されてゆくかのように」
って事か。
21. 匿名処理班
※1
いいねb
人も噂も移動するんだから、5の意見は・・・
22. 匿名処理班
※2
猫も、というか哺乳類全般は狂犬病ウイルスに感染しますよ。
そして犬以外の発症動物に噛まれても、狂犬病ウイルスに感染します。
猫に噛まれて狂犬病に感染した例も稀ではないです。
ただ、犬以外は発症すると記事にあるような狂騒状態ではなく、
体の自由がきかなくなる麻痺が広がるパターンの方が多いので、ピンとこないのかも。
23. 匿名処理班
※14
狼男に関しては狂犬病、バーバリアン、ベルセルク辺りが複合して出来上がった物だろうと推測。古くから獣人化した話とか残ってたり、バーバリアンは粗野で異様ないで立ちで闇夜に紛れて襲う戦法を得意としローマ帝国を震え上がらせたとかあったし、ベルセルクは獣の皮を被った戦士みたいのだし。それぞれに狼男伝説の特徴が散らばってる。それらが複合して話が伝わって行ったと考えるのが妥当かと。
吸血鬼に関しては上でも書いたけど、民族対立における敵側を化け物扱いした事に始まる、恐怖を記号化した物が吸血鬼という形になって広まって行った。広まる事を手伝ったのはキリスト教。吸血鬼に関する諸々は後々の後付け。と考えるのが妥当かと。
24. 匿名処理班
とりあえず飼い犬の予防接種超大事なんだけど、猫はいいのかふと気になった。
25. 匿名処理班
最後の写真ゴラムかと思った
26. 匿名処理班
サムネみてなんでウルヴァリンがいるんだ? と思ってしまった。
27. 匿名処理班
>>13
十字架を嫌うのはキリスト教が「十字架は吸血鬼さえも怖れる力を持ってる」と広めたから。
28. 匿名処理班
>>15
ルーマニアも吸血鬼伝説あるけど、大昔から吸血鬼伝説はヨーロッパ各地にあったんだよ。
吸血鬼ではなくても血を吸って命を奪う化物の伝説なら世界中にある。
29. 匿名処理班
ヨーロッパの古い伝説では吸血鬼は狼の群と共に現れるとか、コウモリに噛まれたら吸血鬼になる、というものもある。
これらは明らか狂犬病なのよね。
30. 匿名処理班
※28
その因果が逆だから長々と書いたのよ
何かの状態があったから吸血鬼という物が出来上がった訳じゃなく、最初に吸血鬼という形があって後から当てはめたの
古くからっていうけど、キリスト教が広まって行く前は吸血に関する話はほぼ見当たらない。世界中って話もそりゃ、中央アジア〜東ヨーロッパに掛けての話が広まったんだからそりゃ各地に話はある
31. 匿名処理班
何で因果が逆なのに勘違いしてしまうかっていうと、現代に生きている私達は「ある程度の答え」を知った上で歴史の流れを見てるから、そうであると勘違いし易い。
ここで言う答えっていうのは、狼や蝙蝠、野良犬なんかは狂犬病の病原体を持っている。狂犬病は狼男や吸血鬼伝説の特徴を持ってる等。
単純に考えれば〇〇の状態がある→なので〇〇が出来上がるという事が考えられるが、この話に関しては逆。狂犬病があったから吸血鬼という話が出来上がった訳じゃなく、吸血鬼という話の形に狂犬病に関する話が後付けで当てはめられたという話。
そもそもの話だけど、信仰や民族の対立上から出て来た話であるという事は、ある程度までは分かってる。
32. 匿名処理班
小さい頃から元々犬が怖かったのと「震える舌」のせいで狂犬病と破傷風は怖かったな
小学校低学年の頃とか学校帰りに犬に出くわすと名瀬か知らんがかなりの高確率で唸ってきたのでランドセルとか放り出して犬の気を引いて側から離れてたわ ランドセルをどうやって回収してたか思い出せんが(笑)
あとニホンザル飼ってた家があって其処を通る度に何もしてないのにやたら威嚇されてイヤだったな
33. 匿名処理班
※1
これはあれだ、フランケンシュタインに仲を取り持ってもらおう。
フンガーフンガーフランケン、ざますざますのドラキュラ、そーでがんすの狼男ってww。
34. .
狂戦士はキノコ
35. 匿名処理班
※30
吸血神や精霊はギリシャエジプトにもいるが日中から動いてて狂犬病の特徴は持ってないからね
俺らがイメージする吸血鬼はスレイブの語源のスラブ人奴隷から広まったって言われてる
ふた昔前、欧米の夢女界隈でドラキュラが糞田舎のルーマニア産なのが許せなくてジプシーエジプト起源説とエジプト吸血精霊で書いたのが映画にもなった『クイーンオブヴァンパイア』
日本では東欧のイメージはそんなに悪くないから全く流行らなかったけど