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そのストーリーを聞けばまた違った思いがあふれてくる。20枚の写真の裏に隠された事実

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(著) (編集)

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 ある一枚の写真が、ある人にとっては大きな意味をもつこともある。

 浜辺に座っているあなたの姿を写した色褪せた写真があるとする。それは、あなたが初めて海を見たときの写真かもしれない。20年前の誕生会で幼馴染と一緒に撮った写真は、その友人と疎遠になる前の最後の写真かもしれない。

 一見、なんのことはない写真に見えるが、その裏にある話を知ったら、特別な思いにかられるような

写真が、いつの世にも存在するのだ。

1. チェルノブイリの3人の名もなきヒーローたち

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 アレクセイ・アナネンコ(左から2人目)、兵士のヴァレリ・ベズパロフ(中央)とボリス・バラノフ(右端)の3人は、1986年にウクライナ、プリピャチでチェルノブイリ原発事故が起こったとき、命がけで原子炉のそばで汚染水の排水に尽力した。

 冷却システムがダウンし、災害発生から10日目に原子炉の下に汚染水のプールができた。溶岩のような放射性物質が溶け、炉心からしたたり落ちてたまり、水蒸気爆発を引き起こす大きな危険性があった。3人は排水を終え、無事に生還した。

2. シェール・アミ(フランス語で親愛なる友の意)

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 シェール・アミは、第一次大戦のときに200人の兵士の命を救った軍鳩の名前だ。このハトは、何度も撃たれて片目と片足を失ったが、それでも敵に包囲された歩兵師団たちからの伝令を懸命に運んだという。

3. 抗議のカウンター

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 1963年5月28日、フレッド・ブラックウェルによって撮影された写真。

 ジョン・ソルター、ジョアン・トランパウアー、アン・ムーディの3人が、ジャクソンの白人専用激安雑貨店ウルワースにあるカウンターに座って抗議。

 怒った群衆からケチャップや砂糖、マスタードを頭にかけられている。この3人は黒人を多く受け入れていた地元トゥーガルー大学の学生で、この抗議行動がミシシッピー州での市民権運動の核となった。

4. 幼馴染

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 1972年4月6日、フランス企業Joint Francaisの従業員がストライキに入り、機動隊と衝突した。ジャック・グーメレが撮ったこの写真には、ふたりの男が顔を突き合わせている様子が写っている。

 会社の従業員ギイ・ブルミューと、機動隊の警官ジャン=イヴォン・アンティニャックは、この瞬間、互いに相手が幼馴染であることに気がついた。

 写真家は回想する。「ギイが友人に向かい、その襟をつかむのを見た。彼は泣き叫び、”さあ、やれ。こうしている間に俺を殴れ”と言った。だが、もうひとりは身動きひとつしなかった」

5. 世界一幼い母

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 1933年9月23日に生まれたリーナ・メディーナは、1939年5月14日にわずか5歳で子どもを産み、世界一幼い母になった女性。

 リーナは、異様に早く性的に成熟してしまう思春期早発症という珍しい病気だった。骨盤がとても小さかったため、帝王切開で出産した。生まれた子供はジェラルドと名づけられ、まったくの健康体だったが、父親は誰かわかっていない。

6. テレツカの絵

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 1948年に、写真家のデヴィッド・シーモアによって、ワルシャワにある情緒障害児のための施設で撮影された写真。

 この少女テレツカは、戦時中、強制収容所にいたため、過去の恐怖がいまだに表情とその絵に表われている。

7. ふたりの兄弟

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 一見、楽しそうに見える写真だが、マイケルとショーン・マククイルケン兄弟はこの直後、落雷にうたれた。

 1975年8月20日、カリフォルニア、セコイア国立公園のモロ・ロックで撮影された。「あのときは、髪が逆立ってすごくおもしろいとしか思わなかった。ぼくが妹のメアリーの写真を撮り、それからメアリーがショーンとぼくの写真を撮った。右手を宙に上げると、はめていた指輪が全員にはっきり聞こえるくらい大きな音をたて始めた。気がつくと、全員が地面に倒れていて、ショーンは膝をかかえて崩れ落ちていた。その背中から煙があがっていた」

 のちにマイケルはこう回想している。この時、全員、命に別条はなかったが、残念なことにショーンは1989年に自殺した。

8. 大通りを作るために移動させられるアパート

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 この驚くような写真は、1987年にルーマニア、アルバ・ユリアで撮影されたもの。新たに大通りを作るために、建設作業員たちが建物全体を移動させている。

 建物はふたつに分断され、55メートル離された。作業員たちは、7600トンの建物をわずか6時間で動かしたのだ。

9. プールに酸を注ぎ入れるモーテルの支配人

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 ホレス・コートによって撮られたこの写真には、モンソン・モーテルの支配人ジミー・ブロックが、プールに塩酸を注いでいるところが写っている。

 7日前、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアがこのモーテルに不法侵入したとして、逮捕されていた。それに抗議する人たちが、このモーテルの白人専用のプールに入ったため、彼らを脅かそうと支配人はこうした行動に出た。

10. 子ども売ります

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 1948年に撮られた写真。24歳の主婦、ルシール・チャリフォーは、夫が失業してアパートから出て行かなくてはならなくなって、4人の子どもたちを売りに出した。

 当時、ルシールは5番目の子どもを妊娠中だった。子どもたちは全員買い手がつき、強制的に奴隷にさせられたという。

11. アルメニア、アパラン山脈で亡き息子のために踊る男性

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「1998年、ぼくはアルメニアの首都エレヴァンから車で一時間ほどの大きな町、アパランにいた。

その夜、郊外のほとんどの人が参加して、地元の舞踊団が夜空の下でダンスを披露していた。最初の一枚を撮るとすぐに、老人が近づいてきた」

 フランス人写真家のアントワーヌ・アゴージオンは語る。

 「老人は涙ながらに、彼の誇りであり、喜びであった息子が、電気椅子で死刑になって死んでしまったと語った。ぼくが息子に似ているのだという」

 「老人は泣き出し、腕を広げてぼくのほうへ近づいた。老人の名前はイシュランといった。ぼくのために踊って欲しいと頼むと、老人は踊り始めた」

 「舞踊団は背後の岩が露出したところで休んでいた。なんとも美しい光景だった。それは老人が美しいからではなく、老人がアルメニア社会の集団意識の奥深いところにあるなにかを代弁していたからだ。それは、圧倒的な喪失感に直面したときの、褒めたたえたくなるほどの復活力だった」

12. 1999年のクラス写真

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 ごく普通の高校の集合写真に見えるが、暗い秘密が隠されている。左奥の学生たちがカメラに向かって銃を向ける真似をしている。

 このふたりは、エリック・ハリスとディラン・クレボルト。コロンバイン高校銃乱射事件を引き起こした張本人たちだ。

13. 原子爆弾の爆発

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 マサチューセッツ工科大学の物理学者で写真家のハロルド・エジャートンは、高速で動く物体を鮮明にとらえることができる、ストロボ撮影のパイオニアでもある。

 この写真は、1952年6月5日、エジャートンが撮影したネバダ性能試験場での核実験。これらは、タンブラー・スナッパー作戦の一環だった。

14. 若き日のオサマ・ビンラディン

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 1971年にスウェーデンで撮られた家族写真。右から2番目の緑のシャツを着た男が、あのオサマ・ビンラディンだ。

15. ラジーヴ・ガンジー

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 この写真が撮られた直後、、インドの第9代首相、ラジーヴ・ガンジーは暗殺された。左下に写っているオレンジの花をまとった少女が体に爆弾を巻いていたのだ。

16. グランドキャンプ号

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 一見、ただの船舶火災に見える。ドックで懸命に消火にあたっているのは、テキサスシティのボランティア消防団の面々。

 この写真が撮られた直後、船は爆発し、非核爆発史上最悪の事故を引き起こした。5000人以上が負傷し、468人が1947年のこの悲劇で亡くなった。

17. 自由への跳躍

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 第二次大戦後、ベルリンは4つの占領区に分割され、それぞれ生活状況は大きく違っていた。1949年から1961年の間、およそ250万人の人々が、ソ連占領区の東ベルリンから逃げ出した。

 人々の逃亡を阻止するためにバリケードや鉄条網が張られたが、この19歳の国境警備員ハンス・コンラート・シューマンを止めることはできなかった。

 西ベルリンの繁栄は、若いシューマンを誘惑し手招きしていた。もう”閉じ込められて生きる”のは嫌だと思い、シューマンは鉄条網を飛び越えて西側へ逃げた。

 この写真は、自由のシンボルとされ、注目を集めたが、シューマンはこの新たな名声に振り回され、1998年に自殺した。

・自由への跳躍。冷戦時代の最も有名な写真「国境を越える若き東ドイツの警察機動隊員」についての秘話 : カラパイア

18. ノルマンディ上陸作戦、D-デイ

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 LIFEのカメラマン、ロバート・キャパが1944年6月6日に撮った劇的な写真。そう、この日は連合軍がノルマンディに上陸したDデイである。

 写っている兵士、22歳のヒューストン・ライリー上等兵は銃弾を浴び、キャパと仲間の軍曹が彼を助けた。”この男はここでなにをしているんだ? この海岸にカメラマンがいるなんて、信じられない”と思ったと、のちにライリーは振り返った。

 キャパはこのとき1時間以上もその場に留まり、死んでいく兵士たちの写真を撮り続けていたが、残念なことに、たった1巻のフィルムしか残らなかった。

 それでも、そこにおさめられていた粒子の荒い画像を見れば、あの日の胸をえぐられるような状況がありありとわかるだろう。

19. 最後の笑み

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 ふたりの殺人犯、リチャード・ヒコックとペリー・スミスが、死刑判決を聞いた後、笑っている姿。ふたりは、金を強奪しようと4人家族を襲ったが、50ドルしかないことがわかって、全員を殺害した。

20. IQ160を超えるのシリアルキラー、ロドニー・アルカラ

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 法廷で自身の反対尋問を行うロドニー・アルカラ。デートゲームキラーとして知られている。70年代に複数の女性を殺したが、犯行を重ねながら、デート番組に出演したりしていた。

 法廷では、自分を取り繕い、声色を変えて別人を装ったりしたが、最終的には、死刑を言い渡された。

・天才的なIQを悪事に利用した10人の殺人犯 : カラパイア

References:30 Ordinary Photos With Amazing Backstories/ written by konohazuku / edited by parumo

追記:(2019/3/13 )本文を一部訂正して再送します

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この記事へのコメント 43件

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  1. 10. 子ども売ります
    1948年に撮られた写真。
    子どもたちは全員買い手がつき、強制的に奴隷にさせられたという。

    え、100年くらい前かと思ったら割と最近…
    黒人じゃないように見えるんだけど、一体どこの国の話!?

    • +21
    1. ※2
      驚くほどのことでもないかなぁ。
      欧米の近代って想像より遥かに野蛮よ。
      アメリカは1950年代くらいまで黒人のリンチ殺人が何件も起きてるし
      欧州ではその頃まで魔女裁判もあった。
      英国は1970年代まで旧植民地に孤児を労働力として輸出してたし。

      • +10
    2. ※2
      現代でも法をかいくぐり名前を変えて存在するし
      当時なら珍しくない、奴隷って言っても表向きは違ったのかもしれないし

      • +2
  2. 11は写真もエピソードも詩的で美しいね。
    イシュランさんの踊り、見てみたいなあ。

    • +11
  3. あれ、なにこのデジャブ?
    と思ったら、不思議NETさんで4日前に出てた(こっちの方がちょっと豪華バージョンだけどね)

    • +2
  4. ビンラディンが普通の西洋的青年でびっくり
    アメリカ憎しの中東戦場育ちだと思ってた

    • +6
    1. ※7
      あの人元々は資本民主主義陣営だぞ。ついでにフセインもだが
      ペルシャ湾付近の国々はソ連の防波堤としてアメリカに運用されてる
      その中で民主主義陣営からの離反、かといって共産にも頼らないイスラム教による独立を意味するイラン革命が起きてあそこらへんがややこしくなった

      正直調べて行ったらあの人たちが何が欲しかったのか理解できるんだよな。日本人としては

      • +21
    2. ※7
      そもそもビン・ラディンを支援して育てたのはアメリカなんだけどね。

      • +14
    3. ※7
      テロリストなんて金のあるボンボンのすることだろ
      明治維新だって士族だの郷士のボンボンがやってるんだし

      • -12
  5. 写真というのは、やはり人類の大発明ですね。
    でも今はデジタルばかりで、もしEMP攻撃などにより電子情報を読み取る技術を失ってしまったとしたら、我々の時代は空白の時代になりかねない。
    もちろん、そんな可能性は低いかも知れないが、未来への伝達能力はアナログの方が勝る部分もある、気がする。
    もっといっぱい写真を撮り、そしてアナログの記録も適度に残しておきたい。

    • +14
  6. 10が辛すぎる。こんなに仲良しで、かわいい子供達が親によって売られて奴隷にされたなんて。
    バラバラになってしまったのだろうけど、どんなにハードな人生だっただろうか。
    1948年とあるから、まだご存命の方もいるのでは。
    兄弟たちに再会して、少しでも幸せな時間を取り戻していてほしい。

    • +23
  7. 50年生きてても、言葉が貧しすぎて気持ちを残すことができそうもない。
    このやるせない気持ちを、後世の誰かが味わうことのない世界になるといいんだけど。

    • +8
  8. 子供の頃、様々な「世界一」を集めた小学生向けのギネスブックみたいな本が家にあったけどそこに載ってたな、6歳(実際は誕生日前なので満5歳)で出産した世界一若い母親。当然写真も詳しい説明もなく「ペルーに住むリナという少女が1939年に6歳で赤ちゃんを産んだ」というサラッとした文章と、赤ん坊を抱く少女の可愛らしいイラストだけ。何年か経って『意味』を理解し、恐ろしくなった…

    • +22
  9. №18の、キャパが撮影したノルマンディーの写真がぼけているのは、現像する際に
    問題が起きてボケているんだって話を聞いた。
    まともにプリントできた写真があれだけだったんだとか。

    • +3
    1. ※16 助手がフィルム現像したとき温度を高くし過ぎて乳剤層が流れちゃったとか。でもってブレブレ画像しか残らなかったので「そのときキャパの手は震えていた」とかキャプションつけて誤魔化したんですと。怪我の功名って奴ね。あの(戦場写真のベテランの)キャパでさえ震えるほど恐ろしい戦場という。

      • 評価
  10. カラパイアの魅力はこの手の記事にあるんだよね、やはり。

    • +13
  11. 子供売ります、気になってググってみたらバラバラに売られたり養子になったりして、子供たちはみんな苦労したようだけど大人になってから再会出来たみたい
    この時お腹にいた子も結局養子に出された上、母親はその後も子供を産んでたらしい
    売られた子供が大人になってから母親のもとを訪ねたけど、謝罪とかも特に無くて向こうは愛情なんかなかったんだなぁと感じた、まぁこっちも恨んでるからいいけど(意訳)的なコメントを残してる
    英語に自信がないから誰か正しい翻訳を求む…
    4 children for saleでググったら関連記事が出てきます

    • +41
    1. ※18
      だらしのない母親(とも言いたくないけど)だったんだねぇ……
      こういう人間は子供を産んじゃいかんと本気で思うよ。

      • +14
    2. >>18
      無事に生きていて何より(T-T*)
      そんなどーしようもない母親だったとは…。そのまま一緒に暮らしていても虐待か育児放棄されてたかもしれないですね。

      • 評価
  12. 本当に感謝の気持ちがあるのなら
    シェール・アミとか忠犬ハチ公とか剥製にして見世物にするのはやめろ
    写真で十分だろーが

    死体を見世物にする行為に反吐が出る
    もちろん科学博物館にはクレームをいれたが無視された
    本当に民度が低い奴らだ

    • -29
    1. ※19
      民度が低いと罵っているけど、教養と寛容の無い自身を顧みた方が良いんじゃない?
      人を説得したいと思うのなら、「なぜそれがいらないのか」という理由を明確な根拠を提示するべき。

      自分の思い通りにならないからといって感情的に喚くのは、スーパーのお菓子売り場で駄々をこねる幼児と何ら変わりない。

      • +16
    2. ※19
      ワシもそう思う
      人間並みにお墓を作って、記念碑を建てるとかでいいのにね
      自分の死体を剥製にされて見世物にされたらどう思うか、
      1から説明して貰わんことには
      ご立派な想像力を持ってるはずの人間様は思いもおよばんらしい

      • -5
    3. ※19※36 死体を見せることが晒し者って考えは人間だけだと思うけど
      あと晒し者にするために剥製にしてるわけじゃないし
      個人的には剥製って死体としか認識してないから
      好きにはなれないけど

      • 評価
  13. なんかこう、悲しいのと悔しいのでぐちゃぐちゃになるな。
    特に3と4の写真、たとえ背景を知らなくても。

    • 評価
  14. 4の幼馴染とデモで再会は、そんな重要な話なのだろうか…?

    • -20
    1. ※22
      「俺の仕事を侮辱するな!!」
      ってぶんなぐるべきやったな

      • -14
    2. >>22
      アツい展開だろ?
      アイツは敵じゃない…!みたいな

      • -3
  15. 14のビンラディンは、向かって右側二番目の緑のシャツを着ている若い少年ですよ。

    • +1
  16. 必死に訴えた相手が昔の幼馴染だったって
    映画やドラマの場面みたいで胸が熱くなるね

    • +6
  17. 幼馴染のやつは、ブラック企業で環境があまりにも酷かったから、経営陣に団交しに行ったら、経営陣側に出世組の幼馴染がいて胸が痛くなったって話に通じるんじゃない?

    同い年で同じような子供時代過ごしたのに、大人になると社会的地位も立場も進む道も全然違うどころか、ましてや真っ向から対立する者同士として再開するのは、胸が締め付けられるね。

    • +19
  18. 19のリチャード・ヒコックとペリー・スミスは「ティファニーで朝食を」で有名なトルーマン・カポーティのノン・フイクション小説「冷血 (In Cold Blood)」に登場する殺人犯ですね。

    • +5
  19. どれも大変に興味深い写真だね

    ぜひもうちょっとずつ詳しく書いてほしいな
    6番のテレツカは「家の絵を描きなさい」という指示に対しての絵だとか
    13番の原爆はシャッタースピードが1/1億secとか

    • +6
  20. コロンバインのやつよく見ると5~6人の似た者同士グループっぽいな
    事件起こした2名は確かクラスで完全に”浮いてた”存在って聞いてたからこの写真はちょっと意外

    • +3
  21. 8の写真はちょうど昨夜、BS世界のドキュメンタリーの独裁者の造った建物特集でやってたのでとってもタイムリー
    ながら見だったから記憶があやふやだけど、番組で移動させてたのはアパートじゃなくて教会だったかな?
    BGMとか演出がちょっとコメディタッチで面白かった

    • +1
  22. 3の白人専用カウンター
    「でもルールを守らないのは悪いことじゃん」「プロ市民w」
    こんな声が聞こえて来そうな昨今の風潮

    • +6
  23. 3,9 暴行で殺された黒人の前で笑顔で記念撮影していた白人が黒人を同じ人間と認めるのはつい最近のことだというのがよくわかる 
    15 ラジブ・ガンジーが暗殺されたのは1991年5月21日 5月のはじめインド旅行してて 彼の選挙遊説中の車とすれ違ったことがある 帰国してすぐ訃報をきいてびっくりした
    19 この死刑囚二人はカポーティの「冷血」で詳しく書かれてる 映画にもなった

    • +3
  24. >5. 世界一幼い母

    今なら骨からでも遺灰からでも父親解るだろうけど
    そんなことしたら地獄の蓋をこじ開けるだけだろうな・・・

    • +3
  25. 動物好きとしてはシェールアミが辛い。

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